からだにおいしい料理店・しんどふじ ～雨のち晴れときどき猫が降るでしょう～

雨のち晴れときどき猫が降るでしょう

かわいい小さな店員さん

「いらっしゃいませ」
「おっ、可愛らしい店員さんのお出ましだ」

　店に入るなり着物姿の里穂にほっこりする。木花の大旦那は里穂の頭をポンポンと軽く叩き「今日も食べに来たよ」と頬を緩ませていた。

「着物のお爺ちゃんだ。里穂もね、着物なの」
「里穂ちゃん、似合っているよ」
「ありがとう。あれ、おじさんも、じゃなくてお兄さんもまた来てくれたの。やったー」

　裕は里穂の言葉に苦笑いを浮かべた。『お兄さん』と言い直されるとなんだか余計に虚しく感じた。なんだか気を使われてしまった気がする。

「里穂、ちゃんとお客様をお通しして」
「はーい」

　店内に入り安祐美と目が合うとなんだか照れ臭い。

「木花の大旦那さん、またいらしてくれて嬉しいです。それに淵沢くんと一緒だなんてどうしたんです。友達になったわけでもないですよね」
「なーに、そこでばったり会っただけだよ」
「そうなんですね」

　他愛ない話をしていたら里穂がお盆にお茶をのせて落とさないように気をつけながらゆっくりした足取りでやってきた。なんとも危なっかしくてヒヤヒヤしてしまう。

「はい、ほうじ茶です。どうぞ」
「ありがとうね」

　里穂はニコリとすると木花の大旦那のところにもお茶を置いた。

「お手伝い偉いね」
「そうでしょ。里穂、偉いの」

　里穂は満足した面持ちで奥へと引き返していく。

「さてと、今日はどんな料理を出してくれるのかな」

　木花の大旦那の言葉に安祐美は「お楽しみに」とだけ口にすると料理に取り掛かった。
　すでにいい香りが立ち込めている。店に入った瞬間にそれは感じていた。味噌汁の香りだろうか。それとも何かの煮物だろうか。

　最初に出て来たのは春菊と湯葉のサラダとゴボウと里芋の味噌汁とたくあんだった。ごはんは白米と玄米の二種類で、裕は玄米にした。木花の大旦那も同じだ。
　大豆の香りと口当たりのいい食感とともに春菊の香りとシャキシャキした食感が心地いい。梅のドレッシングも酸味があってこれまたいい。

　味噌汁も最高だ。出汁が利いている。ホクホクした里芋に食感のいいゴボウもいい。なんといってもあったまる。もうこれだけでも満足だ。あと、何が出てくるのだろう。

「はい、『マコモダケの天ぷら』です」

　なるほど、今日のメインはこれなのか。それともまだなにか出てくるのか。裕はまじまじとみつめて一口食す。マコモダケってはじめてだ。筍の食感に似ていてほんのりとした甘味がある。こんな食材があったのかと思わず笑みを浮かべてしまう。シンプルだが満足できる優しい味わいだ。

　続けて『ネギとカブの味噌炒め』がカウンターに。またしてもシンプルな料理だ。量的にもそんなに多くなくて木花の大旦那でも問題なく食べられそうだ。自分も満足できる。いや、大満足だ。大食いだったらわからないけど、十分なんじゃないだろうか。
　気づけば嫌な考えもどこかへ吹き飛んでいる。まるで料理自身にもてなされているようだ。もちろん、すべて安祐美の腕がいいからそう思えるのだろう。心も身体も満たされていく。今なら、新田ともうまく話ができるかもしれない。

「安祐美ちゃん、今日も大満足だったよ」
「ありがとうございます」
「僕も」

　裕も同意しようとして咽てしまった。

「おやおや、食べながら話しちゃいけないよ」

　ごもっとも。安祐美は優しい笑みでこっちに目を向けていた。

「ママ、デザートはいいの」
「あっ、そうね。二人ともどうします」
「もちろん、いただくよ。若いのはどうする」
「ぼ、僕もいただきます」
「おじさん、お口汚して赤ちゃんみたいでかわいい」

　えっ、かわいい。赤ちゃんみたいだって。里穂がハンカチを差し出していた。こんな小さな子にそんなこと言われて急に恥かしくなってきた。けど、ハンカチを受け取り口の周りを拭いた。いったい自分は何をしているのだろう。

「今日は野菜ドーナツです。ほうれん草とカボチャ味ですからね」

　緑色と黄色のドーナツがひとつずつ皿にのって出されてきた。

「それ、美味しいよ。里穂も大好きなんだ」
「ほう、そうかい、そうかい。里穂ちゃんも大好きか」

　木花の大旦那がほうれん草味のほうを一口パクリとするのを見遣り、裕も同じものをパクついた。う、美味い。ほうれん草なのか、これ。いろいろと工夫をしているのだろう。

「焼きドーナツにしてみんだけど、どうかな」
「美味しいです。野菜とは思えないですよ、これ」
「ありがとう、淵沢くん」
「安祐美ちゃん、こりゃいいよ。これじゃ毎日来なきゃいけなくなりそうだ」

　木花の大旦那は大口を開けて大笑いをしていた。

「着物のお爺ちゃん、毎日来るの」
「どうだろうね。里穂ちゃんは来てほしい」
「うん、来てほしい」
「こりゃ参った。里穂ちゃんに頼まれたら来ないわけにいかないな」
「お兄ちゃんも」

　里穂が上目遣いで袖を引っぱってきた。
　えっ、自分も。さすがに毎日は。裕は即答できなかった。

「里穂、困らせちゃダメでしょ」
「だって、ママの料理を毎日食べたらきっと冷たい手も治るもん」
「そうか、心配してくれたんだね。ありがとうね」
「じゃ、毎日来るよね」
「えっと、どうしようかな。僕は、毎日来るのはちょっと無理かな」
「なんで、なんで」

　苦笑いを浮かべるだけで金銭的に無理という言葉は言えなかった。

「里穂、お兄ちゃんにも都合ってものがあるからね。わかってあげてね」

　里穂は安祐美の言葉に小首を傾げて考えていたがすぐに「わかった」と頷いていた。
　裕はホッと胸を撫で下ろすと木花の大旦那が席を立ち「それじゃご馳走さん」と三千円を出して二人分だと告げていた。木花の大旦那はチラッとこっちを見遣り笑みを浮かべている。その姿が神様のように思えて裕は「ごちそうさまです」と言うことしかできなかった。

　木花の大旦那はお釣りをもらいつつ手を挙げて再び微笑むと「安祐美ちゃん、里穂ちゃん、また来るからね」と店の扉を開けた。

　安祐美が「はい、お待ちしています」とお辞儀すると里穂も真似て「お待ちしています」と言おうとしたのだろう。けど、口にした言葉は「おまち……。えっと、そのまたね」とお辞儀をしていた。
　木花の大旦那と一緒に自分も店を出ようとすると安祐美に引き止められて振り返る。

「ちょっと、話したいことがあるの」

　話ってなんだろう。なんだか真面目な顔つきしているけど。

「な、なに」

　安祐美の話は痺れが残っている左手のことだった。鍼灸整骨院に行ってみたらどうかというものだ。自分のことを考えてくれていたなんてありがたい。確かに、やってみる価値はある。

　里穂は「ママのお料理だけじゃ治らないの」なんてこと話していた。余程安祐美の作る料理を信頼しているのだろう。

「先輩、ありがとうございます。治るかはわからないけど、行ってみます」

　お辞儀をして帰ろうとしたところで安祐美に「それ、忘れ物」と指摘されて目を向けるとそこには袋がひとつあった。忘れていた。

「あっ、そうだった。これ、商店街にあるパン屋のパンなんですけどよければ食べてください」
「それって藤井ベーカリーのパン。そうでしょ」
「えっと、店の名前はわからないけどたぶんそうかな」
「やったー。里穂、そこのパン好きなんだ」
「よかったわね、里穂」
「うん。それでカレーパンある」
「あるよ」

　里穂は満面の笑みで袋を覗き込んでいた。里穂が喜ぶってことは辛くないのだろう。甘口のカレーパンってことか。

「ママの好きなうぐいすパンもあるよ。もうひとつはえっと、よもぎパンだ」
「淵沢くん、ありがとうね」
「いえいえ。というかこのパンは貰ったんでお礼はパン屋さんでお願いします」
「あら、そうなの」

　裕は苦笑いを浮かべて頭を掻いた。

「ねぇねぇ、お兄ちゃん。このカレーパンね、福神漬けも入っているんだよ。面白いんだけど美味しいんだよ」

　そうなのか。確かに面白いかも。今度、買って食べてみよう。さてと、そろそろ行こうかな。

「先輩、また来ますね」
「はい、お待ちしています」
「里穂も待っているからね」

　裕は微笑み店をあとにした。