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狂ってしまった人生
しおりを挟む負け続きで早々に退散とばかりに場外馬券場から出たところで誰かの視線を感じた。逆光で誰がいるのかわからず、眩しい太陽に手を翳して眇め見る。一歩進み出ると、影だったものがはっきりしていく。
これは偶然か。なぜ、こいつがいる。睨まれている。気のせいなんかじゃない。待ち伏せしていたのではないのか。あまりにもタイミングが良過ぎる。
社長秘書の飯塚加奈だ。これは社長でもある親父の差し金か。きっとそうだ。俺は監視されているのか。
現実逃避とばかりに新宿の空を仰ぎ見て溜め息を漏らす。
いい加減にしろ。
俺のことは放っておいてくれ。俺の気持ちも考えてくれ。まさかとは思うが、俺が犯罪に手を染めるとでも思っているのか。それで監視をつけたのか。ふざけるな。俺はそこまで落ちぶれてはいない。すべては親父のせいじゃないか。
あんな形で会社を辞めたくはなかった。辞めさせられたと言っても過言じゃない。不貞腐れて当然だ。もうどうでもいい。ギャンブルですっからかんになったっていい。
これって世間一般的には落ちぶれているっていうことか。
「飯島結弦、あなたはいったい何をしているんですか。自暴自棄になってはいけません。お金は魔物。もっと大切に使わないと酷い目に遭いますよ」
仁王立ちをして彼女は言い切った。
幼い顔をして言いたいことはズバズバと言う。正直、見た目は社長秘書というよりも幼稚園の先生が似合いそうだ。それなのに口を開けば相手の心を射貫くような的確な発言をする。そこが親父は気に入って社長秘書に採用したみたいだが、果たして適任だったのかどうか定かではない。下手をすれば多くの敵を作ってしまいそうだ。俺の知る限り、敵はいないとは思う。それはきっと、彼女の人となりが成せる業なのだろう。
そうだとしても、社長秘書が社長の息子を呼び捨てにしたうえに説教とはいい度胸だ。何が『金は魔物』だ。そんなこと言われなくたってわかっている。俺だって考えている。ムカつく奴だ。普通ならそう感じるところだが、不思議と腹が立ったのは一瞬だけで彼女の物言いに同調してしまう。悪い気がしない。神社の神域に触れて心地よくなった気分だ。それは言い過ぎか。
「ちょっと、話を聞いていますか」
「聞いているさ」
溜め息を漏らして彼女をチラッと見遣る。
まさか年下の彼女に叱られるとは思いもしなかった。
「ギャンブルはほどほどにしてください。いいですね」
「は、はい」
思わず頷いてしまった。
本当に不思議な人だ。
いや、待て。感心している場合じゃない。親父は何を考えている。
社長秘書に監視なんてさせるんじゃない。秘書としての仕事をさせろ。公私混同するんじゃない。こんなことをさせるのなら、俺を辞めさせるんじゃない。なぜ、俺を信用してくれなかった。親父が、いや社長が悪いんだろう。以前だったらこんな判断を下さなかったはずだ。
あいつらだ。あいつらが親父をおかしくさせた。再婚したせいだ。
母が亡くなって二十年の月日が経つし親父が再婚したってかまわない。問題なのは再婚相手とその息子だ。紹介されたときの綾瀬瑞穂はしおらしく見えた。社長の妻となったとたん会社経営に口出しするとは思わなかった。なんて厚かましいのだろう。これは問題だ。親父はなぜ、聞き入れてしまうのだろう。
再婚相手の息子もかなりの問題児だ。もう三十になるいい大人なのだからしっかりしてほしい。『今日から、おまえの兄だ』と言われて『はい、そうですか』とはいかない。受け入れようと努めたけど突然兄になった康也の性格の悪さは悩まされるばかりだ。
あいつは上司がいれば煽ててゴマをする。自分よりも下だと判断すれば無下に扱い相手にしないとわかりやすい奴だ。意外とそういう奴が出世をするのかもしれない。親父はそういうところを見極められる人だと思っていたのに俺と同じ主任にさせてしまった。仕事ができるのなら少しは納得したかもしれない。入社させること自体どうなのだろうという体たらくな仕事ぶりで主任では他の社員に示しがつかない。親父は仕事に関することは甘くはなかった。俺が主任になるのにどれだけ努力したと思っている。高校を卒業して大学は行かずに入社して七年かかったっていうのにあいつは入社して即主任だ。おかしいだろう。他の社員と変わらず実力で這い上がれとよく言っていた親父がどうして変わってしまったのだろう。
もういい。考えるな。
俺は会社も辞めて家も追い出された身だ。親父のことなんて知るか。会社がどうなろうと知るか。俺は俺の道を行く。
俺の道。それはなんだ。どんな道だ。茨の道か。そうかもしれない。
自分一人で何ができる。親がいたからここまでやってこられた。そうだろう。それじゃ、どうする。どうするじゃない。どうにかしなくちゃいけない。頑張るしかない。このままじゃ金が底をつきホームレス人生になってしまう。そんな人生は嫌だ。早いところ軌道修正しなくてはいけない。
目の前で睨みつける彼女を見遣りすぐに視線を逸らす。
彼女の言葉は正論だ。間違っていない。ギャンブルなんてやめて真面目に生きなくてはいけない。それならどうする。また、同じところに考えが向いてしまう。なんて俺は頼りない奴なんだ。ダメな男だ。それなら、親父に土下座してまた社員に復活させてもらうか。無理だ。やめておけ。今の親父は尊敬出来ない。そんな親父に謝る気は毛頭ない。
ここは運試しといこうか。
宝くじでも買って運を天に任せてみるのも悪くはないだろう。もしも大当たりしたら小さくても会社を立ち上げて地道に頑張っていけばいい。当たらなかった場合はアルバイトでもなんでもして稼ぎ自分の会社をもてばいい。
なんて甘い考えなのだろう。そう簡単に会社経営なんかできるわけがない。これじゃギャンブルとなんら変わらない。とにかくギャンブル生活はおしまいだ。自分の道を切り開く努力をしなきゃダメだ。社長の息子だが、今までだって努力してきたじゃないか。思い出せ、実力で主任になったときのことを。本当に、実力だったのか。実は裏で親父の力が働いていたなんてことはないのか。
これは俺にとって試練かもしれない。乗り越えてレベルをあげるチャンスかもしれない。そう思えば、前に進める。そうじゃないのか。けど、うまくいくだろうか。世の中、そんなに甘くない。ダメだ。ここは前向きに。
社長秘書の彼女と目が合い、思わず頬を緩ませた。
「あの、何を笑っているんですか。気持ち悪いですよ」
気持ち悪いだ。まったくはっきり言いやがって。考えてみれば確かに、急に笑顔を向けられたら気持ち悪いかもしれない。
「今度はだんまりですか。変な人ですね」
「うるさい。俺は決めた。運試しをする」
「運試しって、何をするんですか」
「宝くじだ」
彼女は軽く頭を振り「そんなことより住むところ探して仕事みつけてください」とまたしても正論を口にした。けど、ここは引かないぞ。
「これが最後だ。当たってもハズレても俺の進む道はひとつだ」
彼女は仕方がないとばかりに溜め息を漏らして「よくわからないですけど、わかりました」と頷き、宝くじを当ててくれるかもしれない稲荷神社があると教えてくれた。
まさかの反応に俺は怯んでしまった。これは何かの作戦か。そう思ったが稲荷神社のことが気になってしまった。
そういうところがあるのかと俺は頷き、近場にあった宝くじ販売所でジャンボ宝くじの連番三十枚を買い新宿駅から山手線に乗った。
俺は、この先どうなるだろう。運試しだって宝くじを買ってはみたものの大当たりなんてそうそうするものじゃない。わかっている。未来は俺次第で良くも悪くもなるってことか。
今の俺には未来は見えないけど、どうにかやっていくしかない。車窓から流れゆく外の景色をぼんやりと眺めながら、未来の自分を想像した。
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