謎部屋トリップ

景綱

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猫地蔵

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 みのりと稲山店長が、公園を出たすぐの道で難しい顔で話し合っていた。会話は聞き取れないが、ここからその様子がよく見える。いったい何を話しているのだろう。俺に聞かれちゃまずいことなのだろうか。

「ベンチで待っていてください」

 稲山店長の何気ない一言に身体が硬直してしまった。背筋を正してしまう声音と凄みのある顔はなんだったのだろう。それくらい大事な話ってことなのか。俺もあそこに加わりたい。なぜ、俺はベンチで待たなきゃいけない。

 こっそり聞きにいってみようか。ダメだ、ダメだ。ここで待つしかない。
 ああ、もう気になる。
 ベンチに座りふたりの様子を窺い、全神経を耳に集中させる。だが、どう頑張っても会話は聞こえてこない。

 気になる。気になってしかたがない。我慢できない。近づいて盗み聞きだ。あたりを見回して項垂れる。隠れるような場所がない。こっちから見えるってことは、ふたりのところからここは丸見えだ。ベンチを離れたとわかれば、話もやめてしまうだろう。その前に逆鱗に触れてしまう。さっきの稲山店長の顔と声音を思い出してブルッと震えてしまった。

 公園のベンチにひとり。なんだか仲間外れにされている気分だ。まあ、最初から仲間ではないか。あのふたりは何かを隠している。

「俺はどうすりゃいいんだろう」

 溜め息を漏らしてぼそりと呟いたとき、みのりの素っ頓狂な声が響いてきた。
 どうした。何があった。

「ねぇ、おじさん」
「えっ」

 後ろから突然声をかけられてビクッとした。振り返ると五歳の俺が真面目な顔をして立っていた。まずい、接触してしまった。

「おじさんも悩みがあるの」

 おじさんか。俺はまだおじさんって年齢じゃないんだけどな。まあ、この年の子供にとって俺はおじさんになるのか。そういえば見知らぬおじさんと会った記憶があったっけ。自分のことなのに。なんだか笑えてくる。そうか、俺の記憶はこのときのものなのかもしれない。あれ、今確か、『おじさんも』って。

 悩みがあるんだな、きっと。子供の頃、俺は何を悩んでいたのだろう。正直、覚えていない。記憶の中の父と母は、優しくて笑顔が絶えない仲良し夫婦という印象しかない。俺だって幸せだったはず。いろいろあったのは母が亡くなってからだ。母が健在のときに悩みなんてあっただろうか。

「もしかして、君も何か悩み事があるのかな」
「うん」
「そうか。おじさんでよければ話を聞くよ」
「うん。あのね、パパが最近元気ないんだ。いじめられているのかな」

 元気がない。虐められているってことはないと思うけど、なんでそうなったのだろう。そんなことあっただろうか。あったとしたら、覚えていないはずがない。なぜだろう。思い出そうとすると頭が疼く。おかしい。もしかしたら、それから何かがおかしくなりはじめたのかもしれない。母が病気になるのも近いんじゃ。すでに母が病気になっている可能性もあるのか。それで父の元気がないのかもしれない。ありえる話だ。

 待てよ、母は元気そうだった。元気そうに振舞っているだけってこともあるのか。違う、そんなことはないはずだ。それなら、他に何かとんでもないことがあったのか。父が何かしたのだろうか。俺が何かしでかしたってこともある。思い出せない。母のこと以外に父の元気がなくなるようなことってなんだろう。この子が悩むくらいだから、相当なものだろう。この子の性格はわかる。俺なのだから当然か。

 ダメだ。考えれば考えるほど、頭の疼きとともにこめかみあたりがチリッと痛む。
 不安そうな顔の子供時代の俺がすぐそこにいる。

「パパに元気になってもらいたいよな」
「うん、どうすればいいと思う。ぼくにできることあるかな」

 何かできることがあるのだろうか。
 ふいにどこかの社が頭に浮かんできた。同時に『参拝すれば、すべて解決する』との声音もした。神様の声か。それにしても、どこの神社だろう。

魔主まぬし稲荷神社へ来い』

 声音に脳が震えた。聞いたことがない神社のはずなのに、頭の中に道筋が見えた。なんだ、これは。なんだか頭が変だ。頭の中にもやが広がっていく。軽く頭を振り目の前にいる男の子に目を向ける。五歳の俺だっけ。そうだ、伝えなきゃ。
 伝える。この子に。なぜだ。疑問が湧いた瞬間、頭の疼きが酷くなり自分が自分でなくなっていくように感じた。

「あのさ」

 おかしい。伝えなきゃとの思いが強くなり、勝手に口が動いてしまう。

「良いことを教えてあげる」

 五歳の俺に伝えようとしたとき、背中をドンと叩かれた。その瞬間、頭の中の靄が晴れていく。
 振り返るとそこに猫がいた。
 こいつはアパートにいた猫か。

「我は自性院じしょういんの猫地蔵である」

 しゃべった。嘘だろう。

「おい、聞いたか」

 あれ、どうした。五歳の俺がぼんやりしている。

「その子供は我の術にかかっておる。今は、何を話しても耳に届かないぞ」
「術。なんでそんなこと」
「ふん、おまえのためだ。いや、この世のためでもあるのか」

 どういうことだ。この世のためってずいぶん大きくでたな。

「あああ、ゆづっち。この子と話しちゃダメって言ったのに」
「大丈夫だ。みのり。我が止めたから問題ない」
「あああ、じぞちゃん。流石」

 じぞちゃん。こいつ、そんな名前なのか。というか自性院の猫地蔵だとか言っていなかったか。もしかして、地蔵だからじぞちゃんなのか。いいのかそれで。

「おお、お猫様ではないですか。わたくしどもがいたらないばかりにわずらわせてしまいました」
「なに、たいしたことはない。この世のためだ。こういうときこそ、仏と神が力を合わせねばならぬ」
「確かにそうですね」

 仏と神とはいったいどういう意味だろう。
 仏っていうのはこの黒白猫のことだろう。猫地蔵だもんな。神とは。稲山店長とみのりを見遣る。まさか、このふたりが。
 稲山店長がニヤリと笑みを浮かべた。

「あなたの予想している通りですよ。わたくしは、ご存知、皆中稲荷神社の狐神です。そして、みのりはわたくしの眷属狐なのですよ」
「そうそう、だから稲山様って呼ばなきゃね。あたしは、みのりでいいけど」

 驚きすぎて言葉が出てこなかった。
 俺はとんでもない人と一緒にいるのか。あっ、人じゃない。狐神様と眷属、それに猫地蔵。なぜ、どうして。俺はいつご縁を結んだのだろう。一度しか参拝していない。猫地蔵に関しては会ったことすらないだろう。自性院の場所も知らなければ、行った記憶もない。それならなぜここに狐神と猫地蔵がいるのだろう。

 俺は夢を見ているのか。
 最初からトリップなんかしていないのではないか。アパートの部屋で居眠りしている可能性もある。いずれ、目が覚めて。なんだとなるんじゃ。それにしてはリアル過ぎるか。それなら現実なのか。そもそも、トリップ自体がありえない話じゃないか。考えれば、考えるほど現実味がない。リアルな夢もあるかもしれない。今更、何を言っている。稲山店長、みのり、猫地蔵を順に見遣り、やっぱり現実だと認めた。

「皆の者、こんなところで立ち話もなんだから、我の寺で話そうではないか。あそこなら邪魔も入らぬ」

 稲山店長とみのりは頷き、猫地蔵に着いて行く。俺は、ぼんやりする五歳の俺を見遣り「ちょっと、この子はこのままで大丈夫なんですか」と問いかけた。

「大丈夫だ。そのうち目覚める。そして、おまえと話したことは忘れる。我の子分たちを守りにつかせたから邪魔者も手出しできぬであろう」

 忘れるのか。俺はなんとなく覚えているけど記憶違いだろうか。それはそうと邪魔者って誰のことだ。さっきの声がそうか。えっと、なんて言っていただろうか。

 ああ、もう。わけがわからない。俺はいったい何をしているのだろう。このままじゃ未来がおかしくなっちまうんじゃないのか。いいのか、これで。早く、帰った方がいいんじゃないのか。もとはと言えば俺が言い出したことだけど。母に逢いたいと思ったのが間違いだったのかもしれない。

「どうした。納得いかないか。そうだろう。おまえの記憶と違うかもしれないからな。今回は我がそう仕向けたのだ。本来の道に戻さねばならぬからな。そのためにおまえがここにいる」

 猫地蔵はいったい何を話しているのだろう。本来の道ってなんだ。何が何だかわからない。

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