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とんでもない事実
しおりを挟む自性院、ここか。
周りは住宅街なのか。あっ、いた。猫地蔵だ。けど、これって招き猫じゃないのか。
「おい、こっちだ。こっち」
黒白猫が手招きしている。あれこそ、まさに実写版招き猫だ。違う、猫地蔵か。俺は黒白猫と猫地蔵の像を見遣り、どっちでもいいかとひとり頷いていた。
「ほら、こっちだ。早く来い」
再び黒白猫に促されて猫地蔵堂へ足を向ける。なんとなく空気感が違う。お寺の気が漂っているせいだろうか。神社とは明らかに違う。お寺の気も嫌いじゃない。景色を見まわしつつ、猫地蔵堂に一歩足を踏み入れた。そのとたん、眩暈がして身体が揺れた。
「ゆづっち、大丈夫」
みのりに身体を支えられた瞬間、ふわりと甘い香りが鼻を掠めた。この匂い、稲荷寿司か。こいつ色気より食い気なんだな。あっ、狐神様の眷属だった。危ない、危ない。
「ちょっと、ゆづっち」
「ありがとう、大丈夫だから。ちょっと眩暈がしただけだ」
「もう、今、変なこと考えたでしょ。誤魔化して。あたしはどうせ、花より団子派よ。まあいいけど。眩暈はすぐ治るわ。空間移動したせいだから」
流石、眷属。口にしなくてもわかってしまうのか。
それはそうと空間移動したのか。
あたりに目を向けて頷いた。確かに、ここは別空間のようだ。外から見た感じとは広さが違う。畳敷きの大広間が目の前にあった。いったい何畳あるのだろうか。部屋の隅々にたくさんの招き猫が鎮座している。その中央に猫地蔵らしきものがいた。古いものなのか削れて顔がよくわからない。
「おい、我はこっちだ」
反対側に向き直るとそこに黒白猫が座椅子の背凭れに身体を預け、足を広げて座っていた。まるで、オヤジだ。そう思ったら、猫地蔵に睨まれていた。ああ、思うだけで筒抜けだなんてどうしたらいい。
「気にするな。我らはそれほど気にしていない。おまえの本質をわかっているからな」
「あっ、はい」
そう言ってくれると救われるけど、やっぱり気になってしまう。
「それで、じぞちゃん、あいつはいったい」
「みのり、待ちなさい」
「稲山様。あっ」
俺をチラッと見てみのりが口に手を当てて固まっていた。
なんだ、その顔は。俺に聞かれちゃまずい話なのか。それなら、なぜ俺をここに連れてきた。
「ふたりとも、いいのだ。ユヅルは、あの者の作り出す世界の一部となっている。というか、元に戻す鍵と言っても過言ではない。つまり、すべてを話さなければもとに戻す術はないということだ」
「いいのですね。わたくしは話さずにいたほうがよいのかと思っていました」
猫地蔵は「問題ない。知っていた方がうまくいく」と口角をあげて俺をみつめた。
その笑みに寒気を感じた。とんでもないことに巻き込まれているのではないだろうか。
俺が鍵って、そういうことだろう。もとに戻すって言葉も気にかかる。もしかして俺が過去に来ちまったから狂いはじめているのか。大丈夫だって言ったじゃないか。ここにいてはまずい気がしてきた。嫌な予感しかしない。
稲山様とみのりは頷き、俺の方に真面目な顔を向けている。なんだか逃げ出したい気分だ。ふたりの視線から目を逸らして振り返る。さっき入って来た入り口が消えていた。逃げられない。俺に選択する権利はないらしい。
「ゆづっち、不安だよね。大丈夫。東雲みのりちゃんが守ってあげる。稲山様もそうですよね」
「ああ、もちろん。おまえのことは小さいときから見守り続けている。忘れているかもしれないが、おまえの母の頼みはしっかり心に刻んでおる。任せておけ。それに……」
おい、泣いているのか。稲山様の目から涙が零れ落ちた。嘘だろう。みのりも涙目になっているじゃないか。
えっ、猫地蔵も。
この展開はなんだ。
「あの、なんでみんな泣いているんですか。俺、わけがわからないですよ」
「すまない。きちんと説明するからしばらく待て」
あれ、あれは尻尾か。
稲山様とみのりにふさふさの尻尾が現れた。あっ、髪から耳も突き出してきた。
「稲山様、みのり。あの大丈夫ですか」
狐の姿が表にでてくるほど心が乱れているってことだろうか。母の頼みって口にした。母のことよく知っているってことか。そうだとするならば、母の死を思って泣いてくれているのか。そういうことなのか。どうなのだろう。ああ、完全に狐の姿になってしまった。畳に染みもできている。そこまで泣くなんて。
これって。俺は猫地蔵に目を向けた。
「我を見るな。ふたりに訊け」
訊けと言われてもふたりとも泣いているし、訊きづらい。猫地蔵もわけを知っているのだろう。それなら教えてくれてもいいのに。
「ほれ、稲山、みのり。説明してやれ。狐の姿に戻っているぞ。心を乱すではない」
「あっ、はい。そうですね」
稲山様は涙を拭い、俺と目を合せた。その瞬間、頭の中に映像が飛び込んできた。これは、凄い。次から次へと映像が流れていく。なるほど、そういうことか。これなら話を聞くよりも早い。
稲山様とみのりの姿がはっきり見える。皆中稲荷神社の拝殿に銀色の毛を靡かせて凛とした姿を見せる狐神様の稲山様と眷属狐としてそばにいるみのり。みのりは普通の狐とそれほどかわらない。それだけではない。小さい頃、俺は父と母に連れられて参拝をしに来ていた。何度も。自性院にも来ていた。そんなことも忘れていたなんて、なんて罰当たりなのだろう。
んっ、あの女の子だ。
公園で喧嘩していた姉妹と母親だ。顔見知りなのか。父と母と何やら話している。なんとなく妹のほうに目がいく。あの女の子はやっぱり飯塚加奈だ。間違いない。
他にもいる。あれは誰だろう。
あっ、あの女の人は再婚相手の瑞穂だ。ということはあの子供が康也か。一緒にいる男性は前の旦那ってことなのか。そういえば、前の旦那って亡くなったって聞いたけど、どうして死んだのだろう。きちんと話を聞いていない。憎らしくて、聞こうとも思わなかったけど。
なんだろう。俺の知っている父の妻となった瑞穂とはどこか違う。優しそうで柔らかなオーラで包まれている感じが伝わってくる。人は変わるなんて言うけど、なぜあんな人になってしまったのだろう。もしかしたら、俺は何も知らないのかもしれない。何かとんでもない真実が隠されているのかもしれない。
そのために、ここにいるのだろうか。俺は鍵となる存在らしいからな。
「あの、稲山様」
「なんだ」
「いや、その。いろいろとわからないことがあるんですけど」
「うむ、そうだな。まだ見せたいものはたくさんある。それを見て判断することだ」
「はい」
たくさんか。俺は知らないことだらけだったのかもしれない。
「すべて見せても今は混乱してしまうだろう。ただ、これだけは言っておく。おまえの家系は恨まれている。先祖が関わっている。それに、飯塚家、坂下家もだ」
先祖って。突然、そんなこと言われても。それに今、飯塚家、坂下家って。
んっ、飯塚加奈の家系か。それじゃ坂下家っていうのは。えっと、誰だろう。
「坂下家は、再婚相手の瑞穂の元旦那の家系だ」
えっ。それってどういうことだ。すべてが繋がっているってことか。瑞穂が元凶ってことがあるのか。
「稲山様」
「違うぞ。瑞穂とやらは巻き込まれただけだ。元凶は魔主という狐神だ」
魔主。その名前を聞いたとたん、身体が強張り寒気とともに鳥肌が立った。なぜだろう。よくわからないが、無性に震えがきた。
「ゆづっち。あたしたちがいるから大丈夫」
みのりの満面の笑みを目にして身体の力が抜けてホッと息を吐く。みのりは本当に癒し系だ。
「率直に言おう。おまえが経験してきた現実はすべて偽りのものだ。だからもとに戻さねばならない。実のところ、現実が捻じ曲げられたことが判明したのは最近のことなのだ。すまない」
そうだったのか。それじゃ、どこから偽りなのだろう。母の死も関係しているのだろうか。
「あの、母は」
いつの間にか人の姿に戻っていた稲山様が手を前に出して制した。
「おまえの母は死ぬ運命ではない。瑞穂の元旦那の死も、おまえの知っている飯塚加奈とやらの両親、姉の死もあってはならぬもの」
えっ、そんな。すべてが偽りなのか。俺は偽りの世界にいたのか。それに、加奈の両親も姉も亡くなっていたなんて。知らなかった。あの憎いと思っていた瑞穂もまた悲しい人生を送ってきたってことか。
なんだか目頭が熱くなる。
俺だけの問題ではなかった。魔主という狐神様はなぜ恨みを持ったのだろう。それを取り除けばもしかしたら。いや、ご先祖様が生きた時代まで戻ることなんてできないだろう。だとしたら、どうしたらいいのだろうか。あまりにも唐突過ぎて頭が混乱している。落ち着け。俺ひとりじゃない。ほら、猫地蔵、稲山様、みのりがいる。大丈夫だ。
「そうそう、大丈夫。ねっ、稲山様、そうでしょ」
「うむ。どうであろう。なかなかの強敵ではあるからな」
「もう、稲山様。ここは安心させてやらなきゃ」
「だが、現実は何も変わっておらぬ。そのこともわかってもらわねば」
「みのり、稲山の言う通りだぞ。だからこそ、この者が必要なのだ。我はそう判断した」
「お猫様、何か秘策でもあるのですか」
「あるにはあるが、うまくいくかはわからぬ。今までの策は失敗であったからな。だが、あやつをどうにか封印するしかないであろう」
ダメだ。話しについていけない。けど、俺が必要だってことだけはわかった。いったい何をすればいいのだろう。
「稲山様。それとみのり。俺、頑張ります。だから力を貸してください。よろしくお願いします」
「もちろんです。よろしゅうたのみます」
「よろしくね」
「我もいることを忘れるな。ユヅル、よろしく頼むぞ」
オヤジみたいな体勢のまま猫地蔵が手を上げて笑っていた。狐神様とその眷属、猫地蔵が一緒だ。きっとうまくいく。
「猫地蔵様もよろしくお願いします」
「うむ」
もう猫地蔵は笑っていない。鋭く真剣な眼差しをしていた。稲山様もみのりも同じだ。
これから何がはじまるのかまだわからないが、まだ知らないとんでもない真実を知ることになるのだろう。これから見聞きすることがどれだけ大事なことなのかひしひしと伝わってくる。どんな話だろうとしっかり受け止めよう。それが俺の務めなのだろうから。
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