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恨みの原因
しおりを挟む猫地蔵は東京都新宿区の地図を広げて唸った。
「ここだ」
猫地蔵が指し示したのは西武新宿駅だった。緊迫した空気のはずなのに猫の手が可愛らしくて笑みが零れる。そんなこと思っているのは俺だけか。
稲山様は難しい顔をして地図をみつめている。
みのりはタブレットと地図を交互に見遣り、眉間に皺を寄せていた。
俺の人生に関わる問題だ。猫の手に癒されている場合ではない。西武新宿駅か。いったい、そこに何があるのだろうか。みのりの持つタブレットも気になる。いったい何か映し出されているのだろうか。
俺はみのりの背後に回り込み、タブレットを覗き込む。西武新宿駅周辺の地図が開かれていた。これといって猫地蔵の広げた地図と変わりはない。みのりには違うように見えているのだろうか。それはないか。そういえば、覗き込んだのに睨まれなかった。もう秘密にする必要がないせいか。それとも気づかないくらい集中しているのか。
「あっ、見えた」
見えたって、何が。
みのりはタブレットを全員に見えるように掲げた。
俺は前に回り込み画面に釘付けになった。
なんだ、これは。タブレットの地図アプリの中央が真っ赤に染まっていく。まるで西武新宿駅を起点に新宿全体が血に染まっていくみたいだ。不吉な。
あっ、地図に変化が。タブレット内に炎が広がっていく。一瞬、慌てたが実際に燃えているわけではなかった。どういう仕掛けなのだろうか。気づけば新宿の地図が消えて、なにやら古めかしい地図が表示されていた。
これはもしかして古地図か。成瀬隼人正犬山藩下屋敷、小栗猶三郎、松平範次郎高須藩下屋敷、西方寺、鈴木多京角筈調線場などが記されている。
「ふむふむ。なるほど」
猫地蔵が大きく頷き、納得したという顔をしている。稲山様も横から覗き込み、目を輝かせていた。
「おっ、これは懐かしい。江戸の街並みが見えてくるようだ」
江戸。これは江戸時代の頃の地図ってことか。
「稲山様、ここ昔の新宿ってことですか」
「そうなりますね。ちょうど西武新宿駅があるあたりでしょうか」
へぇ、そうなんだ。古地図を眺めて小首を傾げる。西武新宿駅がここならば、その上のほうにあるはずのものがない。皆中稲荷神社はどこだ。百人町と書かれているところあたりにあるはずだけど。
「あのさ」
「ありますからね。地図には記されていなくても江戸に存在します。皆中稲荷神社はね」
質問する前に答えられるとなんだか変な気分になる。やっぱり稲山様はなんでもお見通しってことか。
「ねぇねぇ、それはそうとここ赤く点滅しているけど。もしかして、ここが目的地ってこと」
「うむ、そうなるな。魔主稲荷がいるはずだ。ただ家の守り神としてな」
猫地蔵が腕組みして目を閉じて頷いていた。
魔主っていうのは、家の庭に祀った稲荷神様なのか。そいつに呪われているってことか。そうだとして俺のご先祖様とどう関わってくるのだろう。
猫地蔵はごにょごにょと何か呟きながら眉間に皺を寄せたり小首を傾げたりしている。いったい、何をしているのだろう。なんだか見ていて飽きない可愛さがある。呟きをよく聞いてみると「うにゃにゃにゃ。ふにゃ、むにゃ、きゃきゃきゃ」とわけのわからないものだった。そんな様子を稲山様とみのりが見守っている。何とも言えない静けさがあたりを包み込む。いや、猫地蔵の変な呟きだけは続いている。何か意味があるのだろう。稲山様の猫地蔵をみつめる真剣な顔を見ればわかる。一種の呪文なのだろうか。
ここは待つしかなさそうだ。俺も猫地蔵の呟きに耳を傾けながらじっとみつめた。その瞬間、猫地蔵がカッと目を見開いた。
「わかったぞ」
えっ、わかったって何が。
俺の疑問を感じ取ったのか猫地蔵が含み笑いをして目を合せてきた。
***
突然、猫地蔵が俺の額に肉球を押し当ててきた。
おお、柔らかくて癒される。
「いいか、おまえに見せてやる」
「あっ、はい」
癒されている場合じゃなかった。
言葉通り、何かが見えはじめてきた。いつの間にか外に俺はいた。目の前に立派な屋敷が見える。ただ人の気配はない。空き家なのだろうか。
『どうしてだ。なぜだ。わらわが何かいけないことをしたのか。この家の者たちはどこへ行ってしまったのだ。捨てられたのか。わらわはたくさん尽くしてきたというのに。なぜだ。どうしてだ』
どこからかそんな声がしてきた。
耳を澄ませて出所を探す。隣の家か。庭に赤い鳥居が見える。今の声はあの家の狐神の声か。あいつが魔主なのか。そう思っていたら誰かが歩いて来た。二人いる。
「どうやら、皆、国元へ帰ってしまったようだな」
「そうのようですね」
「幕府が倒れちまったから、てんでばらばらになっちまった。いったい何をしているのやら」
「新島さん、そんなことあまり口にしないほうがいいですよ。まだ、どこかに元幕府のお偉いさん方がいるかもしれないですから」
「確かに、坂下さんの言う通りだ。だが、それが事実。それに、ここ一帯を更地にせよとのお達しだからな。すべて解体しないといけない。なんだか気が引けるが、仕方がないことだ。大仕事になるぞ」
あっちの真面目そうなのが新島で、武骨な感じの人が坂下か。
「確かに。けど、更地にしてどうするんだか」
「それはわらない。俺たちは言われたことをやるだけだ。ところで、飯塚さんはどうしたんだい」
「えっと、あっ、来ました。来ましたよ。飯島さん、こっち、こっち」
「すまない。遅れちまって」
飯島は、申し訳なさそうな顔をして頭に手を置いていた。
「それじゃ、三人揃ったってことだし、酒でも飲みに行くとしよう」
「おお、そりゃいい新島さん。大仕事の前に飲みましょうや」
飯塚が新島の肩を叩き、笑みを浮かべて頷いていた。
もしかして、あの三人がご先祖様なのか。
『ふん、何が酒だ。わらわが苦しんでいるというのに。あのような者がいるから主がわらわを置いていなくなってしまったんだ。そうに違いない。解体だと。ふざけるな。憎き者たちよ。新島に坂下、飯塚とか言ったか。今に見ておれ』
あっ、祠が漆黒の炎を纏っていく。炎の中に真っ赤な瞳が三人の背中を睨んでいる。これは完全に八つ当たりじゃないか。違う。解体って話していた。ということは、あの魔主のいる祠もなくなるってことか。恨まれてもしかたがないことなのかもしれない。
あれ、どうなった。ここは同じ場所だろう。時間が経過しているのか。別の日か。
熱い。
気づけば炎が家に引火して空を深紅に染めている。黒煙も立ち昇っている。
火事。なぜ。
あそこにいるのは、ご先祖様たち。
解体作業中に火事になったのか。
熱い、熱くて堪らない。
あっ、白狐だ。尻尾が何本もある。あいつが、魔主か。真っ赤な瞳がこっちを睨みつけている。
俺を睨んでいるのか。そんな馬鹿な。
んっ、この声はなんだ。雷か。いや、違う。どこだ。空からか。見上げた俺にぶち当たる乱れ打ちされた重い雫。その中に、何者かの瞳があった気がした。魔主なのだろうか。
そう思った瞬間、身体がフッと軽くなり景色が一変した。
「今見たものが、おまえたち三家族を呪うきっかけとなったものなのだ」
猫地蔵がすぐ横で頭を振り、溜め息を漏らしていた。
「ゆづっち、可哀相」
みのりが寄り添って来て、思わず避けてしまった。
「なによ、避けなくてもいいじゃない。慰めてやろうと思ったのに」
「みのり、ユヅルは照れているのだ。許してやりなさい」
「えっ、そうなの。ゆづっち、照れているの。稲山様の言う通りなの」
なんだか顔が熱い。
顔を覗き込んできたみのりに「近い、近い」と言いながら目線を外して天井を見上げた。
「ゆづっち、かわいい」
まったく、みのりの奴は。本当に狐神様の眷属なのか。あそこまで可愛い女の子に変化しなくてもいいのに。ああ、ダメだ。落ち着け、俺。今は、そんな場合じゃないだろう。
「おい、もうそろそろいいか。続きを見せてやる」
「はい、大丈夫です」
すると、またしても目の前の景色が一変した。
蒸気機関車が走ってきた。あそこに見えるのは駅か。ここもさっきと同じ場所なのだろうか。
うわっ、汽笛が耳を突く。
あれ、あの運転手は父に似ている。もしかして、ご先祖様。そう思った瞬間、ブレーキ音がして何かが飛んだ。狐の親子がぐったりとしていた。まったく動かない。轢いてしまったのか。
『おのれ、わらわの仲間を殺すとは』
またしても漆黒の炎が揺らめき、真っ赤な瞳がご先祖様を睨みつけていた。
『許さぬ、許さぬぞ』
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