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第三章 再会……そして失くした記憶
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しおりを挟む「おい、ミコ。おまえ、猫なんだろう。猫の姿に戻ればいいんじゃないのか」
「えっ?」
なんだ、人のこと頭が悪いとか言ったくせにわからないのか。
「だから、猫の姿になればその紐なんかスルスルッと解けちまうんじゃないのかって言っているんだ」
運よく今ミコは人の姿をして縛られている。猫になれば、そんな紐は無意味になる。これは名案だ。気づきそうで
気づかない名案だ。そう思ったのに、ミコは左右に頭を振ってきた。
「ダメなの。できないの」
「なんで。まさか、狸みたいに枯葉を頭に乗っけなきゃダメだとか言わないよな」
コクリと頷くミコに、愕然とした。
「枯葉じゃないけど、ほんのちょっとマタタビの粉が必要なの。けど、あいつらに奪われちゃったから。ごめんなさい」
ああ、ダメだ。マタタビの粉ってなんだよ。ここで人生の終焉を迎えてしまうのか。きっとあいつらは命など簡単に奪うに決まっている。今、生かされているのは何か使い道があるからだ。人質とか確か話していた。
何かいい策はないのか。考えろ、もっともっと考えろ。
そのとき、ネムが「マタタビの粉かぁ」とボソッと呟いた。ネムの目線がこっちに向いている。いや違う、視線は自分にではなく、通り越して背後を見つめていた。真一はどうにか少しだけ身体をずらせていき、背後にある何かを見ようとした。何があるのだろうか。
わからない、もう少しで何か見えそうなのにわからない。くそっ、もうちょっとだ動け。
きつく縛った紐が身体を益々締め付けてくる。これ以上は無理かというところまでずらしていくと、目の端に辛うじてある文字が映った。何かの袋に印刷されている文字のようだ。
『マタタ』
そこまでしか判別できなかった。けど、その先に続く言葉は予想できる。『マタタビ』と記されているに違いない。ということは、背後にある袋の中にマタタビがあるのか。
これは好機到来か。
袋を取ることができればの話だ。やっと見える位置にいるだけだというのに、取れるはずもなく。意気消沈していると、耳元に微かに鳴く声が届いた。空耳じゃないとすれば、鼠の声だ。この納屋にいたとしてもおかしはない。米粒も多少は零れているだろう。隠れる場所もありそうだし。だからと言って、鼠がマタタビの袋を取ってくれるとは思えない。言葉が通じれば、もしかしたら「ほらよ」なんてこともあるかもしれない。
いや、猫のために力を貸す鼠などこの世にいないだろう。天敵だろうから、そんなこと知るかとそっぽを向くだろう。
真一は、余計な考えを振り飛ばし一か八か背後にいるであろう鼠に声をかけてみた。
「もしもーし、後ろの鼠さん。もし聞こえているのなら俺のお願いを聞いてはくれないだろうか」
返事はない。静かなものだ。
ミコが声を発しようとしたとき、ネムが「静かに」と小声で制した。
ネムの視線はまだ背後に向いている。鼠はいるようだが、気配を感じない。まさかと思うが、気配を消しているというのだろうか。鼠はもしかしたら、只者じゃないのかも。
後ろに目があったら、はっきりするのだろうけど。まさかと思うが化け鼠とかじゃないよな。想像しただけでブルッと身体を震わせた。
「そこの坊主、わしのオーラにビビッたか」
坊主でもないし、ビビッてもいない。だが、威厳ある声音にもしかしたら鼠界のお偉いさんかもしれないとは思った。猫や鼠が言葉を話すという今のありえない状況を受け入れている自分に頬を緩めた。これが現実だとしたら、今までの考えをすべて改めなきゃいけなくなる。
ここは、おそらく自分が知っている世界ではない。そうじゃなきゃ、頭がおかしくなってしまったのか。今そのことを熟考している場合ではないこともわかっている。
「おい、人間。無視しているのか」
「ああ、すみません。ちょっと考え事をしてしまって。もしや、あなたは鼠の長だったりするのでしょうか」
真一は念のため丁寧な言葉遣いをしてみた。
「ふん、坊主はなかなか見る目があるようだな。まあそんなところだ」
「おい、冗談はそのへんにしておけ、ヤドナシ。久しぶりだが、もちろん吾輩を覚えているだろう」
「なんだと、冗談だと。あっ」
なんだ、なにか素っ頓狂な声をあげて。そう思った矢先、鼠がネムのもとへ駆けていった。
どうしたのだろう。鼠がペコペコと頭を下げて何か話しているようだ。もう少し大きな声で話してほしいものだ。聞こえやしない。世間話をしている場合じゃないだろうに。それとも、助かる策を話し合ってでもいるのか。うーむ、そんな雰囲気じゃない。
『ヤドナシ』だなんて呼ばれていたけど、あいつの名前なのだろうか。渾名ってこともある。鼠の世界でもホームレスみたいな存在がいるのだろうか。って、そもそも鼠に家があるのかどうか疑問だが。いや、あの鼠はホームレスって感じじゃない。不思議なのだが、オーラのようなものを纏って見える。自分にオーラを見る才能があったことに驚いているが、この場所の影響だろうか。
ヤドナシと呼ばれた鼠の背中をじっと見つめていたら、突然ヤドナシがこっちにチラッと目を向けてきた。なんて鋭い眼つきをしているのだろう。すぐにネムのほうに向き直ってしまったが、やはり並の鼠ではない。
さっきの威厳ある声音といい、一瞬感じたハッとさせるような気配。すぐにその気配は感じなくなってしまったけど。そうとうなお偉いさんに違いない。本当に長の可能性もありえる。
「真一、そんなに深刻な顔してどうしたの。なんとなくわかるけど。まあ、真一の考えは間違っていないかもね」
間違っていないかもだって。どういうことだ。
ネムと話し込むヤドナシの背中をじっと見遣る。今はもう、これといって何も感じない。感じないのだけど、何かが引っ掛かる。
「なんだ、坊主。わしの背中に惚れるんじゃないぞ」
まったく、訳の分からないことを。誰が惚れるか。
「ヤドナシ、その口の利き方はやめろ。真一は吾輩の命の恩人だ。覚えておけよ」
「ほほう、そうでしたか」
「ならば、あとはよろしく頼むぞ」
ネムのその言葉と同時に、紐がスパンと断ち切られた。何が起きたのか、わからなかった。紐が自然に切れるわけがない。ネムの紐もミコの紐も自分の紐も、何かの鋭利な刃物で切られたみたいに綺麗な切り口だった。
ヤドナシはニヤリとして真一にチラリと視線をよこしたかと思うと「ふん、わしの早業にビビッただろう」と言葉を残して、小さな背中を揺らせるようにして立ち去った。なんだか格好いい奴だと真一は笑みを零した。
「あいつは忍びの鼠とも呼ばれている。敵にはしたくない奴だ」
ネムはヤドナシの姿が見えなくなった後でも、目を向けていた。鼠なのに、仲間なのだろうか。猫と鼠が仲良くしているというのもレアなケースだと思うのだが、ネムの人徳かもしれない。いや、猫徳って言うのかこの場合。どうにもややこしい。
ミコがそのとき耳元で「ネム兄ちゃんはヤドナシにとって命の恩猫なのよ」と囁いた。なるほど、そういうことか。けど、命の恩猫って何をしたのだろう。ヤドナシの身のこなしでは命を狙われたとしても返り討ちにしてしまうだろう。ならば、病気でもして治したとかか。治癒の力を持っているって話だからな。機会があれば聞いてみたいものだ。
「真一、本当に巻き込んでしまって申し訳ない。真一はミコと一緒にここを脱出してくれ」
「ちょっと待ってくれ、俺もおまえと一緒に行く」
「ダメだ。危険過ぎる」
「ダメか、そうだよな。足手纏いになっちまうか俺じゃ」
「いや、そうではないが――」
ミコがネムの肩に手を置き、「いいじゃない。きっと阿呆でも何かの役に立つって」とニコッとした。
一言余計だ。ミコの奴、何を言っても許してもらえると思うなよ。いや、あのミコの笑顔を見たら許してしまいそうだ。
ネムは思案気に小さく唸ると頷き「真一、いいのか」と問うてきた。真一は、無言で頷き微笑んだ。
「命の危険だってあるというのに、物好きな奴だ。あっ、そうそうもしおまえのところへ戻れることがあればまた新作を書いてやってもいいぞ」
「本当に」
「ああ、本当だ。それじゃこの話はここまで。行くぞ、真一」
ネムは納屋の戸をゆっくり押し開けて外の様子を窺っている。やけに慎重だ。誰かの気配でも感じるのだろうか。しばらくすると「よし、今だ」とネムは呟きこっちに手招きをしてサッと飛び出して行った。すぐにミコと共に外へ飛び出す。外は鬱蒼と茂る森だった。ここは渡海神社の鎮守の杜だろうか。それとも別の場所なのだろうか。背後の納屋に目を向け、すぐに前を向く。
そういえば、納屋の戸はなぜ開いていたのだろう。首を捻りながら、ふとヤドナシの顔が脳裏に浮かぶ。これもヤドナシのおかげなのかもしれないと勝手に想像していた。『わしってすごいだろう』なんて声が聞こえてきそうだ。
果たしてこの先何が待っているのか定かではないが、行くと決めたからには覚悟を決めなくてはいけない。ネムの足手纏いには絶対になってはいけない。
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