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15号室 心ここにあらず(前半)

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 耳をつんざく悲鳴が闇を切り裂いた。

「おい、聞こえたか」
「ああ」

 柿崎征史は車を側道に止めて、「悲鳴だよな」と顔を近づけてくる。間違いなく悲鳴だった。隈谷大輝は頷き、

「女の子だったよな」と同意を求めた。
「そうだったかな。お婆さんじゃなかったか」

 そうだろうか。大輝は小首を傾げてフロントガラスの向こう側に目を向ける。
 誰もいない。特に変わったことはない。
 どこから聞こえたのかわからない。だからといって、車を降りて確認しようとは思わない。外には行きたくはない。

 一瞬、人を轢いてしまったのではと思ったがすぐに違うとかぶりを振った。人だったらわかる。カツンみたいな軽い音もしたような気もするが。いやいや、気のせいだって。ならば、さっきの悲鳴はなんだ。

 もしも誰かが襲われているとしたら無視するわけにもいかない。どうするべきだ。考えるまでもないだろう。外に出て周辺を探索するべきだ。わかってはいるのに、大輝は動けなかった。

「ちょっと俺、見てくるよ」

 征史はドアに手をかけて降りようとした。すぐさま大輝は「待て」と引き止める。
 妙な胸騒ぎを感じた。降りてはいけないと心の奥で警鐘を鳴らしている。なぜかと問われたら、答えられないけどどうにも心が落ち着かない。

「なんだよ、怖いのか。大丈夫だって」

 そんな言葉を残してドアを開けて出ていく征史。
 ひとり残されると益々落ち着かなくなる。けど、あとを追いたくはない。
 そういえば、ここはどこだろう。見覚えがない街並みだ。
 それはおかしい。確か、駅前通りから脇道を入って裏通りへ来たはず。家までの近道だから裏道を通ることも多い。だが、ここはその見知った裏道とは違う。

 何かがおかしい。
 征史は大丈夫だろうか。
 今のところ見える範囲に征史はいる。車の下も覗いていた。あの様子だと何もみつかっていないのだろう。早く戻ってくればいいのに。

 曇り空のせいでいつもよりも暗さが増している気がする。月や星でもあれば、少しは気分も違うだろうに。
 ああ、もう手先が冷たくて痛い。エンジンを切っていかなくてもよかったのに。ジャケットに首を埋めるようにして縮こまる。暖房のありがたみを痛感する。
 もうダメだ。我慢出来ない。征史を呼ぼうとドアに手をかけた。がすぐに思い留まる。もうちょっとだけ我慢しよう。

 あっ、あいつどこへ……。脇にある茂みのほうに征史は入って行ってしまった。
 最悪だ。どうしたものか。このまま車で待機しているべきか。征史を追いかけるべきか。大輝は再びドアを開けようと手を伸ばした。そのとき、茂みから血相を変えて飛び出してくる征史が目に留まった。
 何があったのだろうか。
 征史は車に乗り込み、エンジンをかけて急発進させた。

「おい、何かあったのか」
「いや、別に」
「別にって。そんなわけないだろう。おまえ、青い顔しているぞ」
「だから、何もないって」
「おい、どうしちまったんだよ」
「うるさい、いいから黙っていろ」

 なんだよ、心配して声をかけたのに。けど、征史はいったい何を見たのだろうか。気になるが、征史は話す気がなさそうだ。余程怖い思いをしたに違いない。そうだとしたら、何も聞かないほうがいいのかもしれない。
 殺人鬼でもいたのか。それとも、死体を見たのか。幽霊かも。妄想は広がるばかりだ。
 しばらく会話もないまま走り続けた。

 大輝は仕方がなくずっと景色を見ていた。夜と昼とでは景色が違って見えるなんて話は聞くけど、やっぱり知らない場所だ。ここはどこなのだろう。

 あれ、今の看板さっきもなかっただろうか。気のせいかな。
 それにしてもずいぶん走るな。もう家に着いてもよさそうなのに。征史の奴、道を間違えたんじゃないのか。
 えっ、まただ。同じ看板だ。

 そう思ったとき、看板脇から取れてしまった頭部を抱えた日本人形らしきものが飛び出してきた。思わず「うわっ」と叫んでしまった。そのまま身体が硬直してしまう。
 今のは、なんだ。目の錯覚だよな。そうだ、征史も今の光景を見たはずだ。

「おい、征史」

 運転席へ目を向けて、息を呑む。
 幻でも見ているのか。何が起きている。これは現実なのか。いや、夢だ。運転席にいるはずの征史の姿がない。ハンドルが小刻みに揺れているだけだった。それでも車は走っている。そんなことって、あるかよ。
 運転手がいないまま走る車にずっと乗っていたというのか。
 そのとき、後部座席からケタケタと笑う声を耳にした。

 誰だ……。

 心拍数が一気に跳ね上がる。空耳だ、空耳以外何がある。けど、この現実をどうとらえるべきだ。運転手がいないのに車は何事もなく走り続けている。十分ありえない状況だ。異世界にでも紛れ込んでしまったというのか。
 再び背後からケタケタと嫌な笑い声がしてきた。
 ごくりと生唾を呑み込み、ゆっくりと顔を後ろへと向けていく。

「うわぁーーーーーーーー」

 血塗られた頭部のない日本人形が征史の生首を持ち上げて自分の身体の上に乗せようとしていた。その脇に人形の頭部が転がっていて、不気味な笑みを浮かべていた。

「おい、顔が真っ青だぞ。どうかしたか」

 大輝は身体をビクッとさせて運転席へ目を向ける。征史がハンドルを握っていた。
 あれ、どういうことだ。すぐさま後部座席に目を向けたがそこには日本人形は見当たらなかった。もちろん、血の痕跡すらない。訳が分からない。
 悪い夢でも見ていたのだろうか。そうだ、そうに違いない。そう思っても心臓が激しく鼓動を打ち続けている。

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