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18号室 運命の歯車(前半)

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 我が家に、一億円がやってきた。
 夢でも幻でもない、これは現実だ。
 今まさに運命の歯車が……動き出す。

*****

 半年前に遡る。

 突然、携帯電話にけたたましい警戒音が鳴り響く。なんだ、地震が起こるのか?
 そう思ったが、揺れはない。そういうこともある。今の音がなんなのか、携帯の表示を確認すると『緊急速報』のタイトルとともに怪しげな文章が連なっていた。
これは、いったいなんだというのだろう。
 もしや、新手の詐欺か?
 単なる悪戯、もしくは嫌がらせ?

 兎に角、怪し過ぎる文面だった。後から聞いた話だと、全国各地のいろんな人に同じ文面が送られてきていたらしい。スマホやパソコンのメール、封書でポストに投函されている場合も。テレビ局や新聞社にまで封書が届いたという。
 その日の話題は、この怪しげな文章ばかりだった。テレビのニュースでも取り上げられていたし、ネットでは真偽を確かめるべくいろんな人の思惑が飛び交っていた。
 その内容がこれだ。

***

『知っているだろうか、10.5kgという重さを。果たして何の重さだろうね。
突然、何を言い出すのかと思いだろうが、これはクイズでもなんでもないよ。
10.5kgそれはね。
誰もが好きなお金だよ。
そうさ、一億円の重さだよ。

そこで、諸君に朗報をお伝えしようじゃないか。
一億円が欲しいだろう。欲しいよな、もちろん。いらないなんて声をあげる者には、あげないからこの先は読まなくてもいいよ。
けど、勿体ないよね。せっかくあげようかと思っているのに。

だけど、全員にはあげられないよ。条件があるからね。
それは、日本在住で10.5kgと同じ体重の者に一億円を進呈しようというわけだ。
ただし、一人だけに。

果たして、この日本という国に条件に合致する体重の持ち主がどれくらいいるのだろうね。
嘘、偽りはいけないからね。まあ、そんなことをしてもお見通しだけどね。
そんな輩には天罰が下るからね、覚えていてほしい。

10.5kgの諸君、嬉しいだろう。
とは言っても、まだ赤ん坊だろうね。一億円なんて価値もわからないだろうね。
喜ぶのはその子の親だろう、きっと。
そんなことはどうでもいい。
兎に角、厳選に抽選を行って一人を決めようじゃないか。
誰が手に入れるだろうね。
楽しみは、一億円が届くまでお預けだよ。
届かなかった諸君は、残念だけどね。
いつ届くかは、神のみぞ知る。

一億円。それが果たして幸か不幸か正直わからないけどね。
信じる者は救わる? かもしれないよ。

神より』

***

 果たして、この騒動を引き起こした人物はいったい誰なのか。
『神より』となっているが、真偽は如何に。

 本当に一億円を貰えるのか。本当に神様からの申し入れなのか。そんなまさか。
 自称『神』よりのメールおよび手紙が届いてから一ヶ月が過ぎ、どこから調べてきたのか不審な電話やメールが毎日のようにやってくるようになった。

『おまえのところの子供は10.5kgなんじゃないのか。もう一億円貰ったんだろう。おまえらだけ、良い思いをさせてたまるか。おまえのものは俺のもの、一億円も俺のもの。もう貰ったんだろう。さっさとよこせ』

 いくら、貰っていませんと話しても聞く耳持たない。このままでは精神崩壊してしまう。一日数十件あるときもある。おそらく、ここの電話番号、メールアドレスが裏社会に出回ってしまったのだろう。そうとしか考えられない。
 うちの子供の体重は違うというのに。10.1kgなんだから、条件から外れている。そんなこと、言うだけ無駄か。電話も線を抜き、携帯も電源オフで過ごすしかない。不便極まりないが仕方がない。
 同じような被害にあっている家庭は多いようで、ニュースでも深刻な事態だと話していた。こんな文面を送ってきた輩は、愉快犯なのではとも話していた。日本中が騒ぎ立て、犯罪を促して楽しんでいるのではないだろうかと。神を語った精神異常者かもしれないという声も聞こえた。
 今のところ、一億円を貰ったという事実はない。いや、実は貰っていて隠しているだけということもある。正直に話す人はいないだろう。この状況で、そんなことを口にしたらおそらく死が待っている。悪魔に取り憑かれたような犯罪者の餌食になってしまう。

 うちは関係ない。一億円なんていらない。そうだ、そう宣言すればいい。いらない者にはあげないと書いてあったではないか。殺されるくらいなら、お金なんていらない。
 命のほうが大事だ。この子とのんびり暮らしたいだけだ。毎日、ビクビクした生活なんてまっぴらだ。けど、果たして周りの金の亡者になった悪魔のような犯罪者が信じるだろうか。信じるわけがない。逆にターゲットにされる恐れもある。本当は一億円があるんじゃないのか。だから、一億円を拒否したフリをしているんじゃないのかって。

 このままじゃダメだ。マイナスなことしか考えられなくなっている。まだ、一歳のこの子の将来が消えてしまうことだけは避けたい。シングルマザーの私を虐めないで、お願いだから。どこかに逃げるしかない。でも、どこへ。日本のどこに行ったってきっと同じ。海外なら……。
 ダメ、そんなお金ない。
 それに海外なんて行ったら、一億円手にして海外になんて勘繰られてしまう。もう、何をしてもダメだ。
 死ぬしか……。ああ、ダメ。本末転倒じゃない。死にたくないから、どうしようって思っていたはずなのに。
 誰なの、こんなことをしたのは。一億円なんて……欲しいけど……。すぐにかぶりを振って、我が子を抱きしめた。
 そのとき、電話が鳴った。もちろん、電話に出る気はない。どうせ、嫌な内容でしかない。
あれ、電話線を抜いたはず。もう嫌だ、幻聴まで聞こえるようになってしまった。電話など鳴ってはいない。
 溜め息しか出てこない。
 家にいなければいいとは思うのだが、外出することも怖い。それでも、ずっと家にいるわけにもいかない。仕事をしなくては生活が出来ないのだから。周りの目も気にかかる。一億円を手に入れたと思われていそうで、近所の人の目も怖い。すべての元凶は、そうこの子がいるせいなんじゃ。一億円を手にしているのではないかという疑惑の目を向けられているのは、この子がいるせいなんじゃないのか。
 そうよ、この子がいなければ……。ああ、なんてことを考えているの。そんなのダメ。大事な我が子を見捨てるなんてダメ。出来るわけがないじゃない。もう頭が狂ってきてしまっている。どうしたらいいの、どうしたら……。
 けど、すぐにまた悪魔のささやきが耳をつく。

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