本の御魂が舞い降りる

景綱

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第五話 思い出を抱いて

【一】樹実渡との朝の風景

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 朝から今日も蒸し暑い。
 窓を開けるとムッとした熱気とともに蝉たちの合唱が押し寄せてきた。
 こりゃ堪らない。余計に暑さが増してくる。

 こんな中、出掛けたくはない。溜め息を漏らして窓を閉める。
 せっかく冷えていたのに何しているんだか。

 やっぱりエアコンなしではいられない。この心地よいひんやりした風にずっと包まれていたい。
 それでも今日は出版社に行かなくちゃいけない。会わせたい人がいるから来てくれと父親に頼まれてしまった。もちろん、小海も一緒だ。

 父親の出版社に出勤するのは週に一、二回程度。それ以外は自宅でパソコンとにらめっこって感じの生活だ。自宅で十分仕事は出来る。
 はたしてこのままでいいのだろうかと思うこともある。

 出勤しなくて済むというのはなんて楽なのだろう。そう思ってしまうなんて堕落しているようにも思える。もちろん、仕事に手を抜いているつもりはない。こういう形の仕事もありだ。今の時代はそれでも通用する。

 そうそう、自分の書き上げた『本の御魂』の続編も最終段階に近づいている。なんとかそこまでこぎつけた。
 同時に出版社の仕事もしなきゃいけない。自分は両立出来ているのだろうか。

 正直なところ、どっちも中途半端な気もする。いやいや、そんなことはない。もっと自分に自信をもたなくてはダメだ。

「遼哉、腹減った。朝飯作ってくれ」

 いつもの樹実渡の腹減ったの声に振り返る。なんとなく一日の始まりだなと思える瞬間だ。

「目玉焼きでいいか」
「ええ、またか。ここのところずっとだぞ。手抜きもいいところだ」
「そんなことないだろう。昨日は厚焼き玉子だっただろう」
「そうだっけ。けど、玉子料理には変わりはないぞ」

 そう言われると返す言葉がない。
 一昨日はスクランブルエッグだった。その前は目玉焼きが三日連続だった。

 手抜きをしているつもりはない。そうは言っても玉子料理以外の朝食も作ってやらなきゃいけないか。
 樹実渡と話ながら料理の手は止めない。

「まあ、そんなことは言うな。今日は出掛けなきゃいけないし、また今度樹実渡の食べたいもの作ってやるから」
「絶対だぞ。約束だぞ」
「ああ、わかった」
「で、今日は一日いないんだろう」
「そうだな。帰るのは遅くなりそうだ。だから、ハルの家で昼飯も夕飯も食べてくれよな」

 樹実渡は敬礼する素振りをしてニヤリと笑みを浮かべた。アニメか何かを真似ているのか。なんだか滑稽こっけいで笑ってしまう。

「どうした。思い出し笑いか」
「違うよ。その敬礼の仕種が面白かっただけだ」
「そうか、面白かったか。ならよかった。それはそうと、ハルの手料理が食えるのか。そりゃ楽しみだ。遼哉が出掛けるときにおいらも出掛けるとしよう」
「ニャー」
「あ、もちろんグレンも一緒だぞ」

 樹実渡はグレンの首筋を撫でて、飛び上がり跨った。

「遼哉、準備出来ている」

 小海の声が玄関から飛んできた。相変わらず元気だ。小海の声は暑さも吹き飛ばしそうな勢いだ。不思議と小海の声を聞くと力が湧いてくる。

「小海、準備出来てるよ。はい、樹実渡の目玉焼き、どうぞ」
「ああ、いい匂いだ」

 目を閉じて匂いを嗅ぐ樹実渡を見ていたら頬が緩んだ。
 目玉焼きとご飯だけというのも寂しいから、豆腐とワカメの味噌汁を作って出した。

 樹実渡が「いただきます」との言葉と同時に箸を手にしたのを横目でみつつ、フライパンを素早く洗ってしまう。そのタイミングで小海がキッチンに顔を出す。

「あら、樹実渡。今、朝食なの」

 目玉焼きとご飯を頬張りながらモゴモゴと何かを言っているが、よくわからない。

「えっ、何?」

 樹実渡は手を前に出していた。ちょっと待ってくれとでも言いたいのだろう。

「小海、おはよう」
「おはよう」
「ちょっとだけ待ってくれな」
「うん」

 まだ出掛けるには早い。問題はない。

「小海、おいら今日夢を見たぞ」
「夢?」
「ああ、遼哉と小海が結婚する夢だ」

 小海は見る見るうちに顔を赤らめて、しどろもどろになった。

「な、なによ、急に。馬鹿、もう」
「樹実渡、変なこというんじゃないぞ」
「なんだ、遼哉は小海のこと嫌いなのか」
「いや、そんなことはない」
「なら、いいじゃないか」

 遼哉は小海のウェディングドレス姿を想像してにやけた。ちょっとドキドキして、汗が噴き出してきた。

「そうだ、結婚式の夢だったんだけど。ハルと火乃花が居眠りしていたんだよな。しかたがない奴らだよな。おいらはなぜか天井から見ているって感じだったし」
「ふーん、夢だからそういうこともあるだろう」
「まあな。遼哉、ゴマ油の香りがして目玉焼き美味かったぞ。ご馳走さま」

 文句を言いつつも、いつも美味しかったと言ってくれる。その一言が、美味いものを作ってやらなきゃというモチベーションに繋がる。なんだかんだ言って、いつも料理を作ってしまうのは樹実渡の策略にはまっているのだろうか。
 それでもいいか。喜ぶ顔が見たいから。

「ねぇ、そろそろ出かけましょうよ」
「あ、そうだな。けど洗い物してから」
「えっ、帰ってからすればいいじゃない」

 流し台に置いた茶碗と皿をチラッと目にして、たまにはいいかと小海の言う通りにした。とりあえず水に浸して食器用洗剤を垂らしておく。

「それじゃ、行くか」
「行きましょ」

 小海の後姿を見遣り、また想像してしまった。
 料理を作る自分がそこにいた。
 結婚しても、小海の手料理は食べられないのだろうか。そのときはそれでもいいか。

「樹実渡、ハルさんによろしくな」
「ニャニャ」

 足元でグレンが鳴く。
 遼哉はしゃがみ込み、首筋を撫でると気持ち良さそうに目を細めていた。

「グレン、樹実渡を頼んだぞ」
「ちょっと待て。おいらがグレンの世話をしているんだぞ。そこんとこ間違えるなよな」
「はい、はい」
「あっ、なんだその言い方は。おいらハルの家の子になっちまうぞ」
「それは、寂しくなるな。樹実渡は大切な友だからな。いや、家族かな」
「んっ、そ、そうか。わかっているんならいい。もちろん、今のは冗談だ。おいらだって遼哉が好きだからな。頑張ってこいよ。そして、美味いもの食わせてくれよ」
「もちろん。任せておけ」

 小海は傍で微笑んでいた。
 やっぱり、この雰囲気好きだ。小海と結婚したら火乃花もこっちに来るんだろうか。遼哉は未来の姿を妄想して頬を緩ませて、すぐに真面目な顔に戻す。

 急いで行かなきゃ。

 エアコンを切り戸締り確認をして外へ出た。
 蝉の合唱と照りつける太陽に心が折れてしまいそうだ。それでも行くしかない。
 樹実渡はいつも通り元気そうでうらやましい。自分も頑張らなきゃ。

「グレン、行くぞ」

 樹実渡はグレンの背に揺られてどんどん進んでいく。
 丁字路を曲がり消えるまで見送り、小海とともに駅へ向かった。


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