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第一話 勧誘
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浅水黎都は預金通帳の残額を見て驚愕した。
『母さん、また勝手に使ったのか』
黎都の母親の嵐子は若い頃、舞台女優を目指していたが
才能がなかったが今でも贅沢癖が抜けず、とうとう生活費まで使い込んだらしい。
幸いなのは今月の家賃と水道光熱費が引き落とされた後だったということだ。
夜の街を放心状態で宛もなく歩いた。
『……死ねって言ってるのかよ』
狭いアパートの部屋にいたくなくて、黎都は夜の街に出た。
薄暗い歩道を、宛てもなく歩く。スマホの画面を見ても、頼れる誰かなんていない。
大学は二年のときに中退。理由は誰にも言えなかった。高校時代に受けた性暴力の後遺症──人を信じることができなくなり、心も身体も、どこか壊れてしまっていた。
(全部……めちゃくちゃだ)
ふらつく足取りで信号を渡り、繁華街へと足を向ける。
ただ光にすがりたかった。音に紛れたかった。現実を見たくなかった。
そのときだった。
『ちょっと、君』
ふいに背後から声をかけられた。
立ち止まり、振り返る。そこにはスーツ姿の男がいた。歳は……四十代後半くらいだろうか。
年齢よりも落ち着いた雰囲気で目を引く男だった。
『……何ですか』
警戒心を隠さず睨む黎都に、男はにこりと笑った。
『いきなり驚かせてごめんね。でも、君、すごく綺麗な顔してる。モデルとか、やったことある?』
『……は? まぁ、高校時代に少しだけ」
『ごめん、自己紹介がまだだったね。俺、阿久津陣っていうんだ。映像関係の仕事をしてる』
どこか胡散臭いが、口調は穏やかで紳士的だった。
しかし次の言葉で、黎都の全身が凍りつく。
『AVに出てみない? 君なら、きっと人気出るよ』
『──は?』
まるで冗談のようにさらりと、男は言った。
『いや、ほんと。君みたいな中性的な顔、今すごく需要あるんだ。もちろん無理強いはしない。
でも、興味があれば、ってことで』
この男性こそがAV監督にして現役男優の阿久津陣だった。
『とりあえず、話を聞くだけでも大丈夫ですか?』
帰ったところで残りの財布の中身も取られるくらいならと黎都は阿久津について行くことにした。
『もちろん、夜ご飯食べた?
まだ? なら、夜ご飯を食べながら話そう』
『あの、今所持金が少なくて……』
『もちろん、俺のおごりだ。
今にも死にそうな顔してるぞ。
腹が減ってるとロクな考えしないからな』
その後、ふたりは近くのファミレスに入った。
店内の光がやけにまぶしく感じる。グラスの水を一口飲んだ黎都の喉が、からからに乾いていたのに気づいた。
阿久津はメニューを開きつつ、さりげなく言う。
『何でも好きなもん頼んで。ガツンとしたのでも甘いのでも』
『……じゃあ、ハンバーグセット……と、ドリンクバー……』
『いいチョイス。俺もそれにしようかな』
注文を終えると、しばしの沈黙。黎都は落ち着かない手つきでストローを指でなぞった。
『で……AVって、ほんとにやるんですか? あんた』
…うん。監督もやってるし、現役でも出てる。まぁ、ジャンルは限られてるけどね』
『……何で、俺に声かけたんです?』
『見てて、分かるんだ。綺麗な子は、光に吸い寄せられるみたいに歩く。死に場所探してるような子もな』
その言葉に、黎都の指がぴくりと止まる。
…俺にも、そういう時期があったからさ』
阿久津はそう言って、ゆっくりと水を飲んだ。
『………どうせ身体を売るなら、金になった方がいいと思っただけです』
ぽつりと漏れた黎都の言葉に、阿久津は一瞬だけ目を細めた。
『身体を“売る”んじゃなくて、“使う”んだよ。違い、分かるか?』
『……分かんない』
『じゃあ、少しずつ教える。無理なら途中でやめてもいい。契約書も、希望があれば弁護士通してでもきちんとする。
──信頼が必要な仕事だからね』
信頼──その言葉に、喉元が苦しくなる。
誰かを信じたせいで壊された。無理やり奪われて、助けもなくて、ただ泣き続けた高校時代。大学に進んでも何も変わらなかった。心はずっと、あの日のままだ。
『……何でそんなに優しくするんですか』
『スカウトの基本。信じてもらえなきゃ始まらない。でも、見返りは期待してない』
『ほんとに……やめたくなったらやめていい?』
『もちろん』
すっと差し出された手。
黎都は、迷った末に、その手を取った。
『……浅水黎都です』
『いい名前だね。俺は阿久津陣。これからよろしくな』
ファミレスの窓の外には、夜の街の光がぼんやりと滲んでいた。
黎都の中で、何かが静かに始まりかけていた。
──それが地獄か、救いかはまだ分からない。
けれど、もう一度、生きてみてもいいかもしれない。
少しだけ、そう思った。
『母さん、また勝手に使ったのか』
黎都の母親の嵐子は若い頃、舞台女優を目指していたが
才能がなかったが今でも贅沢癖が抜けず、とうとう生活費まで使い込んだらしい。
幸いなのは今月の家賃と水道光熱費が引き落とされた後だったということだ。
夜の街を放心状態で宛もなく歩いた。
『……死ねって言ってるのかよ』
狭いアパートの部屋にいたくなくて、黎都は夜の街に出た。
薄暗い歩道を、宛てもなく歩く。スマホの画面を見ても、頼れる誰かなんていない。
大学は二年のときに中退。理由は誰にも言えなかった。高校時代に受けた性暴力の後遺症──人を信じることができなくなり、心も身体も、どこか壊れてしまっていた。
(全部……めちゃくちゃだ)
ふらつく足取りで信号を渡り、繁華街へと足を向ける。
ただ光にすがりたかった。音に紛れたかった。現実を見たくなかった。
そのときだった。
『ちょっと、君』
ふいに背後から声をかけられた。
立ち止まり、振り返る。そこにはスーツ姿の男がいた。歳は……四十代後半くらいだろうか。
年齢よりも落ち着いた雰囲気で目を引く男だった。
『……何ですか』
警戒心を隠さず睨む黎都に、男はにこりと笑った。
『いきなり驚かせてごめんね。でも、君、すごく綺麗な顔してる。モデルとか、やったことある?』
『……は? まぁ、高校時代に少しだけ」
『ごめん、自己紹介がまだだったね。俺、阿久津陣っていうんだ。映像関係の仕事をしてる』
どこか胡散臭いが、口調は穏やかで紳士的だった。
しかし次の言葉で、黎都の全身が凍りつく。
『AVに出てみない? 君なら、きっと人気出るよ』
『──は?』
まるで冗談のようにさらりと、男は言った。
『いや、ほんと。君みたいな中性的な顔、今すごく需要あるんだ。もちろん無理強いはしない。
でも、興味があれば、ってことで』
この男性こそがAV監督にして現役男優の阿久津陣だった。
『とりあえず、話を聞くだけでも大丈夫ですか?』
帰ったところで残りの財布の中身も取られるくらいならと黎都は阿久津について行くことにした。
『もちろん、夜ご飯食べた?
まだ? なら、夜ご飯を食べながら話そう』
『あの、今所持金が少なくて……』
『もちろん、俺のおごりだ。
今にも死にそうな顔してるぞ。
腹が減ってるとロクな考えしないからな』
その後、ふたりは近くのファミレスに入った。
店内の光がやけにまぶしく感じる。グラスの水を一口飲んだ黎都の喉が、からからに乾いていたのに気づいた。
阿久津はメニューを開きつつ、さりげなく言う。
『何でも好きなもん頼んで。ガツンとしたのでも甘いのでも』
『……じゃあ、ハンバーグセット……と、ドリンクバー……』
『いいチョイス。俺もそれにしようかな』
注文を終えると、しばしの沈黙。黎都は落ち着かない手つきでストローを指でなぞった。
『で……AVって、ほんとにやるんですか? あんた』
…うん。監督もやってるし、現役でも出てる。まぁ、ジャンルは限られてるけどね』
『……何で、俺に声かけたんです?』
『見てて、分かるんだ。綺麗な子は、光に吸い寄せられるみたいに歩く。死に場所探してるような子もな』
その言葉に、黎都の指がぴくりと止まる。
…俺にも、そういう時期があったからさ』
阿久津はそう言って、ゆっくりと水を飲んだ。
『………どうせ身体を売るなら、金になった方がいいと思っただけです』
ぽつりと漏れた黎都の言葉に、阿久津は一瞬だけ目を細めた。
『身体を“売る”んじゃなくて、“使う”んだよ。違い、分かるか?』
『……分かんない』
『じゃあ、少しずつ教える。無理なら途中でやめてもいい。契約書も、希望があれば弁護士通してでもきちんとする。
──信頼が必要な仕事だからね』
信頼──その言葉に、喉元が苦しくなる。
誰かを信じたせいで壊された。無理やり奪われて、助けもなくて、ただ泣き続けた高校時代。大学に進んでも何も変わらなかった。心はずっと、あの日のままだ。
『……何でそんなに優しくするんですか』
『スカウトの基本。信じてもらえなきゃ始まらない。でも、見返りは期待してない』
『ほんとに……やめたくなったらやめていい?』
『もちろん』
すっと差し出された手。
黎都は、迷った末に、その手を取った。
『……浅水黎都です』
『いい名前だね。俺は阿久津陣。これからよろしくな』
ファミレスの窓の外には、夜の街の光がぼんやりと滲んでいた。
黎都の中で、何かが静かに始まりかけていた。
──それが地獄か、救いかはまだ分からない。
けれど、もう一度、生きてみてもいいかもしれない。
少しだけ、そう思った。
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