ある日、AV男優になった元大学生

華愁

文字の大きさ
3 / 30

第二話  初めての撮影

しおりを挟む
阿久津に勧誘された翌日、
撮影見学をさせてもらい
五日後の今日、黎都の撮影初日である。

『今日は初日だし、相手は俺だから宜しくね、浅水君』

『宜しくお願いします、阿久津さん』

スタジオは思っていたよりも簡素で、
小さなマンションの一室を改装したような空間だった。

照明機材、三脚に乗ったカメラ、そしてベッド。

『気楽にいこう。今日はハードなプレイはなし。 

カメラもワンカメで固定。俺の顔は映さないパターンにするから、
黎都は表情と反応に集中してくれれば大丈夫』

『……はい』

(声の震え、バレてないだろうか)

阿久津の説明は落ち着いていて、どこか事務的ですらあった。

けれど、その落ち着きが今の黎都にはありがたかった。

(ただ……触れられるのは、まだ、怖い)

五日前の見学では、冷静を装っていたけれど──

本当は、震えが止まらなかった。

撮影中に流れる喘ぎ声、肉体がぶつかる音、
そして何より……演じるのではない“リアル”が、そこにはあった。

『大丈夫。いざ始めたら、
カメラの存在は意外と気にならなくなるよ』

阿久津がふっと笑う。

『演技は意識しなくていい。

リアルで、自然な方が今は求められるから。

むしろ……感じたまま、声にしてくれると助かる』

『……っ』

(感じたまま、なんて……そんな……)

『もし無理だと思ったら、すぐストップかけて。

本番中でもいい。俺は必ず止めるから』

『……ありがとうございます』

その言葉が、胸に刺さった。

本当は逃げたかった。でも、生活のために──

そして、自分自身を変えたくて、ここにいる。

『じゃあ、メイク入るね。衣装はバスローブのみ、
下は……最初は無しでいこう』

スタッフの女性が軽く会釈して入ってきた。

手際よく薄化粧を施され、髪を整えられると、
黎都はまるで“商品”になっていくような感覚を覚えた。

(……もう、戻れない)

『準備完了です。──じゃあ、始めようか』

阿久津の声が響く。スタッフがカメラの前に立ち、
手を叩いた。

「はい、本番──スタート」

照明が強くなる。

視界の中で、阿久津がゆっくりと近づいてくる。

『緊張してる?』

『……してます』

『じゃあ、キスから始めよう。少しずつ……ね』

優しく言われた瞬間、黎都の肩の力がすっと抜けた。

そして──柔らかく、唇が触れた。

(──あ……)

過去の記憶が、一瞬だけ閃いた。

だけど、それは暴力的なものじゃなかった。

ただ、熱を帯びた唇の感触。そこに、乱暴さはない。

(阿久津さん……優しい……)

胸がじんわりと熱くなる。カメラが回っていることさえ、
少しずつ意識の外へと遠のいていった。

『可愛いな……黎都。ちょっと、目、潤んでる』

『……っ、からかわないでください……』

『からかってない。思ったままを言ってるだけだよ』

阿久津の手が、そっと頬に触れる。

その手が、どこまでも優しくて。

(──初めてだ。こんな風に、触れてもらうの)

黎都の中で、何かがほどけるような感覚がした。

過去に刻まれた傷の輪郭が、少しだけ、和らいだ気がした。

──この日。黎都は、初めて“誰かに触れられる”ことを、
受け入れられた気がしていた。

──カットがかかった瞬間、黎都は現実に引き戻された。

「はい、お疲れさまでしたー!」

スタッフの軽快な声が飛び、照明が落とされる。

阿久津が黎都の髪を優しく撫でるように整えながら、小さく言った。

『よく頑張ったな。すごくよかったよ』

『……ありがとうございます』

汗ばんだ身体に、空調の風がひやりと触れる。

心臓はまだ早鐘のように打っていたけれど、
身体の奥には、得体の知れない“達成感”のようなものが残っていた。

(終わった……俺、ちゃんとやり切ったんだ……)

手が震えている。呼吸は浅い。けれど、壊れてはいなかった。

むしろ──少しだけ、自分を肯定できた気がした。

バスローブのまま、控室に戻ると、
スタッフが小さな封筒を差し出してきた。

「ギャラ、今日の分です。まだ慣れないと思うけど、
何か不安なことがあればすぐ言ってくださいね」

『……ありがとうございます』

封筒の重みが、現実を告げていた。

──これは、仕事だ。自分は、売られたのではない。

選んで、ここに立った。

けれど同時に、

心のどこかでざらついた感情がこびりついているのも確かだった。

(あんな風に触れられることに、俺……少し、安心してた)

(あんな風に抱きしめられることに……

すがりたかっただけじゃないのか)

控室を出ると、阿久津が自販機の前でコーヒーを2本買っていた。

『はい、甘いやつ。今日は糖分必要でしょ』

『……どうも』

缶を受け取り、ふたり並んで廊下に腰を下ろす。

しばしの沈黙のあと、黎都がぽつりとこぼす。

『……なんか、変ですね』

『何が?』

知らない人に抱かれてるのに、こんなに落ち着いてる。

むしろ、……安心してたかもしれないって、思う自分が気持ち悪い』

缶を握る指が、微かに震えていた。

阿久津は一口コーヒーを飲んで、ふっと息を吐いた。

『安心するのは悪いことじゃないよ。

黎都が『誰かに優しく触れられること』を、
望んでただけだと思う』

『でも、それって……結局、俺って寂しいだけで、心が弱いから……』

『みんな、弱いよ』

阿久津の声は、とても静かだった。

『それを無理やり隠して、強がるから壊れる。

弱くても、いいんだよ』

その一言が、胸の奥に深く染みこんだ。

誰にも言われたことがなかった。

誰にも、そう思ってもらえなかった。

『……ずるいですね、阿久津さんは』

『よく言われる』

冗談めかして笑う阿久津に、黎都もようやく微笑みを浮かべた。

それはほんの少し、涙のにじんだ笑顔だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

真・身体検査

RIKUTO
BL
とある男子高校生の身体検査。 特別に選出されたS君は保健室でどんな検査を受けるのだろうか?

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

スライムパンツとスライムスーツで、イチャイチャしよう!

ミクリ21
BL
とある変態の話。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...