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第二話 初めての撮影
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阿久津に勧誘された翌日、
撮影見学をさせてもらい
五日後の今日、黎都の撮影初日である。
『今日は初日だし、相手は俺だから宜しくね、浅水君』
『宜しくお願いします、阿久津さん』
スタジオは思っていたよりも簡素で、
小さなマンションの一室を改装したような空間だった。
照明機材、三脚に乗ったカメラ、そしてベッド。
『気楽にいこう。今日はハードなプレイはなし。
カメラもワンカメで固定。俺の顔は映さないパターンにするから、
黎都は表情と反応に集中してくれれば大丈夫』
『……はい』
(声の震え、バレてないだろうか)
阿久津の説明は落ち着いていて、どこか事務的ですらあった。
けれど、その落ち着きが今の黎都にはありがたかった。
(ただ……触れられるのは、まだ、怖い)
五日前の見学では、冷静を装っていたけれど──
本当は、震えが止まらなかった。
撮影中に流れる喘ぎ声、肉体がぶつかる音、
そして何より……演じるのではない“リアル”が、そこにはあった。
『大丈夫。いざ始めたら、
カメラの存在は意外と気にならなくなるよ』
阿久津がふっと笑う。
『演技は意識しなくていい。
リアルで、自然な方が今は求められるから。
むしろ……感じたまま、声にしてくれると助かる』
『……っ』
(感じたまま、なんて……そんな……)
『もし無理だと思ったら、すぐストップかけて。
本番中でもいい。俺は必ず止めるから』
『……ありがとうございます』
その言葉が、胸に刺さった。
本当は逃げたかった。でも、生活のために──
そして、自分自身を変えたくて、ここにいる。
『じゃあ、メイク入るね。衣装はバスローブのみ、
下は……最初は無しでいこう』
スタッフの女性が軽く会釈して入ってきた。
手際よく薄化粧を施され、髪を整えられると、
黎都はまるで“商品”になっていくような感覚を覚えた。
(……もう、戻れない)
『準備完了です。──じゃあ、始めようか』
阿久津の声が響く。スタッフがカメラの前に立ち、
手を叩いた。
「はい、本番──スタート」
照明が強くなる。
視界の中で、阿久津がゆっくりと近づいてくる。
『緊張してる?』
『……してます』
『じゃあ、キスから始めよう。少しずつ……ね』
優しく言われた瞬間、黎都の肩の力がすっと抜けた。
そして──柔らかく、唇が触れた。
(──あ……)
過去の記憶が、一瞬だけ閃いた。
だけど、それは暴力的なものじゃなかった。
ただ、熱を帯びた唇の感触。そこに、乱暴さはない。
(阿久津さん……優しい……)
胸がじんわりと熱くなる。カメラが回っていることさえ、
少しずつ意識の外へと遠のいていった。
『可愛いな……黎都。ちょっと、目、潤んでる』
『……っ、からかわないでください……』
『からかってない。思ったままを言ってるだけだよ』
阿久津の手が、そっと頬に触れる。
その手が、どこまでも優しくて。
(──初めてだ。こんな風に、触れてもらうの)
黎都の中で、何かがほどけるような感覚がした。
過去に刻まれた傷の輪郭が、少しだけ、和らいだ気がした。
──この日。黎都は、初めて“誰かに触れられる”ことを、
受け入れられた気がしていた。
──カットがかかった瞬間、黎都は現実に引き戻された。
「はい、お疲れさまでしたー!」
スタッフの軽快な声が飛び、照明が落とされる。
阿久津が黎都の髪を優しく撫でるように整えながら、小さく言った。
『よく頑張ったな。すごくよかったよ』
『……ありがとうございます』
汗ばんだ身体に、空調の風がひやりと触れる。
心臓はまだ早鐘のように打っていたけれど、
身体の奥には、得体の知れない“達成感”のようなものが残っていた。
(終わった……俺、ちゃんとやり切ったんだ……)
手が震えている。呼吸は浅い。けれど、壊れてはいなかった。
むしろ──少しだけ、自分を肯定できた気がした。
バスローブのまま、控室に戻ると、
スタッフが小さな封筒を差し出してきた。
「ギャラ、今日の分です。まだ慣れないと思うけど、
何か不安なことがあればすぐ言ってくださいね」
『……ありがとうございます』
封筒の重みが、現実を告げていた。
──これは、仕事だ。自分は、売られたのではない。
選んで、ここに立った。
けれど同時に、
心のどこかでざらついた感情がこびりついているのも確かだった。
(あんな風に触れられることに、俺……少し、安心してた)
(あんな風に抱きしめられることに……
すがりたかっただけじゃないのか)
控室を出ると、阿久津が自販機の前でコーヒーを2本買っていた。
『はい、甘いやつ。今日は糖分必要でしょ』
『……どうも』
缶を受け取り、ふたり並んで廊下に腰を下ろす。
しばしの沈黙のあと、黎都がぽつりとこぼす。
『……なんか、変ですね』
『何が?』
知らない人に抱かれてるのに、こんなに落ち着いてる。
むしろ、……安心してたかもしれないって、思う自分が気持ち悪い』
缶を握る指が、微かに震えていた。
阿久津は一口コーヒーを飲んで、ふっと息を吐いた。
『安心するのは悪いことじゃないよ。
黎都が『誰かに優しく触れられること』を、
望んでただけだと思う』
『でも、それって……結局、俺って寂しいだけで、心が弱いから……』
『みんな、弱いよ』
阿久津の声は、とても静かだった。
『それを無理やり隠して、強がるから壊れる。
弱くても、いいんだよ』
その一言が、胸の奥に深く染みこんだ。
誰にも言われたことがなかった。
誰にも、そう思ってもらえなかった。
『……ずるいですね、阿久津さんは』
『よく言われる』
冗談めかして笑う阿久津に、黎都もようやく微笑みを浮かべた。
それはほんの少し、涙のにじんだ笑顔だった。
撮影見学をさせてもらい
五日後の今日、黎都の撮影初日である。
『今日は初日だし、相手は俺だから宜しくね、浅水君』
『宜しくお願いします、阿久津さん』
スタジオは思っていたよりも簡素で、
小さなマンションの一室を改装したような空間だった。
照明機材、三脚に乗ったカメラ、そしてベッド。
『気楽にいこう。今日はハードなプレイはなし。
カメラもワンカメで固定。俺の顔は映さないパターンにするから、
黎都は表情と反応に集中してくれれば大丈夫』
『……はい』
(声の震え、バレてないだろうか)
阿久津の説明は落ち着いていて、どこか事務的ですらあった。
けれど、その落ち着きが今の黎都にはありがたかった。
(ただ……触れられるのは、まだ、怖い)
五日前の見学では、冷静を装っていたけれど──
本当は、震えが止まらなかった。
撮影中に流れる喘ぎ声、肉体がぶつかる音、
そして何より……演じるのではない“リアル”が、そこにはあった。
『大丈夫。いざ始めたら、
カメラの存在は意外と気にならなくなるよ』
阿久津がふっと笑う。
『演技は意識しなくていい。
リアルで、自然な方が今は求められるから。
むしろ……感じたまま、声にしてくれると助かる』
『……っ』
(感じたまま、なんて……そんな……)
『もし無理だと思ったら、すぐストップかけて。
本番中でもいい。俺は必ず止めるから』
『……ありがとうございます』
その言葉が、胸に刺さった。
本当は逃げたかった。でも、生活のために──
そして、自分自身を変えたくて、ここにいる。
『じゃあ、メイク入るね。衣装はバスローブのみ、
下は……最初は無しでいこう』
スタッフの女性が軽く会釈して入ってきた。
手際よく薄化粧を施され、髪を整えられると、
黎都はまるで“商品”になっていくような感覚を覚えた。
(……もう、戻れない)
『準備完了です。──じゃあ、始めようか』
阿久津の声が響く。スタッフがカメラの前に立ち、
手を叩いた。
「はい、本番──スタート」
照明が強くなる。
視界の中で、阿久津がゆっくりと近づいてくる。
『緊張してる?』
『……してます』
『じゃあ、キスから始めよう。少しずつ……ね』
優しく言われた瞬間、黎都の肩の力がすっと抜けた。
そして──柔らかく、唇が触れた。
(──あ……)
過去の記憶が、一瞬だけ閃いた。
だけど、それは暴力的なものじゃなかった。
ただ、熱を帯びた唇の感触。そこに、乱暴さはない。
(阿久津さん……優しい……)
胸がじんわりと熱くなる。カメラが回っていることさえ、
少しずつ意識の外へと遠のいていった。
『可愛いな……黎都。ちょっと、目、潤んでる』
『……っ、からかわないでください……』
『からかってない。思ったままを言ってるだけだよ』
阿久津の手が、そっと頬に触れる。
その手が、どこまでも優しくて。
(──初めてだ。こんな風に、触れてもらうの)
黎都の中で、何かがほどけるような感覚がした。
過去に刻まれた傷の輪郭が、少しだけ、和らいだ気がした。
──この日。黎都は、初めて“誰かに触れられる”ことを、
受け入れられた気がしていた。
──カットがかかった瞬間、黎都は現実に引き戻された。
「はい、お疲れさまでしたー!」
スタッフの軽快な声が飛び、照明が落とされる。
阿久津が黎都の髪を優しく撫でるように整えながら、小さく言った。
『よく頑張ったな。すごくよかったよ』
『……ありがとうございます』
汗ばんだ身体に、空調の風がひやりと触れる。
心臓はまだ早鐘のように打っていたけれど、
身体の奥には、得体の知れない“達成感”のようなものが残っていた。
(終わった……俺、ちゃんとやり切ったんだ……)
手が震えている。呼吸は浅い。けれど、壊れてはいなかった。
むしろ──少しだけ、自分を肯定できた気がした。
バスローブのまま、控室に戻ると、
スタッフが小さな封筒を差し出してきた。
「ギャラ、今日の分です。まだ慣れないと思うけど、
何か不安なことがあればすぐ言ってくださいね」
『……ありがとうございます』
封筒の重みが、現実を告げていた。
──これは、仕事だ。自分は、売られたのではない。
選んで、ここに立った。
けれど同時に、
心のどこかでざらついた感情がこびりついているのも確かだった。
(あんな風に触れられることに、俺……少し、安心してた)
(あんな風に抱きしめられることに……
すがりたかっただけじゃないのか)
控室を出ると、阿久津が自販機の前でコーヒーを2本買っていた。
『はい、甘いやつ。今日は糖分必要でしょ』
『……どうも』
缶を受け取り、ふたり並んで廊下に腰を下ろす。
しばしの沈黙のあと、黎都がぽつりとこぼす。
『……なんか、変ですね』
『何が?』
知らない人に抱かれてるのに、こんなに落ち着いてる。
むしろ、……安心してたかもしれないって、思う自分が気持ち悪い』
缶を握る指が、微かに震えていた。
阿久津は一口コーヒーを飲んで、ふっと息を吐いた。
『安心するのは悪いことじゃないよ。
黎都が『誰かに優しく触れられること』を、
望んでただけだと思う』
『でも、それって……結局、俺って寂しいだけで、心が弱いから……』
『みんな、弱いよ』
阿久津の声は、とても静かだった。
『それを無理やり隠して、強がるから壊れる。
弱くても、いいんだよ』
その一言が、胸の奥に深く染みこんだ。
誰にも言われたことがなかった。
誰にも、そう思ってもらえなかった。
『……ずるいですね、阿久津さんは』
『よく言われる』
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それはほんの少し、涙のにじんだ笑顔だった。
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