ある日、AV男優になった元大学生

華愁

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第九話 予想外の来訪者と公私の線引き

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──カット。

「浅水、今のよかった。じゃあ、次は挿入直前のキス、
もう一段強くいこうか」

現場にはいつもの照明、スタッフ、機材の音が溢れている。

けれど、その雰囲気が少しだけ違っていた。


阿久津は監督として、今までと違う演出を選び始めていた。


黎都の芝居に、感情をにじませる演出──

「ただの演技」では済まされないような視線や、
仕草を引き出す方向へ。

「浅水、唇を離すとき、目を逸らすな。

……“気持ちがあるのに、離れる”って構図にしたい」

『……はい』

黎都は応じながらも、少しだけ息を詰めていた。

(感情を混ぜるって……こんなの、もう“演技”じゃないじゃん)

阿久津が自分を見つめていた。

演出家としてでもあり、恋人としてでもある目線。

だからこそ、余計にぐらついた。

──あの日、決めたはずだった。

「信じる」と。

「上書きする」と。

でも、気持ちを混ぜるほど、
“演技と現実の境目”は曖昧になっていく。

(これ以上……俺、切り替えられるかな)

撮影が終わったあと、黎都は楽屋の洗面所で何度も顔を洗った。

何も考えたくないのに、
阿久津の指示と、さっきの男優の熱を、思い出してしまう。

──そんなとき、スマホに通知が入った。

「……母親、から?」

受信画面に、数ヶ月ぶりの連絡が表示されていた。

“あんた、最近テレビとか出てんでしょ。会って話せない?”

手が震えた。

なぜ、今。

なぜ、仕事が少しうまく回り出した今、このタイミングで。

(……また、金か。借金のこと、知られた……?)

けれど、それでも「無視」はできなかった。

結局、母親に呼ばれるまま、
近くの喫茶店へ足を運ぶことになる。


---

午後。

喫茶店のテーブルの向かいに座っていたのは、
少し痩せて化粧の濃くなった母親だった。

「あんた、……最近いい服着てんじゃない。

やっぱ儲かるんだね、そっち系の仕事」

黎都は言葉を詰まらせた。
母は、「AVに出てる」と知っていた。

『そんなに恥ずかしい仕事じゃない。

ちゃんと契約もしてるし……自分で選んだ』

「へぇ? あんた、変わったねぇ。

昔はもっと……地味だったのに」

『……用件は、それだけ?』

母は、かすかに笑った。

「借金、まだ残ってるんでしょ? 
返してくれてありがたいと思ってる。

でも……“家族だから”、
ちょっとくらい甘えてもいいんじゃないの?」

甘え──

その言葉に、黎都の中で何かがぷつりと切れそうになった。

(甘え……? 俺は、ずっと背負ってきたのに……)

言いかけて、飲み込んだ。

もう、母親に何を言っても、
自分が傷つくだけだと分かっている。

ただ一つだけ、冷たく告げた。

『俺は……もう家族を“甘やかす”つもりはないから』

それだけ言って席を立つ。

後ろで母が何かを言いかけていたが、振り返らなかった。


---

夜。

阿久津の部屋に戻ると、キッチンからカレーの匂いがしていた。

阿久津が珍しくエプロン姿で、包丁を置いてこちらを見た。

『……大丈夫だったか?』

何も言っていないのに、すべてを察するような口調。

『……うん。やっと、“線引けた”感じ』

阿久津は手を止め、そっと黎都に近づく。

『俺も今日、ちょっとやりすぎたかもな。

演出……あれ、実はお前がどう動くか、試したとこある』

『……知ってた』

ふたりは少しだけ笑った。

確かに、まだ揺れる。まだ、不安はゼロじゃない。

でも──

『明日も撮影?』

『ああ。……でも、その前に、
ちゃんと“俺だけの浅水黎都”に触れさせてくれ』

その言葉が、黎都の胸にすっと入り込んだ。

──もう、誰のものでもなく、
自分で決められる。
そう思えた夜だった。

『陣さん、“上書き”して……

俺は陣さんのもだから……

陣さんが俺のものなんて烏滸がましいことは
言わないけど“上書き”してほしい』

『何言ってるんだ、俺は黎都のものだ。

仕事中はどうしても“演出家”として
“監督”として、あれこれ指示をだすが
黎都は俺の“恋人”だからな』

『うん、陣さん、愛してる』

『俺も黎都のこと愛してる』
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