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第十話 過去は突然やってくる
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日曜の午後、珍しく晴れた東京の街。
阿久津が『たまには出かけよう』と提案したのは、
ほんの気まぐれのようでもあり、
何かを予感していたようでもあった。
『カフェでも入る?
あの通りに、前から気になってた店があってさ』
そう言って手を引いてきた先で、
思いがけない“出会い”が待っていた。
──視線がぶつかる。
『……琴葉?』
阿久津がぽつりと名前を呼んだ。
目の前に立っていたのは、中学三年生になった阿久津の娘・琴葉。
そしてその横には、彼女の母であり、阿久津の元妻・乃里子。
さらに、琴葉の双子の弟・湊音。
そして少し遅れて、社会人らしいスーツ姿の長男・凌雅も姿を現した。
「……え? あっ、パパ……」
琴葉は驚いたように目を瞬かせたあと、
黎都に気付き、瞳を輝かせた。
「え、うそ……本物!? 浅水黎都!?
本物だ……! わたし、モデル時代からファンだったの!」
琴葉がバッグから取り出したのは、
数年前のファッション雑誌。
擦り切れたページの中には、確かに黎都の若かりし姿があった。
『……ありがとう』
黎都は、戸惑いながらも笑みを返す。
だが、その場に流れる空気は決して和やかではなかった。
乃里子は苦笑いを浮かべ、息子たちは微妙な距離感を保っていた。
特に、弟の湊音はやや困惑したように眉を寄せ、
兄の凌雅は無言のまま黎都と阿久津を交互に見ている。
──そのときだった。背後から聞こえた、
聞き慣れた、しかし最も聞きたくなかった声。
「……あんた、こんなとこで何してんの」
振り向けば、そこにいたのは──黎都の母だった。
派手な化粧に、ハイブランド風のバッグ。
細く笑った口元と、憐れみとも値踏みともつかない目。
「まさか……この人たち? “恋人の家族”ってわけ?」
その一言で、空気が凍った。
「……あの、ちょっと」と乃里子が間に入ろうとしたとき、
黎都が一歩前に出た。
『全部、俺が話します』
黎都は、阿久津の家族四人を順番に見たあと、深く息を吸った。
『この人、俺の母は……昔から、浪費家で。
借金を繰り返して、そのたびに……俺が、返してきた。
芸能の仕事も、借金返済のために始めたようなものです。
あの日──陣さんと出会った日──
俺の貯金を、全額使い込まれてて。
帰る場所も、心の余裕も、何もなかったときに、
彼に拾われたんです』
誰も、言葉を挟まなかった。
黎都の声は静かだったが、震えていた。
『最初は、ただの演出家と出演者。
……でも、惹かれて。今は、陣さんと一緒にいる。
……それだけです』
琴葉が、小さく頷いた。
「知ってたよ。パパが、誰かといるって。
でも、それが浅水黎都だったなんて、ちょっと嬉しい」
にっこりと笑うその顔には、曇りはなかった。
一方で、乃里子と凌雅は少しだけ視線を逸らしていた。
湊音は、なおも言葉を探すように、足元を見つめている。
そして──黎都の母は、ふん、と鼻で笑った。
「ふーん……いいわねぇ、“家族ごっこ”みたいで。
でも、忘れないでよ? あんたがここに立っていられるのは、
私がいたからだってこと」
『それは、もう関係ない』
阿久津が初めて声を出した。
その言葉には、一切の感情がなかった。
『黎都は、もう“誰かに利用される側”じゃない。
俺の、大事な人だ』
母は何かを言いかけたが、
琴葉がその前に一言、静かに口にした。
「それって、“甘え”って言葉を盾にするの、やめた方がいいよ。
家族でも、していいことと、いけないことってある」
黎都の胸の奥に、何かがすっと落ちた気がした。
過去は、簡単には消えない。
けれど──誰かが寄り添ってくれるなら、前を向くことはできる。
母が去ったあと、再び静かになった街の中で。
黎都は、そっと阿久津の手を握った。
『……ありがとう。
俺、ようやく“家族”って言葉に、救われた気がした』
阿久津は、それに静かに頷いた。
──そして、物語は新たな転機を迎える。
黎都がそっと阿久津の手を握った、そのとき──
「ねぇ、黎都さん……じゃなくて、黎都くん?」
琴葉が、おずおずと手元の雑誌を差しと
スマホを出してきた。
ページの角はすり減り、いくつもの付箋と、
細かな書き込みがされている。
「ずっと大事にしてたの。……よかったら、サインもらっていい?」
黎都は、少し驚いたように目を見開いたあと、
ふっと柔らかく笑った。
『……こんなにボロボロになるまで、
見てくれてたんだね。スマホケースにも?』
「うん、だって……私、ちょっと落ち込んだ時とか、
この雑誌見て、“がんばろう”って思ってたから。
できたらスマホケースにもサインしてほしい」
『わかった……ありがとう』
黎都は、ページの隅に丁寧にサインを書き添えた。
名前とともに、小さく“未来に光を”と添えて。
その後で琴葉のスマホケースにもサインした。
それを見た琴葉の瞳が、またひときわ輝く。
「……家族って、いろいろあるけど。ね。私、今日、来てよかった」
『俺も』
黎都は小さく頷いた。
阿久津はそんなふたりのやりとりを、少し離れた場所で見守っていた。腕を組み、微笑みながら。
かつて失ったはずの場所。届かないと思っていた人たちとの距離。
けれど、少しずつ、確かに近づいている──そんな手応えがあった。
そして、街にまた風が吹く。
午後の日差しが、ビルの谷間を抜けて、
彼らをやさしく照らしていた。
──物語は、ここからまた動き出す。
阿久津が『たまには出かけよう』と提案したのは、
ほんの気まぐれのようでもあり、
何かを予感していたようでもあった。
『カフェでも入る?
あの通りに、前から気になってた店があってさ』
そう言って手を引いてきた先で、
思いがけない“出会い”が待っていた。
──視線がぶつかる。
『……琴葉?』
阿久津がぽつりと名前を呼んだ。
目の前に立っていたのは、中学三年生になった阿久津の娘・琴葉。
そしてその横には、彼女の母であり、阿久津の元妻・乃里子。
さらに、琴葉の双子の弟・湊音。
そして少し遅れて、社会人らしいスーツ姿の長男・凌雅も姿を現した。
「……え? あっ、パパ……」
琴葉は驚いたように目を瞬かせたあと、
黎都に気付き、瞳を輝かせた。
「え、うそ……本物!? 浅水黎都!?
本物だ……! わたし、モデル時代からファンだったの!」
琴葉がバッグから取り出したのは、
数年前のファッション雑誌。
擦り切れたページの中には、確かに黎都の若かりし姿があった。
『……ありがとう』
黎都は、戸惑いながらも笑みを返す。
だが、その場に流れる空気は決して和やかではなかった。
乃里子は苦笑いを浮かべ、息子たちは微妙な距離感を保っていた。
特に、弟の湊音はやや困惑したように眉を寄せ、
兄の凌雅は無言のまま黎都と阿久津を交互に見ている。
──そのときだった。背後から聞こえた、
聞き慣れた、しかし最も聞きたくなかった声。
「……あんた、こんなとこで何してんの」
振り向けば、そこにいたのは──黎都の母だった。
派手な化粧に、ハイブランド風のバッグ。
細く笑った口元と、憐れみとも値踏みともつかない目。
「まさか……この人たち? “恋人の家族”ってわけ?」
その一言で、空気が凍った。
「……あの、ちょっと」と乃里子が間に入ろうとしたとき、
黎都が一歩前に出た。
『全部、俺が話します』
黎都は、阿久津の家族四人を順番に見たあと、深く息を吸った。
『この人、俺の母は……昔から、浪費家で。
借金を繰り返して、そのたびに……俺が、返してきた。
芸能の仕事も、借金返済のために始めたようなものです。
あの日──陣さんと出会った日──
俺の貯金を、全額使い込まれてて。
帰る場所も、心の余裕も、何もなかったときに、
彼に拾われたんです』
誰も、言葉を挟まなかった。
黎都の声は静かだったが、震えていた。
『最初は、ただの演出家と出演者。
……でも、惹かれて。今は、陣さんと一緒にいる。
……それだけです』
琴葉が、小さく頷いた。
「知ってたよ。パパが、誰かといるって。
でも、それが浅水黎都だったなんて、ちょっと嬉しい」
にっこりと笑うその顔には、曇りはなかった。
一方で、乃里子と凌雅は少しだけ視線を逸らしていた。
湊音は、なおも言葉を探すように、足元を見つめている。
そして──黎都の母は、ふん、と鼻で笑った。
「ふーん……いいわねぇ、“家族ごっこ”みたいで。
でも、忘れないでよ? あんたがここに立っていられるのは、
私がいたからだってこと」
『それは、もう関係ない』
阿久津が初めて声を出した。
その言葉には、一切の感情がなかった。
『黎都は、もう“誰かに利用される側”じゃない。
俺の、大事な人だ』
母は何かを言いかけたが、
琴葉がその前に一言、静かに口にした。
「それって、“甘え”って言葉を盾にするの、やめた方がいいよ。
家族でも、していいことと、いけないことってある」
黎都の胸の奥に、何かがすっと落ちた気がした。
過去は、簡単には消えない。
けれど──誰かが寄り添ってくれるなら、前を向くことはできる。
母が去ったあと、再び静かになった街の中で。
黎都は、そっと阿久津の手を握った。
『……ありがとう。
俺、ようやく“家族”って言葉に、救われた気がした』
阿久津は、それに静かに頷いた。
──そして、物語は新たな転機を迎える。
黎都がそっと阿久津の手を握った、そのとき──
「ねぇ、黎都さん……じゃなくて、黎都くん?」
琴葉が、おずおずと手元の雑誌を差しと
スマホを出してきた。
ページの角はすり減り、いくつもの付箋と、
細かな書き込みがされている。
「ずっと大事にしてたの。……よかったら、サインもらっていい?」
黎都は、少し驚いたように目を見開いたあと、
ふっと柔らかく笑った。
『……こんなにボロボロになるまで、
見てくれてたんだね。スマホケースにも?』
「うん、だって……私、ちょっと落ち込んだ時とか、
この雑誌見て、“がんばろう”って思ってたから。
できたらスマホケースにもサインしてほしい」
『わかった……ありがとう』
黎都は、ページの隅に丁寧にサインを書き添えた。
名前とともに、小さく“未来に光を”と添えて。
その後で琴葉のスマホケースにもサインした。
それを見た琴葉の瞳が、またひときわ輝く。
「……家族って、いろいろあるけど。ね。私、今日、来てよかった」
『俺も』
黎都は小さく頷いた。
阿久津はそんなふたりのやりとりを、少し離れた場所で見守っていた。腕を組み、微笑みながら。
かつて失ったはずの場所。届かないと思っていた人たちとの距離。
けれど、少しずつ、確かに近づいている──そんな手応えがあった。
そして、街にまた風が吹く。
午後の日差しが、ビルの谷間を抜けて、
彼らをやさしく照らしていた。
──物語は、ここからまた動き出す。
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