室生犀星の後悔

華愁

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第十三話 優しい朝と現実に戻る時

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案の定、犀星君の膝枕で二度寝てしまった僕。

「二度目のおはようだね」

くすっと笑った犀星君はそのままの体勢で
僕の頭をぎゅっと抱き締めた。

「おはよう。もう少し、このままでもいいかい?」            

家に帰らなくてはいけないのはわかっているけれど        
犀星君の温もりをもう少し堪能していたい。        
         
文や子供たちのことは大切だし愛してるけど        
この、犀星君といられる時間を堪能したい。        
         
とみ子さんは僕たちのことを容認してくれたけど        
妻の文は僕たちのことを知ったら耐えられないだろう。      
       
「“芥川君”もそろそろ、家に帰らなきゃね」    
     
名字で呼ばれて、
僕は心臓を掴まれたような感覚に陥った。    
     
つい、さっきまで名前で
呼んでくれていたのに寂しい。

「その呼び方……寂しい」  
   
ちょっと拗ねた声で言うと  犀星君は
ふと、目を細めて口付けしてくれた。

「ごめんね、龍之介君。

中と外の区別をつけようと思って
つい、名字で呼んでしまった」

犀星君は僕の頬に手を添えて
もう一度、口付けをしてくれた。

僕は目を瞑って幸せを噛み締めた。

室生家ここを出た瞬間、
僕はまた、“よき夫”、“よき父親”に戻らなきゃいけない。

「犀星君、僕は現実に戻るのが……少し怖い」

「大丈夫、龍之介君の居場所も帰る場所も
僕ととみ子がいる室生家ここだよ。

龍之介君は僕の恋人なんだから
いつでも、帰っておいで。」

 優しくて、切なくて、温かい言葉。

「犀星君、本当に僕でいいの?」

僕の不安と自己肯定感の低さが
言葉として出てしまった。

犀星君の愛を疑っているわけじゃないし
僕も愛してるけど、怖いんだ。

僕は自分に自信がない。

つい、この間までは全てを投げ打って“死”に
身を委ねようとしていたくらいだ。

それが、今はこうして、奥さんのとみ子さん公認の
犀星君の恋人になり抱き締められている。

「やっぱり、怖い……

君たちと過ごす“中”も、現実である“外”も。

僕は実の両親に愛されずに伯父夫妻に育てられた。

“芥川”姓も伯父夫妻のもので……本当は、結婚したかった女性がいたんだ。

青山女学院英文科卒の吉田弥生という人で、
幼馴染みだった。

ただ、僕の父方の実家・新原家と
母方の実家・芥川家がひどく折り合いが悪くてね……。

弥生は新原家と親しくしていたから、
伯父夫妻に大反対されたよ。

後から知った話だけど、
僕の実父が――母の妹に手を出したのが、
その確執の原因だったらしい」

僕は言葉を吐き出しながら、
自分の喉の奥が苦くなるのを感じていた。

語りたくない過去。それでも、
犀星君には知っていてほしかった。

「だから僕は、血に縛られるのが……怖いんだ

家というものに、縛られるのが」

震える僕の手を犀星君が握ってくれた。  
  
「そうだったんだね。辛いことなのに話してくれてありがとう。

ずっと、頑張ってきたんだね。

それなら、尚更、室生家ここでは“ただの龍之介君”でいていいんだよ。

僕たちは龍之介君が“生きていて”くれるだけで嬉しいんだ」

“生きていていい”。

ずっと、誰かに言われたかった言葉。

「僕は……“生きていて”いいの?」

「もちろんだよ。龍之介君がいなくなったら
僕が壊れてしまう」

犀星君の言葉は、胸の奥に真っ直ぐ突き刺さった。
僕は子供の頃から“愛”というものがわからなかった。

文と結婚して、子供たちが生まれてからもなお、
“愛”だけはつかめなかった。

それでも――子供たちには昔の僕のような思いをさせたくなかった。
だから“よき夫”で、“よき父親”であろうと
必死に努めてきたけど、その心はずっと、
疲れきっていた。

そんな時に出会ったのが、犀星君だった。

彼は僕の弱さを責めることもなく、
ただ「甘えていい」と言ってくれた。

無理に強くならなくてもいい、と。

「僕は……犀星君に会えて、本当に救われたんだ」

気づけば、声が震えていた。

犀星君はそっと僕の背中を撫で、耳元で囁く。

「救ったんじゃないよ。
僕がただ、君を好きになっただけ。

龍之介君がここにいてくれる、それが嬉しいんだ」

その言葉に、胸の奥の硬い氷が
少しずつ溶けていくのを感じた。

「犀星君……ありがとう」

僕は彼の肩に顔を埋め、しばらく声を失った。

外の世界に戻るのはやはり怖い。

けれど、ここに帰ってこられる――そう思えるだけで、
ほんの少し、明日が明るく見える気がした。
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