あやかし家族 〜五人の兄と愛され末妹〜

南 鈴紀

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第一話 命令

第一話 四

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 屋敷前には馬がつけられていた。鈴音は背負われていた青年から穏やかな男性へと引き取られ、一緒に馬に乗せてもらった。
 それから馬を駆り、中途半端な形の月が高く上ったころに遠くの夜闇に浮かんで見えてきたのは立派な門だった。近づいていくとかがり火のおかげで看板の『妖保護部隊本部』の文字がはっきりと読める。
 鈴音たちが馬を降りると門が開き、幾人かの人が出てきて馬を引き取ってくれる。
 馬に乗せてくれた男性に背負われて鈴音は門を潜った。すると眼前に広い和式の庭園と視界には収まりきらないほど大きな和風づくりの屋敷が現れる。福塚の住まいも屋敷といえば屋敷だったが、それとは比べ物にならない。
 ようやく屋敷の玄関にたどり着く。暢気な男性は先頭きって扉を引き開けた。時刻にすれば戌の刻を半刻ばかり過ぎた夜であっても、至る所に設置された行燈があるため室内は明るい。
「たーのもー!」
 受付の女性がびくっと肩を揺らして顔を上げる。
「雅仁兄さん」
 鈴音を背負った男が窘めるように暢気な男性に呼びかけるが、彼は聞き流しているのか反省の色はなく、へらへらと笑っていた。
 女性が驚きながらも対応する。
「もう、驚かせないでくださいよ、部長。おかえりなさい。副隊長たちも任務、お疲れ様です」
「やあやあ、ご苦労様。ところで神楽かぐらはいるかい」
「はい。先生なら医務室におられますよ」
「どうもありがとう」
 暢気な男性は自由気ままにすたすたと先を行く。その後を鈴音たちも追った。
 夜でも多くの人が働いているらしく広い廊下で何人もの人たちとすれ違う。その度に威勢のいい挨拶が飛んできたり、羨望の眼差しが向けられたりする。
「部長、お疲れ様です!」
「さすが第一部隊。今回も時間通りかつ全員無傷とは……」
「急な案件で下調べもろくにできなかったというのに。すごいな」
 そんな風に数々の賞賛の言葉を受けながらたどり着いたのは、内廊下に面した襖が開け放たれた部屋だった。柱には『医務室』の表札がかかっている。
「やあ。神楽、いるかい?」
 先頭だった男性がひょいと顔を出すと、部屋の奥にいた女性が白い羽織を翻して振り返った。空気が揺らいで、甘いような苦いような独特の香りが鼻腔をかすめる。
「あら、雅仁。時間通りね」
 神楽と呼ばれたのは隙のない雰囲気をまとった綺麗な女性だった。年は二〇代後半くらいだろうか。艶のある黒髪を後ろできっちりとまとめあげ、長いまつ毛に縁どられた灰色の瞳はつり目気味できりりと引き締まっている。湛える微笑には上品な華やかさがあり、所作のひとつひとつが洗練されていて、女性らしいしなやかさを感じさせた。
「保護対象の彼女を連れてきたよ」
 ここに至るまで暢気な雰囲気の男性の一声に、神楽の視線が畳に下ろされた鈴音に向く。神楽は一瞬驚いたように目を見開いたが、鈴音に目線を合わせ、安心させるように柔らかに微笑んだ。
「初めまして、私は神楽というの。あなたのお名前は?」
 難解な言葉の連なりではなく、平易な言葉選びでゆっくりと語りかけられたことで、鈴音にも意味が理解できた。
「鈴音」
「そう、鈴音というの。きれいな名前ね」
 神楽は笑みを深めて、続けた。
「私は薬師をしているの。鈴音の状態を診せてもらっていいかしら」
「……」
「鈴音に悪いところがないか知りたいのよ」
 鈴音が答えないのは難しい言い方をしてしまったからだと思ったらしく神楽は言い直すが、鈴音にとっての問題はそこではない。意思決定を求められてもどうしていいのかわからないのだ。それは鈴音に感情の伴った意思がなく、相手にとっての正しい反応をしないといけないという考えが念頭にあるからである。
 黙ったままの鈴音を見て、暢気な男性が「ああ、そうそう、そうだった」と手を打ち鳴らす。
「その子に自らの意思で決定するということはできないようだよ。命令ならきちんときいてくれるけれどね」
 声の調子はそのままに、男性は相変わらずへらへらと笑っているが、金色の目はひんやりとして感じられた。
 神楽も同じような目をしていたが、瞬きの後にはふっと消えていた。鈴音に向き合う瞳はどこまでも穏やかだ。
「ここにいる間は私の言うことをきいてちょうだい。これは、命令よ」
 優しい声は苦しげな響きを帯びて『命令』の単語を強調した。福塚のような逆らえない圧はなかったが、従わないといけないと思う。
「うん」
「ありがとう、鈴音」
「?」
 命令を理解したと頷いただけなのに、なぜかお礼を言われて鈴音は微かに首を傾げた。
 話がまとまったところで神楽は男性たちの方を振り返った。
「そういうわけなので、鈴音は今晩、私のもとで預かるわ」
「神楽になら安心して任せられるよ。よろしくね」
「今回の任務の報告と今後の彼女の処遇を決めるためにも、また明日伺います」
「ええ、そうしてちょうだい。こちらも正午までには準備しておくわ」
 医務室を出ていく男性たちの背を見送って、神楽は「さて」と鈴音を見る。
「状態を診るにしても、このままでは難しいわね」
 鈴音の体は薄汚れて、髪の毛は伸ばし放題、着物は襤褸切れ同然でお世辞にも清潔とはいえない。これではどこを悪くしているかわかりづらいし、鈴音の健康にも良くない。
 まずは、と神楽に連れてこられたのは浴室だった。
素早く袂をたすき掛けし、裾をたくし上げた神楽にされるがまま、鈴音は大人しくしていた。
「よし、できたわ。うん、可愛いじゃない」
 そして気がつけば神楽の手により見違えるようにきれいにされていた。
 顔にかかっていた前髪は目にかからないよう切りそろえられ、床に引きずるほど長かった後ろ髪も絡まりを丁寧に解かれ、腰までの長さに整えられる。頭部に生えた狐の耳と臀部からの狐の尾もぬかりなく梳かれた。最後に椿油を塗りこまれて、僅かにだが毛艶が戻り、銀色に輝く。
 また、前髪を切ったことで今まで隠れていた顔がはっきりと見えるようになった。くりっとした大きな丸い藤色の瞳と小さな鼻と口が収まる顔はつくりだけなら愛らしい人形のようだ。湯浴みで体が温まったおかげか、ところどころ怪我の跡があるものの汚れのとれた白い肌に桜色に染まった頬がよく映える。
 怪我の処置をされてから、清潔な浴衣まで着つけられた。
 おかげで長年の栄養失調や怪我だらけのみすぼらしい姿も見られるくらいにはなった。
 そんな鈴音を連れて、神楽は浴室から医務室に戻ってきた。
「明らかな栄養失調と異常な妖力不足とあちこちの怪我。痕になりそうなものがなかったのは不幸中の幸いだけれど、……最低ね」
 神楽の低い呟きには憤りが滲んでいる。神楽の顔色をうかがう前に、反射的に鈴音の狐の耳がふるりと震えた。
「ごめんなさい」
 詳しいところはわからなくても相手の怒りは敏感に察知できる。こういうときは決まって鈴音が命令に従わなかったときだ。抵抗しても良いことはない。謝っても罰せられることに変わりはないが、ここで無言だと余計に悪いことになるかもしれない。声を発したことで煩いと無駄な怒りを買う可能性もあったが、鈴音に判断できることではなかった。
 鈴音は自身の変化を自覚していなかったが、姿を整えたことで神楽の目には鈴音の強張った表情や怯えて揺れる藤色の瞳がよく見えた。神楽は咄嗟に首を左右に振った。
「違うの。鈴音に怒っているわけではないのよ。あなたが謝る必要はない。怖がらせてごめんなさい」
 いつもと同じように命令に従ったつもりなのに「ありがとう」と言われ、おそらく命令に従っていなかったのに「ごめんなさい」と言われた。
 本当に今日は変わったことばかりだ。
 鈴音が思わずきょとんとしてしまうと、神楽は怒りだけではない別の感情を交えた複雑な表情をしていたが、気を取り直すと壁際の薬棚に向き直った。
「怪我の手当ては済んだことだし、あとはよく食べてよく休むことが一番だけれど……回復の促進くらいは手助けできるかしらね」
 薬棚には枯れ草のようなものや干からびた根のようなものなどが瓶に詰められて並んでいる。神楽はぶつぶつ何かを呟きながら、棚からいくつかの瓶をさっさと選び出すと、広い机の上に置いてあった薬研に中身をあけて細かくし、薬包紙に乗せた。そしてそれを予め沸かしてあった湯と一緒に鈴音に差し出す。
「苦いでしょうけれど、その分よく効くわ」
 神楽に促されるまま、鈴音は差し出された薬と湯を口にする。薬の苦さよりも湯の温かさに驚いた。変わった味のするものやそもそも味のしないものには慣れていたが、冷めていないものを口にすることはもう長いことなかったからだ。
 神楽に見守られながら、ちみちみと飲み進めていた鈴音だったが、薬の効果か体が温まったからか、やがてうとうとし始めた。
 神楽は部屋の隅に手早く布団を敷くと、そこに鈴音を寝かせた。
「おやすみなさい、鈴音」
 地下牢でひとりで眠ることが当たり前だった鈴音にとって、柔らかく温かい布団も誰かの『おやすみ』という声も慣れないもののはずだった。それなのに不安は感じない。むしろほっとする安心感に包まれて、鈴音は眠りについた。
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