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第九話 花綻ぶ夏の夜
第九話 五
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翌日の午前中は洗濯や朝食づくり、掃除などを済ませた。
子ども達は午前のうちから出かける者がほとんどで、最後だったタム、ヨルメイ、アスキ、ライモですら昼直前には学び家を出発した。
職員一同も子ども達全員を見送ってからは半休扱いとなる。さすがにひとりくらい残っていた方がいいのではと慈乃は最初不安に思っていたが、いざというときはジニア、セイヨウタンポポ、ツクシ(スギナ)の花の精が教えてくれるので心配要らないとのことだった。
そういうわけで、慈乃も憂いなく初めての花祭を楽しめそうだ。
見送りの後は各々支度のために自室へ戻った。
足袋を履き、肌襦袢、長襦袢と順に重ねていく。さらに上衣をまとい、下衣のスカートを履く。袴のように半巾帯はなく、腰まわりの紐を結んで完成だ。
最後に髪をまとめるべく洗面所に向うと、ニアがいた。
彼女は白衣に緋袴で、一見すると巫女のような装いだ。
ちょうど準備が終わったニアは、慈乃に場所を譲ると、慈乃の着姿を眺めて「うん、上手に着られてる」と言った。
慈乃が髪を結い終えると、ニアは慈乃の前髪をちょこちょこっと整えて明るく笑った。
「完璧! ウタがいるから大丈夫だとは思うけど、浮かれ者には気をつけてね。迷子になったら下手に動いちゃダメ。忘れ物はしてない?」
あれこれと注意を続けるニアはまるで母親のよう。慈乃はそれにくすぐったさを覚えた。
「はい、大丈夫です。行ってきます」
「行ってらっしゃい!」
ニアの明朗快活な声を背に、慈乃は手荷物を取ってから玄関へと向かった。
「お待たせしました……!」
慈乃が玄関に着くより前に、ウタセは先んじて外にいた。
特に退屈そうでもなく、機嫌よさげに花壇の花を眺めていたが、慈乃の声に振り返った。
ウタセもまた祭礼用の衣装で、襟合わせに花の刺繡が施された白の上衣と、緑色から黄色のグラデーションとなるよう刺繡が入った萌黄色の下衣を身に着けている。腰の紐にはセイヨウタンポポのコサージュが付けられていた。柔らかで明るい色の取り合わせは、まさに春の野に咲くタンポポを思わせて、ウタセによく似合っていた。
一方、慈乃の祭礼服は白地の袂に純白の花刺繍が躍る上衣と、銀糸の花が舞う淡藤色の下衣だ。日の光を受けて、上下の刺繍と髪飾りのガラス玉でできたカモミールがきらりときらめく。慈乃のハーフアップにした白銀色の髪が風にそよぐと装飾以上の輝きを放った。落ち着いた色の組み合わせだが、慈乃が着ることでその佇まいは地味ではなく上品と形容するにふさわしいものに昇華していた。
ウタセはその姿を目に映すなり、一瞬言葉をなくしたように立ち尽くしていたが、すぐにぱっと顔を輝かせた。
「今日のシノ、特にきれいだね」
直截的な称賛に、慈乃はたじろぐ。目を左右に泳がせながら、言葉を絞り出した。
「あの、えっと……。ニアさんと、クルルちゃん、あとライネさんが選ぶのを手伝ってくださって……」
「ニア姉はともかく、そのふたりはさすがだね。あんまりきれいだから見惚れちゃったよ」
「い、言いすぎです」
慈乃が恥ずかしさから顔を上げられずに抗議すると、ウタセは至極当たり前のように言い切った。
「伝えたい思いは言葉にしないと伝わらないじゃない」
ウタセの過去の言動を思い返してみても、その信条は揺らぎないものだとわかる。ウタセの言葉はいつもまっすぐで、その言葉に慈乃が救われたことも幾度となくあった。しかし、今回ばかりは恥ずかしく、いたたまれない。
「……そう、なのです、が……」
何か言おうとして勇気をもって顔を上げた慈乃は、続く言葉をすっかり忘れてしまった。
ウタセが滅多に見せない照れ笑いを浮かべていたからだ。
「僕だって羞恥がないわけじゃないんだよ? ただ、美しいものを美しいと思える心を忘れたくないから、素直に言葉にするんだ」
ウタセは「行こうか」と言って、足を踏み出した。慈乃もその隣に並ぶ。
「それに、言霊っていうでしょう? 想いをのせた言葉には力が宿るって。僕はそれを信じてるから、やっぱり言葉に変えて留めおきたいと思うんだ」
美しい景色を美しい思い出として憶えていたい。つまりはそういうことだという。
慈乃にはわかるような、わからないような気がした。
そんな慈乃の感情をくみ取ったのか、ウタセは小さく笑った。
「ちょっと概念的かな。じゃあ、ここにひとつ宣言します」
急に改まった口調になったウタセだったが、その顔には含み笑いを浮かべている。慈乃は小首を傾げた。
「今日の花祭で、僕はシノの笑顔を見られるよ、きっとね」
「……それも、言霊ですか?」
「うん、そうだよ」
ウタセは一点の曇りもなく、晴れやかに笑う。それは、自ら口にした言霊の力や願いの成就を心から信じているような笑みだった。
子ども達は午前のうちから出かける者がほとんどで、最後だったタム、ヨルメイ、アスキ、ライモですら昼直前には学び家を出発した。
職員一同も子ども達全員を見送ってからは半休扱いとなる。さすがにひとりくらい残っていた方がいいのではと慈乃は最初不安に思っていたが、いざというときはジニア、セイヨウタンポポ、ツクシ(スギナ)の花の精が教えてくれるので心配要らないとのことだった。
そういうわけで、慈乃も憂いなく初めての花祭を楽しめそうだ。
見送りの後は各々支度のために自室へ戻った。
足袋を履き、肌襦袢、長襦袢と順に重ねていく。さらに上衣をまとい、下衣のスカートを履く。袴のように半巾帯はなく、腰まわりの紐を結んで完成だ。
最後に髪をまとめるべく洗面所に向うと、ニアがいた。
彼女は白衣に緋袴で、一見すると巫女のような装いだ。
ちょうど準備が終わったニアは、慈乃に場所を譲ると、慈乃の着姿を眺めて「うん、上手に着られてる」と言った。
慈乃が髪を結い終えると、ニアは慈乃の前髪をちょこちょこっと整えて明るく笑った。
「完璧! ウタがいるから大丈夫だとは思うけど、浮かれ者には気をつけてね。迷子になったら下手に動いちゃダメ。忘れ物はしてない?」
あれこれと注意を続けるニアはまるで母親のよう。慈乃はそれにくすぐったさを覚えた。
「はい、大丈夫です。行ってきます」
「行ってらっしゃい!」
ニアの明朗快活な声を背に、慈乃は手荷物を取ってから玄関へと向かった。
「お待たせしました……!」
慈乃が玄関に着くより前に、ウタセは先んじて外にいた。
特に退屈そうでもなく、機嫌よさげに花壇の花を眺めていたが、慈乃の声に振り返った。
ウタセもまた祭礼用の衣装で、襟合わせに花の刺繡が施された白の上衣と、緑色から黄色のグラデーションとなるよう刺繡が入った萌黄色の下衣を身に着けている。腰の紐にはセイヨウタンポポのコサージュが付けられていた。柔らかで明るい色の取り合わせは、まさに春の野に咲くタンポポを思わせて、ウタセによく似合っていた。
一方、慈乃の祭礼服は白地の袂に純白の花刺繍が躍る上衣と、銀糸の花が舞う淡藤色の下衣だ。日の光を受けて、上下の刺繍と髪飾りのガラス玉でできたカモミールがきらりときらめく。慈乃のハーフアップにした白銀色の髪が風にそよぐと装飾以上の輝きを放った。落ち着いた色の組み合わせだが、慈乃が着ることでその佇まいは地味ではなく上品と形容するにふさわしいものに昇華していた。
ウタセはその姿を目に映すなり、一瞬言葉をなくしたように立ち尽くしていたが、すぐにぱっと顔を輝かせた。
「今日のシノ、特にきれいだね」
直截的な称賛に、慈乃はたじろぐ。目を左右に泳がせながら、言葉を絞り出した。
「あの、えっと……。ニアさんと、クルルちゃん、あとライネさんが選ぶのを手伝ってくださって……」
「ニア姉はともかく、そのふたりはさすがだね。あんまりきれいだから見惚れちゃったよ」
「い、言いすぎです」
慈乃が恥ずかしさから顔を上げられずに抗議すると、ウタセは至極当たり前のように言い切った。
「伝えたい思いは言葉にしないと伝わらないじゃない」
ウタセの過去の言動を思い返してみても、その信条は揺らぎないものだとわかる。ウタセの言葉はいつもまっすぐで、その言葉に慈乃が救われたことも幾度となくあった。しかし、今回ばかりは恥ずかしく、いたたまれない。
「……そう、なのです、が……」
何か言おうとして勇気をもって顔を上げた慈乃は、続く言葉をすっかり忘れてしまった。
ウタセが滅多に見せない照れ笑いを浮かべていたからだ。
「僕だって羞恥がないわけじゃないんだよ? ただ、美しいものを美しいと思える心を忘れたくないから、素直に言葉にするんだ」
ウタセは「行こうか」と言って、足を踏み出した。慈乃もその隣に並ぶ。
「それに、言霊っていうでしょう? 想いをのせた言葉には力が宿るって。僕はそれを信じてるから、やっぱり言葉に変えて留めおきたいと思うんだ」
美しい景色を美しい思い出として憶えていたい。つまりはそういうことだという。
慈乃にはわかるような、わからないような気がした。
そんな慈乃の感情をくみ取ったのか、ウタセは小さく笑った。
「ちょっと概念的かな。じゃあ、ここにひとつ宣言します」
急に改まった口調になったウタセだったが、その顔には含み笑いを浮かべている。慈乃は小首を傾げた。
「今日の花祭で、僕はシノの笑顔を見られるよ、きっとね」
「……それも、言霊ですか?」
「うん、そうだよ」
ウタセは一点の曇りもなく、晴れやかに笑う。それは、自ら口にした言霊の力や願いの成就を心から信じているような笑みだった。
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