悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第3巻 - 甘美な檻と蹂躙の獣

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5. 支配の記憶

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 夜半を過ぎたころ、レイモンドのもとへひとりの使いが訪れた。
 無骨な騎士の礼装に身を包んだ使者は、頭を深く垂れたまま低い声で告げる。

「副団長殿より、至急とのことにございます。お屋敷へ──いえ、別邸へとお越し願いたいと」

 言葉に曖昧な余白を残しながらも、その声音には逆らいがたい硬さがあった。
 レイモンドはわずかに目を細め、しかしすぐに頷く。胸の奥で、抗いがたい予感がざわめいていた。


 * * *


 夜風に晒されながら馬を駆り、王都の外れへ。
 しとしとと降り始めた雨は、石畳を銀色に濡らし、月明かりを映して妖しく光らせていた。濡れた空気には草木の匂いが強く立ちこめ、遠い雷鳴がかすかに響く。
 かつて一度足を踏み入れたその場所──ヴィンセントの別邸が、暗がりのなかに姿を現す。
 重厚な門扉をくぐった瞬間、レイモンドの胸に蘇るのは、追放された日の夜の記憶であった。

 鎖に繋がれ、抗えぬまま支配を刻まれた夜。
 あのときは、ただ屈辱と恐怖に彩られた場所だった。
 だが今は──懐かしさが勝る。不思議なことに、あの夜の痛みや抗いよりも、共に歩むと決めてしまったその後の記憶が濃く胸に残っているからだ。拒絶は薄れ、無意識に心のどこかで受け入れてしまった証左なのだろう。

 玄関扉がきしむ音を立てて開く。
 黒を基調とした広間は、燭台の灯りに照らされ、重苦しい影を床に落としていた。深緑色の絨毯は雨に濡れた靴音を吸い取り、どこか冷たい匂いを漂わせている。
 応対の使用人は無言で一礼し、すぐさま奥へと案内した。

 廊下を進むほどに、燭火は少なくなり、影が濃さを増していく。
 やがて、重厚な扉の前で足を止めた。
 懐かしいはずの廊下が、今では異様に胸を圧迫する。かつて「従うしかなかった」場所。だが今の彼の胸には、拒絶ではなく妙な甘い緊張が渦巻いている。──それは無意識のうちにヴィンセントへ許容を与え始めている証でもあった。

「……こちらへ」

 ぎい、と音を立てて扉が開かれる。老齢の使用人が一礼して中へと招く。

 寝室に足を踏み入れた瞬間、レイモンドの胸の奥に妙な感覚が広がった。燭火の赤が壁や天蓋を妖しく染め、絹の帳は息づくように揺れている。過去の記憶を呼び覚ますはずの光景なのに、今は奇妙なほど「懐かしい」としか思えなかった。忌むべき場所が、時間と共に色を変え、馴染んでしまった自分に気づき、内心で小さく舌を打つ。

 後ろで扉が音を立てて閉まった。その響きがやけに重く、外界との繋がりを断ち切る。振り返った瞬間、ヴィンセントの視線に絡め取られた。琥珀色の光は猛禽のように鋭く、逃げ道を許さぬ。彼はゆっくりと歩み寄り、距離を削ってくる。歩みは優雅だが、そこに潜む獣の昂ぶりをレイモンドは敏感に察していた。


「……こうして二人きりになるのは、久しぶりだな。ブラックウッド卿」

 低い声。穏やかに響くのに、その裏に抑えがたい劣情が滲む。レイモンドは一拍置き、口を開いた。

「……遠征では常に誰かが居ましたからね。ヴァーミリオン卿も、兵も」

 自嘲混じりの言葉に、ヴィンセントの口角が上がる。獲物を前にした余裕ある笑み。


「だからこそ──ようやく邪魔がいなくなった。やっと、楽しめるな」


 その言葉と同時に腕を掴まれ、強く引き寄せられた。驚きで息が詰まる。重なる呼吸、熱を帯びた体温。抗議の言葉を探す間もなく、唇を塞がれた。
 舌が荒々しく侵入し、絡みつく。獣のような勢いに、銀の瞳が大きく見開かれた。息を奪われ、肩が小刻みに震える。酸素を求めて背が反り、細い指が咄嗟に胸元の衣を掴んだ。

「……っ、ん、は……っ」

 掠れた声が、無理やり開かされた口腔から洩れた。

 顎を掌で押さえられ、逃げ場はない。
 琥珀色の瞳が、獲物を逃さぬ猛禽のように射抜く。
 熱い呼気が頬にかかり、レイモンドの視界は霞んでいく。

「……声を出せ、レイ」

 低く命じる声に、レイモンドの喉が震えた。

「……く、苦しい……」

 掠れた抗議。だがヴィンセントは口角を僅かに吊り上げ、支配を告げる。

「息すら俺が与える。──忘れたか、ここが何の場所かを」

 舌がさらに深く喉奥を抉る。甘美と苦悶が入り交じり、銀の瞳が潤んで焦点を失った。シーツもない寝室の壁へ押し付けられ、背筋が小刻みに跳ねる。

 レイモンドは必死に抗おうとした。だがその指先は、無意識に彼の服を掴み、逃れられぬ事実を示していた。

「……やめ……ヴィンセント……っ」

 吐き出した声は震え、抵抗とは裏腹に甘く掠れていた。

「抗うな。──いや、抗ってもいい。どちらにせよ、俺の手の中だ」

 掠れた笑いとともに、彼の両腕が強く抱き締める。
 支配者の力強さと、恋慕に似た執着が混じったその抱擁。胸板へ押しつけられたレイモンドは、心臓の鼓動が荒く打ち鳴るのを聞いた。

「っ、ん……は、ぁ……」

 酸欠のような喘ぎが喉奥で絡み、吐息が熱を帯びて零れる。
 ヴィンセントの舌は唇を蹂躙し、歯列をなぞり、口内を貪る。絡み合う湿った音が、広い寝室にいやらしく響いた。

「……ここで何をされたか、忘れたか?」

 囁きが喉元へ落ちた。歯が強く喉仏を噛み、赤い痕を刻む。

「……っ、ま、て……」

 声は震える。だが頬は朱に染まり、羞恥と快感が入り混じる。

「忘れるな、レイ。鍵はまだ……俺に預けたままだ」

 そう言うと、彼は躊躇なく衣を乱し始めた。シャツの前立てを片手で引き裂くように開き、露わになった白い肌に唇を這わせる。喉から鎖骨、胸元へ。火傷のような熱が散り、銀の瞳が潤みを増して揺らぐ。

「……っば、か──」

 抗議の声も、口づけに掻き消される。
 レイモンドの指が彼の腕を叩いた。しかし、力は弱々しく、震えるだけ。

「抵抗すればするほど、俺が喜ぶことを知っているくせに」

 荒い吐息が胸元へ降り注ぎ、琥珀色の瞳が猛りと愛惜に濁っていた。
 ヴィンセントはそのまま、レイモンドを抱え上げる。軽々とした動作に抗う暇もなく、寝台へと投げ出された。

「っ……は……!」

 背がシーツに沈み、体が跳ねる。視界が揺らぎ、銀の瞳が虚空を彷徨う。
 その上へ影が覆いかぶさる。

「逃げ場など最初から無い」

 息を荒くしながらも、支配者らしい声音で告げる。舌なめずりをして、銀の双眸を真っ直ぐに捉える。その視線に射抜かれ、逃げ場を失ったようにレイモンドは胸の奥を強く締め付けられる。
 覆いかぶさる熱。再び落とされた口付けは強引で、唇を貪る舌が容赦なく絡み合った。唾液が混じり合い、艶やかな音が寝室に濡れた残響を広げる。

 レイモンドは──その支配から、もう抗う気力を見失いかけていた。

 鍵は、まだ彼の手の中に。

(私が……預けた。あの日、隣で、と……)


「『拒むなら今だ』、レイモンド・ブラックウッド」


 懐かしい響き。しばらく耳にしていなかった言葉。
 拒む選択肢を与えながらも、結局は選ばせない──よく知っている支配者の声だった。

「……命令するな」
「命令してない、お願いだ」
「……なら、いい」

 吐息とともに零れる承諾。
 レイモンドはゆっくりと腕を伸ばし、ヴィンセントの首へと回す。あの日の再演のように。
 指先が硬い襟足を撫で、胸から腰へと下りる大きな手に、くぐもった声が漏れた。唇を重ね、招くように舌を絡める。腰が浮き、シーツが皺を刻む。濡れた音が甘やかに続いた。

 その瞬間、ちゃり、と耳奥で金属の澄んだ音が鳴る。

 鎖が揺れた。
 手首を繋ぐ冷たさが、今は心を縛っている。熱に染まる肌を締め付ける。
 レイモンドは一瞬だけ瞳を見開いた。だが、銀の視線はすぐに伏せられ、羞恥に濡れながらも抗う言葉は紡がれなかった。
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