悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第3巻 - 甘美な檻と蹂躙の獣

大の字だい

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10. 微睡みの中の温もり

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 ──視界が弾けた。
 最後の衝撃に飲まれ、全身が痙攣し、肺の奥から息が勝手に吐き出される。
 声にならない声が喉を震わせ、銀の瞳は大きく見開かれたまま、何も映さずに虚空へと揺れていた。

 そのまま意識が暗転する。
 全身を締めつける熱の余韻だけが、骨の髄を貫き、残酷なほど濃密に身体を支配していた。


 * * *


 ──腕の中で揺られている。
 誰かの肩に縋っている。

 薄れていく意識の端で、確かな温もりを感じた。
 強い腕に支えられ、力強い胸板に抱えられ、夜風が頬を撫でる。

 耳の奥に響くのは、自分のものではない荒い呼吸。
 焼けるように熱い鼓動が、すぐ耳元で轟いている。

 目を開こうとしても、瞼が鉛のように重い。
 それでも断片的に映像が差し込む。

 ──石畳を踏む音。
 ──夜空にかかる月。
 ──揺れる影。

 それが現実か夢かも分からない。
 ただ確かなのは、自分は運ばれているということだった。


 * * *


 次に意識が浮かんだ時、柔らかな湯の香りが鼻をくすぐった。
 衣擦れの音がする。熱い蒸気が肌を包む。

 頭を支える掌。指が髪に差し込み、濡れた前髪を優しく梳いている。
 首筋を撫でる温かな雫。湯を掬った大きな掌が、肩から背へと静かに流していく。

 その手の持ち主は──アルベリックだ。
 かつて自分を机に押し付け、激情をぶつけてきた男が、今は壊れ物を扱うように細心の注意を払っていた。

 目を開けても、霞んだ視界の中では彼の輪郭が滲んでいる。
 だが紅い瞳だけは、暗闇の中でもはっきりと浮かんで見えた。

「……っ」

 声をあげようとしたが、喉が焼けているように掠れ、音にならなかった。

 それでも彼は何も問わず、黙って湯を流し続ける。
 掌が背を撫でるたび、痛みを残す場所と、甘く痺れる場所とが明確に蘇る。
 湯と共に、己の痕跡と彼の痕跡が混じって流れ落ちていくのが分かった。

 ──あれは夢か。
 それとも現実だったのか。

 意識はすぐに沈んだ。

 * * *

 再び浮かんだ時には、柔らかな寝台に背を預けていた。
 シーツの感触が心地よく、けれど体は鉛のように重い。
 瞼の裏にまだ光が瞬いている。

 意識が覚醒しきらぬまま、微かに開いた視界の端に、広い背が見えた。
 月明かりとランプの光が混じる室内、その背はゆっくりと寝室の扉へ向かっている。

 ──行ってしまう。
 その直感だけが、反射的に唇を動かした。

「……アルベリック」

 掠れきった声。
 呼んだ自分が驚くほど弱々しく、それでもはっきりと名を呼んでいた。

 背が止まる。
 振り返った紅の瞳が、驚きと戸惑いを湛えて揺れる。

「……行くのか」

 寝台に沈んだまま、レイモンドは続けた。
 声は掠れ、息は不安定で、それでも矜持を失わぬ眼差しで彼を見据える。

「……運んでもらった、礼だ。……ここで眠っていけ」

 言い訳めいた響き。
 羞恥を隠すための仮初の理屈。
 自分でも分かっていた。そう告げた瞬間、胸の奥が熱くなる。

 視線を逸らし、言葉を投げる。

「……嫌なら、別にいい」

 静寂。
 しかし次に返ってきた声音は、抑えきれない喜びに震えていた。

「……よろこんで」

 その一言に、胸が跳ねた。
 言葉以上の熱が伝わってきた。

 次の瞬間、寝台が軋む。
 傍らに身を滑り込ませたアルベリックの体温が、真正面から押し寄せてきた。
 レイモンドは横向きのまま、自然と彼の方を向いていた。

 紅い瞳と銀の瞳が、近すぎる距離で交わる。
 広い胸板に額が触れ、互いの息が熱を混ぜ合う。
 抵抗する間もなく、アルベリックの腕が背中を強く抱き寄せた。

 温もりが全身を包み込む。
 息苦しいほどの密着──それなのに、不思議と安心だけが満ちていく。

 掌が髪を梳き、肩を撫で、背中をさする。
 そしてこめかみに、静かな口づけが落ちた。
 震えるほど近い吐息が耳を掠める。

「……参謀殿」

 囁きは低く、甘く、慈しみに溶けていた。

 レイモンドもまた、無意識に腕を回していた。
 アルベリックの背へ、自分からも抱き返す。
 互いの体温が溶け合い、境目を失うほどに近くなる。

 視線はかすみ、言葉はもう要らなかった。
 紅と銀の光が、最後に揺らめき合い──やがて、静かな眠りへ落ちていった。
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