悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第3巻 - 甘美な檻と蹂躙の獣

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11. 朝のさざ波、二つの呼吸

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 朝の光が、黒と深緑を基調とした屋敷の廊下に薄く流れ込んでいた。昨夜遅くまで働いた使用人たちは、決められた時刻に戻り、手際よく埃を払い、食卓を整え、窓掛けを結び直す。

「本日も副団長殿がお迎えにいらっしゃるとか」
「直々に……ね。国家の頭脳ですもの、私達の主君は」

 ささやき合う声は、銀盆の上で湯気を立てる茶器の音に紛れて消える。

 白の軍服を着た男が、玄関の扉を二度、乾いた音で叩いた。金具が鳴り、応接へ通そうとする執事に、男は片手を上げて制す。

「王国騎士団副団長、グレイヴェルだ。──ブラックウッド卿を迎えに来た。寝室まで案内してくれ」

 副団長の肩書を口にするだけで、廊下の空気が少し引き締まる。使用人は慌てず騒がず、深く一礼して先導した。
 重厚な扉の前で足が止まる。ノックは一度、短く。答えはない。

「……レイモンド」

 低く呼び、蝶番をきしませて扉を押す。白い寝具、整いきらぬ寝台。そこで、琥珀の瞳に最初に飛び込んできたのは──蜂蜜色の金髪が枕に落ち、紅い双眸の男が、レイモンドを正面から抱き込んだまま眠っている光景だった。
 ヴィンセントの足音が止まる。空気が一瞬、凍る。喉奥で短く息を呑む音すら、静かな部屋に鮮明に響いた。

「……何をしている」

 氷砂糖のような硬度を持つ声。
 布団の上で身体を小さく丸めていたレイモンドが、小さく眉を寄せる。
 ゆっくりと紅が開き、銀の向こうからヴィンセントを見た。アルベリック・ヴァーミリオンは眠りの膜を破り、状況を掴むより前に、反射で抱擁を強める。

「……おはようございます、副団長殿」

 寝起き特有の掠れを含む声で、それでも笑みを崩さぬ。余裕めいた色が、しかし挑発の縁を帯びていた。
 抱き寄せた黒髪に頬を寄せ、愛おしそうに目を細める。

「ご覧の通り、温めてました。参謀殿が、少し冷えていたので」

 琥珀が細くなる。

「離せ。──レイは俺が迎えに来た」
「存じ上げてます。ですが、いま離すと腰に響きますよ。昨夜は──」
「言わなくていい」

 遮る声は静かだが、刃の光を帯びる。
 その刹那、レイモンドがかすかに呻き、微睡みの中で背に回された腕を解こうとして顔をしかめた。

「……あ、――っ」

 力が抜け、枕にこめかみを預け直す。アルベリックの掌がすぐさま腰へ滑り、一定の圧でさすった。

「すみません、参謀殿。……ここ、痛みますか」

 低く、気遣う声音。指先の温度がゆっくりと痛みを散らす。
 ヴィンセントの眉間に刻まれた皺が、わずかに深くなる。

「無茶をしすぎだ。──レイが壊れたらどうする、お前が頭脳になるのか」
「壊しませんよ。俺は、壊すぎりぎりで止めるのが上手いんです」
「自慢になると思うな」

 短い応酬に、レイモンドは薄く目を開け、二人の顔を見比べる。

「……ヴィンセント……? 来ていたのか……」

 寝ぼけに滲む銀の瞳が、状況を理解した瞬間、みるみる蒼白に傾く。

「ち、ちがう……これは……」

「弁明は後でいい。俺直々に迎えに来た。──が、予定を変更する」

 ヴィンセントは白い上衣の釦を手際よく外し、バトラーへ視線を投げる。

「本日の軍務は、レイの休養をもって代える。俺が許可する」

 使用人が頷き、すばやく退室。扉が静かに閉じ、室内の時間だけが残された。
 ヴィンセントは軍服の上衣を椅子の背へ置き、寝台へと近付く。布団の縁に腰を下ろし、ひと息。白手袋を外した指が、寝台の縁を軽く叩く。

「詰めろ。俺も入る」
「待て、ヴィンセント……!」

 レイモンドは上体を起こそうとして、腰が抗議するようにもう一度熱を上げた。

「……っ……」

 その表情に素早くアルベリックが手を伸ばし、また腰をさする。

「さっきと同じ顔してますよ、参謀殿」

 あからさまに苛立った琥珀が、その手を射抜く。

「触るな」
「医療行為ですよ」
「便利な言葉だ」

 静かな皮肉が落ちる。
 それでも寝台は容赦なく、人ひとり分の体温を新しく受け入れた。レイモンドは挟まれ、真ん中で身じろぎする。頬に熱が上がり、言葉が空滑りする。

「……もう。……二人とも、離れてくれ」
「離れる理由が見当たらないな」
「副団長殿に同意します。……参謀殿、力を抜いて」
「抜けない……っ、……少しは休ませてくれ……!」

 ヴィンセントの指が、レイモンドのこめかみの産毛を撫で、耳の後ろへそっと流す。触れ方はあくまでも紳士的で、しかし絶対の線を持つ。

「痛むところは俺に言え。──昨夜の続きは、もう要らない」
「なっ……」

 囁きは低く柔い。昨夜の醜態が見抜かれていると知れば、レイモンドの頬は淡く染る。
 反対側では、アルベリックが肩甲骨の際から腰へ、掌全体で円を描く。力加減は心得ていて、筋の張りを解くように少し深く押す。

「参謀殿。ここ、固い。息を合わせて──はい、すう……吐いて」
「っ、貴様、くすぐるな……!」
「くすぐっているわけでは」
「お前の指は遠慮がない」

 ヴィンセントの短い評が飛ぶ。

「副団長殿ほどでは」
「俺は必要な分しか触らない」
「必要の解釈に差があるんでしょう」
「なら、俺が正す」

 視線が交錯した拍子に、二人の手がレイモンドの脇腹の辺りでぶつかった。小さな攻防のように、互いの手が一瞬、押し合い、退く。

「……場所取りをするな」
「そちらこそ」

 レイモンドは半眼で二人を睨む。だが睨みは、すぐに羞恥に崩れた。

「……本当に……落ち着いてくれ。ここで喧嘩をするな。私が……困る」

 口では叱りながら、頬は赤く、まぶたの縁はやわらかい。自然と目線が枕に落ちる。ヴィンセントが小さく笑い、レイモンドのこめかみに短い口付けを落とす。

「怒っている顔も、よく似合う」

 アルベリックはわざとらしく咳払いをして、レイモンドを抱き寄せた。

「副団長殿、そこは譲ります。……参謀殿の正面は、俺が預かりたいので」

 カーテンの隙間から、音のない塵が光の筋を漂う。寝台の上では、二人の男が「過剰に配慮する」ふりで、こっそりと所有の主張を重ねていく。
 ヴィンセントの親指が、レイモンドの下まぶたの涙袋をなぞり、後頭部へ軽く口付ける。

「寝不足だ。瞼が赤い」
「だ、……大丈夫、だ」
「大丈夫かどうかは俺が決める」

 言い切りながらも、触れる指がやさしく、痛む箇所からは外している。
 一方のアルベリックは、背の中心線を掌で温め、尾骨の上あたりをゆっくり撫でる。腰が不意に息をつくように緩み、レイモンドの肩が小さく震えた。

「そこは──っ」
「敏感なんですね。覚えておきます」
「覚えなくていい!」
「ふふ……無理です」

 やがて、ヴィンセントが上体を起こし、白いシャツの袖を肘までたくし上げる。仕事の癖が抜けない指運びで、布団の皺を直し、枕の高さを整える。

「レイは仰向け。呼吸を楽にして、腰に負担をかけない」

 逆側から、アルベリックも枕元をそっと叩き、首筋の角度を直す。

「はい、ここ。……そう、上手い」
「誰に向かって『上手い』だ」
「参謀殿に決まってるでしょう?」
「口が減らないな、お前は」
「はは、よく言われます」

 この上なく理不尽な真ん中の宿命を背負わされたレイモンドは、眉をひそめながらも、二人の手が不思議と呼吸を合わせてくることに気付いてしまう。片やこめかみから喉へ、片や肩から腰へ。左右の温度が、やがて同じ波長で上下する。

「こら、ほんとうに。……やりすぎだ」
「やりすぎを覚えておくのも、俺の役目だ」
「俺も職務です。参謀殿の調子を見極めるのは、隊長の務めで」
「……どこまで『務め』に含めるつもりだ」
「今この場にある全部でしょう」

 軽口の応酬に、レイモンドはついに根負けして、枕に顔を半分埋めた。

「……もう、好きにしろ。──ただし、乱すな。家具も、私の朝も、これ以上」
「……仕方がないな」
「善処します、できるだけ」

 申し合わせたわけでもないのに、二人の手は同時に止まり、次の瞬間にはそっと布団を直していた。微かな笑いとともに、ヴィンセントがレイモンドの髪に口付けを落とす。

「仕事は休みだ。今日はここで、俺に従え」
「命令はやめろ、と何度も──」
「では“頼む”。従ってくれ、レイ」

 名前を柔らかく呼ばれ、言葉が詰まる。
 アルベリックは、肩越しに視線だけで挑発する。

「副団長殿、ずいぶん優しい。──俺なら『捕まえておく』って言いますけど」
「言うだけは簡単だ。実際にできるかどうかが問題だろう」
「上等」

 布団の中で、二人の手がまた軽くぶつかる。

「……場所取りをするなと、何度言えば」
「副団長殿がどかないから」
「お前が近い」
「参謀殿が真ん中にいるので」
「論点をすり替えるな」

 レイモンドは観念したように小さく息を吐き、視線だけで二人を順に睨んだ。頬はまだ赤い。

「ヴィンセント」
「なんだ」
「後で──仕事の段取りを確認する。……だから今は、静かにしてくれ」
「……ふ、了解した」
「ヴァーミリオン卿」
「はい、参謀殿」
「腰は、もう大丈夫だ」
「……了解です。──でも、もう少しだけ」

 言って、アルベリックは掌で最後の円を描く。そこにヴィンセントの視線が刺さり、紅と琥珀が火花を散らす。

 結局、二人の手はまた動き始め、そしてまた同じところでぶつかる。
 レイモンドは堪らず枕に顔を押し付け、くぐもった声で小さく叱った。

「──いい加減に、……くそっ」

 甘く、しかし確かに怒っている声音だった。

 やがて、からかい合いは静かな時間へとほどけていく。三つの呼吸がそろい、寝室の空気がぬるく落ち着きを取り戻す。ヴィンセントはいつもの癖でもう一度だけこめかみに口付け、アルベリックは背を軽く叩いて合図を送る。

「今日は、休め。いいな」
「……分かった」
「良い子だ」
「その言い方はやめろ」
「えらいですよ、参謀殿」
「それもだ」

 穏やかな笑いの余韻が、窓の向こうへ薄く漂う。

 ──と、通り庭の生垣の陰で、黒い外套の裾が風に揺れた。
 門扉の金具に一瞬だけ陽が反射し、すぐに影に溶ける。
 屋敷の中の甘く騒がしい朝をよそに、街角のどこかが、微かに音を立てた。



──────
第3幕、完結。
次巻起草中です。
最後まで読んでくださった皆様に心から感謝します。
今後の活動の参考になりますので、ブクマやいいねで感想を教えていただけると嬉しいです。
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