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エピローグ
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***
あの日、彼女と想い合い、つながれた糸は、彼女が命を失うと同時に綺麗さっぱり消えてしまった。俺の手からすり抜けるようにして見えなくなった糸を、俺は血眼になって探した。救急車が来るまでの間、彼女が葬儀場で花を添えられて眠っている間、彼女を火葬場に見送ったあと、四十九日が過ぎ、ようやく気持ちが少し落ち着いてきた頃にもずっと。
俺は彼女とつながった証を、探し続けた。
けれどあの糸はもう二度と俺の手の中に戻ってくることはなかった。
「本当に、逝ってしもうたんやな……」
ふと、糸が切れたみたいに肩の力が抜けて、教室の窓からグラウンドを走る生徒の姿を見て、何かの終わりを感じていた。俺が、絃葉という一人の少女と出会い、短い時の流れの中で恋をしたこと。彼女も恋をしてくれたこと。俺と絃葉の恋は、こうして終わりを告げた。 桜の花びらが散って、新しい学年を迎えた4月。
俺はまた一歩、大人への階段を登っていく。彼女のいない世界で、密やかな決意を胸に抱いて。
時の流れに身を任せ、受験生として一年を過ごし、第一志望だった難関国立大学に合格した。両親は手放しで喜んでいた。母さんが「さすがお父さんの子やわあ」と頬を染めて従業員たちに自慢をするたびに、俺は顔から火が出そうになるほど恥ずかしかった。でも、誇らしくもあった。
受験勉強で挫けそうになったとき、俺はいつも彼女のことを思い出していた。
俺が文化祭で飾っていた着物を素敵だと思ってくれた絃葉。
彼女がくれたささやかな幸せを、今度は自分が誰かに届けたい。
俺にしかできない、糸を繋いで。
必死に勉強をしながら、心はずっと絃葉と繋がっていたように思う。
俺は、大学で気になっていた繊維工学を必死に学び、大学四年生で就職活動もせず、「つむぎ」に就職した。これには両親も口をあんぐり開けて、驚きを隠せなかったようだ。
「紡、気持ちは嬉しいが、お前はもっと大きい会社に入ってやな……」
「そ、そうよ。継いでくれるのはありがたいけどお。別に、今すぐじゃなくてええのよ?」
父さんも母さんも、俺のことを心配してくれて、俺は照れ臭かったし、なんだかおかしかった。
「大丈夫やって。俺、ちゃんと『つむぎ』を守っていくから」
俺の言葉を聞いた両親が、はっと息をのんだような気がした。
俺はすぐに従業員たちに挨拶をして回る。みんな、子供だった俺が大人になり、『つむぎ』を引っ張っていくことに喜んでくれた。まったく、周りの人間には恵まれたものだ。
今までもたくさんお世話になったけれど、これからもっとお世話になる職場をきれいにしようと、従業員が休みの日に、俺は仕事場で拭き掃除をしていた。糸のしまってある棚は古くなっていたので、最近父さんがDIYをして作り直してくれた。新築の家の匂いがする木の棚の前で、俺はひざまずく。糸をしまってある位置が、いつもと少し違っていることに気がついた。
「あれ?」
おかしい。
いつもは奥のほうにしまっていた光沢の強い白い糸が、手前の方に出ていた。母さんが、また間違えてしまったのかな——などと考えながら、糸を手に取ってみる。
いつか、高校生の俺が不思議な糸を発見した時と同じように。
「温かいな……」
つい先程まで誰かの手の中にあったみたいに、その糸巻きに巻かれた糸は、ほんのりと温かかく感じた。すると、ジワリ、と胸に差し迫る懐かしさが込み上げてきた。
「なんで……」
俺は気がつけば泣いていた。
涙が、とめどなく溢れて止まらなかった。
ずっと忘れていた、大切な人に恋をした時の気持ちが蘇ってきたのだ。
「絃葉だ……」
この糸は、きみだ。
出会ってから失うまで、ほんの短い時間だったけれど、俺が人生で一番好きだった女性。そんな彼女が、この糸に生まれ変わって、俺のそばにいてくれているような気がした。
俺は絃葉の気配がするその糸を手のひらで握りしめ、自分の胸に押し当てる。
やっぱり感じる。
絃葉の匂い、愛しい気持ち。
この糸と繋がっている——。
「絃葉、報告が遅くなってごめんやで。俺はここで生きていく。きみのそばで、頑張るよ」
糸を抱きしめるようにして、俺はゆっくりと息を吐く。
彼女を失ったときよりも、随分と楽に呼吸をすることができる。
気づかないうちに進んでいたのだ。
俺はこの先もまた、未来に悩んだり、自分の決断に追い込まれたりするんだろう。
ひとつの会社を背負うのだ。それはもう、想像もつかないほど迷うに違いない。
でも、と手の中にある糸を見て思う。
彼女が教えてくれた、ひだまりみたいに温かい心があれば、どんな時だって歩いていける気がする。
あの日、きみに出会えてよかった。
恋をしてよかった。本気だったからこそ、絶望も味わったけれど。
でも、きみがくれた希望と、この命を、俺は決して見失わない。
きみと、糸を通してつながって、今俺はここで息をしている。
もう何もかも、怖くなんかないよ。
これからも、きみと共に生きていくから。
【終わり】
あの日、彼女と想い合い、つながれた糸は、彼女が命を失うと同時に綺麗さっぱり消えてしまった。俺の手からすり抜けるようにして見えなくなった糸を、俺は血眼になって探した。救急車が来るまでの間、彼女が葬儀場で花を添えられて眠っている間、彼女を火葬場に見送ったあと、四十九日が過ぎ、ようやく気持ちが少し落ち着いてきた頃にもずっと。
俺は彼女とつながった証を、探し続けた。
けれどあの糸はもう二度と俺の手の中に戻ってくることはなかった。
「本当に、逝ってしもうたんやな……」
ふと、糸が切れたみたいに肩の力が抜けて、教室の窓からグラウンドを走る生徒の姿を見て、何かの終わりを感じていた。俺が、絃葉という一人の少女と出会い、短い時の流れの中で恋をしたこと。彼女も恋をしてくれたこと。俺と絃葉の恋は、こうして終わりを告げた。 桜の花びらが散って、新しい学年を迎えた4月。
俺はまた一歩、大人への階段を登っていく。彼女のいない世界で、密やかな決意を胸に抱いて。
時の流れに身を任せ、受験生として一年を過ごし、第一志望だった難関国立大学に合格した。両親は手放しで喜んでいた。母さんが「さすがお父さんの子やわあ」と頬を染めて従業員たちに自慢をするたびに、俺は顔から火が出そうになるほど恥ずかしかった。でも、誇らしくもあった。
受験勉強で挫けそうになったとき、俺はいつも彼女のことを思い出していた。
俺が文化祭で飾っていた着物を素敵だと思ってくれた絃葉。
彼女がくれたささやかな幸せを、今度は自分が誰かに届けたい。
俺にしかできない、糸を繋いで。
必死に勉強をしながら、心はずっと絃葉と繋がっていたように思う。
俺は、大学で気になっていた繊維工学を必死に学び、大学四年生で就職活動もせず、「つむぎ」に就職した。これには両親も口をあんぐり開けて、驚きを隠せなかったようだ。
「紡、気持ちは嬉しいが、お前はもっと大きい会社に入ってやな……」
「そ、そうよ。継いでくれるのはありがたいけどお。別に、今すぐじゃなくてええのよ?」
父さんも母さんも、俺のことを心配してくれて、俺は照れ臭かったし、なんだかおかしかった。
「大丈夫やって。俺、ちゃんと『つむぎ』を守っていくから」
俺の言葉を聞いた両親が、はっと息をのんだような気がした。
俺はすぐに従業員たちに挨拶をして回る。みんな、子供だった俺が大人になり、『つむぎ』を引っ張っていくことに喜んでくれた。まったく、周りの人間には恵まれたものだ。
今までもたくさんお世話になったけれど、これからもっとお世話になる職場をきれいにしようと、従業員が休みの日に、俺は仕事場で拭き掃除をしていた。糸のしまってある棚は古くなっていたので、最近父さんがDIYをして作り直してくれた。新築の家の匂いがする木の棚の前で、俺はひざまずく。糸をしまってある位置が、いつもと少し違っていることに気がついた。
「あれ?」
おかしい。
いつもは奥のほうにしまっていた光沢の強い白い糸が、手前の方に出ていた。母さんが、また間違えてしまったのかな——などと考えながら、糸を手に取ってみる。
いつか、高校生の俺が不思議な糸を発見した時と同じように。
「温かいな……」
つい先程まで誰かの手の中にあったみたいに、その糸巻きに巻かれた糸は、ほんのりと温かかく感じた。すると、ジワリ、と胸に差し迫る懐かしさが込み上げてきた。
「なんで……」
俺は気がつけば泣いていた。
涙が、とめどなく溢れて止まらなかった。
ずっと忘れていた、大切な人に恋をした時の気持ちが蘇ってきたのだ。
「絃葉だ……」
この糸は、きみだ。
出会ってから失うまで、ほんの短い時間だったけれど、俺が人生で一番好きだった女性。そんな彼女が、この糸に生まれ変わって、俺のそばにいてくれているような気がした。
俺は絃葉の気配がするその糸を手のひらで握りしめ、自分の胸に押し当てる。
やっぱり感じる。
絃葉の匂い、愛しい気持ち。
この糸と繋がっている——。
「絃葉、報告が遅くなってごめんやで。俺はここで生きていく。きみのそばで、頑張るよ」
糸を抱きしめるようにして、俺はゆっくりと息を吐く。
彼女を失ったときよりも、随分と楽に呼吸をすることができる。
気づかないうちに進んでいたのだ。
俺はこの先もまた、未来に悩んだり、自分の決断に追い込まれたりするんだろう。
ひとつの会社を背負うのだ。それはもう、想像もつかないほど迷うに違いない。
でも、と手の中にある糸を見て思う。
彼女が教えてくれた、ひだまりみたいに温かい心があれば、どんな時だって歩いていける気がする。
あの日、きみに出会えてよかった。
恋をしてよかった。本気だったからこそ、絶望も味わったけれど。
でも、きみがくれた希望と、この命を、俺は決して見失わない。
きみと、糸を通してつながって、今俺はここで息をしている。
もう何もかも、怖くなんかないよ。
これからも、きみと共に生きていくから。
【終わり】
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