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大雪の予報は出ていたが、あそこまでひどくなるとは思っていなかった。
夕方の五時を過ぎた頃から急激に積もり始めて、六時には王都の主要道路が通行止めになった。
文書院に残っていた職員が玄関に集まり、ヴィクトルが「今夜は院内で待機してほしい」と言った。
仮眠室は二部屋あった。
女性職員はリンと、記録部の二人と、セシルの四名。
男性は六名ほど。
エドワードを加えると七名。
当直表を急いで作ると、セシルとエドワードが深夜の見回り担当になった。
夜の十一時、廊下の点検を終えて、職員室の隅の暖炉の前に戻った。
リンたちはすでに仮眠室に引き上げていた。
室内にいるのはセシルとエドワードだけだった。
暖炉の火が赤く揺れている。
窓の外では雪が降り続いていた。
「コーヒーがあります」
セシルは棚を開けた。
先週自分で補充しておいたものだった。
「もらう」
二杯分を淹れて、一つをエドワードの横に置いた。
暖炉の前の椅子に、少し離れて座った。
しばらく沈黙が続いた。
「なぜ文書院に来たんだ」
エドワードが言った。
仕事の話ではない声だった。
セシルは少し考えてから、答えた。
「自分の力で立てる場所が欲しかったんです」
「どういう意味だ」
「生まれた家や、誰と婚約しているかではなく……自分がやったことで、自分の場所を作りたかった。文書院はそれができる場所だと思って」
エドワードはコーヒーを一口飲んだ。
「文書院を選ぶ理由にしては、珍しい」
「変ですか」
「変ではない」
短い沈黙があった。
「いい理由だ」
その言葉が、暖炉の火の音に混じって聞こえた。
セシルは少しの間、火を見た。
「長官はなぜ、文書院の長官を」
「国王に任じられた」
「そうではなくて」
エドワードが、珍しく少し間を置いた。
「正しい記録が残ることが、百年後の誰かを守る。そう思っている」
セシルは、その言葉を静かに受け取った。
書庫で読んだ文書の一節を思い出した。
民の暮らしを守るために法はある。
あの言葉と、今の言葉は、同じ場所から来ていた。
「……私も、そう思います」
エドワードが、セシルを見た。
視線が少し、長かった。
「そうか」
それだけだった。
暖炉の火が、時折小さく爆ぜた。
窓の外の雪は、まだやまなかった。
二人とも、それ以上話さなかった。
でも、沈黙は以前よりも少しだけ近い距離にあった。
セシルはそれを、はっきりと感じた。
夕方の五時を過ぎた頃から急激に積もり始めて、六時には王都の主要道路が通行止めになった。
文書院に残っていた職員が玄関に集まり、ヴィクトルが「今夜は院内で待機してほしい」と言った。
仮眠室は二部屋あった。
女性職員はリンと、記録部の二人と、セシルの四名。
男性は六名ほど。
エドワードを加えると七名。
当直表を急いで作ると、セシルとエドワードが深夜の見回り担当になった。
夜の十一時、廊下の点検を終えて、職員室の隅の暖炉の前に戻った。
リンたちはすでに仮眠室に引き上げていた。
室内にいるのはセシルとエドワードだけだった。
暖炉の火が赤く揺れている。
窓の外では雪が降り続いていた。
「コーヒーがあります」
セシルは棚を開けた。
先週自分で補充しておいたものだった。
「もらう」
二杯分を淹れて、一つをエドワードの横に置いた。
暖炉の前の椅子に、少し離れて座った。
しばらく沈黙が続いた。
「なぜ文書院に来たんだ」
エドワードが言った。
仕事の話ではない声だった。
セシルは少し考えてから、答えた。
「自分の力で立てる場所が欲しかったんです」
「どういう意味だ」
「生まれた家や、誰と婚約しているかではなく……自分がやったことで、自分の場所を作りたかった。文書院はそれができる場所だと思って」
エドワードはコーヒーを一口飲んだ。
「文書院を選ぶ理由にしては、珍しい」
「変ですか」
「変ではない」
短い沈黙があった。
「いい理由だ」
その言葉が、暖炉の火の音に混じって聞こえた。
セシルは少しの間、火を見た。
「長官はなぜ、文書院の長官を」
「国王に任じられた」
「そうではなくて」
エドワードが、珍しく少し間を置いた。
「正しい記録が残ることが、百年後の誰かを守る。そう思っている」
セシルは、その言葉を静かに受け取った。
書庫で読んだ文書の一節を思い出した。
民の暮らしを守るために法はある。
あの言葉と、今の言葉は、同じ場所から来ていた。
「……私も、そう思います」
エドワードが、セシルを見た。
視線が少し、長かった。
「そうか」
それだけだった。
暖炉の火が、時折小さく爆ぜた。
窓の外の雪は、まだやまなかった。
二人とも、それ以上話さなかった。
でも、沈黙は以前よりも少しだけ近い距離にあった。
セシルはそれを、はっきりと感じた。
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