演じるのはもうやめます

たくわん

文字の大きさ
3 / 15

3

しおりを挟む
アリシアの計画は、着実に形になっていった。トーマスと協力して東方からの紅茶の独占輸入権を確保し、次は店舗の準備に取り掛かった。

王都の中心部、貴族たちが頻繁に行き来する通りに、理想的な物件を見つけた。二階建ての瀟洒な建物で、一階を店舗に、二階をサロンスペースにできる。しかし、大家は頑固な老人で、簡単には首を縦に振らなかった。

「令嬢が商売だと?そんな道楽に、私の大切な建物は貸せん」

大家のグリゴリーは、アリシアの提案を一蹴した。しかしアリシアは諦めなかった。

「グリゴリーさん、私は道楽で商売をするつもりはありません。これは真剣なビジネスです」
「真剣?令嬢が真剣に商売など、笑わせる」
「では、私のビジネスプランを見ていただけませんか?数字で示します」

アリシアは詳細な事業計画書を差し出した。市場調査、収支予測、リスク分析。すべてが緻密に計算されていた。

グリゴリーは半信半疑で目を通したが、次第に表情が変わっていった。

「これは…本気だな」
「ええ。私は本気です。そして、この事業は必ず成功させます」

グリゴリーは長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。

「分かった。ただし、家賃は市場価格だ。公爵令嬢だからといって、値引きはせん」
「もちろんです。正当な対価を支払います」

契約が成立し、アリシアは初めて自分の「城」を手に入れた。

改装工事は、母の日記に記されていた職人たちに依頼した。大工のマルクス、家具職人のエルザ、装飾家のフェリックス。彼らはみな、かつて母の慈善事業で救われた人々だった。

「奥様には恩があります。その娘さんのためなら、最高の仕事をさせていただきます」

アリシアは彼らと一緒に汗を流した。設計図を手に、壁の色を決め、家具の配置を考える。淑女らしからぬ姿に、通りがかりの貴族たちは驚いたが、アリシアは気にしなかった。

「アリシア様、ここの棚はもう少し高くした方がいいんじゃないですか?」

マルクスが提案すると、アリシアは実際に立って高さを確認する。

「そうね、あなたの言う通りだわ。では15センチ高くしましょう」

職人たちは、この令嬢の率直さと柔軟性に好感を持った。彼女は偉ぶることなく、良い提案は誰からでも受け入れた。

店の設計には、アリシア独自のこだわりがあった。貴族向けの高級スペースと、中流階級も入りやすいカジュアルなスペース。二つの異なる客層を、同じ屋根の下で共存させる試みだ。

「お嬢様、しかし貴族の方々は、平民と同じ空間にいることを嫌うのでは?」

執事のセバスチャンが心配そうに言った。

「だから、空間は分けるの。でも、同じ建物で、同じ紅茶を楽しむ。いつか、身分を超えて人々が交流できる場所になればいいわ」

アリシアの理想は壮大だった。しかし、その目には確固たる信念が宿っていた。

紅茶の淹れ方を学ぶため、東方出身の商人リュウから指導を受けた。彼は紅茶の本場から来た、この道のプロフェッショナルだった。

「お嬢様、紅茶は繊細な飲み物です。茶葉の種類、お湯の温度、抽出時間。すべてが味を左右します」

リュウは厳しかったが、アリシアは真剣に学んだ。何度も何度も練習し、時には失敗し、それでも諦めなかった。

「良いです、お嬢様。今の一杯は完璧でした」

リュウの賞賛の言葉に、アリシアは心から喜んだ。これは、誰かに認められるために作った完璧さではない。自分の努力と情熱が結実した、本物の達成感だった。

焼き菓子のレシピ開発には、屋敷の料理長ブランシェが協力してくれた。紅茶に合う繊細な味わい、美しい見た目、そして程よい甘さ。二人は何度も試作を繰り返した。

「アリシア様、この配合はいかがでしょう?」
「うーん、もう少しバターを減らして、代わりにアーモンドパウダーを増やしてみましょう」

試食を重ねるうちに、アリシアの服がきつくなってきた。エリザベスが心配そうに言う。

「お嬢様、少し食べ過ぎでは…」
「いいのよ、エリザベス。これも仕事のうちだから」

アリシアは笑って答えた。かつての彼女なら、体型を気にして食事制限をしていただろう。しかし今は違う。仕事のためなら、多少の体重増加など気にしなかった。

店名を決める時、アリシアは悩んだ。エレガントな名前がいいのか、それとも親しみやすい名前がいいのか。

ある夜、庭園を散歩していると、満開の薔薇が目に入った。美しいが、触れれば棘がある。

「そうだ」

アリシアは閃いた。

「『ローズ・アンド・ソーン』。薔薇と棘。美しいだけでなく、強さも持つ。それが私のお店よ」

開店準備が進む中、社交界では様々な噂が飛び交っていた。

「アリシア様が本当にお店を開くらしいわ」
「まあ、信じられない。公爵令嬢が商売だなんて」
「きっとすぐに飽きて、閉店するわよ」

批判的な声が多かったが、一部の若い令嬢たちは興味を持っていた。特に、アリシアの従姉妹であるソフィア子爵令嬢は、密かに応援していた。

「アリシアは勇気があるわ。私たちができないことを、堂々とやっている」

ソフィアは友人たちに言った。

「開店したら、絶対に行きましょう。そして、成功を祈るのよ」

開店日が近づいてきた。アリシアは最終確認に追われていた。茶器は揃っているか、スタッフの訓練は完璧か、内装に問題はないか。

トーマスが助言する。

「お嬢様、完璧を求めすぎないでください。開店してから改善していけばいいのです」
「でも、初日は大切でしょう?」
「もちろんです。しかし、最も大切なのは、お嬢様が楽しむことです。その情熱が、お客様に伝わるのですから」

トーマスの言葉に、アリシアはハッとした。そうだ、これは誰かのためではない。自分のための挑戦なのだ。

開店前日の夜、アリシアは一人で店に立った。静かな店内に、月明かりが差し込む。椅子に座り、目を閉じて深呼吸する。

「明日から、新しい人生が始まる」

胸の高鳴りを感じながら、アリシアは微笑んだ。不安はある。失敗するかもしれない。でも、それでいい。これは自分で選んだ道なのだから。

その時、店の扉が開いた。父である公爵が立っていた。

「お父様、どうしてここに?」
「娘の晴れ舞台を見に来た。それだけだ」

公爵は店内を見回した。

「素晴らしい店だ、アリシア。お前の母も、きっと誇りに思っているだろう」
「お父様…」

アリシアの目に涙が浮かんだ。

「アリシア、お前は本当に変わった。いや、本当のお前に戻ったのだな」
「ええ。やっと、自分らしく生きられるようになりました」

公爵は娘を抱きしめた。

「これからも、お前らしく生きなさい。父は、いつもお前の味方だ」
「ありがとうございます、お父様」

その夜、アリシアは安心して眠ることができた。支えてくれる人々がいる。信じてくれる人々がいる。そして何より、自分自身を信じることができる。

翌朝、『ローズ・アンド・ソーン』の開店を告げる看板が掲げられた。深紅の薔薇が描かれた美しい看板だ。

アリシアは深呼吸をして、店の扉を開けた。

「さあ、始めましょう」

一方、その頃ヴィクターは、マリアンヌとの朝食中に新聞を読んでいた。そこには小さな記事があった。

『元公爵令嬢アリシア・ヴァンフリート、紅茶サロンを開店』

ヴィクターは記事を読みながら、複雑な表情を浮かべた。

「アリシアが、商売を?」

彼が知っているアリシアは、控えめで内向的な令嬢だった。しかし、この記事に書かれているアリシアは、まるで別人のようだ。

「ヴィクター様、どうかなさいました?」

マリアンヌが心配そうに尋ねる。

「いや、何でもない」

ヴィクターは新聞を置いたが、心の中では様々な感情が渦巻いていた。アリシアの新しい人生に対する好奇心。そして、なぜか感じる一抹の寂しさ。

しかし彼は、それが何を意味するのか、まだ理解していなかった。理解するのは、もっと後のことになる。そして、その時にはもう、すべてが遅すぎるのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

旦那様。私が悪女ならば、愛人の女は何になるのかしら?

白雲八鈴
恋愛
 我が公爵家主催の夜会の最中。夫が愛人を連れてやってきたのです。そして、私を悪女という理由で離縁を突きつけてきました。  離縁して欲しいというのであれば、今まで支援してきた金額を全額返済していただけません?  あら?愛人の貴女が支払ってくれると?お優しいわね。  私が悪女というのであれば、妻のいる夫の愛人に収まっている貴女は何なのかしら?

あなたがそのつもりなら

素亭子
恋愛
リリアーナはランス侯爵からの求婚をうけて結婚したが、わずか一年で夫は愛人を持った。リリアーナの仕返しの話です

「義妹に譲れ」と言われたので、公爵家で幸せになります!

恋せよ恋
恋愛
「しっかり者の姉なら、婚約者を妹に譲ってあげなさい」 「そうだよ、バネッサ。君なら、わかるだろう」 十五歳の冬。父と婚約者パトリックから放たれた無慈悲な言葉。 再婚相手の連れ子・ナタリアの図々しさに耐えてきたバネッサは、 その瞬間に決意した。 「ええ、喜んで差し上げますわ」 将来性のない男も、私を軽んじる家族も、もういらない。 跡継ぎの重責から解放されたバネッサは、その類まれなる知性を見込まれ、 王国の重鎮・ヴィンセント公爵家へ嫁ぐことに。 「私は、私を一番に愛してくれる場所で幸せになります!」 聡明すぎる令嬢による、自立と逆転のハッピーエンド。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

婚約破棄から50年後

あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで、王子が婚約者に婚約破棄を宣言した。王子は真に愛する女性と結ばれ、めでたしめでたし。 そして50年後、王子の孫の王子は、婚約破棄された女性の孫と婚約する事に。そこで明かされた婚約破棄の真実とは。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

人生の全てを捨てた王太子妃

八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。 傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。 だけど本当は・・・ 受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。 ※※※幸せな話とは言い難いです※※※ タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。 ※本編六話+番外編六話の全十二話。 ※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。

悲報!地味系令嬢、学園一のモテ男に「嘘の告白」をされる。

恋せよ恋
恋愛
「君のひたむきさに心打たれた」 学園の王子様、マーロン侯爵令息から突然の告白。 けれどそれは、退屈な優等生である彼が仕掛けた「罰ゲーム」だった。 ターゲットにされたのは、地味で貧乏な子爵令嬢・サブリナ。 彼女は震える声で告白を受け入れるが――眼鏡の奥の瞳は、冷徹に利益を計算していた。 (侯爵家の独占契約……手に入れたも同然だわ!) 実は、サブリナの正体は王都で話題の「エアハート商会」を率いる敏腕マネージャー。 「嘘の告白」をした男と、「嘘の快諾」をした女。 互いに利用し合うつもりが、いつの間にか本気に……? お互いの本性を隠したまま進む、腹黒×腹黒の騙し合いラブコメディ! 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

弁えすぎた令嬢

ねこまんまときみどりのことり
ファンタジー
 元公爵令嬢のコロネ・ワッサンモフは、今は市井の食堂の2階に住む平民暮らしをしている。彼女が父親を亡くしてからの爵位は、叔父(父親の弟)が管理してくれていた。  彼女には亡き父親の決めた婚約者がいたのだが、叔父の娘が彼を好きだと言う。  彼女は思った。 (今の公爵は叔父なのだから、その娘がこの家を継ぐ方が良いのではないか)と。  今後は彼らの世話にならず、一人で生きていくことにしよう。そんな気持ちで家を出たコロネだった。  小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています。

処理中です...