これで、私も自由になれます

たくわん

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商人ギルドとの交渉

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王都への道のりは、以前よりずっと快適になっていた。

エリザベートの馬車は、新しく整備された石畳の道を進んでいく。揺れは少なく、速度も速い。わずか二日で王都に到着できる計算だ。

「お嬢様」

隣に座る財務官ハインリヒが、書類を確認しながら言った。

「今回の交渉、本当に大丈夫でしょうか。相手は王国最大の商人ギルドです」

「大丈夫よ」

エリザベートは自信に満ちた表情で答えた。

「私たちには、良い商品がある。それが、最大の武器よ」

彼女の膝の上には、分厚い書類の束があった。領地の特産品のリスト、生産量の予測、価格の試算、流通計画。全てが緻密に計算されている。

「それに」

エリザベートは微笑んだ。

「シュミット氏は、こちらに興味を持って連絡してきた。それは、私たちに価値があると認めたということ。交渉は対等にできるわ」

ハインリヒは感心したように頷いた。

「お嬢様の自信は、いつも的確ですな」

馬車は王都の門をくぐった。

久しぶりに見る王都の街並み。煌びやかな建物、行き交う人々、賑やかな市場。

しかし、エリザベートの心には、以前のような憧れはなかった。

ここは、もはや彼女の居場所ではない。

商人ギルドの本部は、王都の商業地区にあった。四階建ての立派な石造りの建物。入口には、ギルドの紋章が掲げられている。

エリザベートが降りると、すぐに若い事務員が迎えに出た。

「リヒテンシュタイン辺境伯令嬢様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました」

事務員に案内され、エリザベートとハインリヒは建物内に入った。

廊下には、様々な商品のサンプルが飾られている。香辛料、織物、宝石、陶器。王国中、いや、国外からの品々もある。

「ギルド長がお待ちです」

案内されたのは、三階の広い応接室だった。

大きな窓から王都の街並みが見え、立派な家具が並んでいる。

そして、部屋の奥には、あの白髪の老人、グスタフ・シュミットが座っていた。

「ようこそ、リヒテンシュタイン令嬢」

グスタフは立ち上がり、エリザベートを迎えた。

「わざわざお越しいただき、光栄です」

「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」

エリザベートは優雅に一礼した。

社交界で培った立ち居振る舞いは、こういう場で役に立つ。

「では、早速ですが」

グスタフは席に着くと、真剣な表情になった。

「貴女の領地の噂は、王都でも話題になっています。わずか数ヶ月で、あの辺境を変えたと」

「過大評価です」

エリザベートは謙虚に答えた。

「まだ始まったばかりです。でも、確実に成果は出始めています」

「その成果を、見せていただけますか」

エリザベートは頷き、書類を取り出した。

「こちらが、現在の生産状況です」

彼女は、一枚一枚、丁寧に説明していった。

小麦の収穫量。新しい農法による品質の向上。鉱山から産出される鉄鉱石の量と品質。それぞれの市場価格との比較。

グスタフは、書類を丁寧に見ていった。

時折、鋭い質問を投げかける。

「この収穫量の増加は、持続可能なのですか?」

「はい」

エリザベートは即座に答えた。

「輪作制により、土壌の肥沃度は維持されます。むしろ、年々向上していくでしょう」

「鉄鉱石の品質は?」

「中程度ですが、安定しています。そして、何より、輸送コストが抑えられます」

エリザベートは地図を広げた。

「現在、王都への道路を整備中です。完成すれば、輸送時間は大幅に短縮されます」

グスタフの目が、興味深そうに輝いた。

「なるほど……貴女は、長期的な視点で計画を立てている」

「もちろんです」

エリザベートは自信を持って答えた。

「一時的な利益ではなく、持続可能な成長を目指しています」

グスタフは、しばらく黙って書類を見ていた。

そして、顔を上げた。

「率直に申し上げます。我がギルドは、貴女の領地の特産品を扱いたい」

エリザベートは頷いた。

「ありがとうございます。こちらも、貴ギルドとの取引を望んでいます」

「では、条件について話し合いましょう」

グスタフは別の書類を取り出した。

「我々が提案する価格は、こちらです」

エリザベートはその書類を受け取り、素早く目を通した。

数秒後、彼女は顔を上げた。

「シュミット様、この価格では少し低すぎます」

グスタフの眉が、わずかに上がった。

「ほう?」

「我々の小麦は、新しい農法により、従来のものより品質が高い。保存性も良く、製粉した際の歩留まりも優れています」

エリザベートは、冷静に説明した。

「市場価格と比較して、少なくとも一割増しの価値があります」

グスタフは、若き令嬢の堂々とした態度に、内心驚いていた。

普通の貴族令嬢なら、商人の提示する価格をそのまま受け入れるだろう。

しかし、この娘は違う。

自分の商品の価値を正確に把握し、適正な価格を主張している。

「では、こちらの提案はいかがですか」

エリザベートは、自分で計算した価格表を差し出した。

「小麦は市場価格の一割増し。鉄鉱石は、品質に応じた段階的な価格設定。そして、独占契約ではなく、優先取引契約とします」

「独占ではなく?」

「はい」

エリザベートは頷いた。

「貴ギルドには優先的に取引しますが、他の商人にも門戸を開いておきます。競争があることで、お互いに良い緊張感が保たれます」

グスタフは、思わず笑った。

「面白い。貴女は、商人の考え方を理解している」

「商売は、双方が利益を得てこそ成立します」

エリザベートは真剣な表情で言った。

「一方が搾取するような関係は、長続きしません」

グスタフは、深く頷いた。

「その通りだ」

彼は書類を見直し、しばらく考えた。

そして、顔を上げた。

「分かりました。貴女の提案を受け入れます」

エリザベートの顔に、小さな笑みが浮かんだ。

「ありがとうございます」

「ただし」

グスタフは指を立てた。

「一つ、条件があります」

「何でしょうか」

「今後、新しい商品を開発した際には、まず我々に話を持ってきていただきたい」

グスタフは真剣な目で言った。

「貴女のような才能ある経営者と、長期的な関係を築きたいのです」

エリザベートは、少し考えた後、頷いた。

「承知しました。ただし、こちらからも一つ条件があります」

「何でしょう」

「市場の情報を、定期的に共有していただきたい。何が売れていて、何が不足しているか。それを知ることで、より良い商品開発ができます」

グスタフは、満足そうに笑った。

「良いでしょう。それも契約に含めます」

二人は握手を交わした。

「では、正式な契約書を作成します。三日後にもう一度お越しください」

「分かりました」

会議室を出ると、ハインリヒが興奮した様子で言った。

「お嬢様、見事でした! あの交渉術は……まるで熟練の商人のようでした」

「過大評価よ」

エリザベートは微笑んだ。

「ただ、準備をしっかりして、自分の価値を理解していただけ」

二人がギルドの建物を出ると、夕日が王都を赤く染めていた。

「さて、今日はどこに泊まりましょうか」

エリザベートが言った時、背後から声がかかった。

「エリザベート様」

振り返ると、そこには見知った顔があった。

社交界で何度か会ったことのある、伯爵令嬢のシャルロッテだった。

「お久しぶりです」

シャルロッテは、以前よりずっと親しげに近づいてきた。

「王都にいらしていたのですね。今夜、私の邸宅で小さな集まりがあるのですが、いらっしゃいませんか?」

エリザベートは、少し戸惑った。

以前、社交界にいた頃、シャルロッテは彼女をほとんど無視していた。

それが今、こんなに親しげに話しかけてくる。

「実は、貴女の領地経営の話を、ぜひ詳しく伺いたいのです」

シャルロッテは目を輝かせた。

「私の父も領地経営に悩んでいて……貴女のような方のアドバイスが欲しいと」

ああ、とエリザベートは理解した。

彼女に近づいてくるのは、彼女自身に興味があるからではない。

彼女の持つ知識や実績に、価値を見出したからだ。

「申し訳ありません」

エリザベートは丁寧に断った。

「今日は疲れましたので、宿で休ませていただきます」

「そうですか……残念です」

シャルロッテは、明らかに落胆した表情を見せた。

「では、また機会があれば」

彼女が去った後、エリザベートは小さくため息をついた。

「お嬢様」

ハインリヒが言った。

「社交界での評価が、変わってきましたね」

「ええ」

エリザベートは複雑な表情で頷いた。

「以前は『つまらない』と言われていた。でも今は、利用価値があると思われている」

「それは……」

「どちらも、本当の私を見ていないという点では同じよ」

エリザベートは歩き出した。

「でも、もういいの。私は、社交界の評価のために生きているわけじゃない」

彼女の目には、強い決意があった。

「私は、領地のために、領民のために生きる。それが、私の選んだ道だから」

二人は、静かな宿屋に向かった。

その夜、エリザベートは宿の部屋で、窓の外を眺めていた。

王都の夜景。煌びやかだが、どこか冷たい。

ノックの音がして、ハインリヒが入ってきた。

「お嬢様、興味深い情報を耳にしました」

「何?」

「ローゼンベルク公爵家が、財政難に陥っているそうです」

エリザベートの手が、わずかに止まった。

「アレクサンダー様の領地経営が上手くいかず、加えて奥方様の浪費が激しいとか」

ハインリヒは続けた。

「公爵は激怒していて、若様を後継者から外すことも検討しているそうです」

エリザベートは、しばらく黙っていた。

そして、小さく呟いた。

「そう……」

「お嬢様は、何も感じませんか? あのお方が、お嬢様を捨てた後、苦境に陥っているのですよ」

エリザベートは窓の外を見つめたまま、答えた。

「可哀想だとは思うわ。でも、それは彼が選んだ道」

彼女は振り返った。

「私には、自分の道がある。他人の不幸を喜ぶほど、暇じゃない」

その表情は、穏やかだった。

怒りも、恨みも、もうそこにはない。

「むしろ、彼には感謝しているの」

「感謝、ですか?」

「ええ」

エリザベートは微笑んだ。

「彼が婚約を破棄してくれたから、私は自由になれた。本当にやりたいことができるようになった」

彼女は窓を閉めた。

「だから、彼の幸せも願っているわ。どんな形であれ、彼が自分の道を見つけられることを」

ハインリヒは、若き主君の成長に、深い感動を覚えた。

「お嬢様は……本当に強くなられましたな」

「強くなったんじゃない」

エリザベートは首を振った。

「ただ、本来の自分に戻っただけ」

彼女は書類を広げた。

「さあ、明日も忙しいわ。契約の最終確認、それから新しい取引先との面談もある」

その目には、未来への希望が輝いていた。

過去は過去。

大切なのは、これから。

エリザベートは、自分の物語を、一歩一歩、確実に紡いでいく。

誰に認められるためでもなく。

ただ、自分自身のために。
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