これで、私も自由になれます

たくわん

文字の大きさ
5 / 12

商人ギルドとの交渉

王都への道のりは、以前よりずっと快適になっていた。

エリザベートの馬車は、新しく整備された石畳の道を進んでいく。揺れは少なく、速度も速い。わずか二日で王都に到着できる計算だ。

「お嬢様」

隣に座る財務官ハインリヒが、書類を確認しながら言った。

「今回の交渉、本当に大丈夫でしょうか。相手は王国最大の商人ギルドです」

「大丈夫よ」

エリザベートは自信に満ちた表情で答えた。

「私たちには、良い商品がある。それが、最大の武器よ」

彼女の膝の上には、分厚い書類の束があった。領地の特産品のリスト、生産量の予測、価格の試算、流通計画。全てが緻密に計算されている。

「それに」

エリザベートは微笑んだ。

「シュミット氏は、こちらに興味を持って連絡してきた。それは、私たちに価値があると認めたということ。交渉は対等にできるわ」

ハインリヒは感心したように頷いた。

「お嬢様の自信は、いつも的確ですな」

馬車は王都の門をくぐった。

久しぶりに見る王都の街並み。煌びやかな建物、行き交う人々、賑やかな市場。

しかし、エリザベートの心には、以前のような憧れはなかった。

ここは、もはや彼女の居場所ではない。

商人ギルドの本部は、王都の商業地区にあった。四階建ての立派な石造りの建物。入口には、ギルドの紋章が掲げられている。

エリザベートが降りると、すぐに若い事務員が迎えに出た。

「リヒテンシュタイン辺境伯令嬢様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました」

事務員に案内され、エリザベートとハインリヒは建物内に入った。

廊下には、様々な商品のサンプルが飾られている。香辛料、織物、宝石、陶器。王国中、いや、国外からの品々もある。

「ギルド長がお待ちです」

案内されたのは、三階の広い応接室だった。

大きな窓から王都の街並みが見え、立派な家具が並んでいる。

そして、部屋の奥には、あの白髪の老人、グスタフ・シュミットが座っていた。

「ようこそ、リヒテンシュタイン令嬢」

グスタフは立ち上がり、エリザベートを迎えた。

「わざわざお越しいただき、光栄です」

「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」

エリザベートは優雅に一礼した。

社交界で培った立ち居振る舞いは、こういう場で役に立つ。

「では、早速ですが」

グスタフは席に着くと、真剣な表情になった。

「貴女の領地の噂は、王都でも話題になっています。わずか数ヶ月で、あの辺境を変えたと」

「過大評価です」

エリザベートは謙虚に答えた。

「まだ始まったばかりです。でも、確実に成果は出始めています」

「その成果を、見せていただけますか」

エリザベートは頷き、書類を取り出した。

「こちらが、現在の生産状況です」

彼女は、一枚一枚、丁寧に説明していった。

小麦の収穫量。新しい農法による品質の向上。鉱山から産出される鉄鉱石の量と品質。それぞれの市場価格との比較。

グスタフは、書類を丁寧に見ていった。

時折、鋭い質問を投げかける。

「この収穫量の増加は、持続可能なのですか?」

「はい」

エリザベートは即座に答えた。

「輪作制により、土壌の肥沃度は維持されます。むしろ、年々向上していくでしょう」

「鉄鉱石の品質は?」

「中程度ですが、安定しています。そして、何より、輸送コストが抑えられます」

エリザベートは地図を広げた。

「現在、王都への道路を整備中です。完成すれば、輸送時間は大幅に短縮されます」

グスタフの目が、興味深そうに輝いた。

「なるほど……貴女は、長期的な視点で計画を立てている」

「もちろんです」

エリザベートは自信を持って答えた。

「一時的な利益ではなく、持続可能な成長を目指しています」

グスタフは、しばらく黙って書類を見ていた。

そして、顔を上げた。

「率直に申し上げます。我がギルドは、貴女の領地の特産品を扱いたい」

エリザベートは頷いた。

「ありがとうございます。こちらも、貴ギルドとの取引を望んでいます」

「では、条件について話し合いましょう」

グスタフは別の書類を取り出した。

「我々が提案する価格は、こちらです」

エリザベートはその書類を受け取り、素早く目を通した。

数秒後、彼女は顔を上げた。

「シュミット様、この価格では少し低すぎます」

グスタフの眉が、わずかに上がった。

「ほう?」

「我々の小麦は、新しい農法により、従来のものより品質が高い。保存性も良く、製粉した際の歩留まりも優れています」

エリザベートは、冷静に説明した。

「市場価格と比較して、少なくとも一割増しの価値があります」

グスタフは、若き令嬢の堂々とした態度に、内心驚いていた。

普通の貴族令嬢なら、商人の提示する価格をそのまま受け入れるだろう。

しかし、この娘は違う。

自分の商品の価値を正確に把握し、適正な価格を主張している。

「では、こちらの提案はいかがですか」

エリザベートは、自分で計算した価格表を差し出した。

「小麦は市場価格の一割増し。鉄鉱石は、品質に応じた段階的な価格設定。そして、独占契約ではなく、優先取引契約とします」

「独占ではなく?」

「はい」

エリザベートは頷いた。

「貴ギルドには優先的に取引しますが、他の商人にも門戸を開いておきます。競争があることで、お互いに良い緊張感が保たれます」

グスタフは、思わず笑った。

「面白い。貴女は、商人の考え方を理解している」

「商売は、双方が利益を得てこそ成立します」

エリザベートは真剣な表情で言った。

「一方が搾取するような関係は、長続きしません」

グスタフは、深く頷いた。

「その通りだ」

彼は書類を見直し、しばらく考えた。

そして、顔を上げた。

「分かりました。貴女の提案を受け入れます」

エリザベートの顔に、小さな笑みが浮かんだ。

「ありがとうございます」

「ただし」

グスタフは指を立てた。

「一つ、条件があります」

「何でしょうか」

「今後、新しい商品を開発した際には、まず我々に話を持ってきていただきたい」

グスタフは真剣な目で言った。

「貴女のような才能ある経営者と、長期的な関係を築きたいのです」

エリザベートは、少し考えた後、頷いた。

「承知しました。ただし、こちらからも一つ条件があります」

「何でしょう」

「市場の情報を、定期的に共有していただきたい。何が売れていて、何が不足しているか。それを知ることで、より良い商品開発ができます」

グスタフは、満足そうに笑った。

「良いでしょう。それも契約に含めます」

二人は握手を交わした。

「では、正式な契約書を作成します。三日後にもう一度お越しください」

「分かりました」

会議室を出ると、ハインリヒが興奮した様子で言った。

「お嬢様、見事でした! あの交渉術は……まるで熟練の商人のようでした」

「過大評価よ」

エリザベートは微笑んだ。

「ただ、準備をしっかりして、自分の価値を理解していただけ」

二人がギルドの建物を出ると、夕日が王都を赤く染めていた。

「さて、今日はどこに泊まりましょうか」

エリザベートが言った時、背後から声がかかった。

「エリザベート様」

振り返ると、そこには見知った顔があった。

社交界で何度か会ったことのある、伯爵令嬢のシャルロッテだった。

「お久しぶりです」

シャルロッテは、以前よりずっと親しげに近づいてきた。

「王都にいらしていたのですね。今夜、私の邸宅で小さな集まりがあるのですが、いらっしゃいませんか?」

エリザベートは、少し戸惑った。

以前、社交界にいた頃、シャルロッテは彼女をほとんど無視していた。

それが今、こんなに親しげに話しかけてくる。

「実は、貴女の領地経営の話を、ぜひ詳しく伺いたいのです」

シャルロッテは目を輝かせた。

「私の父も領地経営に悩んでいて……貴女のような方のアドバイスが欲しいと」

ああ、とエリザベートは理解した。

彼女に近づいてくるのは、彼女自身に興味があるからではない。

彼女の持つ知識や実績に、価値を見出したからだ。

「申し訳ありません」

エリザベートは丁寧に断った。

「今日は疲れましたので、宿で休ませていただきます」

「そうですか……残念です」

シャルロッテは、明らかに落胆した表情を見せた。

「では、また機会があれば」

彼女が去った後、エリザベートは小さくため息をついた。

「お嬢様」

ハインリヒが言った。

「社交界での評価が、変わってきましたね」

「ええ」

エリザベートは複雑な表情で頷いた。

「以前は『つまらない』と言われていた。でも今は、利用価値があると思われている」

「それは……」

「どちらも、本当の私を見ていないという点では同じよ」

エリザベートは歩き出した。

「でも、もういいの。私は、社交界の評価のために生きているわけじゃない」

彼女の目には、強い決意があった。

「私は、領地のために、領民のために生きる。それが、私の選んだ道だから」

二人は、静かな宿屋に向かった。

その夜、エリザベートは宿の部屋で、窓の外を眺めていた。

王都の夜景。煌びやかだが、どこか冷たい。

ノックの音がして、ハインリヒが入ってきた。

「お嬢様、興味深い情報を耳にしました」

「何?」

「ローゼンベルク公爵家が、財政難に陥っているそうです」

エリザベートの手が、わずかに止まった。

「アレクサンダー様の領地経営が上手くいかず、加えて奥方様の浪費が激しいとか」

ハインリヒは続けた。

「公爵は激怒していて、若様を後継者から外すことも検討しているそうです」

エリザベートは、しばらく黙っていた。

そして、小さく呟いた。

「そう……」

「お嬢様は、何も感じませんか? あのお方が、お嬢様を捨てた後、苦境に陥っているのですよ」

エリザベートは窓の外を見つめたまま、答えた。

「可哀想だとは思うわ。でも、それは彼が選んだ道」

彼女は振り返った。

「私には、自分の道がある。他人の不幸を喜ぶほど、暇じゃない」

その表情は、穏やかだった。

怒りも、恨みも、もうそこにはない。

「むしろ、彼には感謝しているの」

「感謝、ですか?」

「ええ」

エリザベートは微笑んだ。

「彼が婚約を破棄してくれたから、私は自由になれた。本当にやりたいことができるようになった」

彼女は窓を閉めた。

「だから、彼の幸せも願っているわ。どんな形であれ、彼が自分の道を見つけられることを」

ハインリヒは、若き主君の成長に、深い感動を覚えた。

「お嬢様は……本当に強くなられましたな」

「強くなったんじゃない」

エリザベートは首を振った。

「ただ、本来の自分に戻っただけ」

彼女は書類を広げた。

「さあ、明日も忙しいわ。契約の最終確認、それから新しい取引先との面談もある」

その目には、未来への希望が輝いていた。

過去は過去。

大切なのは、これから。

エリザベートは、自分の物語を、一歩一歩、確実に紡いでいく。

誰に認められるためでもなく。

ただ、自分自身のために。
感想 4

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された公爵令嬢ですが、家族も元婚約者もすべて失いました

あう
恋愛
「真実の愛を見つけた。君との婚約は破棄する」 王都の夜会でそう告げられたのは、公爵令嬢セリシア・ルヴァリエ。 隣に立っていたのは、かねてより彼女を陥れてきた義妹ミレイナだった。 継母は義妹を溺愛し、父は家の利益のために沈黙を貫く。 味方は誰一人いない――まさに四面楚歌。 だが、セリシアは涙を流さなかった。 「婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ」 それは絶望ではなく、すべてを覆す反撃の始まりだった。 やがて明らかになる数々の真実。 裏切り者たちは自らの罪によって転落していき、セリシアは新たな出会いとともに、自らの人生を切り開いていく。 これは、誇り高き令嬢が四面楚歌から大逆転を果たし、裏切った者たちに救済なき断罪を下す物語。 そして最後に手にするのは――本当の愛と、揺るがぬ幸せ。 --- ■キャッチコピー案(任意で使用可能) 「救済なし、後悔だけをあなたに。」 「すべてを奪ったつもりでしたか? 最後に失うのはあなた方です。」 「四面楚歌の令嬢による、華麗なる大逆転劇。」

婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。

黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」 豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。 しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。

婚約破棄されたので、前世で倒した魔王を婿にします

なかすあき
恋愛
王宮の舞踏会で、王太子ユリウスから公開の婚約破棄を告げられた公爵令嬢フィオナ。 正式な破棄のために持ち出された王家の宝具「破婚の鏡」は、なぜか黒くひび割れ、彼女の前世の記憶を呼び覚ます。 前世のフィオナは、勇者一行の聖職者として魔王を討った女だった。 だがその瞬間、破婚の鏡は異界への門へと変わり、かつて自ら倒したはずの魔王ゼルヴァンが現れる。 「ようやく、直接会えた。結婚しろ、フィオナ」 軽い恋に酔って婚約者を切り捨てた王太子。 前世で討たれてなお、今世で彼女を探し続けていた魔王。 婚約を失った夜に始まったのは、失恋ではなく、 前世から続く、とびきり厄介な求婚の続きだった。

『病弱な幼馴染を優先してください』と言った妻が消えた翌日、夫は領地の会計書類が全て白紙になっていることに気づいた

歩人
ファンタジー
侯爵家に嫁いで五年。ルチアは夫エミルの領地会計・社交・使用人管理を全て一人で担ってきた。だがエミルはいつも幼馴染のアリーチェを優先する。「アリーチェは体が弱いんだ、お前とは違う」——その言葉を百回聞いた日、ルチアは微笑んで離縁届に署名した。「ええ、私は丈夫ですから。どうぞ幼馴染様をお大事に」。翌朝、エミルが目にしたのは——税務報告の締切、領民からの陳情の山、そして紅茶の淹れ方すら知らない自分。三ヶ月後、かつて「地味な妻」と呼ばれたルチアは、辺境伯の財務顧問として辣腕を振るっていた。

断罪の準備は完璧です!国外追放が楽しみすぎてボロが出る

黒猫かの
恋愛
「ミモリ・フォン・ラングレイ! 貴様との婚約を破棄し、国外追放に処す!」 パルマ王国の卒業パーティー。第一王子アリオスから突きつけられた非情な断罪に、公爵令嬢ミモリは……内心でガッツポーズを決めていた。 (ついにきたわ! これで堅苦しい王妃教育も、無能な婚約者の世話も、全部おさらばですわ!)

世界の現実は、理不尽で残酷だ――平等など存在しない

こもど
恋愛
「学園内は、身分に関係なく平等であるべきです」 その“正義”が、王国を崩しかけた。 王太子ルイスは、貴族学院で平民出身の聖女マリアがいじめられたと信じ、 婚約者である公爵令嬢アリエノール・ダキテーヌを断罪し、婚約破棄を宣言する。 だが―― たとえそれが事実であったとしても、 それは婚約破棄の正当な理由にはならなかった。 貴族社会において、婚約とは恋愛ではない。 それは契約であり、権力であり、国家の均衡そのものだ。 「世界は、残酷で不平等なのです」 その現実を理解しないまま振るわれた“善意の正義”は、 王太子の廃嫡、聖女の幽閉、王家と公爵家の決定的な断絶を招く。 婚約破棄は恋愛劇では終わらない。 それは、国家が牙を剥く瞬間だ。 本作は、 「いじめられたという事実があっても、それは免罪符にはならない」 「平等を信じた者が、最も残酷な結末に辿り着く」 そんな現実を、徹底して描く。 ――これは、ざまぁではない。 誰も救われない、残酷な現実の物語である。 ※本作は中世ヨーロッパをモデルにしたフィクションです。  学園制度・男女共学などは史実とは異なりますが、  権力構造と政治的判断の冷酷さを重視して描いています。 ---

公爵令嬢ですが、実は神の加護を持つ最強チート持ちです。婚約破棄? ご勝手に

ゆっこ
恋愛
 王都アルヴェリアの中心にある王城。その豪奢な大広間で、今宵は王太子主催の舞踏会が開かれていた。貴族の子弟たちが華やかなドレスと礼装に身を包み、音楽と笑い声が響く中、私——リシェル・フォン・アーデンフェルトは、端の席で静かに紅茶を飲んでいた。  私は公爵家の長女であり、かつては王太子殿下の婚約者だった。……そう、「かつては」と言わねばならないのだろう。今、まさにこの瞬間をもって。 「リシェル・フォン・アーデンフェルト。君との婚約を、ここに正式に破棄する!」  唐突な宣言。静まり返る大広間。注がれる無数の視線。それらすべてを、私はただ一口紅茶を啜りながら見返した。  婚約破棄の相手、王太子レオンハルト・ヴァルツァーは、金髪碧眼のいかにも“主役”然とした青年である。彼の隣には、勝ち誇ったような笑みを浮かべる少女が寄り添っていた。 「そして私は、新たにこのセシリア・ルミエール嬢を伴侶に選ぶ。彼女こそが、真に民を導くにふさわしい『聖女』だ!」  ああ、なるほど。これが今日の筋書きだったのね。

婚約破棄に乗り換え、上等です。私は名前を変えて隣国へ行きますね

ルーシャオ
恋愛
アンカーソン伯爵家令嬢メリッサはテイト公爵家後継のヒューバートから婚約破棄を言い渡される。幼い頃妹ライラをかばってできたあざを指して「失せろ、その顔が治ってから出直してこい」と言い放たれ、挙句にはヒューバートはライラと婚約することに。 失意のメリッサは王立寄宿学校の教師マギニスの言葉に支えられ、一人で生きていくことを決断。エミーと名前を変え、隣国アスタニア帝国に渡って書籍商になる。するとあるとき、ジーベルン子爵アレクシスと出会う。ひょんなことでアレクシスに顔のあざを見られ——。