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第五章 氷解と永遠の誓い
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帰郷から一週間ほど経った夜のことだった。
リーゼが暖炉の前で刺繍をしていると、扉を叩く音がした。開けると、アルヴィンが立っていた。
「少し、いいか」
珍しく声が低い。低いというより、重い。何か抱えている時の声だと、もう分かるようになっていた。
「どうぞ」
暖炉の前の椅子を勧めたが、アルヴィンは窓辺に立った。外は雪が降っている。白い欠片が闇の中を音もなく落ちていく。
「今日は、母の命日だ」
リーゼは刺繍の手を止めた。
「二十年前の今日、母が死んだ。冬の流行病だった。北方の医術では手の施しようがなかった」
アルヴィンは窓に手をつき、雪を見つめた。
「母は優しい人だった。この屋敷で唯一、俺に笑いかけてくれた人だった。父は領地のことしか頭になかったから」
リーゼは静かに聞いていた。
「母が死んだ後、父は俺に言った。泣くなと。領主の息子が泣くなと。それ以来、俺は泣いたことがない」
声は平坦だった。感情を排した語り口。だがリーゼにはわかった。平坦にしなければ話せないほど、深い傷なのだ。
「父は十年後に死んだ。俺が十五の時だ。最期の言葉は、領地を守れ、だった。息子への言葉じゃない。領主への引き継ぎだ」
アルヴィンが小さく息をついた。
「それから十年、俺は父の言いつけ通り領地を守ってきた。感情を殺し、人を遠ざけ、氷の公爵と呼ばれるようになった。それでよかった。それしか知らなかったから」
リーゼは立ち上がり、アルヴィンの傍に歩み寄った。
「でも七年前、あの庭園でお前を見た。花に話しかける子供を見た時、母を思い出した。母が生きていたら、ああいうふうに花に話しかけたかもしれない、と」
アルヴィンがリーゼを見た。蒼い瞳が揺れている。
「お前を招いたのは、結界のためだけじゃない。俺は……俺の世界に、温かいものが欲しかった。お前といると、凍っていたものが溶ける気がした」
リーゼの目に涙が浮かんだ。
「でも人を近づけるのが怖かった。また失うかもしれない。母のように。だから距離を置いた。お前が来てからも、必要以上に近づかないようにしていた」
「知っていました」
リーゼが静かに言った。
「最初の頃、アルヴィン様が距離を取っていらしたこと。訓練の時だけ近くにいて、それ以外は避けるようにしていらしたこと」
アルヴィンが目を伏せた。
「気づいていたか」
「はい。でも、それでも少しずつ近づいてきてくださった。手袋をくださった時、吹雪の夜に話をしてくださった時、少しずつ壁が薄くなるのを感じていました」
リーゼはアルヴィンの手をそっと取った。
「私も同じです。家族に愛されず、婚約者に捨てられ、誰かを信じることが怖かった。でもアルヴィン様が少しずつ心を開いてくださったから、私も開くことができた」
アルヴィンの手が、リーゼの手を握り返した。
「お母様のこと、もっと聞かせてください。どんな方だったのか」
「……花が好きな人だった。この屋敷の庭に、いつも花を植えていた。冬でも枯れない花を探して、方々の商人に声をかけていた」
「氷花も?」
「ああ。あの花を初めて庭に植えたのは母だ」
リーゼは微笑んだ。あの花を「似合うと思った」と贈ってくれた意味が、今わかった。
「素敵なお母様ですね」
「ああ。お前に似ている」
アルヴィンが静かに言った。
その言葉に、リーゼは全てを注ぎ込まれた気がした。最上の褒め言葉だった。
「アルヴィン様。もう一人じゃありません」
「ああ」
「私がいます。ずっと」
アルヴィンは答えなかった。だがその手はリーゼの手をしっかりと握ったまま、離さなかった。
窓の外で、雪が静かに降り続けていた。
リーゼが暖炉の前で刺繍をしていると、扉を叩く音がした。開けると、アルヴィンが立っていた。
「少し、いいか」
珍しく声が低い。低いというより、重い。何か抱えている時の声だと、もう分かるようになっていた。
「どうぞ」
暖炉の前の椅子を勧めたが、アルヴィンは窓辺に立った。外は雪が降っている。白い欠片が闇の中を音もなく落ちていく。
「今日は、母の命日だ」
リーゼは刺繍の手を止めた。
「二十年前の今日、母が死んだ。冬の流行病だった。北方の医術では手の施しようがなかった」
アルヴィンは窓に手をつき、雪を見つめた。
「母は優しい人だった。この屋敷で唯一、俺に笑いかけてくれた人だった。父は領地のことしか頭になかったから」
リーゼは静かに聞いていた。
「母が死んだ後、父は俺に言った。泣くなと。領主の息子が泣くなと。それ以来、俺は泣いたことがない」
声は平坦だった。感情を排した語り口。だがリーゼにはわかった。平坦にしなければ話せないほど、深い傷なのだ。
「父は十年後に死んだ。俺が十五の時だ。最期の言葉は、領地を守れ、だった。息子への言葉じゃない。領主への引き継ぎだ」
アルヴィンが小さく息をついた。
「それから十年、俺は父の言いつけ通り領地を守ってきた。感情を殺し、人を遠ざけ、氷の公爵と呼ばれるようになった。それでよかった。それしか知らなかったから」
リーゼは立ち上がり、アルヴィンの傍に歩み寄った。
「でも七年前、あの庭園でお前を見た。花に話しかける子供を見た時、母を思い出した。母が生きていたら、ああいうふうに花に話しかけたかもしれない、と」
アルヴィンがリーゼを見た。蒼い瞳が揺れている。
「お前を招いたのは、結界のためだけじゃない。俺は……俺の世界に、温かいものが欲しかった。お前といると、凍っていたものが溶ける気がした」
リーゼの目に涙が浮かんだ。
「でも人を近づけるのが怖かった。また失うかもしれない。母のように。だから距離を置いた。お前が来てからも、必要以上に近づかないようにしていた」
「知っていました」
リーゼが静かに言った。
「最初の頃、アルヴィン様が距離を取っていらしたこと。訓練の時だけ近くにいて、それ以外は避けるようにしていらしたこと」
アルヴィンが目を伏せた。
「気づいていたか」
「はい。でも、それでも少しずつ近づいてきてくださった。手袋をくださった時、吹雪の夜に話をしてくださった時、少しずつ壁が薄くなるのを感じていました」
リーゼはアルヴィンの手をそっと取った。
「私も同じです。家族に愛されず、婚約者に捨てられ、誰かを信じることが怖かった。でもアルヴィン様が少しずつ心を開いてくださったから、私も開くことができた」
アルヴィンの手が、リーゼの手を握り返した。
「お母様のこと、もっと聞かせてください。どんな方だったのか」
「……花が好きな人だった。この屋敷の庭に、いつも花を植えていた。冬でも枯れない花を探して、方々の商人に声をかけていた」
「氷花も?」
「ああ。あの花を初めて庭に植えたのは母だ」
リーゼは微笑んだ。あの花を「似合うと思った」と贈ってくれた意味が、今わかった。
「素敵なお母様ですね」
「ああ。お前に似ている」
アルヴィンが静かに言った。
その言葉に、リーゼは全てを注ぎ込まれた気がした。最上の褒め言葉だった。
「アルヴィン様。もう一人じゃありません」
「ああ」
「私がいます。ずっと」
アルヴィンは答えなかった。だがその手はリーゼの手をしっかりと握ったまま、離さなかった。
窓の外で、雪が静かに降り続けていた。
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