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第五章 氷解と永遠の誓い
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北方に遅い春の兆しが訪れ始めていた。
屋根の氷柱から雫が落ち、軒先でぽたぽたと音を立てる。雪原の端に薄い緑が顔を覗かせ、渡り鳥の群れが北を目指して空を横切っていく。
リーゼとアルヴィンは馬を並べて領地を巡回していた。春の訪れとともに、境界壁の結界を総点検するためだ。
馬上のリーゼは外套の下に手袋をはめ、各地の壁に手を触れては結界の状態を確認していった。王都から戻って以来、リーゼの力はさらに安定していた。境界壁の結界も自律維持が進み、修復が必要な箇所は大幅に減っている。
「この区画も安定しています。もう補修の必要はありません」
「そうか」
アルヴィンが馬を寄せ、壁面の光を見上げた。かつて消えかかっていた紋様が、今は力強く輝いている。
「お前が来る前は、毎年冬が来るたびに壁が崩れるのではないかと心配していた。それがこの一年で、ここまで回復するとは」
「アルヴィン様が文献を集め、訓練を導いてくださったおかげです」
「お前の力だ」
「二人の力です」
アルヴィンは何か言いかけて、やめた。代わりに馬を進め、「次の区画に行くぞ」と短く言った。
リーゼは笑って馬を走らせた。この人との言い合いは、いつも最後はこうなる。
巡回の帰り道、小さな集落に立ち寄った。
境界壁に近い最北の集落、エーデルヴァイス。住民は五十人ほどの小さな村だ。壁に最も近いこの村は、かつて魔物の被害が最も深刻だった。
だが今日の村は活気に満ちていた。
「公爵様、リーゼ様。お待ちしておりました」
村長の老人が出迎えてくれた。日に焼けた顔に深い皺が刻まれているが、目は穏やかだ。
「結界のおかげで、今年は一度も魔物が出ておりません。おかげさまで畑仕事に集中できます。春の作付けも順調で」
「それは良かった」
アルヴィンが短く応じた。だがその声に、確かな安堵があった。領民の安全は、この人にとって何よりも重い。
村を歩くと、子供たちが駆け寄ってきた。
「リーゼ様、見て。お花が咲いたよ」
女の子が差し出したのは、雪解けの隙間から顔を出した小さな白い花だった。名前も知らない野の花。でも、冬を越えて咲いた一輪は、宝石よりも輝いて見えた。
「きれいね。春が来たのね」
リーゼがしゃがんで花を見つめると、女の子が得意そうに笑った。
「お母さんが言ってた。リーゼ様が来てから、この村に春が来るようになったって」
胸が温かくなった。自分の力が、この人たちの暮らしを変えている。それを実感できることが、何よりの喜びだった。
村を後にする時、アルヴィンが馬上で呟いた。
「この領地は変わった」
「はい」
「お前が来てから、全てが変わった。結界だけじゃない。人々の顔が、明るくなった」
アルヴィンが雪解けの山を見上げた。
「領主として、感謝する」
「領主としてだけですか」
リーゼがからかうように訊くと、アルヴィンが一瞬言葉に詰まった。
「……一人の男としても、だ」
「ふふ。ありがとうございます」
馬を並べて帰路につく。雪解け水が小川になって流れ、陽射しが少しずつ温かさを増していく。
途中、丘の上で馬を止めた。眼下に領地の全景が広がっている。雪解けの始まった平原、点在する集落の煙、そして遥か北に聳える境界壁。
「一年前、ここに立った時は全てが違っていた」
アルヴィンが遠くを見つめて言った。
「壁は崩れかけ、魔物の脅威は増す一方で、打つ手がなかった。それが今は」
光の脈動が境界壁に沿って流れているのが見える。リーゼの結界だ。
「今日見てきた通り、領地は史上最も安全な状態です。もう当分は心配いりません」
「ああ。お前のおかげだ」
「領民の皆さんのおかげでもあります。あの方たちが私を受け入れてくださらなかったら、ここまでの力は出せませんでした」
アルヴィンが小さく頷いた。
「守りたいという気持ちが結界になる。お前が前に言った通りだ」
「アルヴィン様が教えてくださったのですよ。結界は意志の形だと」
二人は顔を見合わせ、同時に前を向いた。言葉はなくても通じる瞬間が、少しずつ増えていた。
北方に春が来る。リーゼがここに来て、初めての春だ。
長い冬を越えて訪れる春は、きっとどこよりも美しい。
この人と一緒に見る春なら、なおさら。
屋根の氷柱から雫が落ち、軒先でぽたぽたと音を立てる。雪原の端に薄い緑が顔を覗かせ、渡り鳥の群れが北を目指して空を横切っていく。
リーゼとアルヴィンは馬を並べて領地を巡回していた。春の訪れとともに、境界壁の結界を総点検するためだ。
馬上のリーゼは外套の下に手袋をはめ、各地の壁に手を触れては結界の状態を確認していった。王都から戻って以来、リーゼの力はさらに安定していた。境界壁の結界も自律維持が進み、修復が必要な箇所は大幅に減っている。
「この区画も安定しています。もう補修の必要はありません」
「そうか」
アルヴィンが馬を寄せ、壁面の光を見上げた。かつて消えかかっていた紋様が、今は力強く輝いている。
「お前が来る前は、毎年冬が来るたびに壁が崩れるのではないかと心配していた。それがこの一年で、ここまで回復するとは」
「アルヴィン様が文献を集め、訓練を導いてくださったおかげです」
「お前の力だ」
「二人の力です」
アルヴィンは何か言いかけて、やめた。代わりに馬を進め、「次の区画に行くぞ」と短く言った。
リーゼは笑って馬を走らせた。この人との言い合いは、いつも最後はこうなる。
巡回の帰り道、小さな集落に立ち寄った。
境界壁に近い最北の集落、エーデルヴァイス。住民は五十人ほどの小さな村だ。壁に最も近いこの村は、かつて魔物の被害が最も深刻だった。
だが今日の村は活気に満ちていた。
「公爵様、リーゼ様。お待ちしておりました」
村長の老人が出迎えてくれた。日に焼けた顔に深い皺が刻まれているが、目は穏やかだ。
「結界のおかげで、今年は一度も魔物が出ておりません。おかげさまで畑仕事に集中できます。春の作付けも順調で」
「それは良かった」
アルヴィンが短く応じた。だがその声に、確かな安堵があった。領民の安全は、この人にとって何よりも重い。
村を歩くと、子供たちが駆け寄ってきた。
「リーゼ様、見て。お花が咲いたよ」
女の子が差し出したのは、雪解けの隙間から顔を出した小さな白い花だった。名前も知らない野の花。でも、冬を越えて咲いた一輪は、宝石よりも輝いて見えた。
「きれいね。春が来たのね」
リーゼがしゃがんで花を見つめると、女の子が得意そうに笑った。
「お母さんが言ってた。リーゼ様が来てから、この村に春が来るようになったって」
胸が温かくなった。自分の力が、この人たちの暮らしを変えている。それを実感できることが、何よりの喜びだった。
村を後にする時、アルヴィンが馬上で呟いた。
「この領地は変わった」
「はい」
「お前が来てから、全てが変わった。結界だけじゃない。人々の顔が、明るくなった」
アルヴィンが雪解けの山を見上げた。
「領主として、感謝する」
「領主としてだけですか」
リーゼがからかうように訊くと、アルヴィンが一瞬言葉に詰まった。
「……一人の男としても、だ」
「ふふ。ありがとうございます」
馬を並べて帰路につく。雪解け水が小川になって流れ、陽射しが少しずつ温かさを増していく。
途中、丘の上で馬を止めた。眼下に領地の全景が広がっている。雪解けの始まった平原、点在する集落の煙、そして遥か北に聳える境界壁。
「一年前、ここに立った時は全てが違っていた」
アルヴィンが遠くを見つめて言った。
「壁は崩れかけ、魔物の脅威は増す一方で、打つ手がなかった。それが今は」
光の脈動が境界壁に沿って流れているのが見える。リーゼの結界だ。
「今日見てきた通り、領地は史上最も安全な状態です。もう当分は心配いりません」
「ああ。お前のおかげだ」
「領民の皆さんのおかげでもあります。あの方たちが私を受け入れてくださらなかったら、ここまでの力は出せませんでした」
アルヴィンが小さく頷いた。
「守りたいという気持ちが結界になる。お前が前に言った通りだ」
「アルヴィン様が教えてくださったのですよ。結界は意志の形だと」
二人は顔を見合わせ、同時に前を向いた。言葉はなくても通じる瞬間が、少しずつ増えていた。
北方に春が来る。リーゼがここに来て、初めての春だ。
長い冬を越えて訪れる春は、きっとどこよりも美しい。
この人と一緒に見る春なら、なおさら。
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