私に用はないのでしょう?

たくわん

文字の大きさ
7 / 28
真の聖女は私です

1

しおりを挟む
神殿の奥の部屋で、リディアは膝をついていた。冷たい石の床が膝に食い込む痛みよりも、目の前に立つ大神官の言葉の方がずっと痛かった。

「お前の力では、もはや神殿に置いておく価値がない」

大神官の声は冷たく、容赦がなかった。その隣には、リディアの姉であるセリアが立っている。金色の髪を持つ美しい姉は、慈悲深い微笑みを浮かべながらこちらを見下ろしていた。

リディアは唇を噛んだ。自分の力が姉に劣ることは分かっていた。セリアは病人の前で祈れば、たちまち立ち上がらせることができる。枯れた花に触れれば、一瞬で満開の花を咲かせる。民衆の前で光の奇跡を起こせば、人々は歓声を上げて神の御名を讃える。

一方、リディアにできるのは地味な治癒だけだった。怪我人の傷口に手を当てれば、ゆっくりと傷は塞がっていく。病人の額に手を置けば、熱は下がり、痛みは和らぐ。だが、それだけだ。光の柱も、奇跡の復活も、何も起こらない。

「姉上のような派手な奇跡は起こせませんが、私にも治癒の力があります。これまでも多くの人を癒してきました」

リディアは必死に訴えた。だが大神官は冷笑を浮かべた。

「治癒だけなら薬師で十分だ。民衆が求めているのは、目に見える奇跡なのだよ。セリア様のような、神の力を示す聖女が必要なのだ」

「でも……」

「もういい。お前は明日、神殿を出て行きなさい。これは最終決定だ」

大神官はそう言うと、リディアに背を向けた。セリアは姉として妹を気遣うような表情を作ったが、その目の奥には勝ち誇ったような光があった。

「リディア、残念だわ。でも、これも神のご意思なのよ。私一人で、神殿を守っていくから安心して」

その言葉に、リディアは何も答えられなかった。


翌朝、リディアは小さな荷物をまとめて神殿を後にした。見送る者は誰もいなかった。十年間暮らした場所を離れることへの悲しみよりも、自分の存在を否定された怒りと屈辱の方が大きかった。

王都の門をくぐり、リディアは南へ向かう街道を歩き始めた。行く当てがあるわけではない。ただ、この場所から離れたかった。セリアの影から逃れたかった。

三日間歩き続けた頃、リディアは小さな村に辿り着いた。村の入り口には古びた看板が立っており、「ミルフォード村」と書かれていた。村は静かで、人の気配も少ない。畑は荒れ、家々も古く傷んでいるように見えた。

村の中心部に小さな広場があり、そこに井戸があった。喉の渇きに耐えかねて井戸に近づいたとき、リディアは倒れている老人を見つけた。

「おじいさん、大丈夫ですか」

駆け寄って声をかけると、老人は苦しそうに呻いた。額には脂汗が浮かび、顔色は土気色だった。村人たちが数人集まってきたが、誰も手を出せずにいるようだった。

「この人は……」

「村長です。三日前から熱が下がらなくて。もう駄目かもしれません」

若い女性が涙声で答えた。リディアは迷わず老人の額に手を当てた。目を閉じて集中すると、体の奥から温かな力が湧き上がってくる。その力を手のひらから老人へと流し込んでいく。

神殿では価値がないと言われた力。でも、この力は確かに人を救うことができる。

数分後、老人の呼吸が楽になり、顔色が戻り始めた。村人たちが驚きの声を上げた。

「嘘……熱が下がってる」
「村長の顔色が良くなってきた」
「あなた、もしかして治癒師の方ですか」

リディアは静かに頷いた。すると村人たちは次々と家族を連れてきた。高熱で苦しむ子供、腰を痛めて動けない老婆、農作業で怪我をした男性。リディアは一人一人に手を当て、丁寧に治癒を施していった。

日が暮れる頃には、村中の病人や怪我人を診終えていた。疲れ果てたリディアに、村長が深々と頭を下げた。

「命の恩人です。どうか、しばらくこの村に滞在してくださいませんか。空き家を用意します。食事も用意します」

リディアは少し考えてから頷いた。行く当てもない。ここで少し休んでから、次のことを考えよう。


ミルフォード村での生活が始まって一週間が経った頃、村に見慣れない馬車が到着した。黒い馬車は立派な造りで、扉には紋章が刻まれていた。村人たちは緊張した面持ちで馬車を見守っていた。

馬車から降りてきたのは、黒い髪に鋭い青い瞳を持つ男性だった。年は二十代半ばほどだろうか。整った顔立ちだが、どこか近寄り難い雰囲気を纏っていた。

「この村の代表者は誰だ」

男性の声は低く、威厳があった。村長が慌てて前に出る。

「わ、私です。辺境伯アランス様。本日はどのようなご用件で」

辺境伯。リディアはその言葉に少し驚いた。この辺境の地を治める貴族が、なぜこんな小さな村に。

「視察だ。この地域の村々を見て回っている。ところで、この村に治癒師がいると聞いたが本当か」

村長はリディアの方を見た。リディアは仕方なく前に出て、軽く頭を下げた。

「はい。私がそうです」

アランスの青い瞳がリディアを捉えた。その視線は鋭く、まるで全てを見透かすようだった。

「お前が治癒師か。どこで学んだ」

「……王都の神殿で」

「神殿か。なぜこんな辺境に」

リディアは答えに詰まった。追放されたなどとは言いたくなかった。

「事情があって、旅をしています」

アランスはしばらくリディアを見つめていたが、やがて村長に向き直った。

「この村の病人は誰だ」

「え、えっと……実は、この方が来てから村には病人がほとんどいなくなりまして」

「ほとんど?」

「はい。皆、元気になったんです。長年苦しんでいた腰痛も、子供たちの熱病も」

アランスの目がわずかに見開かれた。そして再びリディアを見た。

「本当か」

「はい。できる限りのことはさせていただきました」

沈黙が流れた。アランスは何かを考えているようだった。やがて彼は口を開いた。

「お前の名は」

「リディアです」

「リディア。私の屋敷に来い」

「え……?」

突然の言葉に、リディアは戸惑った。村人たちもざわめいた。

「私の領地には病人が多い。医者も足りない。お前のような治癒の力を持つ者が必要だ。専属の治癒師として雇いたい。報酬は月に金貨十枚。住居と食事も提供する」

金貨十枚。それは神殿にいた頃の何倍もの金額だった。だが、リディアは即座に頷くことができなかった。

「私は……そんな大層な力は持っていません。ただの治癒しかできないんです」

「ただの治癒で十分だ。派手な奇跡など必要ない。確実に人を癒せる力があればいい」

アランスの言葉は淡々としていたが、どこか真剣だった。リディアは自分が神殿で言われた言葉を思い出した。「治癒だけなら薬師で十分」。でも、この人は違う。この人は自分の力を必要だと言ってくれている。

「……考える時間をいただけますか」

「明日の昼まで待つ。それまでに答えを聞かせろ」

アランスはそう言うと、馬車に戻っていった。


その夜、リディアは村長の家で夕食をご馳走になった。村長の妻は心配そうな顔でリディアを見ていた。

「リディアさん、辺境伯様のところへ行かれるのですか」

「まだ決めていません」

「アランス様は厳しい方だと聞きます。でも、公正な方でもあるそうです。悪いようにはなさらないと思いますが……」

村長が口を挟んだ。

「リディアさんには、ここに残っていただきたい気持ちもあります。でも、あなたほどの力を持つ方が、こんな小さな村に留まるのは勿体ない。多くの人を救える場所があるなら、そこへ行くべきかもしれません」

リディアは窓の外を見た。星が綺麗に見える夜だった。

神殿では不要だと言われた。自分の力には価値がないと言われた。でも、この村では感謝された。辺境伯は自分を必要だと言った。

もしかしたら、自分の力を本当に必要としてくれる場所があるのかもしれない。セリアのような派手な奇跡は起こせない。でも、確実に人を救うことはできる。それでいいのかもしれない。

翌朝、リディアはアランスの馬車の前に立っていた。

「お待たせしました。お話を受けさせていただきます」

アランスは無表情のまま頷いた。

「そうか。では荷物をまとめろ。すぐに出発する」

「はい」

村人たちが見送りに集まってきた。村長は涙ぐみながら手を握ってきた。

「本当にありがとうございました。また、いつでも戻ってきてください」

「はい。お世話になりました」

リディアは馬車に乗り込んだ。馬車が動き出すと、窓から見える村の景色がどんどん小さくなっていく。

隣に座るアランスは、書類に目を通していた。リディアは思い切って声をかけた。

「あの、辺境伯様」

「アランスでいい」

「では、アランス様。どうして私を雇おうと思われたのですか」

アランスは書類から目を上げ、リディアを見た。

「お前が村の病人を全て治したと聞いた。それだけの力があるなら、私の領地で役に立つ。理由はそれだけだ」

「そうですか……」

「何か不満でもあるのか」

「いえ、そうではありません。ただ、私の力は地味で、派手な奇跡は起こせません。それでも本当に必要としてくださるのか、まだ信じられなくて」

アランスは少し考えるような表情を浮かべた。

「派手な奇跡など、見世物に過ぎん。本当に価値があるのは、確実に結果を出せる力だ。お前の力が本物なら、それで十分だ」

その言葉に、リディアの胸が温かくなった。初めて、自分の力を正当に評価してくれる人に出会えた気がした。

「ありがとうございます。精一杯、務めさせていただきます」

「期待している」

アランスはそう言うと、再び書類に目を戻した。リディアは窓の外を見た。新しい人生が、これから始まる。神殿での日々は終わった。もう、セリアの影に怯える必要はない。

馬車は辺境の地へと進んでいった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

邪魔者な私なもので

あんど もあ
ファンタジー
婚約者のウィレル様が、私の妹を食事に誘ったと報告をしてきました。なんて親切な方なのでしょう。でも、シェフが家にいるのになぜレストランに行くのですか?  天然な人の良いお嬢さまが、意図せずざまぁをする話。

思いを込めてあなたに贈る

あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。

婚約破棄された公爵令嬢は虐げられた国から出ていくことにしました~国から追い出されたのでよその国で竜騎士を目指します~

ヒンメル
ファンタジー
マグナス王国の公爵令嬢マチルダ・スチュアートは他国出身の母の容姿そっくりなためかこの国でうとまれ一人浮いた存在だった。 そんなマチルダが王家主催の夜会にて婚約者である王太子から婚約破棄を告げられ、国外退去を命じられる。 自分と同じ容姿を持つ者のいるであろう国に行けば、目立つこともなく、穏やかに暮らせるのではないかと思うのだった。 マチルダの母の祖国ドラガニアを目指す旅が今始まる――   ※文章を書く練習をしています。誤字脱字や表現のおかしい所などがあったら優しく教えてやってください。    ※第二章まで完結してます。現在、最終章をゆっくり更新中です。書くスピードが亀より遅いので、お待たせしてすみませんm(__)m    ※小説家になろう様にも投稿しています。

【完結】私の見る目がない?えーっと…神眼持ってるんですけど、彼の良さがわからないんですか?じゃあ、家を出ていきます。

西東友一
ファンタジー
えっ、彼との結婚がダメ? なぜです、お父様? 彼はイケメンで、知性があって、性格もいい?のに。 「じゃあ、家を出ていきます」

女神に頼まれましたけど

実川えむ
ファンタジー
雷が光る中、催される、卒業パーティー。 その主役の一人である王太子が、肩までのストレートの金髪をかきあげながら、鼻を鳴らして見下ろす。 「リザベーテ、私、オーガスタス・グリフィン・ロウセルは、貴様との婚約を破棄すっ……!?」 ドンガラガッシャーン! 「ひぃぃっ!?」 情けない叫びとともに、婚約破棄劇場は始まった。 ※王道の『婚約破棄』モノが書きたかった…… ※ざまぁ要素は後日談にする予定……

妹の初恋は私の婚約者

あんど もあ
ファンタジー
卒業パーティーで、第一王子から婚約破棄を宣言されたカミーユ。王子が選んだのは、カミーユの妹ジョフロアだった。だが、ジョフロアには王子との婚約が許されない秘密があった。

【完結】私の事は気にせずに、そのままイチャイチャお続け下さいませ ~私も婚約解消を目指して頑張りますから~

山葵
恋愛
ガルス侯爵家の令嬢である わたくしミモルザには、婚約者がいる。 この国の宰相である父を持つ、リブルート侯爵家嫡男レイライン様。 父同様、優秀…と期待されたが、顔は良いが頭はイマイチだった。 顔が良いから、女性にモテる。 わたくしはと言えば、頭は、まぁ優秀な方になるけれど、顔は中の上位!? 自分に釣り合わないと思っているレイラインは、ミモルザの見ているのを知っていて今日も美しい顔の令嬢とイチャイチャする。 *沢山の方に読んで頂き、ありがとうございます。m(_ _)m

侯爵家を守るのは・・・

透明
恋愛
姑に似ているという理由で母親に虐げられる侯爵令嬢クラリス。 母親似の妹エルシーは両親に愛されすべてを奪っていく。 最愛の人まで妹に奪われそうになるが助けてくれたのは・・・

処理中です...