私に用はないのでしょう?

たくわん

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真の聖女は私です

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アランスの屋敷は、想像していたよりも大きく、堅牢だった。灰色の石で造られた建物は、城塞のような雰囲気を持っていた。馬車が正門をくぐると、執事らしき老人が出迎えに来た。

「お帰りなさいませ、アランス様」

「ああ。彼女がリディアだ。今日から専属の治癒師として働いてもらう。部屋を用意しろ」

「かしこまりました」

執事は丁寧にリディアに頭を下げた。リディアも慌てて頭を下げ返す。

「セバスチャンだ。何か困ったことがあれば、いつでも言ってくれ」

「ありがとうございます」

セバスチャンに案内されて屋敷の中に入ると、広い廊下が続いていた。絵画や彫刻が飾られているが、どこか冷たい印象を受ける。人の温もりが感じられない空間だった。

「こちらがあなたのお部屋です」

案内された部屋は、神殿の自室よりも遥かに広く、立派だった。大きなベッド、机、本棚、暖炉。全てが揃っている。

「明日から診療所で働いていただきます。領民の治療が主な仕事になります。分からないことがあれば、遠慮なく聞いてください」

「はい。よろしくお願いします」

セバスチャンが去った後、リディアは窓から外を眺めた。屋敷の周りには広大な土地が広がっている。遠くには山々が見え、手前には畑や森が広がっていた。

これから、ここで働くのだ。新しい生活。新しい場所。全てが未知だったが、不思議と不安はなかった。むしろ、期待の方が大きかった。


翌朝、セバスチャンに連れられて診療所へ向かった。屋敷の敷地内にある小さな建物だったが、中は清潔に保たれていた。診察台、薬棚、ベッドが数台。必要なものは揃っているようだった。

「ここで領民の治療を行います。午前中は予約の患者、午後は急患や往診が入ることもあります」

「分かりました」

診療所の扉が開き、何人かの領民が入ってきた。皆、病気や怪我を抱えているようだった。リディアは深呼吸をして、最初の患者に向き合った。

「どうされましたか」

「腕を骨折して、もう二週間になります。痛みが引かなくて……」

中年の男性が腕を見せた。確かに腫れていて、不自然な角度になっている。リディアは優しく手を当てた。

温かな力が流れ込む。骨がゆっくりと正しい位置に戻り、折れた部分が繋がっていく。数分後、男性は驚いた顔で腕を動かした。

「動く……痛くない!」

「無理はしないでください。完全に治るまで、あと数日かかります」

「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」

男性は何度も頭を下げて帰っていった。次の患者、そのまた次の患者。リディアは一人一人、丁寧に治療していった。

高熱を出す子供、古傷が痛む老人、出産で体力を消耗した女性。様々な患者が訪れたが、リディアは全員に手を当て、治癒の力を注いだ。

昼過ぎ、診療所の扉が開いた。アランスが立っていた。

「調子はどうだ」

「はい。順調です。皆さん、良くなられています」

アランスは診療所の中を見回した。待合室にはまだ何人かの患者が座っていた。

「無理はするな。体調が悪くなったら休め」

「大丈夫です。これくらいなら」

「そうか」

アランスは短く答えると、去っていった。リディアは少し不思議に思った。厳しい人だと聞いていたが、意外と気遣ってくれるのだと。


一週間が過ぎた頃、診療所を訪れる患者の数は倍以上に増えていた。リディアの噂が広まり、遠くの村からも人が訪れるようになった。

「リディア様、本当にありがとうございます」

「娘の病気が治りました」

「もう諦めていた怪我が、嘘のように」

感謝の言葉が次々と寄せられた。リディアは少し照れながらも、嬉しかった。自分の力が認められている。必要とされている。神殿では感じられなかった充実感があった。

ある日の夕方、リディアが診療所を片付けていると、アランスが訪ねてきた。

「まだ働いているのか」

「はい。もうすぐ終わります」

「少し話がある。私の書斎に来てくれ」

リディアは頷き、片付けを終えてからアランスの後を追った。書斎は屋敷の二階にあり、本がびっしりと詰まった棚に囲まれていた。

「座れ」

リディアは椅子に座った。アランスは机の向こう側に座り、真剣な表情でリディアを見つめた。

「お前の働きぶりは素晴らしい。領民からの評判も上々だ。感謝している」

「いえ、当然のことをしているだけです」

「だが、一つ気になることがある」

「何でしょうか」

アランスは少し言葉を選ぶように間を置いた。

「お前の治癒の力は、普通ではない。私は多くの治癒師を見てきたが、お前ほどの力を持つ者はいなかった」

リディアは少し驚いた。自分の力が特別だと思ったことはなかった。むしろ、姉に比べて劣っていると思っていた。

「でも、私の力は派手な奇跡ではありません。ただ、怪我や病気をゆっくり治すだけで……」

「それがどれほど貴重か、お前は分かっていないのか」

アランスの声には、僅かに苛立ちが混じっていた。

「派手な奇跡は確かに目を引く。だが、それが本当に人を救っているかは別問題だ。お前の力は確実に、根本から病を治している。それは非常に高度な治癒魔法だ」

「そんな……」

「神殿にいたと言ったな。なぜ、あんな所を出た」

リディアは答えに詰まった。だが、アランスの真剣な眼差しに、嘘をつくことはできなかった。

「私には姉がいます。セリアという名の、完璧な聖女です」

リディアはゆっくりと話し始めた。姉の才能、自分への冷遇、そして追放。全てを打ち明けた。

アランスは黙って聞いていた。リディアが話し終えると、彼は深いため息をついた。

「馬鹿げている」

「え……?」

「お前を追放した神殿の連中は、本物を見る目がないのだろう。お前の姉とやらの奇跡が本当に価値あるものなのか、私は疑わしく思う」

「でも、姉上は多くの人を一瞬で治して……」

「一瞬で治る、か。それは本当に治っているのだろうか」

アランスの言葉に、リディアははっとした。

「どういう……」

「表面的な傷を消すのと、体の内側から治すのは違う。お前の治癒は時間がかかるが、完全に治る。再発もしない。だが、瞬間的な奇跡は、見た目が治っただけで、根本的には治っていない可能性がある」

リディアは何も言えなかった。そんなことを考えたこともなかった。

「お前の力は本物だ。神殿が価値を認めなかったのは、彼らの損失だ。だが、私はお前を正当に評価する」

アランスの言葉に、リディアの目に涙が浮かんだ。初めて、本当の意味で認められた気がした。

「ありがとうございます……」

「泣くな。これは事実を述べているだけだ」

アランスは少し困ったような顔をした。リディアは慌てて涙を拭った。

「すみません。でも、嬉しくて」

「そうか」

アランスは立ち上がり、窓の外を見た。

「お前には、もっと大きな仕事を任せたいと思っている。この領地だけでなく、他の地域でも治療をしてほしい。疫病が流行している村がある。そこへ行ってもらえないか」

「もちろんです。いつでも」

「明後日、出発する。私も同行する」

「アランス様も?」

「お前一人で行かせるわけにはいかない。それに、領主として住民の状況を見ておく必要がある」

リディアは頷いた。アランスは厳しいが、領民のことを真剣に考えている人なのだと分かった。


二日後、リディアとアランスは馬車で疫病が流行している村へ向かった。道中、アランスは村の状況を説明した。

「この村では、三週間前から原因不明の熱病が流行している。医者を派遣したが、薬も効かず、既に十人以上が亡くなった」

「そんなに……」

「お前の力で、何とかなるだろうか」

「やってみます。必ず」

リディアは決意を新たにした。自分の力を信じて、全力で人々を救う。それが今の自分にできることだ。

村に着くと、想像以上に状況は深刻だった。家々は静まり返り、通りには人影がほとんどない。村長が出迎えに来たが、顔色は悪く、疲弊しきっていた。

「アランス様、よく来てくださいました」

「状況は」

「悪化する一方です。昨夜も二人亡くなりました。もう、どうしていいか……」

「彼女が治癒師だ。すぐに患者を診せてくれ」

村長はリディアを見て、希望の光を見つけたような顔をした。

「お願いします。何でもしますから、どうか村を救ってください」

リディアは頷き、すぐに最初の家へ向かった。中には高熱で苦しむ若い女性が横たわっていた。額は熱く、呼吸は荒い。リディアはすぐに手を当てた。

だが、いつもと違った。力を注ごうとしても、何かに阻まれるような感覚があった。まるで、体内に別の何かが巣食っているような。

「これは……普通の病気ではありません」

「どういうことだ」

アランスが尋ねた。リディアは集中して、患者の体内を探った。するとそこには、黒い靄のようなものが漂っていた。

「呪いに似た何かです。魔力の残滓のような……」

「呪い?」

「はい。これを取り除かないと、治癒は効きません」

リディアは深く集中した。自分の力を最大限に引き出し、その黒い靄を包み込んでいく。温かな光が闇を浄化していく。数分後、黒い靄は消え去り、患者の熱が下がり始めた。

「治りました……いえ、治りつつあります。完全に回復するには一日ほどかかります」

村長は驚きと喜びの表情を浮かべた。

「本当ですか!」

「はい。他の患者さんも診せてください」

リディアはその日、村中の患者を診て回った。一人一人から呪いのような黒い靄を取り除き、治癒の力を注いだ。夜になる頃には、全ての患者の容態が安定していた。

疲れ果てたリディアに、アランスがマントをかけた。

「よくやった。休め」

「まだ、経過を見ないと……」

「明日でいい。今は休むんだ」

アランスの声は優しかった。リディアは素直に頷いた。村長が用意してくれた部屋で、リディアは深い眠りについた。


翌朝、村は活気を取り戻していた。患者たちは皆、回復し、家族たちの顔には笑顔が戻っていた。村人たちはリディアに感謝の言葉を次々と告げた。

「命の恩人です」

「あなたは本当の聖女様です」

その言葉に、リディアは複雑な気持ちになった。聖女。かつて神殿で言われた、自分には相応しくない称号。でも今、自分は本当に人を救っている。

馬車に乗り込む前、アランスがリディアに言った。

「お前は立派な治癒師だ。いや、聖女と呼ぶに相応しい」

「そんな、私は……」

「事実だ。神殿の連中よりも、お前の方が遥かに人々を救っている」

リディアは顔を赤らめた。アランスは真剣な表情のままだったが、その目には温かな光があった。

帰りの馬車の中、リディアはふと思った。この人は、自分のことを本当に認めてくれている。能力だけでなく、存在そのものを。

そう思うと、胸が温かくなった。これまで感じたことのない感情だった。
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