私に用はないのでしょう?

たくわん

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追放された私は、氷の王に溺愛されています

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フロスティア王城の中は、外観から想像していたよりも遥かに温かかった。白い大理石の壁には暖炉がいくつも設置され、オレンジ色の炎が優しい光を放っている。床には厚い絨毯が敷かれ、タペストリーが冷たい石壁を覆っていた。

カイルはエリアーナを王城の奥へと案内した。長い廊下を進む間、すれ違う使用人たちは深々と頭を下げる。しかし、その目には恐れの色が浮かんでいた。氷の王に対する畏怖が、この城全体を支配しているかのようだった。

やがて、一つの扉の前で立ち止まった。カイルが扉を開けると、そこは広々とした居室だった。天蓋付きの大きなベッド、優雅な調度品、そして大きな窓からは雪景色が一望できる。

「ここがお前の部屋だ。必要なものがあれば、侍女に言え」

カイルの声は相変わらず感情を欠いていた。エリアーナは小さく頷いた。

「ありがとうございます、陛下」
「カイルでいい。我々は婚約者なのだから」

そう言って、カイルは部屋を出ていこうとした。しかし、扉の前で振り返った。

「一つ聞きたい」

「はい」
「お前は、この結婚を望んでいたのか?」

突然の質問に、エリアーナは言葉に詰まった。嘘をつくべきか、それとも正直に答えるべきか。しかし、あの冷たい青い瞳を見ていると、嘘は通用しないような気がした。

「いいえ...望んではいませんでした」

正直に答えた。カイルの表情は変わらなかった。

「そうか。正直でいい。俺も同じだ」

その言葉を残して、カイルは部屋を出ていった。エリアーナは一人残され、ベッドに腰を下ろした。結婚式は一ヶ月後だという。それまでの間、この城で過ごすことになる。

最初の数日間、エリアーナは城の中を探索した。図書室、温室、騎士団の訓練場。城は思っていたよりも大きく、そして意外にも生活感があった。使用人たちは最初こそ距離を置いていたが、エリアーナが優しく接すると、少しずつ心を開いてくれた。

「姫様は、優しい方なのですね」

ある日、侍女のエルザが言った。彼女は二十代半ばの、快活な女性だった。

「前の王妃様も、とてもお優しい方でした。陛下は、当時はもっと...」
「もっと?」
「もっと、人間らしかったのです」

エルザは悲しそうに微笑んだ。

「王妃様が亡くなられてから、陛下は変わってしまわれました。あれから五年...陛下は誰にも心を開かなくなりました」

エリアーナは初めて知った。カイルにも、悲しい過去があったのだと。

それから、エリアーナはカイルを観察するようになった。彼は毎朝早くから政務に取り組み、午後は騎士たちと訓練をする。夜は書斎に籠もり、書類仕事をしている。休む時間など、ほとんどないように見えた。

そして、彼が決して笑わないことに気づいた。怒りも、喜びも、悲しみも、何も表情に出さない。まるで、感情を凍らせてしまったかのように。

ある夜、エリアーナは眠れずに城の廊下を歩いていた。すると、バルコニーに人影を見つけた。カイルだった。彼は一人、雪が降り積もる庭園を見下ろしていた。

「眠れないのか?」

エリアーナの足音に気づいたカイルが、振り向かずに言った。

「はい...慣れない場所で」
「そうか」

エリアーナはカイルの隣に立った。二人の間に、重い沈黙が流れる。

「陛下...いえ、カイル様」
「何だ?」
「どうして、私との結婚を承諾されたのですか?」

カイルは初めて、エリアーナの方を向いた。その青い瞳に、月光が反射している。

「政略だ。フロスティアとお前の国の同盟が必要だった」
「それだけ...ですか?」

カイルは少し黙ってから、答えた。

「お前の国王は、最初イザベラ姫を提案してきた。だが、俺は断った」

「え...」
「理由を聞かれたから、お前を指名した。それだけだ」

エリアーナは驚いた。父は最初、イザベラを嫁がせようとしたのか。しかし、なぜカイルは断ったのだろう。

「なぜ、姉ではなく私を?」
「...見れば分かる」

それ以上、カイルは何も語らなかった。しかし、エリアーナはその言葉の意味を考えた。カイルは一度も、イザベラに会ったことがないはずだ。それなのに、なぜ彼女を断ったのか。

翌週、エリアーナのもとに故郷から手紙が届いた。イザベラからだった。嫌な予感がしながら開封すると、予想通りの内容だった。

「親愛なる妹へ。私とアレクシス様の婚約式が盛大に執り行われましたわ。王国中が祝福してくださって、本当に幸せです。あなたは氷の国でどうお過ごし? 寒くて不便でしょうね。こちらは春の花が咲き乱れて、とても美しいですわ。アレクシス様は毎日私に愛を囁いてくださるの。あなたには分からないでしょうけれど」

手紙を読みながら、エリアーナは不思議と悲しくなかった。むしろ、何も感じなかった。もう、あの国のことは、どうでもよくなっていた。

その日の午後、エリアーナは図書室で本を読んでいた。すると、ドアが開いてカイルが入ってきた。

「ここにいたのか」

カイルは珍しく、少し疲れた様子だった。エリアーナは椅子から立ち上がった。

「何かご用ですか?」
「いや...少し休憩に来ただけだ」

カイルは窓際の椅子に座った。エリアーナは迷ったが、意を決して彼に近づいた。

「カイル様、もしよろしければ...お茶を淹れましょうか?」

カイルは意外そうにエリアーナを見た。そして、小さく頷いた。

エリアーナは侍女を呼び、お茶の準備をさせた。温かい紅茶と、城の厨房で作られたビスケットが運ばれてくる。彼女はカイルにカップを差し出した。

「どうぞ」
「...ありがとう」

カイルはカップを受け取り、一口飲んだ。それから、僅かに表情が和らいだ。

「美味い」
「良かったです」

エリアーナは微笑んだ。それは、この城に来て初めての、心からの笑顔だった。

カイルはその笑顔を見て、何か言いかけたが、結局何も言わなかった。しかし、その冷たい瞳が、ほんの少しだけ温かくなったような気がした。

それから、二人は時々図書室で一緒に過ごすようになった。カイルは政務の合間に図書室に来て、エリアーナはお茶を淹れる。会話は少なかったが、その沈黙は不快なものではなかった。

ある日、エリアーナはカイルに尋ねた。

「カイル様は、どんな本がお好きなのですか?」
「歴史書だ。特に戦術に関するもの」
「私は詩集が好きです。言葉の美しさに惹かれるんです」

カイルは少し考えてから、立ち上がって本棚の一角に向かった。そして、一冊の古い本を取り出してエリアーナに渡した。

「これは、亡き母が好きだった詩集だ。読んでみるといい」

エリアーナは丁寧に本を受け取った。その表紙には、繊細な銀の装飾が施されていた。

「ありがとうございます。大切に読ませていただきます」

カイルは何も言わなかったが、その目には何か温かいものが宿っていた。

夜、部屋で詩集を読んでいると、一枚の紙が挟まっているのを見つけた。それは、カイルの母が書いたと思われる手紙だった。

「私の愛する息子へ。どうか、この冷たい世界で心まで凍らせてしまわないで。いつか、あなたの心を溶かしてくれる人が現れるはず。その人を、大切にして」

エリアーナは手紙を胸に抱いた。カイルがこの詩集を彼女に貸してくれた意味が、少し分かったような気がした。

結婚式まで、あと二週間。エリアーナは、この結婚が政略であることを知っていた。しかし、同時に、カイルという人間に興味を持ち始めていた。彼の冷たい仮面の下に、何が隠されているのか。彼が失った温かさを、もう一度取り戻すことはできるのか。

そして、エリアーナは気づいていなかった。カイルもまた、彼女に興味を持ち始めていることに。彼女の優しさ、誠実さ、そして何より、その静かな強さに惹かれ始めていることに。

氷の王国に春が訪れるのは、もう少し先のことだった。しかし、二人の心の中では、確実に何かが変わり始めていた。
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