妹なんだから助けて? お断りします

たくわん

文字の大きさ
3 / 20

3

しおりを挟む
秋の冷たい風が頬を撫でた。エリーゼは粗末なマントを身に纏い、街へと向かう道を歩いていた。

「市場で最高級の絹糸を買ってきなさい。ロザリンドのドレスの刺繍に使うから。それから、香水も。一番高いやつよ」

継母に渡された買い物リストには、贅沢品がずらりと並んでいた。重い荷物を持って帰ることになるだろう。だが、エリーゼにとっては、屋敷を出られる貴重な機会だった。

街は活気に満ちていた。商人たちの呼び声、買い物客の笑い声、子供たちの遊ぶ声。エリーゼは久しぶりの外の空気を深く吸い込んだ。

粗末な服装をしているが、エリーゼの立ち居振る舞いには、どこか気品が滲み出ていた。背筋を伸ばし、顎を少し上げて歩く姿は、使用人のそれではなかった。

「お嬢さん、新鮮な林檎はいかが?」

「いえ、結構です」

丁寧に断る言葉遣いに、商人は少し驚いた様子だった。

市場で買い物を済ませ、重い荷物を抱えて帰路につこうとした時、突然悲鳴が上がった。

「危ない!」

振り向くと、制御を失った馬車が猛スピードで突っ込んでくる。その先には、道路で遊んでいた小さな男の子がいた。

周囲の人々は動けずにいる。

エリーゼは荷物を投げ出し、走った。

男の子を抱き上げ、道路の脇に飛び込む。馬車は轟音を立てて、すぐ横を通り過ぎていった。

「大丈夫?」

男の子を確認すると、幸い怪我はないようだった。だが、エリーゼ自身は石畳に激しく打ちつけられ、腕と膝を擦りむいていた。

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

男の子の母親らしき女性が駆け寄ってきた。涙を流しながら、息子を抱きしめる。

「息子を助けてくださって……何とお礼を言えば」

「いえ、無事でよかったです」

エリーゼは微笑んだ。痛みはあったが、子供が助かったのなら、それで十分だった。

「怪我をしていらっしゃる。手当てを」

「大丈夫です。これくらい」

立ち上がろうとしたが、膝の痛みで思わずよろめいた。

「お待ちください」

落ち着いた男性の声が聞こえた。

振り向くと、そこには見知らぬ男性が立っていた。

質素だが上質な服を着た、背の高い青年だった。金色の髪と深い青の瞳。整った顔立ちには、知性と優しさが宿っている。

「怪我をされている。手当てをさせてください」

「いえ、本当に大丈夫ですので……」

「いや、そうはいかない。あなたは勇敢にも子供を救った。その怪我を放っておくわけにはいかない」

男性はそう言うと、近くの店に声をかけた。

「すみません、少し場所を借りられますか」

店主は男性の雰囲気に圧倒されたのか、すぐに奥の部屋を案内した。

エリーゼは椅子に座らされ、男性が自ら手当てをしてくれた。

「痛みますか?」

「少し……でも、大丈夫です」

丁寧に傷を洗い、薬を塗る。その手つきは慣れたもので、優しかった。

「あなたの行動は、本当に勇敢でした」

「いえ、当然のことをしただけです」

「当然のこと、か」

男性は微笑んだ。

「多くの人が立ち尽くしていた中で、あなただけが動いた。それは簡単なことではない」

「……ありがとうございます」

手当てが終わり、エリーゼは立ち上がった。

「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「エリーゼです」

「エリーゼ。美しい名前ですね」

男性は柔らかく微笑んだ。

「私はアレックスと申します。商人をしております」

「アレックス様、お世話になりました」

「いえ、当然のことをしただけですよ」

エリーゼの言葉を繰り返し、アレックスは笑った。

「ところで、その荷物はどうされました?」

「あ……」

エリーゼは慌てて外に出た。投げ出した荷物が、道路に散らばっている。幸い、絹糸も香水の瓶も無事なようだった。

「お手伝いしましょう」

アレックスも一緒に荷物を拾い集めてくれた。

「随分と重い荷物ですね。お一人で持って帰られるのですか」

「はい」

「それは大変だ。よろしければ、お送りしましょうか」

「いえ、そこまでしていただくわけには」

「遠慮なさらず。怪我もされているのですから」

アレックスは荷物の半分を持ち、エリーゼと並んで歩き始めた。

「あなたは、この街の方ですか」

「はい。生まれてからずっと」

「私は隣国から来ました。この街の市場を視察に」

「商人の方なのですね」

「ええ。様々な国を回って、商売をしています」

二人は歩きながら、様々なことを話した。

アレックスは知識が豊富で、話していて飽きなかった。文学や歴史、音楽のことまで、幅広い教養を持っている。

「エリーゼは、本を読まれますか」

「はい、読むのが好きです。最近は……」

エリーゼは少し躊躇したが、続けた。

「最近は古典詩を読んでいます。母が好きだったので」

「素晴らしい。古典詩は人間の本質を映す鏡ですからね。どの詩人がお好きですか」

「ヴェルギリウスの作品が好きです」

「おお、『アエネイス』ですか」

アレックスの目が輝いた。

「運命に翻弄されながらも、使命を全うしようとするアエネイアスの姿には、心を打たれますね」

「はい。特に、故郷を失いながらも前を向いて進む姿に、勇気をもらいます」

エリーゼの言葉に、アレックスは優しい眼差しを向けた。

「あなたもまた、何か困難に直面しているのですか」

「……少し」

エリーゼは曖昧に答えた。

「でも、いつか必ず乗り越えられると信じています」

「その強さが、先ほどの勇敢な行動に繋がったのでしょうね」

屋敷が見えてきて、エリーゼは足を止めた。

「ここまでで結構です。ありがとうございました」

「ここがあなたの……」

アレックスは立派な屋敷を見上げた。貴族の邸宅だ。

「使用人の方なのですね」

エリーゼは答えなかった。否定もできないし、肯定もしたくなかった。

「では、これで」

「待ってください、エリーゼ」

アレックスが呼び止めた。

「また、お会いできますか」

エリーゼは驚いて振り向いた。

「え?」

「あなたと話していると、とても心が落ち着くのです。もっと、いろいろなことを語り合いたい」

「でも、私は……」

「明日、同じ時間にあの市場の東の広場にいます。もしよろしければ、いらしてください」

アレックスは微笑んで、立ち去った。

エリーゼは呆然と、その後ろ姿を見送った。

胸が高鳴っている。こんな感覚は初めてだった。

「お帰りが遅いじゃないの!」

屋敷に入ると、すぐに継母の叱責が飛んできた。

「申し訳ございません。市場が混んでおりまして」

「言い訳はいいから、さっさと荷物を渡しなさい」

荷物を渡すと、継母は中身を確認した。

「傷だらけじゃない! これ、どうしたの!」

「道で転んでしまいまして……」

「使えない子ね。本当に」

エリーゼは黙って頭を下げた。

だが、心の中では、アレックスとの出会いを思い返していた。

あの優しい眼差し。知的な会話。そして、「また会いたい」という言葉。

屋根裏部屋に戻ると、エリーゼは窓辺に座った。

「明日、行ってもいいのだろうか」

小さく呟く。

理性では、危険かもしれないと告げている。だが、心は強く、もう一度会いたいと叫んでいた。

母のペンダントを握りしめる。

「お母様なら、何と言うだろう」

きっと、母は微笑んで言うだろう。

「あなたの心に従いなさい」と。

エリーゼは決めた。

明日、もう一度あの広場に行こう。

初めて、自分の意志で選んだ道。

それがどこに続いているのか、まだ分からない。

だが、胸の高鳴りが、これが正しい選択だと教えていた。

窓の外の星が、祝福するように瞬いていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

厄介払いされてしまいました

たくわん
恋愛
侯爵家の次女エリアーナは、美人の姉ロザリンドと比べられ続け、十八年間冷遇されてきた。 十八歳の誕生日、父から告げられたのは「辺境の老伯爵に嫁げ」という厄介払いの命令。 しかし、絶望しながらも辺境へ向かったエリアーナを待っていたのは――。

行き倒れていた人達を助けたら、8年前にわたしを追い出した元家族でした

柚木ゆず
恋愛
 行き倒れていた3人の男女を介抱したら、その人達は8年前にわたしをお屋敷から追い出した実父と継母と腹違いの妹でした。  お父様達は貴族なのに3人だけで行動していて、しかも当時の面影がなくなるほどに全員が老けてやつれていたんです。わたしが追い出されてから今日までの間に、なにがあったのでしょうか……? ※体調の影響で一時的に感想欄を閉じております。

「わざわざ始まるまでまたないで、今のうちに手を打ったってよくない?」

イチイ アキラ
恋愛
アスター公爵令嬢エステルは、夢をみる。それは先を映す夢。 ある日、夢をみた。 この国の未来を。 それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。 彼は言う。 愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?

妹の身代わり人生です。愛してくれた辺境伯の腕の中さえ妹のものになるようです。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
タイトルを変更しました。 ※※※※※※※※※※※※※ 双子として生まれたエレナとエレン。 かつては忌み子とされていた双子も何代か前の王によって、そういった扱いは禁止されたはずだった。 だけどいつの時代でも古い因習に囚われてしまう人達がいる。 エレナにとって不幸だったのはそれが実の両親だったということだった。 両親は妹のエレンだけを我が子(長女)として溺愛し、エレナは家族とさえ認められない日々を過ごしていた。 そんな中でエレンのミスによって辺境伯カナトス卿の令息リオネルがケガを負ってしまう。 療養期間の1年間、娘を差し出すよう求めてくるカナトス卿へ両親が差し出したのは、エレンではなくエレナだった。 エレンのフリをして初恋の相手のリオネルの元に向かうエレナは、そんな中でリオネルから優しさをむけてもらえる。 だが、その優しささえも本当はエレンへ向けられたものなのだ。 自分がニセモノだと知っている。 だから、この1年限りの恋をしよう。 そう心に決めてエレナは1年を過ごし始める。 ※※※※※※※※※※※※※ 異世界として、その世界特有の法や産物、鉱物、身分制度がある前提で書いています。 現実と違うな、という場面も多いと思います(すみません💦) ファンタジーという事でゆるくとらえて頂けると助かります💦

縁の鎖

T T
恋愛
姉と妹 切れる事のない鎖 縁と言うには悲しく残酷な、姉妹の物語 公爵家の敷地内に佇む小さな離れの屋敷で母と私は捨て置かれるように、公爵家の母屋には義妹と義母が優雅に暮らす。 正妻の母は寂しそうに毎夜、父の肖像画を見つめ 「私の罪は私まで。」 と私が眠りに着くと語りかける。 妾の義母も義妹も気にする事なく暮らしていたが、母の死で一変。 父は義母に心酔し、義母は義妹を溺愛し、義妹は私の婚約者を懸想している家に私の居場所など無い。 全てを奪われる。 宝石もドレスもお人形も婚約者も地位も母の命も、何もかも・・・。 全てをあげるから、私の心だけは奪わないで!!

私の宝物を奪っていく妹に、全部あげてみた結果

柚木ゆず
恋愛
※4月27日、本編完結いたしました。明日28日より、番外編を投稿させていただきます。  姉マリエットの宝物を奪うことを悦びにしている、妹のミレーヌ。2人の両親はミレーヌを溺愛しているため咎められることはなく、マリエットはいつもそんなミレーヌに怯えていました。  ですが、ある日。とある出来事によってマリエットがミレーヌに宝物を全てあげると決めたことにより、2人の人生は大きく変わってゆくのでした。

婚約者様。現在社交界で広まっている噂について、大事なお話があります

柚木ゆず
恋愛
 婚約者様へ。  昨夜参加したリーベニア侯爵家主催の夜会で、私に関するとある噂が広まりつつあると知りました。  そちらについて、とても大事なお話がありますので――。これから伺いますね?

『姉に全部奪われた私、今度は自分の幸せを選びます ~姉の栄光を支える嘘を、私は一枚ずつ剥がす~』

六角
恋愛
復讐はしない。——ただ「嘘」を回収する。 礼儀と帳簿で宮廷の偽りを詰ませる“監査官令嬢”の華麗なる逆転劇。 王家献上宝飾の紛失事件で濡れ衣を着せられ、家族にも婚約者にも捨てられて追放された子爵家次女リリア。  数年後、彼女は王妃直属の「臨時監査官」として、再び宮廷の土を踏む。  そこで待っていたのは、「慈愛の聖女」として崇められる姉セシリアと、彼女に心酔する愚かな貴族たち。しかし、姉の栄光の裏には、横領、洗脳、そして国を揺るがす「偽造魔石」の陰謀が隠されていた。  「復讐? いいえ、これは正当な監査です」  リリアは感情に流されず、帳簿と証拠、そして真実を映す「プリズム」を武器に、姉が築き上げた嘘の城を一枚ずつ剥がしていく。  孤立無援の彼女を支えるのは、氷のように冷徹な宰相補佐レオンハルトと、豪快な近衛騎士団長カミュ。  やがてリリアは、国中を巻き込んだ姉の洗脳計画を打ち砕き、自分自身の幸せと、不器用な宰相補佐からの溺愛を手に入れる——。

処理中です...