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王子一行が去った後、屋敷の空気は一変した。
「エリーゼ」
継母が甘ったるい声で呼びかけた。さっきまでの冷たさは微塵もない。
「はい」
エリーゼは警戒しながら振り向いた。
「あなた、疲れたでしょう。部屋で休んでいらっしゃい」
「部屋、ですか」
「ええ。屋根裏部屋なんかじゃなくて、客室を用意させるわ」
継母は使用人に指示を出した。
「一番良い客室をエリーゼ様に用意しなさい。それから、お食事も豪華なものを」
エリーゼは呆れるしかなかった。つい数時間前まで、使用人扱いをしていた人物が、急に「エリーゼ様」などと呼んでいる。
「結構です。屋根裏部屋で十分です」
「そんなことを言わないで。だって、もうすぐ王妃になられるのだから」
継母は媚びへつらうように笑った。
「あなたは私の大切な娘なのよ。本当はずっと、あなたのことを思っていたの」
「大切な娘……ですか」
エリーゼは冷ややかに繰り返した。
「ええ、そうよ。あの、粗末な服とか、使用人のような仕事とかは、全部あなたを鍛えるためだったのよ。将来、王妃になった時に、民の苦しみを理解できるようにって」
あまりにも白々しい言い訳に、エリーゼは笑いそうになった。
「それは、ご親切にありがとうございます」
皮肉を込めて答えると、継母は気づかないのか、嬉しそうに頷いた。
「分かってくれて嬉しいわ。さあ、客室に案内させるから」
「いえ、結構です」
エリーゼは断固として言った。
「残りの三日間は、屋根裏部屋で過ごします。それが私の部屋ですから」
「でも……」
「それに、殿下が護衛を残されました。私に何かあれば、すぐに報告が行きます」
継母の顔が引きつった。
「そ、そうね。分かったわ」
その日の昼食は、豪華な料理が並んだ。
「さあ、エリーゼ。たくさん食べてちょうだい」
継母は自ら料理を取り分けようとした。
「いえ、自分でいたします」
エリーゼは丁重に断った。毒でも入っていないか疑わしい。いや、今さら毒を盛るほど愚かではないだろうが、信用はできない。
ロザリンドは不機嫌そうに食事をしていた。
「なんで、あなたなのよ」
ついに、我慢できなくなったように吐き捨てた。
「王子様が求婚するなら、私の方が相応しいじゃない」
「ロザリンド!」
継母が慌てて止めた。
「でも、お母様! あの子は使用人みたいな生活をしていたのよ。私の方が、ずっと貴族らしい生活を送ってきたわ」
「それは確かにね」
エリーゼは静かに言った。
「あなたは贅沢な生活を送ってきた。私の母の遺産を使って」
「何ですって?」
「でも、殿下が求めていたのは、贅沢に慣れた令嬢ではなく、苦難を知る女性だった。ただ、それだけのことです」
エリーゼの言葉に、ロザリンドは言い返せなかった。
クラリッサは黙って食事をしていた。時折、申し訳なさそうにエリーゼの方を見る。
食事の後、エリーゼは屋敷の庭を歩いていた。
「お嬢様」
セバスチャンが近づいてきた。
「先ほどは、マルグリット様たちの変わりように驚きましたね」
「ええ。でも、予想通りです」
エリーゼは白い薔薇を見つめた。
「人は、自分の利益のためなら、どんなことでもする。今まで虐げていた相手でも、必要とあらば媚びへつらう」
「お嬢様……」
「でも、もう大丈夫です。あと三日で、ここを出られます」
その夜、継母がエリーゼの部屋を訪ねてきた。
「エリーゼ、入ってもいいかしら」
「どうぞ」
継母は大きな箱を抱えて入ってきた。
「これ、あなたに」
箱を開けると、中には美しいドレスが入っていた。
「あなたのお母様が、生前あなたのために用意していたものよ。私が大切に保管していたの」
嘘だ、とエリーゼは思った。継母が保管していたのは、娘たちに着せるためだったはずだ。
「ありがとうございます」
それでも、礼を言った。母の想いが込められたドレスを取り戻せるなら、それでいい。
「それから、これも」
継母は小さな箱を差し出した。中には、母の宝石が入っていた。
「全部、あなたのものよ。元々、あなたのお母様のものだったのだから」
継母は作り笑いを浮かべた。
「私、本当はあなたのことを思っていたのよ。ただ、表現の仕方が下手だっただけで」
「そうですか」
エリーゼは冷静に答えた。
「では、これまでの虐待も、全て私のためだったと?」
「虐待だなんて、そんな……」
「結構です。もう過去のことは問いません」
エリーゼは立ち上がった。
「ただ、一つだけ約束してください」
「何かしら」
「私がここを出た後、セバスチャンに不当な扱いをしないでください。彼は長年、忠実に仕えてきました」
「も、もちろんよ」
継母は慌てて頷いた。
「それから、使用人たちにも優しくしてあげてください。彼らは何も悪くないのですから」
「ええ、分かったわ」
継母が去った後、エリーゼは母のドレスを広げた。
ラベンダー色の美しいドレス。ロザリンドが着ていたものだ。エリーゼが直した痕跡が、まだ残っている。
「お母様、取り戻しましたよ」
ペンダントを握りしめる。
「あなたの想いも、あなたの遺産も、全て取り戻します」
翌日、今度はロザリンドが訪ねてきた。
「エリーゼ、話があるの」
「何でしょうか」
「あのね、私……今まで、ひどいことをしてごめんなさい」
ロザリンドは形だけの謝罪をした。心がこもっていないのは明らかだった。
「もう王妃になるのだから、昔のことは水に流してくれるわよね」
「水に流す、ですか」
「そうよ。それに、私たち姉妹じゃない。これからも仲良くしましょうよ」
ロザリンドは媚びた笑みを浮かべた。
「王宮にも、時々招待してくれるわよね。舞踏会とか」
ああ、これが目的か、とエリーゼは理解した。
「考えておきます」
曖昧に答えると、ロザリンドは不満そうな顔をした。
「考えておくって、どういうこと? 妹なんだから、当然助けてくれるでしょう?」
「妹……」
エリーゼは静かに笑った。
「あなたは、私を妹だと思ったことがありますか」
「え?」
「使用人のように扱い、ドレスを奪い、母の形見を汚した。それが、姉の愛情表現だったのですか」
ロザリンドは言葉に詰まった。
「ごめんなさい。本当に反省してるの。だから……」
「帰ってください」
エリーゼは冷たく告げた。
「今は、あなたと話す気分ではありません」
「ちょっと、エリーゼ!」
ロザリンドは怒鳴ったが、エリーゼは取り合わなかった。
その日の夕方、クラリッサが訪ねてきた。
「エリーゼ、入ってもいい?」
「どうぞ、クラリッサ様」
クラリッサは部屋に入ると、深々と頭を下げた。
「本当に、ごめんなさい」
その声には、本当の後悔が滲んでいた。
「私も、あなたに酷いことをした。母や妹と同じように、あなたを虐めた」
「クラリッサ様……」
「言い訳はしない。でも、私も怖かったの。母の機嫌を損ねたら、私も同じ目に遭うかもしれないって」
クラリッサは涙を流した。
「でも、それは言い訳にならない。あなたを守るべきだった。一緒に虐める側に回るんじゃなくて」
エリーゼは長い沈黙の後、口を開いた。
「クラリッサ様。あなたは、ロザリンド様や継母とは違います」
「エリーゼ……」
「少なくとも、あなたには良心がある。それは認めます」
「ありがとう……」
「でも、許すかどうかは、まだ分かりません」
エリーゼは正直に言った。
「時間をください。いつか、許せる日が来るかもしれません」
クラリッサは頷いた。
「分かった。待ってる。ずっと待ってる」
三日間は、奇妙な時間だった。
継母たちは過剰なまでにエリーゼに優しく接し、使用人たちも急に丁寧な態度になった。
だが、エリーゼは全てを冷静に見ていた。
人は、立場が変われば態度を変える。それは仕方のないことなのかもしれない。
だが、エリーゼは決して忘れない。
本当に辛い時に、誰が味方で、誰が敵だったか。
そして、三日目の朝が来た。
新しい人生の始まりの日が。
「エリーゼ」
継母が甘ったるい声で呼びかけた。さっきまでの冷たさは微塵もない。
「はい」
エリーゼは警戒しながら振り向いた。
「あなた、疲れたでしょう。部屋で休んでいらっしゃい」
「部屋、ですか」
「ええ。屋根裏部屋なんかじゃなくて、客室を用意させるわ」
継母は使用人に指示を出した。
「一番良い客室をエリーゼ様に用意しなさい。それから、お食事も豪華なものを」
エリーゼは呆れるしかなかった。つい数時間前まで、使用人扱いをしていた人物が、急に「エリーゼ様」などと呼んでいる。
「結構です。屋根裏部屋で十分です」
「そんなことを言わないで。だって、もうすぐ王妃になられるのだから」
継母は媚びへつらうように笑った。
「あなたは私の大切な娘なのよ。本当はずっと、あなたのことを思っていたの」
「大切な娘……ですか」
エリーゼは冷ややかに繰り返した。
「ええ、そうよ。あの、粗末な服とか、使用人のような仕事とかは、全部あなたを鍛えるためだったのよ。将来、王妃になった時に、民の苦しみを理解できるようにって」
あまりにも白々しい言い訳に、エリーゼは笑いそうになった。
「それは、ご親切にありがとうございます」
皮肉を込めて答えると、継母は気づかないのか、嬉しそうに頷いた。
「分かってくれて嬉しいわ。さあ、客室に案内させるから」
「いえ、結構です」
エリーゼは断固として言った。
「残りの三日間は、屋根裏部屋で過ごします。それが私の部屋ですから」
「でも……」
「それに、殿下が護衛を残されました。私に何かあれば、すぐに報告が行きます」
継母の顔が引きつった。
「そ、そうね。分かったわ」
その日の昼食は、豪華な料理が並んだ。
「さあ、エリーゼ。たくさん食べてちょうだい」
継母は自ら料理を取り分けようとした。
「いえ、自分でいたします」
エリーゼは丁重に断った。毒でも入っていないか疑わしい。いや、今さら毒を盛るほど愚かではないだろうが、信用はできない。
ロザリンドは不機嫌そうに食事をしていた。
「なんで、あなたなのよ」
ついに、我慢できなくなったように吐き捨てた。
「王子様が求婚するなら、私の方が相応しいじゃない」
「ロザリンド!」
継母が慌てて止めた。
「でも、お母様! あの子は使用人みたいな生活をしていたのよ。私の方が、ずっと貴族らしい生活を送ってきたわ」
「それは確かにね」
エリーゼは静かに言った。
「あなたは贅沢な生活を送ってきた。私の母の遺産を使って」
「何ですって?」
「でも、殿下が求めていたのは、贅沢に慣れた令嬢ではなく、苦難を知る女性だった。ただ、それだけのことです」
エリーゼの言葉に、ロザリンドは言い返せなかった。
クラリッサは黙って食事をしていた。時折、申し訳なさそうにエリーゼの方を見る。
食事の後、エリーゼは屋敷の庭を歩いていた。
「お嬢様」
セバスチャンが近づいてきた。
「先ほどは、マルグリット様たちの変わりように驚きましたね」
「ええ。でも、予想通りです」
エリーゼは白い薔薇を見つめた。
「人は、自分の利益のためなら、どんなことでもする。今まで虐げていた相手でも、必要とあらば媚びへつらう」
「お嬢様……」
「でも、もう大丈夫です。あと三日で、ここを出られます」
その夜、継母がエリーゼの部屋を訪ねてきた。
「エリーゼ、入ってもいいかしら」
「どうぞ」
継母は大きな箱を抱えて入ってきた。
「これ、あなたに」
箱を開けると、中には美しいドレスが入っていた。
「あなたのお母様が、生前あなたのために用意していたものよ。私が大切に保管していたの」
嘘だ、とエリーゼは思った。継母が保管していたのは、娘たちに着せるためだったはずだ。
「ありがとうございます」
それでも、礼を言った。母の想いが込められたドレスを取り戻せるなら、それでいい。
「それから、これも」
継母は小さな箱を差し出した。中には、母の宝石が入っていた。
「全部、あなたのものよ。元々、あなたのお母様のものだったのだから」
継母は作り笑いを浮かべた。
「私、本当はあなたのことを思っていたのよ。ただ、表現の仕方が下手だっただけで」
「そうですか」
エリーゼは冷静に答えた。
「では、これまでの虐待も、全て私のためだったと?」
「虐待だなんて、そんな……」
「結構です。もう過去のことは問いません」
エリーゼは立ち上がった。
「ただ、一つだけ約束してください」
「何かしら」
「私がここを出た後、セバスチャンに不当な扱いをしないでください。彼は長年、忠実に仕えてきました」
「も、もちろんよ」
継母は慌てて頷いた。
「それから、使用人たちにも優しくしてあげてください。彼らは何も悪くないのですから」
「ええ、分かったわ」
継母が去った後、エリーゼは母のドレスを広げた。
ラベンダー色の美しいドレス。ロザリンドが着ていたものだ。エリーゼが直した痕跡が、まだ残っている。
「お母様、取り戻しましたよ」
ペンダントを握りしめる。
「あなたの想いも、あなたの遺産も、全て取り戻します」
翌日、今度はロザリンドが訪ねてきた。
「エリーゼ、話があるの」
「何でしょうか」
「あのね、私……今まで、ひどいことをしてごめんなさい」
ロザリンドは形だけの謝罪をした。心がこもっていないのは明らかだった。
「もう王妃になるのだから、昔のことは水に流してくれるわよね」
「水に流す、ですか」
「そうよ。それに、私たち姉妹じゃない。これからも仲良くしましょうよ」
ロザリンドは媚びた笑みを浮かべた。
「王宮にも、時々招待してくれるわよね。舞踏会とか」
ああ、これが目的か、とエリーゼは理解した。
「考えておきます」
曖昧に答えると、ロザリンドは不満そうな顔をした。
「考えておくって、どういうこと? 妹なんだから、当然助けてくれるでしょう?」
「妹……」
エリーゼは静かに笑った。
「あなたは、私を妹だと思ったことがありますか」
「え?」
「使用人のように扱い、ドレスを奪い、母の形見を汚した。それが、姉の愛情表現だったのですか」
ロザリンドは言葉に詰まった。
「ごめんなさい。本当に反省してるの。だから……」
「帰ってください」
エリーゼは冷たく告げた。
「今は、あなたと話す気分ではありません」
「ちょっと、エリーゼ!」
ロザリンドは怒鳴ったが、エリーゼは取り合わなかった。
その日の夕方、クラリッサが訪ねてきた。
「エリーゼ、入ってもいい?」
「どうぞ、クラリッサ様」
クラリッサは部屋に入ると、深々と頭を下げた。
「本当に、ごめんなさい」
その声には、本当の後悔が滲んでいた。
「私も、あなたに酷いことをした。母や妹と同じように、あなたを虐めた」
「クラリッサ様……」
「言い訳はしない。でも、私も怖かったの。母の機嫌を損ねたら、私も同じ目に遭うかもしれないって」
クラリッサは涙を流した。
「でも、それは言い訳にならない。あなたを守るべきだった。一緒に虐める側に回るんじゃなくて」
エリーゼは長い沈黙の後、口を開いた。
「クラリッサ様。あなたは、ロザリンド様や継母とは違います」
「エリーゼ……」
「少なくとも、あなたには良心がある。それは認めます」
「ありがとう……」
「でも、許すかどうかは、まだ分かりません」
エリーゼは正直に言った。
「時間をください。いつか、許せる日が来るかもしれません」
クラリッサは頷いた。
「分かった。待ってる。ずっと待ってる」
三日間は、奇妙な時間だった。
継母たちは過剰なまでにエリーゼに優しく接し、使用人たちも急に丁寧な態度になった。
だが、エリーゼは全てを冷静に見ていた。
人は、立場が変われば態度を変える。それは仕方のないことなのかもしれない。
だが、エリーゼは決して忘れない。
本当に辛い時に、誰が味方で、誰が敵だったか。
そして、三日目の朝が来た。
新しい人生の始まりの日が。
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