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「これはどうしてこんな事になってるんですか?!はい、次!それはそっちじゃないと言っているでしょう!?」
「イエッサー!ボス!!」
私は今、せわしなく手を動かしながら普段ならあり得ないくらいの大声を出して他人を叱咤している。なぜこんなことになったのか……思いがけない展開に思わずため息をつきながら、今朝の事を思い出していた。
*****
昨日はロナードが伯爵家の馬車に乗って帰宅したのを見送ると、なんだか一気に疲れてしまった。アーノルド様が気を使って早めの就寝を勧めてくださったのでご好意に甘えることにし、ぐっすりと眠れたのだが……。翌朝、私はいつも賑やかな朝食の場にぽつんとひとりで静かに座っていた。
「申し訳御座いません。坊ちゃまが昨夜から明け方まで旦那様をごうも……いえ、色々と旦那様とお話し合いをなされていたようでして、それにお付き合いされていた奥様とアーシャ様もまだご就寝中でございます。それと……坊ちゃまが気絶なさる前にエトランゼ様に“例の事は解決したから安心して欲しい”と伝えて欲しいと」
「そうですか……ありがとう、マートスさん」
老執事のマートスさんがそう言って頭を下げる。“例の事”とは、昨日のスパイの話のことだろうか?一体このひと晩で何があったのかは気になるが、アーノルド様が大丈夫だと言うならばきっと大丈夫なのだろうと思えた。
「ただ、おひとりでの外出は控えて欲しいとも言われております。今日は休日ですが出来ればお屋敷でお過ごし下さい」
「えぇ、わかりました。それならアーノルド様たちがお目覚めになるまで部屋で本を読んでいることにしますね。後でオススメの本をいくつか持ってきてくれますか?できれば、アーノルド様やアーシャ様と共通の話題になりそうなものがいいのですが」
「畏まりました。お任せ下さい」
こうして私は、部屋でゆっくりと読書をすることにしたのだ。したのたが…………。
これは……緊急事態です。
部屋に戻った私が、外の空気を吸い込もうと窓を開けた瞬間。
「……君が、若さんの婚約者?いや、もう結婚してるんだったっけ?」
「え」
風で靡いたカーテンの影から、仮面で顔を隠した男が姿を現したのだ。
「いやぁ、緊急な案件があって急いで来たのに旦那が寝てて起きないんだよね~。こうなったら若さんでもいいかなって思ったのにこっちも寝てるし。何をどうしたらふたりして片足を花瓶に突っ込んで白目をむいたまま気絶出来るんだろう?旦那はなんか焦げてたし、壮大な親子喧嘩でもしたのかな。さすがに眠ってる夫人の寝室に勝手には入れないしオジョーはまだ子供だろ?だから困ってたんだけど、君ならあの人たちの次に偉い人だよね?ちょっと助けて欲しいんだ」
仮面で表情は見えないのだが、大げさにため息をついて肩を竦めたその人は仮面の奥からジッと私を見つめてきた。明るい日差しの下でハッキリとわかるのは、彼の黒髪と仮面の目元の穴から覗く金色の瞳の色がこの国の人間ではないということだ。
……本で勉強しただけだけれど、確かあの瞳の色は……。
「あ、あの……あなたは一体……」
「若さんのお嫁さんってことは、若奥さんでいいのかな?とにかくセノーデン伯爵家の人間に来て欲しいわけだから……もちろん来てくれるよね?」
そう言うと仮面の人は返事も待たずに私の体を抱え上げると、なんと窓から飛び出したのである。
「ひ、ひにゃぁぁぁぁぁぁ?!」
私の部屋は2階にある。つまり、2階の窓から飛び降りたことになるわけで……私は変な叫び声を上げながら連れ去られてしまったのだ。
「えー、何その声。癖になりそうじゃん。若さんの女の趣味っておもしろいなぁ」
そう言って笑いながら木々の隙間を縫うように駆け抜ける仮面の人。私は理由がわからぬまま恐怖で叫ぶしかなかったのだった。
そうして連れてこられた場所。それは、とあるギルドだったのだ。私は目元を隠す仮面をつけさせられ、執務室らしきところへと通された。そこには山のような書類が積み上げられており、部屋の隅には青ざめた顔をした男が3人正座している。
「いやぁ、実は新入りの奴らが大失敗しちゃってさ。あ、そこにいる3人のことね。俺があれほど王家の言いなりにはならないって通達しておいたのに、なんと勝手に依頼を請け負っちゃったんだよね。どれだけ賄賂もらったか知らないけど、俺の決定に逆らったら命は無いって言ってるのに、王家に恩を売っておけば俺のバックにいる人間に気に入ってもらえるとかなんとか騒いでさ。その俺のバックにいる大物……あ、つまり旦那のことね。その人が王家を嫌ってるっていうのに馬鹿だよね?」
そこまで聞いて、確かセノーデン伯爵が名前を隠してギルドを経営していると聞いていた事を思い出した。それがこのギルドで、仮面の彼は表向きの経営者ということなのだろう。
「……それで、なぜ私を?」
「このギルドの掟でさ。逆らった人間や裏切り者を処罰するときは旦那の承認がいるんだ。勝手にやっちゃったら俺のクビだってヤバいからね。若さんでもよかったんだけどあの通りだったから、だから若奥さんが代わりに決定してくれない?ーーーーどんな方法で粛清するか」
仮面の奥で金色の瞳が細められた途端、正座していた3人が一気に震え上がった。このままではこの人たちがどうなるかなんて悪い想像しか出来ない。
……こんなとき、アーノルド様ならどうするだろうか?ううん、優しいあの方ならきっと酷いことなんてしない。私は必死に考えて、結論を出した。
「あ、あの、仮面のあなた……「俺の名前はナイジェルだよ」……ではナイジェル。私はあの方の代理として動きますが、さすがに誰かの処罰の決定までは出来ません。ですからーーーーこの書類の方をお手伝いしますわ。王家からの依頼を受けてしまったというのなら、その書類は納品書なのでは?それもかなり無茶な」
「……へぇ、貴族のお嬢様にギルドのオシゴトなんて出来るの?ここでは綺麗事なんて通用しないよ?」
「経済と貴族の事に関してなら少しは勉強してますので。それに、あの家に嫁いだ者として恥じない働きをしなくてはいけませんもの」
それに、このギルドはセノーデン伯爵が平民を守るために作られたギルドなのだ。その緊急事態に皆様がここへこれなかったのは私の問題を解決するために徹夜なされたせいだもの。せめてもの恩返しにここは私がなんとかしなくては!
「それに、スパイに命を狙われる事に比べたら書類仕事くらいなんてことありませんわ!」
「……スパイ?ふぅん、まぁいいか。では、若奥さんのお手並み拝見といこうかな」
そうして仮面の人……ナイジェルが一歩身を引くと例の3人はあからさまにホッとした顔で私を見てきた。
「あ、ありがとうございます!あなたは女神だ!」「美人で心が優しい人だ!」「美しい!」
それぞれに私を賛美する言葉を口にするが、イマイチ心に響かない。普段からアーノルド様にやたら褒めちぎられているせいか多少の賛美では動揺しなくなってしまったようだ。
「感謝より仕事をして下さい。今度こそちゃんと言う事を聞いてもらいますからね!さぁ、働きなさい!」
「「「は、はいぃぃぃ!」」」
それから私は書類を仕分けし始めた。それにしてもこの依頼は本当にめちゃくちゃだ。なんでしょうこの「この貴族が喜びそうなものを準備しろ。相手が喜ばなかったら金は払わん」とか。その喜びそうなものがなんなのかも書いてありません。ですが……。
「この国の伯爵家にならこれとこれを。あぁ、そちらにはダメですよ。確かあちらの伝統で禁止されています。それからあの国では宗教的な関係でこの肉は食べません。加工肉をリストから外してください。間違って贈ったらそれこそ戦争の火種になりますよ。あの国は熱心な宗教国家ですから」
私がテキパキと書類を捌いていくと、ナイジェルが「すごいな」と口笛を吹いた。
「昔、私の父が他国との交流のときに色々と話していましたのでそれを覚えていただけです」
本当は父が「この国の下級貴族は伝統だとか宗教だとか理由を付けて肉を無駄にする」と文句を口にしていたのだ。今となっては食べないからといってムダにしているわけではなく皮や油を有効活用し、肉は肥料にしているとわかっているが、あの時は食べ物を無駄にする野蛮人だと思っていたっけ。
「とにかく、新人のミスとはいえ請け負った以上は仕事をしないとこのギルドの汚点になります。依頼書の内容が曖昧なのを逆手に取って全て納品してみせますわよ!そこのあなたたちも、処罰を軽くしてほしいなら必死で働きなさい!」
「「「イエッサー!ボス!!」」」
いつの間にかギルドの方たちに「ボス」と呼ばれ敬礼されているんですがなんでですか?
「イエッサー!ボス!!」
私は今、せわしなく手を動かしながら普段ならあり得ないくらいの大声を出して他人を叱咤している。なぜこんなことになったのか……思いがけない展開に思わずため息をつきながら、今朝の事を思い出していた。
*****
昨日はロナードが伯爵家の馬車に乗って帰宅したのを見送ると、なんだか一気に疲れてしまった。アーノルド様が気を使って早めの就寝を勧めてくださったのでご好意に甘えることにし、ぐっすりと眠れたのだが……。翌朝、私はいつも賑やかな朝食の場にぽつんとひとりで静かに座っていた。
「申し訳御座いません。坊ちゃまが昨夜から明け方まで旦那様をごうも……いえ、色々と旦那様とお話し合いをなされていたようでして、それにお付き合いされていた奥様とアーシャ様もまだご就寝中でございます。それと……坊ちゃまが気絶なさる前にエトランゼ様に“例の事は解決したから安心して欲しい”と伝えて欲しいと」
「そうですか……ありがとう、マートスさん」
老執事のマートスさんがそう言って頭を下げる。“例の事”とは、昨日のスパイの話のことだろうか?一体このひと晩で何があったのかは気になるが、アーノルド様が大丈夫だと言うならばきっと大丈夫なのだろうと思えた。
「ただ、おひとりでの外出は控えて欲しいとも言われております。今日は休日ですが出来ればお屋敷でお過ごし下さい」
「えぇ、わかりました。それならアーノルド様たちがお目覚めになるまで部屋で本を読んでいることにしますね。後でオススメの本をいくつか持ってきてくれますか?できれば、アーノルド様やアーシャ様と共通の話題になりそうなものがいいのですが」
「畏まりました。お任せ下さい」
こうして私は、部屋でゆっくりと読書をすることにしたのだ。したのたが…………。
これは……緊急事態です。
部屋に戻った私が、外の空気を吸い込もうと窓を開けた瞬間。
「……君が、若さんの婚約者?いや、もう結婚してるんだったっけ?」
「え」
風で靡いたカーテンの影から、仮面で顔を隠した男が姿を現したのだ。
「いやぁ、緊急な案件があって急いで来たのに旦那が寝てて起きないんだよね~。こうなったら若さんでもいいかなって思ったのにこっちも寝てるし。何をどうしたらふたりして片足を花瓶に突っ込んで白目をむいたまま気絶出来るんだろう?旦那はなんか焦げてたし、壮大な親子喧嘩でもしたのかな。さすがに眠ってる夫人の寝室に勝手には入れないしオジョーはまだ子供だろ?だから困ってたんだけど、君ならあの人たちの次に偉い人だよね?ちょっと助けて欲しいんだ」
仮面で表情は見えないのだが、大げさにため息をついて肩を竦めたその人は仮面の奥からジッと私を見つめてきた。明るい日差しの下でハッキリとわかるのは、彼の黒髪と仮面の目元の穴から覗く金色の瞳の色がこの国の人間ではないということだ。
……本で勉強しただけだけれど、確かあの瞳の色は……。
「あ、あの……あなたは一体……」
「若さんのお嫁さんってことは、若奥さんでいいのかな?とにかくセノーデン伯爵家の人間に来て欲しいわけだから……もちろん来てくれるよね?」
そう言うと仮面の人は返事も待たずに私の体を抱え上げると、なんと窓から飛び出したのである。
「ひ、ひにゃぁぁぁぁぁぁ?!」
私の部屋は2階にある。つまり、2階の窓から飛び降りたことになるわけで……私は変な叫び声を上げながら連れ去られてしまったのだ。
「えー、何その声。癖になりそうじゃん。若さんの女の趣味っておもしろいなぁ」
そう言って笑いながら木々の隙間を縫うように駆け抜ける仮面の人。私は理由がわからぬまま恐怖で叫ぶしかなかったのだった。
そうして連れてこられた場所。それは、とあるギルドだったのだ。私は目元を隠す仮面をつけさせられ、執務室らしきところへと通された。そこには山のような書類が積み上げられており、部屋の隅には青ざめた顔をした男が3人正座している。
「いやぁ、実は新入りの奴らが大失敗しちゃってさ。あ、そこにいる3人のことね。俺があれほど王家の言いなりにはならないって通達しておいたのに、なんと勝手に依頼を請け負っちゃったんだよね。どれだけ賄賂もらったか知らないけど、俺の決定に逆らったら命は無いって言ってるのに、王家に恩を売っておけば俺のバックにいる人間に気に入ってもらえるとかなんとか騒いでさ。その俺のバックにいる大物……あ、つまり旦那のことね。その人が王家を嫌ってるっていうのに馬鹿だよね?」
そこまで聞いて、確かセノーデン伯爵が名前を隠してギルドを経営していると聞いていた事を思い出した。それがこのギルドで、仮面の彼は表向きの経営者ということなのだろう。
「……それで、なぜ私を?」
「このギルドの掟でさ。逆らった人間や裏切り者を処罰するときは旦那の承認がいるんだ。勝手にやっちゃったら俺のクビだってヤバいからね。若さんでもよかったんだけどあの通りだったから、だから若奥さんが代わりに決定してくれない?ーーーーどんな方法で粛清するか」
仮面の奥で金色の瞳が細められた途端、正座していた3人が一気に震え上がった。このままではこの人たちがどうなるかなんて悪い想像しか出来ない。
……こんなとき、アーノルド様ならどうするだろうか?ううん、優しいあの方ならきっと酷いことなんてしない。私は必死に考えて、結論を出した。
「あ、あの、仮面のあなた……「俺の名前はナイジェルだよ」……ではナイジェル。私はあの方の代理として動きますが、さすがに誰かの処罰の決定までは出来ません。ですからーーーーこの書類の方をお手伝いしますわ。王家からの依頼を受けてしまったというのなら、その書類は納品書なのでは?それもかなり無茶な」
「……へぇ、貴族のお嬢様にギルドのオシゴトなんて出来るの?ここでは綺麗事なんて通用しないよ?」
「経済と貴族の事に関してなら少しは勉強してますので。それに、あの家に嫁いだ者として恥じない働きをしなくてはいけませんもの」
それに、このギルドはセノーデン伯爵が平民を守るために作られたギルドなのだ。その緊急事態に皆様がここへこれなかったのは私の問題を解決するために徹夜なされたせいだもの。せめてもの恩返しにここは私がなんとかしなくては!
「それに、スパイに命を狙われる事に比べたら書類仕事くらいなんてことありませんわ!」
「……スパイ?ふぅん、まぁいいか。では、若奥さんのお手並み拝見といこうかな」
そうして仮面の人……ナイジェルが一歩身を引くと例の3人はあからさまにホッとした顔で私を見てきた。
「あ、ありがとうございます!あなたは女神だ!」「美人で心が優しい人だ!」「美しい!」
それぞれに私を賛美する言葉を口にするが、イマイチ心に響かない。普段からアーノルド様にやたら褒めちぎられているせいか多少の賛美では動揺しなくなってしまったようだ。
「感謝より仕事をして下さい。今度こそちゃんと言う事を聞いてもらいますからね!さぁ、働きなさい!」
「「「は、はいぃぃぃ!」」」
それから私は書類を仕分けし始めた。それにしてもこの依頼は本当にめちゃくちゃだ。なんでしょうこの「この貴族が喜びそうなものを準備しろ。相手が喜ばなかったら金は払わん」とか。その喜びそうなものがなんなのかも書いてありません。ですが……。
「この国の伯爵家にならこれとこれを。あぁ、そちらにはダメですよ。確かあちらの伝統で禁止されています。それからあの国では宗教的な関係でこの肉は食べません。加工肉をリストから外してください。間違って贈ったらそれこそ戦争の火種になりますよ。あの国は熱心な宗教国家ですから」
私がテキパキと書類を捌いていくと、ナイジェルが「すごいな」と口笛を吹いた。
「昔、私の父が他国との交流のときに色々と話していましたのでそれを覚えていただけです」
本当は父が「この国の下級貴族は伝統だとか宗教だとか理由を付けて肉を無駄にする」と文句を口にしていたのだ。今となっては食べないからといってムダにしているわけではなく皮や油を有効活用し、肉は肥料にしているとわかっているが、あの時は食べ物を無駄にする野蛮人だと思っていたっけ。
「とにかく、新人のミスとはいえ請け負った以上は仕事をしないとこのギルドの汚点になります。依頼書の内容が曖昧なのを逆手に取って全て納品してみせますわよ!そこのあなたたちも、処罰を軽くしてほしいなら必死で働きなさい!」
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