幻想世界のセラピスト ~言の音の呪いと聖賢の乙女~

鈴片ひかり

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サマリー5 騎士の鎧と歯茎弾き音

騎士の鎧

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 「じゃあクライグさん、今から私と同じ動きをしてみてください」

 光平は舌尖を突き出し開いた唇の周りを舐めとるような動きをしてみせた。

恥ずかしがりながらも、クライグはその綺麗な歯並びや舌で舐めとるような動きを見せるが、やはり上唇の辺りの舌運動がやはりぎこちない。必死に持ち上げ震えているのが分かる。

何度か同じ動きをしたところで、フィーネに取ってきてもらった包みからある物を取り出した。

 市場で見かけた米粒状の小さいお菓子で香ばしい風味と甘さが癖になる。米ではないが便宜上米菓子と呼ぶことにするが、この米菓子をクライグの上唇にぴたっとくっつけるとやや照れているのか微妙な表情で困っている。

「これを舐めとって食べる訓練ね」

何度も舐めとり食べるというちょっと遊び要素が入ったことで、逆に吹っ切れたのかクライグは何度も練習に挑戦する。

4,5分で休みを入れ、雑談を少々挟みまた 単音の練習。

 こうして訓練時間が過ぎたところで、次回の予約を進めているとクライグはやけに素直に話を聞いている。

「明日も稽古が終わてば同じ時間で、た、たのむ」

「じゃあ一つだけ約束、練習しすぎないこと。私の指示した時間と回数だけしかしちゃだめだよ?」

「分かった、じゃあまたな」

クライグは甲冑を着込むと肩を落とすことなく帰路につく。

 実はこの後ろ姿というのを観察することは、意外に大切なことだと光平は経験上学んでいる。

できることは全てやってやる、治したいという気迫や気概、やる気が背中に書いてある、そんな気がした光平だった。



 「先生、やっぱりラ行→タ行への置換ですか?」

「症状的には置換ではあるんだけど、問題は呪詛がストレートに【置換】になったフィーネさんパターンなのか、もしくはいくつかの部位に影響を与えた複合型なのかだね」

「複合型ですか?」

「うん、クライグ君の場合にはね、舌の尖端、舌尖を上にあげるという運動能力に制限がかかっていたんだ。舌の筋力が落ちて持ち上げるのがうまくいかない状態に大人が陥るってことは、騎士のような体力を持っていたらまず考えられないんだけどね。しかも舌尖に痺れや麻痺の感覚がないときている」

「私の場合は舌の奥のほう、奥舌挙上の問題がなかったんですよね?」

「病状を最初から見ていた訳ではないので、発症当初は筋力減少が起きていた可能性は捨てきれないんだ。フィーネさんは自主訓練を徹底的にやっていたからねそれで筋力がうまくついたという推測はできる」

自分のやっていたことが無駄ではなかったんだという思いがこみ上げてきたのだろう、フィーネは何度か頷き安堵の笑みを浮かべている。

 お茶をすすりながら、光平はクライグという新たなケースの対応について念入に訓練プログラムの作成に取り掛かることにした。

 翌日もクライグは予定の1時間以上も前にやってきて、訓練が終わった子供と自然に遊び始めていた。

「ちしのおにいちゃんだ!」

「ちし、あっそうか、おうそうだぞ! お兄ちゃんもな同じ病気なんだ、一緒にがんばどうな」

「うん!」

母親が驚き、子供が励まされている姿に深くお辞儀をしている。

 子供がべたべたと甲冑を触っても怒ることなく、爽やかな笑顔で遊ぶ姿に光平は感心すらしていた。

 中々あのように自然と子供と打ち解けられる大人はいない。子供が大人を信頼する決定的なポイントのようなものが存在する。

それは自身を守ってくれる存在であるか。父母は絶対的な子供の守護者であるため、信頼を超え親子関係になるが、クライグの場合には騎士としての姿に信頼感が底上げされているのだろう。

そして子供を守りたいと思う大人や、本質的に常にそう考えて行動している大人であれば子供たちは心を開き仲良くなってくれる。

クライグはそういう男なのだと知って光平のやる気も漲っていた。

「やあ先生!」

気合の乗り方が違う。

「気合入ってるねクライグさん」

「進む方向が決まったかた、後はぜんどょく(全力)で進むだけだ!」

「じゃあどれくらいがんばったか見てみることにするよ。口を開けて舌を前歯の裏につけるよう意識しながらやってみて」

クライグ:うーー あーー

「いいね、スムーズに音の流れも感じる。でもやりすぎてるな?」

「なんでわかとぅんだ!?」

「ふふふ、じゃあもう少し舌尖の位置を意識して短くやってみよう」

光平  :うー あー
クライグ:うー あー

「いいね! 力んでないしうまいよ、あと十回繰り返そうね」

単音と単音を 短い区切りを入れて発音する行動はうまくなった。今度は舌の動きが改善されているか見てみようと思う。

 舌で唇の周りを舐めていく動きではあるが、前回よりもスムーズだ。

しかしやはり舌尖挙上の能力がやや不足気味である。

相当に練習したであろうことが分かるものの、やりすぎて舌が疲れている気さえする。

そこで3回ほど練習したところで、光平は思い切った手に出てみることにした。

「クライグ君、休憩がてら剣術をちょっと教えてもらえませんか?」

「え? 剣術!? おし! いいぞこいよ先生!」

思わぬ提案にチェニック姿のままのクライグは、表の広場で木の枝を拾うと光平に投げてよこす。

「いいか、騎士の剣術は基本剣と盾を使うんだ。こうやって構え、一気に踏み込み突く、切ち、打ち返し、盾で押し込み!」

なるほどすごい動きだ。キースからの情報だと、ラングワース王国騎士団の新人エースらしい。だが思うのはあの甲冑を着た上での戦いであれば、重さに動きが制限されてしまわないか? 

クライグから構えを教えてもらい、えい! えい! と必死に振ってみたものの……

「先生さ、あんた相当にセンスないな」

「ひどいなぁ、こんなにがんばってるのに」

「剣を構えたたそこは戦場だ。盾で敵を殴ちつけ隙を作って剣で突く」

「あの重そうな鎧を着て動くんだよね? 軽いほうが相手の後ろに回り込みやすくない?」

「……なんでも見抜いてしまうんだな先生」

クライグの話では、騎士団が身に着ける鎧には三つのタイプがるのだという。

一式甲冑 : 市内巡察や小柄の官吏が武装する際などに用いる軽鎧。騎士はバカにしている。
二式甲冑 : クライグが身に着けているいわゆる騎士甲冑。かなり重そうに見える。
三式甲冑 : 体格に恵まれた者だけが身に着けることができる重甲冑。

 剣術の歴史や他の国の話など、クライグはかなりおしゃべりなほうだった。明るく前向きで善人なのだと思う。

 フィーネは黙って記録をとったりサポートに徹してはいるが、クライグは聖賢の乙女の存在が気になるらしく何度かチラ見している。フィーネほどの美少女ならそりゃ気になるよなとも最初は思ったが、その目には畏怖のようなものが滲んでいることに最近気が付いてきた。

 訓練を開始してから一週間ほど経過した頃である。

クライグが鎧なしで現れたのだ。彼らしい爽やかな空色のベストとデニムに似た生地のズボンとブーツ姿で腰に長剣を下げている。

「先生、母が作ったお菓子です。フィーネ様や子供たちに食べてほしいって」

「ありがとう、お母様によろしく言ってください、っておいしそうだなぁ」

籠の中にはクッキーやマドレーヌ風の焼き菓子が詰まっている。さっそく入れ替わりに帰る親子におすそ分けすると、クライグお兄ちゃんとして既に人気になりつつあった。

「クライグさん、いい笑顔ですね。最初は戦地に赴くような悲壮感が漂っていましたけど」

「騎士のよどいか、うん時によどいは必要だけど、脱げつときは脱いだほうがいいかもしれないね。重いし」
「ふふふ、そうですね」

 クライグはどんどん陽気に、おしゃべりになっていった。元々話が好きなほうだったので、ここでは恥ずかしがることなく思う存分話せるという環境がうれしかったのだろう。

フィーネも相談にのったり、自身の経験を挟むことでクライグを励まし元気づけている。やはり彼女の存在感あっての音無ハウスなのだと実感する。

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