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1話 聖女候補は婚約破棄された
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神殿の聖堂にはたくさんの貴族たちがいて、皆めかし込んで席についていた。
それを隣の部屋の除き穴から覗いている少女が一人……。
ほぅ、とため息をつく様はまるで小鳥が恋に胸を詰まらせているかのようだった。
白い絹でできた質素なローブを着た、淡い土色の長い髪、そしてブラウンの丸っこい瞳を持つ十六歳の可憐な少女……名をティターニアという。
聖堂内の貴族たちはそれぞれ緊張感や期待のこもった表情をしていて、そのざわつきが隣の部屋にいるティターニアにも伝わってくる。
それもそのはずで、今日はこれから国の要たる聖女選定の儀式が行われるのだ。
聖女は結界を張り魔物たちの国内への侵入を防ぐという重要な役目を持つ、国の防衛の要である。
その聖女がつい先日老衰で身罷られた。
そのためすぐに次の聖女が選ばれることとなった。
前代の死による結界の喪失よりも早く新たな結界を張り、魔物たちから国を守るために。
ティターニアはドキドキする鼓動を鎮めようと、もう一度、ほぅっ息をついた。
これからついに、新たなる聖女が選定される。そしてティターニアはその聖女候補の一人だった。
残念ながらティターニアは、自分が聖女に選ばれるとは思えなかったが……。
だが、それでいい。
もう一人聖女候補が聖女に選ばれさえすれば、ティターニアの望む物語がこの世界で始まる。
で、今日はその人が聖女に選ばれるという物語の始まりを、それこそ真っ隣りで目撃するという、そういう記念すべき日なのである。
ロマンティックな物語がこれから始まるのだ……。
「ティターニア」
男の声に名を呼ばれて振り向けば、そこには見知った顔の王子がいた。
「こんな所からのぞき見とは、あいかわらず気色の悪い女だ。また人を騙す算段でもしているのか?」
金髪の王子様。容姿が整っていて、特にまつげの長いぱっちりとした濃い緑色の目が特徴的な二十三歳の青年である。つい二ヶ月前までティターニアの婚約者だったエドモンド王子だ。
「騙すって? なんですか?」
私って人を騙してたっけ……? と本心から疑問に思いティターニアは小首を傾げた。
「騙しただろうが! この僕を! なにが未来の聖女だ、お前のような女が――」
「王子様、ティターニアは人を騙したりなんかしないですよ」
王子の隣りにいる黒髪の少女が、幼さの残る可愛らしい顔をフォローの言葉とは裏腹に、醜悪に歪めてくすくすった。もちろん、ティターニアを助けてくれたわけではない。
彼女が着ている服は風変わりなもので、曰く『高校のブレザー』という異世界の服である。
きっちりとした上着に紺色のネクタイ、それに動くたびに揺れる短いプリーツスカート。
ティターニアはそっと溜め息をつく。
ああ……素敵。異国の服が良く似合う聖女候補……。運命に巻き込まれて……今日ついに聖女に……。
「だってこの人ただのモブだもん。ティターニアって名前があったのも知らなかったくらい。背景にいる顔もないような人が……かと思ったら茶髪に茶目だって。地味よねぇ。こんな地味な人が私の攻略対象を騙せるわけないでしょ?」
彼女はユリカ。二月ほど前に森に一人でいたところを保護され、珍しい物好きな王子が自分預かりとした少女である。
そして彼女こそがもう一人の聖女候補なのである。
ユリカは自分を、『聖女となるために異世界から召喚されたこの世界のヒロイン』だと語った。誰も彼女を召喚などしていないし、女神ファーナ自身が彼女を聖女として召喚したのだとしたら徴があってしかるべきなのだが……そんなものはついぞ示されていない。
だがとにかくこんな格好をしているくらいなのだから異世界から来たのには違いが無い。
それに、言うことがいちいち謎に満ちているのだ。『攻略対象』だの『モブ』だの。いかにも異世界から来たっぽいではないか。
「あ、でも本物の聖女が召喚されちゃったからどのみちもうお役ごめんなんだっけ。なーんだ、じゃあ早く私の神殿から出てってほしいなぁ」
「はいもちろんですユリカ様! 不肖ティターニア、ユリカ様が聖女となられた暁には素早く出て行きます! 即刻! 立ち去りますとも! そしてユリカ様は素敵な物語を! 物語を! 物語を送っておおおおお……」
つい興奮のあまり鼻息が荒くなって言いたいことも最後まで発音できなくなってしまうティターニアに、聖乙女ユリカは気持ち悪いものでも見るような目になって一歩引いた。
「……そ、そう。頼むわよほんと」
ティターニアは、ユリカのファンである。
ユリカはなんとも魅力的な物語を語る――彼女がヒロインの物語だ。
異世界に召喚された平凡な少女が聖女に選ばれ、そこで秘められた力を覚醒させる。そして復活せし魔王を見目麗しき貴公子達とともに討ち倒す……というなんともロマンティックなもの。
そしてティターニアは一度ユリカからその物語を聞いて以来、すっかりその物語のファンになってしまっていた。
ここには長年聖女になるため修行していたティターニアがいたのだが……それでも異世界から来たという希少性と用意された運命には代えられない。寂しいけれど、これも人生だ。
神殿を出て行ったところで行くあてなどないが……これもやはり人生である。
これでも少しは魔力があるし、回復魔法も使える。町から町へ、村から村への流しの回復魔法師とかになろう。そしてユリカが教えてくれた聖女と貴公子たちの物語を語り継ごう。ティターニアは琴も弾けるしリュートも弾ける、踊りもできる。即興で歌を作ることもできる。長年の聖女修行の賜物である。
自分のことなどどうでもいい。聖女ユリカと貴公子達のロマンティックな物語がこの世界で始まることに意味があるのだ。
自分が生きているこの世界でそんな夢のような物語が展開している……そう考えただけでティターニアの血行が良くなる。
王子が感慨深げに頷いた。
「僕もずいぶんティターニアには苦労してきたからな……。ユリカ、今日君が聖女となることでその苦労がようやく終るんだ……」
「この人って聖女候補っていうだけのただのモブですしね。それで王子様と婚約までしてたんでしょ? この人しょせん私が召喚されるまでの繋ぎでしかないし、それじゃあ王子様が苦労するのも無理ないですよ。釣り合ってないもん」
「ああ、うん。そういう……まあそういうものもあるな。確かに。釣り合いってはいないな」
「それがようやくそれぞれの立場に戻るんです。王子様は王子様らしく格好良く活躍しまくる人生に、モブはモブらしく、何の特徴もない、誰にも必要とされない、ただの地味ぃな人生に」
「ティターニアが地味に。ティターニアが地味に……!」
王子は感慨深げに小さく震えながら呟いた。
「僕の苦労が報われる……。本当に、ようやく……ようやく僕は宿命から解き放たれる……。これはもう女神ファーナの祝福の賜物としか思えない。ティターニア、あとは聖女ユリカにまかせて安心して追放されるがいいぞ……」
「はい殿下! ユリカ様はすごい有能ですから安心して去ることができます! 来て早々に王宮を改革までなされたと聞きましたし!」
「あら、それ知ってるの? そうよ。スタンプカード制を導入して使用人達のモチベーションアップに繋げたのよ。毎日仕事ぶりを監察官に査定させて、それでカードにスタンプ押していって溜まったら豪華賞品とカードを交換するの」
「それがまた大成功なんですよね! みんなモチベーションが上がってダダ上がりしたんですよね!!!」
「う、うむ。まさかその豪華賞品がただの鍋敷きだとは思わなかったが……」
食いつきが凄いティターニアにエドモンド王子は明らかに引き始めていたが、ティターニアは逆に王子に食いついた。
「エドモンド殿下、なに言ってるんですか。あの鍋敷きは! ユリカ様お手製の聖なる鍋敷きですよ!!!」
「そうよ。救世の聖女になる私が心を込めて丁寧に作った、聖なる魔力がこもった特別な聖なる鍋敷きよ。何枚あってもまだ足りないって評判なんだから。一枚目は鍋敷きでしょ、二枚目は熱々の取っ手を持つためのミトン代わり、三枚目はタペストリー代わり、それから四枚目は持ち運んで手を拭くハンカチ代わりよ。工夫によってはもっといろんなことができるの。めくるめく鍋敷き世界よ」
とはいえ実際問題、あれがただの鍋敷きであることはティターニアが一番良く知っている。
王宮の使用人達から、これには本当に聖なる力が入っているのか? いや疑うわけじゃないんだけどね……と鑑定を依頼されること度々だからだ。
鑑定するまでもなく、それはただの鍋敷きであった。ただとても丁寧に作られている、かなり上物の布製の鍋敷きである。
異世界からやって来たユリカはまず、王宮内の労働改革をする、と言い出したのだ。その方法は、スタンプを集めたら豪華賞品が貰える! というものだった。
肝心の豪華賞品はなにかといえばユリカお手製の鍋敷き。だからユリカは王宮で日がな一日鍋敷きをチクチク縫っていた。それが自分の仕事だといわんばかりに。
だが実のところ、なんの力もないあの鍋敷きは無用の長物とされることが多かった。
あの鍋敷きいらないんだけど欲しいって言うとユリカ様が喜ぶのよね……という使用人の声をちょくちょく聞くティターニアである。だがそれを本人にぶつけるのは残酷というものだろう。
ちなみに使用人達から欲しいならあげると譲られたユリカお手製の鍋敷きを、ティターニアはすでに五十枚ほど持っている。ティターニアの宝物だ。
王宮に勤めているわけではないティターニアが景品である聖なる鍋敷きを手に入れるには、使用人から貰うしかないのである。
「はいまさに! まさにその通りですユリカ様! あれが欲しくないなんて人間じゃないです!!!!」
「……僕は人間じゃないのかな」
そんな王子の呟きは、有り難いことにユリカには聞こえなかったようだ。
ユリカはご満悦のまま未来展望を語りはじめた。
「私ね、正式に聖女になったらこの神殿も近代化した組織に改革するつもりなんだ。そのためには前時代の聖女候補なんて邪魔なの。だから早く出て行ってね、地味モブ落選聖女候補さん」
「かしこまりです!」
「さすがだユリカ……! ティターニア、ユリカはあっという間に改革するぞ? しかもお前みたいに騒がしくしないでだ。お前はこの神殿に住み着いて長いが、その間になにか成し遂げたことがあるのか? 物を壊すか無くすか喋り続けるかしかしてこなかっただろう」
「ずっと修行してましたから! 何かする暇はなかったです!」
ティターニアは喰い気味で答える。
ティターニアは物心ついた頃にはすでに神殿に住み、聖女候補として育てられていた。なんでも大神官が森で拾ってきた迷い子だったそうである。
それ以来、ティターニアは聖唱の暗記や儀式の段取り、所作や踊りの稽古、それに身を清めることなどで忙しなかった。聖女の修行は多岐に及び、休む暇もない。
「あっでも! ユリカ様も聖女修行ちょっとはしたほうが良いかと思ってお誘いしたんですが……結局一度も来ていただけませんでしたよね?」
「いろいろ忙しくって。鍋敷き作るのにも時間かかるし、それに攻略対象達との人脈作りも前倒ししてたし。まっ、私は特別だから? 修行なんかしなくたって聖女になったら聖なる力をガンガン使えるようになるのよ。そういうふうに決まってるの。それで嫉妬されるって役だから。モブ顔の地味な聖女候補とは最初から違うのよ」
『異世界から来た聖乙女』としてエドモンド王子肝煎りで済し崩しに聖女候補となったユリカは、もちろん聖女の修行などしていなかった。
聖女になるつもりならちゃんと聖女の修行をしたほうがユリカのためになる……例えば儀式の進行などはちゃんと頭に入れておかないとスムースに執り行えない……と心配し、たびたびユリカに一緒に修行するよう誘ったティターニアだったが、ユリカは一度も修行の場には来なかった。
「はぁ……素敵……はぁ……はぁ……」
しかしティターニアは、祈るように両手を胸の前で組むと目をキラキラと輝かせた。ユリカの言葉の中にキラキラした気配を見つけたのだ。
「名門貴族出身の青年将校ラルフ様、魔法院創立以来の天才と謳われるシルヴァ様、王宮御用達商人の跡取り息子のリャーン様。あとユリカ様付きになった魔族ハーフの執事ファル様! そして第一王子のエドモンド様!!! みんなみんな見目麗しい貴公子! そんな貴公子たちと積極的に親睦を深められるのに忙しかったなんて! 当たってる! ユリカ様を中心とした! スポットライトオオォォォ!!!」
「え、攻略対象がその人達ってなんで知ってるの。モブのあなたが知ってる情報じゃないわよね?」
「ユリカ様のことなら何でも知ってますよ! あっ、昨日の夜うなぎ食べましたよね? カバヤキとかいう、甘辛くした調理方法。料理人がユリカ様の料理の腕を大絶賛していましたね! でもユリカ様は『サンショがないと一味足りないわね』って言いました! そしてそのとき一緒に食べたきゅうりの塩漬けが塩っ辛いって塩抜きさせたことも知ってます! すぐに水飲んでた!」
さすがのユリカもこれには引いた。
「見たの? ねえその場にいたの? もしくは誰かがあなたにそれ教えたの?」
「情報源は秘匿します!」
「……待てティターニア。さっきからテンションおかしいぞお前。いつものお前も変だがさすがにここまで変ではないはずだ」
「この目でユリカ様が聖女になるのを見ることができるんですよっ! ここから物語か始まるんです! ここから! この良き日に王子様はテンション上がらないんですか! 私と婚約破棄してユリカ様と婚約されたのに! そんなにも大事なお方が! 聖女になるのにー!?」
丸っこい目をかっぴらいて王子の襟首をガッと握りしめ、顔を近づけ詰め寄るティターニア。
逆に王子は仰け反った。
「怖い怖い怖い怖い! 落ち着けティターニア! お前は今とても怖い!!!」
「うん怖い、てかキモい。モブだから知らなかったけどこの人こんな人だったの……」
冷静さを見せて頷くユリカ。
「その『モブ』っていうのよく分からないけど、私はユリカ様の物語を楽しみにするものであります! 『モブ』というのがそういう意味なら、私は正面切ってのモブですね!」
「そういう意味じゃないわよ。モブっていうのは、そうね……。だから背景なのよ、背景。私の背景」
「うわっ、それユリカ様の近しい存在ってことですよね。凄っ! 私そんなことしていいんですか!? そんなユリカ様の近くでそんなっうっ鼻血出そう」
ユリカに気を取られた隙にティターニアの魔手から逃れたエドモンド王子は、乱れた儀式用の正装を直しながら息をついた。
「よかった……こいつと婚約破棄できて本当に良かった……」
「そういう……。大変だったんですね、王子様……」
王子と聖乙女は二人して虚無感を漂わせている。
それを隣の部屋の除き穴から覗いている少女が一人……。
ほぅ、とため息をつく様はまるで小鳥が恋に胸を詰まらせているかのようだった。
白い絹でできた質素なローブを着た、淡い土色の長い髪、そしてブラウンの丸っこい瞳を持つ十六歳の可憐な少女……名をティターニアという。
聖堂内の貴族たちはそれぞれ緊張感や期待のこもった表情をしていて、そのざわつきが隣の部屋にいるティターニアにも伝わってくる。
それもそのはずで、今日はこれから国の要たる聖女選定の儀式が行われるのだ。
聖女は結界を張り魔物たちの国内への侵入を防ぐという重要な役目を持つ、国の防衛の要である。
その聖女がつい先日老衰で身罷られた。
そのためすぐに次の聖女が選ばれることとなった。
前代の死による結界の喪失よりも早く新たな結界を張り、魔物たちから国を守るために。
ティターニアはドキドキする鼓動を鎮めようと、もう一度、ほぅっ息をついた。
これからついに、新たなる聖女が選定される。そしてティターニアはその聖女候補の一人だった。
残念ながらティターニアは、自分が聖女に選ばれるとは思えなかったが……。
だが、それでいい。
もう一人聖女候補が聖女に選ばれさえすれば、ティターニアの望む物語がこの世界で始まる。
で、今日はその人が聖女に選ばれるという物語の始まりを、それこそ真っ隣りで目撃するという、そういう記念すべき日なのである。
ロマンティックな物語がこれから始まるのだ……。
「ティターニア」
男の声に名を呼ばれて振り向けば、そこには見知った顔の王子がいた。
「こんな所からのぞき見とは、あいかわらず気色の悪い女だ。また人を騙す算段でもしているのか?」
金髪の王子様。容姿が整っていて、特にまつげの長いぱっちりとした濃い緑色の目が特徴的な二十三歳の青年である。つい二ヶ月前までティターニアの婚約者だったエドモンド王子だ。
「騙すって? なんですか?」
私って人を騙してたっけ……? と本心から疑問に思いティターニアは小首を傾げた。
「騙しただろうが! この僕を! なにが未来の聖女だ、お前のような女が――」
「王子様、ティターニアは人を騙したりなんかしないですよ」
王子の隣りにいる黒髪の少女が、幼さの残る可愛らしい顔をフォローの言葉とは裏腹に、醜悪に歪めてくすくすった。もちろん、ティターニアを助けてくれたわけではない。
彼女が着ている服は風変わりなもので、曰く『高校のブレザー』という異世界の服である。
きっちりとした上着に紺色のネクタイ、それに動くたびに揺れる短いプリーツスカート。
ティターニアはそっと溜め息をつく。
ああ……素敵。異国の服が良く似合う聖女候補……。運命に巻き込まれて……今日ついに聖女に……。
「だってこの人ただのモブだもん。ティターニアって名前があったのも知らなかったくらい。背景にいる顔もないような人が……かと思ったら茶髪に茶目だって。地味よねぇ。こんな地味な人が私の攻略対象を騙せるわけないでしょ?」
彼女はユリカ。二月ほど前に森に一人でいたところを保護され、珍しい物好きな王子が自分預かりとした少女である。
そして彼女こそがもう一人の聖女候補なのである。
ユリカは自分を、『聖女となるために異世界から召喚されたこの世界のヒロイン』だと語った。誰も彼女を召喚などしていないし、女神ファーナ自身が彼女を聖女として召喚したのだとしたら徴があってしかるべきなのだが……そんなものはついぞ示されていない。
だがとにかくこんな格好をしているくらいなのだから異世界から来たのには違いが無い。
それに、言うことがいちいち謎に満ちているのだ。『攻略対象』だの『モブ』だの。いかにも異世界から来たっぽいではないか。
「あ、でも本物の聖女が召喚されちゃったからどのみちもうお役ごめんなんだっけ。なーんだ、じゃあ早く私の神殿から出てってほしいなぁ」
「はいもちろんですユリカ様! 不肖ティターニア、ユリカ様が聖女となられた暁には素早く出て行きます! 即刻! 立ち去りますとも! そしてユリカ様は素敵な物語を! 物語を! 物語を送っておおおおお……」
つい興奮のあまり鼻息が荒くなって言いたいことも最後まで発音できなくなってしまうティターニアに、聖乙女ユリカは気持ち悪いものでも見るような目になって一歩引いた。
「……そ、そう。頼むわよほんと」
ティターニアは、ユリカのファンである。
ユリカはなんとも魅力的な物語を語る――彼女がヒロインの物語だ。
異世界に召喚された平凡な少女が聖女に選ばれ、そこで秘められた力を覚醒させる。そして復活せし魔王を見目麗しき貴公子達とともに討ち倒す……というなんともロマンティックなもの。
そしてティターニアは一度ユリカからその物語を聞いて以来、すっかりその物語のファンになってしまっていた。
ここには長年聖女になるため修行していたティターニアがいたのだが……それでも異世界から来たという希少性と用意された運命には代えられない。寂しいけれど、これも人生だ。
神殿を出て行ったところで行くあてなどないが……これもやはり人生である。
これでも少しは魔力があるし、回復魔法も使える。町から町へ、村から村への流しの回復魔法師とかになろう。そしてユリカが教えてくれた聖女と貴公子たちの物語を語り継ごう。ティターニアは琴も弾けるしリュートも弾ける、踊りもできる。即興で歌を作ることもできる。長年の聖女修行の賜物である。
自分のことなどどうでもいい。聖女ユリカと貴公子達のロマンティックな物語がこの世界で始まることに意味があるのだ。
自分が生きているこの世界でそんな夢のような物語が展開している……そう考えただけでティターニアの血行が良くなる。
王子が感慨深げに頷いた。
「僕もずいぶんティターニアには苦労してきたからな……。ユリカ、今日君が聖女となることでその苦労がようやく終るんだ……」
「この人って聖女候補っていうだけのただのモブですしね。それで王子様と婚約までしてたんでしょ? この人しょせん私が召喚されるまでの繋ぎでしかないし、それじゃあ王子様が苦労するのも無理ないですよ。釣り合ってないもん」
「ああ、うん。そういう……まあそういうものもあるな。確かに。釣り合いってはいないな」
「それがようやくそれぞれの立場に戻るんです。王子様は王子様らしく格好良く活躍しまくる人生に、モブはモブらしく、何の特徴もない、誰にも必要とされない、ただの地味ぃな人生に」
「ティターニアが地味に。ティターニアが地味に……!」
王子は感慨深げに小さく震えながら呟いた。
「僕の苦労が報われる……。本当に、ようやく……ようやく僕は宿命から解き放たれる……。これはもう女神ファーナの祝福の賜物としか思えない。ティターニア、あとは聖女ユリカにまかせて安心して追放されるがいいぞ……」
「はい殿下! ユリカ様はすごい有能ですから安心して去ることができます! 来て早々に王宮を改革までなされたと聞きましたし!」
「あら、それ知ってるの? そうよ。スタンプカード制を導入して使用人達のモチベーションアップに繋げたのよ。毎日仕事ぶりを監察官に査定させて、それでカードにスタンプ押していって溜まったら豪華賞品とカードを交換するの」
「それがまた大成功なんですよね! みんなモチベーションが上がってダダ上がりしたんですよね!!!」
「う、うむ。まさかその豪華賞品がただの鍋敷きだとは思わなかったが……」
食いつきが凄いティターニアにエドモンド王子は明らかに引き始めていたが、ティターニアは逆に王子に食いついた。
「エドモンド殿下、なに言ってるんですか。あの鍋敷きは! ユリカ様お手製の聖なる鍋敷きですよ!!!」
「そうよ。救世の聖女になる私が心を込めて丁寧に作った、聖なる魔力がこもった特別な聖なる鍋敷きよ。何枚あってもまだ足りないって評判なんだから。一枚目は鍋敷きでしょ、二枚目は熱々の取っ手を持つためのミトン代わり、三枚目はタペストリー代わり、それから四枚目は持ち運んで手を拭くハンカチ代わりよ。工夫によってはもっといろんなことができるの。めくるめく鍋敷き世界よ」
とはいえ実際問題、あれがただの鍋敷きであることはティターニアが一番良く知っている。
王宮の使用人達から、これには本当に聖なる力が入っているのか? いや疑うわけじゃないんだけどね……と鑑定を依頼されること度々だからだ。
鑑定するまでもなく、それはただの鍋敷きであった。ただとても丁寧に作られている、かなり上物の布製の鍋敷きである。
異世界からやって来たユリカはまず、王宮内の労働改革をする、と言い出したのだ。その方法は、スタンプを集めたら豪華賞品が貰える! というものだった。
肝心の豪華賞品はなにかといえばユリカお手製の鍋敷き。だからユリカは王宮で日がな一日鍋敷きをチクチク縫っていた。それが自分の仕事だといわんばかりに。
だが実のところ、なんの力もないあの鍋敷きは無用の長物とされることが多かった。
あの鍋敷きいらないんだけど欲しいって言うとユリカ様が喜ぶのよね……という使用人の声をちょくちょく聞くティターニアである。だがそれを本人にぶつけるのは残酷というものだろう。
ちなみに使用人達から欲しいならあげると譲られたユリカお手製の鍋敷きを、ティターニアはすでに五十枚ほど持っている。ティターニアの宝物だ。
王宮に勤めているわけではないティターニアが景品である聖なる鍋敷きを手に入れるには、使用人から貰うしかないのである。
「はいまさに! まさにその通りですユリカ様! あれが欲しくないなんて人間じゃないです!!!!」
「……僕は人間じゃないのかな」
そんな王子の呟きは、有り難いことにユリカには聞こえなかったようだ。
ユリカはご満悦のまま未来展望を語りはじめた。
「私ね、正式に聖女になったらこの神殿も近代化した組織に改革するつもりなんだ。そのためには前時代の聖女候補なんて邪魔なの。だから早く出て行ってね、地味モブ落選聖女候補さん」
「かしこまりです!」
「さすがだユリカ……! ティターニア、ユリカはあっという間に改革するぞ? しかもお前みたいに騒がしくしないでだ。お前はこの神殿に住み着いて長いが、その間になにか成し遂げたことがあるのか? 物を壊すか無くすか喋り続けるかしかしてこなかっただろう」
「ずっと修行してましたから! 何かする暇はなかったです!」
ティターニアは喰い気味で答える。
ティターニアは物心ついた頃にはすでに神殿に住み、聖女候補として育てられていた。なんでも大神官が森で拾ってきた迷い子だったそうである。
それ以来、ティターニアは聖唱の暗記や儀式の段取り、所作や踊りの稽古、それに身を清めることなどで忙しなかった。聖女の修行は多岐に及び、休む暇もない。
「あっでも! ユリカ様も聖女修行ちょっとはしたほうが良いかと思ってお誘いしたんですが……結局一度も来ていただけませんでしたよね?」
「いろいろ忙しくって。鍋敷き作るのにも時間かかるし、それに攻略対象達との人脈作りも前倒ししてたし。まっ、私は特別だから? 修行なんかしなくたって聖女になったら聖なる力をガンガン使えるようになるのよ。そういうふうに決まってるの。それで嫉妬されるって役だから。モブ顔の地味な聖女候補とは最初から違うのよ」
『異世界から来た聖乙女』としてエドモンド王子肝煎りで済し崩しに聖女候補となったユリカは、もちろん聖女の修行などしていなかった。
聖女になるつもりならちゃんと聖女の修行をしたほうがユリカのためになる……例えば儀式の進行などはちゃんと頭に入れておかないとスムースに執り行えない……と心配し、たびたびユリカに一緒に修行するよう誘ったティターニアだったが、ユリカは一度も修行の場には来なかった。
「はぁ……素敵……はぁ……はぁ……」
しかしティターニアは、祈るように両手を胸の前で組むと目をキラキラと輝かせた。ユリカの言葉の中にキラキラした気配を見つけたのだ。
「名門貴族出身の青年将校ラルフ様、魔法院創立以来の天才と謳われるシルヴァ様、王宮御用達商人の跡取り息子のリャーン様。あとユリカ様付きになった魔族ハーフの執事ファル様! そして第一王子のエドモンド様!!! みんなみんな見目麗しい貴公子! そんな貴公子たちと積極的に親睦を深められるのに忙しかったなんて! 当たってる! ユリカ様を中心とした! スポットライトオオォォォ!!!」
「え、攻略対象がその人達ってなんで知ってるの。モブのあなたが知ってる情報じゃないわよね?」
「ユリカ様のことなら何でも知ってますよ! あっ、昨日の夜うなぎ食べましたよね? カバヤキとかいう、甘辛くした調理方法。料理人がユリカ様の料理の腕を大絶賛していましたね! でもユリカ様は『サンショがないと一味足りないわね』って言いました! そしてそのとき一緒に食べたきゅうりの塩漬けが塩っ辛いって塩抜きさせたことも知ってます! すぐに水飲んでた!」
さすがのユリカもこれには引いた。
「見たの? ねえその場にいたの? もしくは誰かがあなたにそれ教えたの?」
「情報源は秘匿します!」
「……待てティターニア。さっきからテンションおかしいぞお前。いつものお前も変だがさすがにここまで変ではないはずだ」
「この目でユリカ様が聖女になるのを見ることができるんですよっ! ここから物語か始まるんです! ここから! この良き日に王子様はテンション上がらないんですか! 私と婚約破棄してユリカ様と婚約されたのに! そんなにも大事なお方が! 聖女になるのにー!?」
丸っこい目をかっぴらいて王子の襟首をガッと握りしめ、顔を近づけ詰め寄るティターニア。
逆に王子は仰け反った。
「怖い怖い怖い怖い! 落ち着けティターニア! お前は今とても怖い!!!」
「うん怖い、てかキモい。モブだから知らなかったけどこの人こんな人だったの……」
冷静さを見せて頷くユリカ。
「その『モブ』っていうのよく分からないけど、私はユリカ様の物語を楽しみにするものであります! 『モブ』というのがそういう意味なら、私は正面切ってのモブですね!」
「そういう意味じゃないわよ。モブっていうのは、そうね……。だから背景なのよ、背景。私の背景」
「うわっ、それユリカ様の近しい存在ってことですよね。凄っ! 私そんなことしていいんですか!? そんなユリカ様の近くでそんなっうっ鼻血出そう」
ユリカに気を取られた隙にティターニアの魔手から逃れたエドモンド王子は、乱れた儀式用の正装を直しながら息をついた。
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「そういう……。大変だったんですね、王子様……」
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公爵の思惑通りに進んだかのように見えたが、ルリナは交流会の途中で庭にある森の中へ逃げてから自体が変わる。
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