上 下
94 / 118
第五章 また逢う日まで

第94話 暗躍

しおりを挟む
「なに? ドライが戻って来ただと? ……まぁいい、すぐに通せ」

 男は執事からの思いがけない報告に不機嫌になりながらもその様に令を下した。
 なぜこの英雄バルモア不在と言う絶好のタイミングの現在、任務を放棄してまで戻って来る必要が有ると言うのか?
 男は今一度自らがドライと呼ばれる人物に対して課した任務について達成の可能性を考慮する為に思い起こしていた。

 ドライへの任務は二つ。
 一つは王都にて悪女として悪名高いローゼリンデの動向を探る事。
 特に異性との交遊関係については目を光らせるようにと。
 特定の人物へローゼリンデの意識が向かない様に間に立ち妨害する事もからの要求事項に含まれている。
 その純潔を奪う者が現れようものなら誰であろうと排除する様にと言う厳命も受けていた。
 それが大貴族であろうと……王族であろうと。

 それに加えて、もしローゼリンデが何かの切っ掛けで改心するならば、その真意を見極める事も需要な任務だった。
 何らかの打算により動いているのならその思惑を調べる事、本心からの行動ならばそれがの合図とするとの事だ。

 正直な所、男には依頼人の真意は不明だった。
 ただ、なぜ悪女にそこまで執心するのかは分からなかったが、の成功の折に約束されている地位の為ならば男にとって依頼の理由などどうでも良い事である。
 ただ男が望むのは計画開始を告げる報告を待つだけ。

 しかし、ただ闇雲に時が過ぎいつまで経っても変わらぬ悪女の悪行三昧。
 それを歯痒く思う男が、とうとう我儘な小娘一人など改心などせずとも少し怖い目に遭わせるだけで簡単に言う事を聞くようになるだろうと思い始めていた時だ。
 依頼主からの働き掛けによって事態が急速に進展する事となった。

 同じく事態の進展が一向に進まぬ現状に依頼人も歯痒く思ったのだろう。
 悪女が悪女のままでいる元凶であった英雄バルモアを王都から隔離する事に成功したのであった。
 今までローゼリンデに対する直接的な工作は、バルモアの目が光っていた為に思う様に進まなかったのだ。
 だが、バルモアが王都から居なくなったのであれば、すぐにでも計画の開始を告げる鐘の音を響かせる事が出来るであろうと男は思っていた。
 
 しかしながら、事態は思わぬ展開を見せる事となる。
 なんとドライの工作をせずとも待望であった悪女の改心の噂が最近男の住まうこの地まで届くようになったのだ。
 最初にその噂を聞いた時は天は我に味方したと喜んだ。
 だが、思惑に反してドライからの報告は違ったものだった。

 『目標の心は以前より変わらず。悪意を隠し王都を巻き込む悪戯を計画中である』
 
 男はその報告に目を疑った。
 悪女が都を巻き込む悪戯を計画中?
 小娘一人に何が出来るものかと鼻で笑い、すぐにでも脅して言う事を聞かせるように指示をした。
 しかし、その返答に男は頭を悩ます事となる。

 『今まで耄碌してボケていたと思っていた戦鬼及び神童が目標の協力者として動き出した所為で工作が難航。悪女の悪戯を成功させ王都が混乱した機を狙う事を推奨する』

 焦れていた男はその報告に激怒したものの、先の大戦での戦鬼の働きは嫌と言う程その目で見て来た為、ドライを責める事は出来なかった。
 それだけではない、当初味方に引き入れる筈だった悪女のお付きの使用人である神童が悪女側に付いたと言う事も驚きだった。
 バルモアが握り潰した国家転覆劇。
 本来関係者以外誰にも知られる事の無い事件であったが、握り潰した者の権力が大きい程人知れず波紋は広がるものである。
 もしも、その波紋に気付いた者が居ようとも英雄バルモア程の貴族の行いならば、皆が暗黙の了解として口を紡ぐのだ。
 しかし、気付いた者がバルモアを快く思わない者ならば……?
 そしてその波紋に気付いた男は、すぐに件の首謀者とされる幽閉されし元孤児院の院長に接触し、事の次第を知るに至った。
 自身可愛さで全ての責を神童に擦り付けているだろう事は承知しているが、院長の語る神童の恐るべき才知は自分の手駒として使えると思い、来るべき日には自らの陣営に招き入れようと思っていたのだ。

 そんな二人が何故急に悪女側に付いたのか、それは分からない。
 しかし、下手に無理強いすると進めている計画が露見し今までの努力が無駄となるどころか、将来手に入る筈だった栄光と共に男の現在の立場さえ一瞬で灰燼に帰すであろう事が予想される。
 男は渋々とドライの提案を受け入れる事にした。
 大人しく状況が好転する事を期待していた男だが、王都より遠く離れたこの地に次々と聞こえてくる新たなる聖女誕生の噂の数々と、ドライのもたらす報告には大きな隔たりがある事に焦りを募らせ始めていた。

「奴の人見の目は完璧だ」

 男はそう呟いた。
 完璧だと男がそう言い切る理由は、男自身がドライをその様にからだ。
 ドライと呼ばれる人物は、この男の手によって幼い頃から一流の工作員となるべく英才教育と言う名の拷問紛いの訓練を受けて来た。
 それはなにもドライだけではなく、幾人もの孤児達が同じような訓練を受けていたのだが、最後まで残ったのが彼一人だっただけである。
 脱落して言った孤児達の存在など男の持つ権力によって簡単に揉み消す事が出来る為、その行方はようとして知れなかった。

「もしかすると、悪女の改心を成功させたのか? だから計画進行の為に戻って来た……? いや、計画を実行する際にはドライは王都混乱の先兵として動くように言っていた筈。……ならばもう一つの任務に進展が有ったと言うのか?」

 男は自問自答した。
 悪女についての任務はどうなろうがドライは王都に残る様に命令をしていた。
 しかし、二つ目の任務においては事が事だけにと、本人による報告を言い付けている。
 その任務とは『国境近くの村を視察した際に山賊の奇襲に遭い死亡したとされるオージニアスの捜索』
 死亡したのに捜索と言うのはいささかおかしいのだが、依頼人からの情報では見付かった遺体には首が無くまた身体的特徴の多くが類似していたものの、解剖結果を見るに別人である可能性が高いと判明したそうだ。
 オージニアスは奇襲事件を生き残り、今はこの国の何処かで匿われているらしい。
 その行方を調べ匿われている証拠を見付ける事が出来れば、悪女の改心など待たずとも計画の実行をより望む形で進める事が出来るとの話だった。

「ふむ……。これに関しては一向に進展は無いとの報告だったが、奴めとうとう証拠を掴んだと言う事か……」

 男は自らの予想に笑みが零れる。
 待ちに待った計画の実行、そしてその先に待つ輝かしい栄光の到来に胸を弾ませた。


 コンコン――。

 扉を叩く音が聞こえて来た。
 「入れ」と男は扉の向こうに呼び掛ける。
 その言葉に合わせる様に扉が開き、一人の青年が革製の鞄を手にしながら入って来た。

「お久し振りです、お父様。ご機嫌はいかがですか?」

 青年はそう言うと頭を下げた。
 その瞬間、男の顔は酷く歪む。
 そして扉が閉まると同時に怒号を上げた。

「黙れっ!! ドライ! なにが父かっ! 調子に乗りおって汚らわしい! 屋敷ではその言葉を二度と口にするな!!」

 雷鳴の様な男の怒りを受けてドライと呼ばれた若者は頭を下げて謝罪した。
 しかし、その優雅な仕草に恐れの感情など読み取れず、何処か馬鹿にしているような余裕さを感じて男の苛立ちは更に募る。
 だが、男はその怒りをぐっと飲み込んだ。
 何しろドライは自分に輝かし未来をもたらす為にやって来たのだから。
 折角手柄を立てて帰ってきたのだ、男はそんな優秀な部下に将来就く事になるであろう地位に相応しい寛大な態度を模し、主人としての威厳を見せようと思ったのだろう。
 椅子に踏ん反り返る様に椅子に座り直して形式的な言葉を掛けた。

「で、戻って来た要件はなんだ?」

 本来は今すぐオージニアスの行方について問い質したいのだが、ドライも自分の手柄を褒めて欲しくてうずうずしている筈だ。
 の報告を悠々と構えてじっと耳にするのも人の上に立つ者としての役目である。
 既に男はに酔い痴れていた。

「本日戻りました件について、報告は二つ。一つはローゼリンデについて……」

 ドライは男の取ったその尊大な態度に思わず侮蔑の笑みが零れるのを堪える為、深く礼をする様に頭を下げながら報告する。
 浮かれ頭の男の目には、そんなドライの態度も従順な下僕としか映っていない。
 ドライの語る悪女の近況は今までとそう大差が無い物ばかりだったが、やがて驚きの声を上げた。

「なに? 王に呼ばれただと?」

 その噂はまだこの地には届いていない。
 工作員のドライ以外にも情報屋を雇って報告させているが、その情報は含まれていなかった。
 いや、そう言えばシュタインベルク家の旗を立てた王宮馬車が王都の大通りを走ったと言う報告があった。
 あれがそうだったのかと、男は唸る。

 今まで王宮は悪女が行う悪行に対して無関心を通していたから、その考えには至らなかった。
 てっきり父親が居ない隙に王宮馬車に乗りたいと言う我儘を言って乗ったのだろうと思っていたのだ。

「何故王は悪女などを招聘したのだ? 今まで無視していたではないか」

 悪女と言う言葉にドライはピクンと眉を動かした。
 それまでのにやけた顔が素に戻り、下げていた頭を上げ男に向き直る。

「国王の真意は分かりませんが、聞いた話によるとローゼリンデの父であるバルモア卿が不在の折……」

「おい、バルモアに卿など要らぬ。奴は先の大戦で私の手柄を横取りした卑怯者だ!」

 またもや男の怒りを買ったようで部屋には怒声が響き渡った。
 ドライは涼しげな顔で受け止め頭を下げる。

「申し訳ありません。で、報告の続きですが、王は何か困った事が有れば言うようにと仰られたとの事の様です」

「ふん。……しかし、それだけで悪女を城に? おい! 悪女の改心はお前の報告通りなのだろうな?」

「えぇ、彼女の心は少しも変わっておりませんよ。です」

 ドライは男の言葉ににっこりと笑いそう返した。
 男はドライの言葉に安堵する。
 ドライの人見の目は自身が育て上げた最高傑作と言って過言ではない。
 如何に上手く嘘を吐いていようとそれを看過し心の内を言い当てる。
 その才は、奇しくももう一人の悪女であるビスマルク家の愚女の父カールに匹敵すると言えるだろう。
 少なくとも男はそう信じていた。

「そうか……。まぁ英雄の娘だからと悪女を放置する様な暗愚な王だからな。最近の悪女の噂が気になって呼び寄せたと言う所か」

「えぇ、恐らく。気に留める程の事ではないでしょう」

 噂が真実と確認する為に呼んだのか、それとも王都の民に人気が出て来た為にその人気にあやかろうとしたのか、それとも本気でバルモア不在を気に掛けての事なのか。
 いずれにせよ、ドライがそう言うのであれば問題無かろう。
 男はそれ以上この話題に関して気にする事も無かった。

「それより、悪女が行おうとしている国家を騒がす悪戯となはんだ?」

「……それよりも聞いて頂きたい事が有ります」

 男の問いをはぐらかすかの様にドライは話を遮った。
 本来なら質問に答えない事を怒る所なのだが、男にしたらその言葉を待っていたのである。
 最初にドライは報告は二つだと最初に言った。
 一つは悪女についての事だ。
 その報告の途中に話を中断させたと言う事は、恐らく悪女の報告はこれ以上する事が無いのだろう。
 主人の問いを遮るのだから次こそ本命の話と言う事だ。

「なんだ? もう二つ目の報告と言う奴か? いいだろう、言ってみろ」

 男は嬉しさのあまり語尾が少し上ずっていたが、それに気付いていなかった。

「はい、二つ目の報告。それはオージニアスの手掛かりについてです」

 男の笑みに同調するかのようにその言葉と共にドライの口角が上がった。
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!


処理中です...