【R18】黒猫は月を愛でる

夢乃 空大

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第二章 黒猫の恋人

第53話 受け止めるということ

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 緊張しているのだろうか、心做しか、私を抱き締める腕も震え、弦の心臓はバクバクと脈打つような早い鼓動を打っていた。

 こんな強烈な話を緊張なくして話が出来る心臓の持ち主など、そうそういない。
 話を聞くまでは……というよりは、弦の事を知るまではそう言う人だと思っていただろうけど、今はわかる。
 本当は臆病で、繊細な人……折れそうな心を奮い立たせて生きてきた事を考えると、胸が締め付けられるように痛かった。
 そんな辛い中、異母姉妹達が心の支えになっていたのだと思うと、心から良かったという気持ちと彼女達への感謝の気持ちが湧き、自然と言葉に出た。


「……お姉さんと妹さんだけでも、弦の味方で良かった。……辛かったね。」


 そして、その辛かった気持ちを心から理解したい、そう思って言葉にすると、弦ははっとした顔をして少し考え、やがて得心した、という表情をした。


「うん…そうだね、辛かった……んだろうな。俺には、いつの日からかそういう類の感情が欠落してしまったから、よくわからないんだ。
 微かに残っている感情は、母親と暮らしていた頃の貧乏だったし大変だったけど幸せだった…という感情だけ。引き取られてからが地獄すぎて、もうあまり思い出せないけど……。」


 弦は困ったように薄く笑みながら言った。

 話を聞く限り、完全に心に蓋をして閉じ込めて居たはずの過去のトラウマだ。きっとこの話をするのにはとても勇気が必要だったはず……

 目の前の弦は、いつもの自信に溢れて余裕たっぷりの弦からは想像も出来ない程、弱々しくて、消えてしまいそうなくらい儚くて…

 この人の苦しみを分かち合いたい……いや、全て私が引き受けてあげたい、そう思ったら、酷く胸が締め付けられた。


「辛い話をしてごめんな……」


 そう言う弦の声は今にも泣き出しそうに震えていて、私はそんな弦に愛おしさが溢れ、自然と弦をぎゅっと抱きしめていた。


「ううん、辛いのは私じゃないよ。弦の心だよ。この涙は私のじゃなくて、弦の心が流してる涙なの。だからもう全部出そう?私が受け止めるから。」


 弦の痛みを代わってあげたい、そう思ったら涙が溢れて零れ、弦の肩をしとどに濡らした。


「名月……ごめんね、ありがとう……。」


 弦は震える声でそう呟くと、私をぎゅっと抱きしめる。
 暫くすると、私の頭にぽたぽたと暖かい雫が落ちてきた。


「ううん、謝らないで…私が勝手に泣いてるだけなんだから……。」


 私は弦の頬に手をあてて涙を拭い、優しく微笑むつもりだったのに、涙が止まらなくてただくしゃくしゃになっただけけ…かっこ悪すぎる。
 そんな顔を弦に見せられないから、誤魔化すように頭を振って弦に飛びつくように抱きつくと、弦は私を抱き止めきつく抱き締める。

 ふたりで抱き合ってひとしきり泣いた後、弦はぽつりと言った。


「他に聞きたいことはある?」

「あの…弦のお父様は…お継母様の事止めなかったの?」


 弦の問いかけに、私はさっき抱いた疑問を弦に投げかけると、弦は少し考えてから説明してくれた。


 弦の父親は婿養子で、愛人との間の子供を押し付けた負い目から、継母には強く言えなかったと。
 また、継母は父親の目の届かないところでは、弦のことを使用人扱いしていたが、表向きは弦を可愛がっているように見せていたので、誰も気が付かなかったと。


「だから高校進学の時に、父親に頼んで家を出たんだ。あんな所にいるくらいならひとりの方が全然マシだよ。……」


 弦はふぅとひと息吐いた後、私から少し身体を離した。


「ひとりで暮らすようになって、やっと父親とは関係ない人間関係が築けるって、漸く色眼鏡なしで付き合えるって思ったのに……どこからか、俺が梶原の息子だって分かると今まで見向きもしなかった奴らが、掌返したように擦り寄ってくるの。明らかに父親の権力狙いとか、金に媚びて来る奴らばかり。
 そうじゃないって思って、付き合った友人も女も、結局俺の父親に取り入りたい奴らが、子供をダシにしてただけだったり、俺の後ろ盾とかが目当てだった。擦り寄ってくる奴らの大半がそうだってわかってからは……噂の通りだよ。」

 弦は苦虫を噛み潰したような表情をしてそう言った。


 そうか、だから……

「誰も信じない、誰にも本気にならない……」


 私がポツリと呟くと、弦は頷き言葉を続けた。


「そう、友人も女も。幼い頃からそう言う人間の二面性を嫌という程見せつけられ続けたら……誰の事も信じられなくもなるよ。女に関しては特にね。
 だから、相手が一晩限りの遊びを望めばその場限りだし、彼女という立場を望めばそれなりの付き合いはしてきたよ。表面上はね。でも、誰ひとり本気になれる奴はいなかった。名月以外は……。」


 全てが繋がった。
 いつも見せる綺麗に作られた笑顔や、掴みどころのない態度は、本心を悟らせたくないから……
 人を信じられないのに、人一倍寂しがり屋だから誰彼構わずに手当り次第手を出した……

 全ては傷つくのを恐れた防衛本能から……

 やってる事は決して褒められた事ではない、というか、同性としては許されない事なのだが、結論が出ると私は弦を責める気にはなれなかった。
 そして、過去の女性達へ申し訳ない気持ちと、弦に対しては、もう二度とそんな気持ちにさせないように私も努力しないといけないな、と改めて思った。

 それら全てをひっくるめ、私は弦の全てを受け止めると決めた。

 色々と考えを巡らせていると、不意に弦が私の額にキスした。そこで、漸く私の意識が目の前の弦に戻った。
 視線が絡むと、弦は優しい笑みを浮かべて言う。


「俺ね、家に人入れたの家政婦以外は名月が初めてなんだよね。家に入れるってさ、心を許すってことでしょ。そんな人間と出会えるなんて思ってなかったけど……」


 出逢えた、そう言うと私をふわりと抱きしめた。
 弦の言葉に胸が詰まって、鼻の奥がツンとした。


「初めてだったんだ、純粋な善意をぶつけられたのは…俺の周りには、人を蹴落とそうとか取り入ろうとか…悪意と媚びに満ちた人達ばかりだから、そういうの直感的に分かるんだよね。
 だって名月、あの時、純粋に困ってた人を助けようとしただけでしょ?」


 そう、あの日……弦と出逢ったあの日。
 本当は公園前の喫煙所で、弦がタバコを吸っている所に女の人がやって来て、口論しているところから見ていた。
 水商売風の出で立ちの少し派手目の女性と背の高い眉目秀麗な男性が白昼堂々とやり合っていたので、遠目からでもかなり目立っていた。

 やがて女性が小さめで硬そうなブランドバッグを振り上げた時に、流石にヤバいと思い仲裁に入ろうとしたが、恐怖で足が竦み、結果弦が殴られるのを見ていただけだった。

 それが申し訳なくて、近くに寄って声を掛けたのだ。

 見ていたかどうか聞かれた時は、助けられなかった負い目から、なんの事かとすっとぼけたが……

 その時の思いは、確かに純粋な善意のみだった。だから私は弦の問いかけに、うん、とだけ答える。


「名月と出逢ったあの日あの時に、君のその悪意のない優しさと、純粋で意志の強さを湛えた瞳に、俺はひと目で捕らえられて恋に落ちたんだ。理屈じゃなくて、本能で。それが恋だって気がついたのは、もっとずっと後の事だけど。」


 そこまで話すと、弦は私から身体を離してきちんと向かい合って座り直し、目を閉じて深い深呼吸をした後、ゆっくりと目を開け私をじっと見つめて言った。


「名月、俺の長い話を聞いてくれてありがとう。俺が本気だってわかってくれたかな?それとも、こんな俺はもう嫌になっちゃった?」


 困ったように、眉を下げて笑いながら私に愛を乞うように言う弦に、心が揺さぶられ、目からは大粒の涙が零れ落ちる。
 弦は私の涙を拭うと、おでこをくっつけて柔らかく笑んだ。
 その瞳には、私への愛情しか浮かんでいなかった。
 こんなに深く私の事を愛していた人を少しでも疑ってしまった事に、激しく後悔して、弦への申し訳ない気持ちが溢れ言葉になる。


「うん…うん…私こそ、ごめんなさい。疑って…こんな辛い話までさせて……本当にごめんなさい……嫌になるはずない……」


 弦は泣きじゃくる私を抱き寄せてきつく抱き締め、頭を撫でてくれる。


「ありがとう。本当はね、鈴木が宮田と付き合ってるのもだいぶ前から知ってたんだ。すぐにでも逢いに行きたかったんだけど、名月に逢いに行く勇気がなくて……何年もかかっちゃった。ごめんね。色々と拗らせてヘタレな俺だけど……これからも一緒にいてくれる?」


 私は泣きながら、コクコクと何度も首を縦に振った。
 私も弦と一緒にいたかった。

 弦は私の瞳を覗き込み、微笑むと真剣な眼差しを向けて言った。


「色々と順番を間違えてごめんね。改めてちゃんと言うよ。
 仲原 名月さん、君を心から愛しています。俺と結婚を前提に付き合っていただけますか?ゆっくりでいいから、信頼関係を築いていこう?それで……名月さえ良ければ…俺と家族になって欲しい。」


 そう言えば、好きだとか愛してるとは言われていたが、俺の物になってくれる?は付き合ってと同義?いずれにしても、きちんと付き合ってとは言われていなかったな、と思い出した。
 それを改めて言われると……ただただ嬉しかった。嬉し過ぎて、胸がぎゅうぎゅう締め付けられていっぱいになって、私の目から涙がボロボロと零れた。精一杯笑顔を作ったが、きっとまたくしゃくしゃな顔になったと思う。

 そして、頭の中で反芻した時に、はたと思った。
 家族になって欲しいって……


「ふふふ……それ、ほぼプロポーズ……」


 口に出してみたら可笑しくなって、思わず笑いが出た。
 その言葉を聞いた弦は、バツの悪そうな顔でくしゃっと笑い、ふたりして、ボロボロ泣きながら笑った。


「はは、ほんとだね。あぁ…かっこ悪いな。正式なのは、指輪を用意してからちゃんとするから……それで、名月……返事…聞かせて?」


 弦の手が私の頬に触れて溢れる涙を拭うと、私も弦の頬に触れ弦の涙を拭う。
 視線が絡み瞳をしっかり見つめると、愛おしさが込み上げてきて、想いをそのまま言葉にして返事をした。


「……はい、私もあなたを愛しています。私こそ、これからも猫実さん…弦と一緒にいたい、家族になりたい……一緒にいてくれますか?」


 何だか私の返事もプロポーズみたいだったな、と言い終わってから気が付いた。
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