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第三章

第60話 逸る気持ち

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「あー……俺は今回パスかな。ていうか、これからはあんまり参加出来ないかも。」


 俺がそう言うと、小森は慌てたようにテーブルを飛び越えてきて俺の肩をガシッと掴み、俺をガクガクと前後に揺さぶった。


「えぇ~っ!!!何で?!ダメだよ!瀬田っちも参加して!」

「いや……進学決まったし、そろそろ俺もやりたい事あるからさ。早速色々……」


 このまま揺さぶられるのは頭がグラグラして気持ち悪いので、とりあえず目の前に迫る小森の頭に軽くチョップを食らわして動きを止めると、くわっと目を見開いて小森は俺の言葉に被せてきた。


「何?!何よそれ?!そのやりたい事って俺らと遊ぶ事よりも大事な事な訳?!」


 再び揺さぶろうとした小森の手を、俺は溜息をつきながら肩からひっぺがして言う。


「大事だな。そろそろマジで金貯めないと……」

「え、なになに?金貯めるって、お前バイトでもすんの?」


 猫実のスマホを覗き込んでいた近藤が俺の発言に横から口を挟んで来たので、俺はパンを頬張りながら首を縦に振って肯定の意を示した。

 それに対して、小森が吃驚したのか目をまん丸に見開いて固まった後、思いついたように口を開く。


「……マジかよ。バイトすんのか……でもさ、それ、今やんなきゃいけない事なの?大学入ってからでも良くない?ていうか、まだ俺ら校則でバイト禁止じゃなかったっけ?」

「あー…まぁ、通常ならそうなんだけど…進学決まったら特例で解禁になるって、進路指導のまきに前に相談した時に言ってたからさ。」


 俺がそう言うと、先程までスマホを弄っていた猫実がスマホをテーブルに置いて俺の顔をじっと見ながら、何かを考えるような素振りをして言った。


「あぁ…非公式だけど、そう言えばそんなルールあったねぇ。」

「そなの?知らなかったー。でも、まぁ、俺らバイトとかしないだろうからあんまり関係ないかぁ。」


 俺と猫実の話を聞いて一瞬小森は心底驚いたような顔で言ったが、すぐにいつものようにへらりと表情を崩すと、また猫実のスマホ画面に視線を落とした。
 猫実は頬杖を着いたまま、目の前のスマホを小森の方へ押しやると俺に視線を戻してにっこりと綺麗な笑顔を浮かべて訊ねる。


「で?瀬田はその特例を使ってまで急いで金貯めて何すんの?」


 最近気が付いたのだが、猫実は他人に興味がない。
 故に、普段から俺らのくだらない話には適当に相槌を打つくらいの事しかしてこない。

 しかも、面倒な事に巻き込まれるのが嫌なのか、こういった突っ込んだ話には滅多な事で口を挟んで来ないはずなのだが……

 ちらりと猫実の表情を見ると、いつも通りの貼り付けた様な綺麗な笑顔で微笑んでいるだけだ。
 どこからどう見ても、俺の話に興味がある様には見えないが、興味があるのか、それともただの気まぐれなのか……俺に声を掛けた真意が全くわからなかった。

 だけど確かなのは、猫実の表情と口調から察するには、奴はこの件から引く気がないという事だ。
 あの綺麗な笑顔から、誤魔化しや適当な返事をさせないよ、と言外の圧力を感じて、ぶるりと身が竦みそうになる。

 そんな猫実の表情を見て俺は質問に答えるしかなく……諦めて深く嘆息すると、意を決して口を開いた。


「……会いに行きたいんだ。」

「ん?誰に?」

「…幼馴染で元許嫁…いや、まだ保留だから辛うじて許嫁かな。」

「「は?許嫁?!」」


 俺の言葉に小森と近藤は吃驚して大声を出して一斉にこちらに視線を向けるが、猫実は相変わらず頬杖をつき、うっそりとした笑みを湛えたままこちらを見ていた。


「そ。許嫁。俺ね、許嫁の香乃果に会いにカナダに行きたいんだ。それには渡航費用貯めないと。」

「ちょ、ちょっ、ちょっと待て!お前、許嫁なんていたの?マジで?!カナダ?へ?どゆことよ?!?!」


 普段は冷静な近藤が目を爛々とさせながら興奮気味に迫ってくる。
 猫実の威圧に負けてポロリと話しただけなのに、意外と食いついてこられて面倒な事になったな、と若干後悔をし始めたが、後の祭り。
 話をせざるを得ない状況に追い込んでくれた猫実を、恨みを込めて一瞬じろりと睨めつけると、さっさと諦めて近藤の問いに当たり障りの無い言葉で答える。


「うん、いる……いや、いた?この学校にいたんだけど、香乃果が3年に上がる前にカナダに留学しちゃったんだよね。」

「へぇ…知らなかったなぁ。いつから?」

「生まれた時からずっと一緒に育ってきた幼馴染なんだけど……ちょっと今微妙な関係なんだよね。」

「はぁ?なんだそれ…… でもさ、許嫁なんだろ?留学なら時々帰ってくるんだろうし、待ってりゃいーじゃん。」


 俺の言葉に、呆れたような顔をしてそう言う近藤に、まぁ普通はそう思うよなと、心の中で独り言ちると遠い目をしてやり場のない思いを口にする。


「それがさ……まぁ、色々あってさ。帰ってこねぇんだよ。もう2年経つんだけどな……」

「あぁ…なるほど。お前捨てられたのか。」


 近藤は遠い目をしている俺を見て何かを納得したかのように頷くと、意地の悪い顔でニヤリと笑ってそう言った。


「す、捨てられてねぇわ!!!ただ…忙しいだけだろ?!」


 頭にカッと血が昇り、俺が大声を出すのと同時にテーブルをバンと叩いて立ち上がると、隣の近藤が先程よりもニヤニヤを増しながら揶揄うように言う。


「はっ……どうだかねぇ。大方カナダで新しい恋人でも……」


 近藤の言葉に今度はスっと血の気が引くのを感じた。
 俺は隣の近藤の胸ぐらを掴むと、座っていた近藤を立ち上がらせ睨めつけた。


「……おい、それ以上言ったら、タダじゃおかねぇぞ。」


 自分でも吃驚する程、地を這うような低い声が出て、目の前の近藤が息を呑む。

 ビリビリとした一触即発の空気が流れた。
 すると、突然パチンという鋭い破裂音が聞こえてきて、俺らの意識は一斉にそちらに向かい、音のなった方へ視線を向けると、猫実が先程と変わらない表情で手を合わせて座っている。
 どうやら、先程の破裂音は猫実が手を打った音だったようだ。

 俺らの視線が猫実に注目をしている中、当の猫実はにっこりと綺麗な笑みを浮かべると、腕を組み俺らをぐるりと見回して言う。


「はい、辞め辞め。瀬田、ただの冗談…軽口だからとりあえず落ち着いて。ていうか、近藤、お前もさ、冗談にしてはちょっと言い過ぎだと思うけど?」


 猫実が柔らかいけれど有無を言わさない口調でそう言うと、近藤はバツが悪そうに項垂れ、小声でポツリと漏らした。


「……ごめん。言い過ぎた。」


 素直に謝罪の言葉を口にする近藤に、俺は燻る怒りの矛を収めざるを得ず、渋々掴んでいた胸ぐらを離すと代わりに荷物を掴んだ。


「あ、あの……瀬田……」

わり、俺のせいで空気悪くなった。とりあえず今日は帰るわ。」


 そう言い捨てると、俺は立ち上がった。


「…あ、あぁ……マジでごめん。てか、気を付けて帰れよ!!!また来週な!!!」


 心底申し訳無さそうにそう言う近藤の言葉に、俺は苦笑いを零すと軽く手を挙げて返事をして、そのままくるりと背を向けて学食の出口に向かった。

 家への帰り道、先程近藤から言われた言葉を思い出す。

 この2年間、何度もメールを送っているのに一度も返信がない事を気にしないようにしてきたが、もしも近藤の言う通り、現地で新たな出会いがあって、パートナーが出来ていたら……そんな事を考えると、どうしようも無い不安感に襲われ足が止まる。

 早くカナダへ行かなければ……
 気持ちだけが逸る。
 だけど、おじさんとの約束もある。
 今出来るのは、メールを打つことだけ。
 それも一方通行の……

 返信はなくとも、今の所は送ったメールが宛先不明で戻ってくる事はないし、メールアドレスだって生きている。
 それはそれで辛いけれど、それだけでも、拒絶されていないと思えて頑張れるし、今置かれている状況の中、ひとつだけ残された大切な接点だった。

 そうだ、帰ったら久しぶりに香乃果へメールを打とう。
 そして、必ず近いうちに会いに行くと伝えよう。

 そう心に決めると、俺はどうにもならない思いを溜息にのせて深く吐き出し再び家に向けて歩を進めた。

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