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第三章
第68話 門出
しおりを挟む「なぁ、渉……一緒に行くか?」
予想に反した言葉に耳を疑った。
てっきりあっちに行ける事を自慢されるのかと思っていたのに、まさか、そんな俺に都合のいい事をなんて言われるなんて思ってもいなかった俺は、正直、自分の願望なのか、それとも兄が言った現実の言葉なのか、それすら理解出来ずに思考回路がフリーズした。
ぽかんと固まっている俺の目の前で、ひらひらと手を振り帰還を促す兄にハッと我に返ると、真剣な顔でじっとこちらを見ている兄の視線とかち合う。
「で、行くの?行かないの?ていうか、お前もいい加減、香乃果に会いたいでしょ?」
兄の答えを促すような言葉に、さっき聞こえた言葉が現実のものだと漸く理解すると同時に、俺の意思よりも先に口が反応していた。
「……いく。会いたい……香乃果に、会いたい……」
「だよね。そう来なくちゃ!」
俺の答えを聞いた兄はニィっと片口角を上げてそう言うと、簡単に概要を話してくれた。
穂乃果の件が露顕してから約1年半……
それまでカウンセリングしてきた穂乃果の報告書を纏めたものを12月入ってすぐに兄は准教授から受け取ったそうだ。それPDFにしておじさんにメールで送った後、おじさんから連絡がきて詳しい話を聞きたいと言われたので、その報告と今後の穂乃果の処遇について、近々シアトルのおじさんの所へ行って話をする事になっていたらしい。
この冬休みに入ったらすぐにでもと日程を調整していたようなのだが、兄のバイト先…家庭教師の受け持ちの生徒のひとりが今年高校受験の為、追い込みで冬休みに追加の授業をみっちりと頼まれてしまったのだ。
その上、大事なレポート提出の期限が2月までなので、どうしても冬休みでは都合がつかなくて、諸々調整したら何となく3月になったとの事だった。
勿論、渡航が伸びた分、今回の事も准教授に伝えた上で、追加の報告書を出してもらうと笑いながら言っていたが、多分、理由はそれだけではない気がする。
だって、話をするだけなら俺を連れて行く必要はないし、わざわざバンクーバーじゃなくて直接シアトルのおじさんの所へ行けばいい訳だし。
どうせ兄の事だから、俺の事も考えてくれておじさんと調整してくれていたんだろう。
おじさんとケジメのつもりで交わした誓約書通り、俺は学業を優先してきて、つい最近まで進学の為の勉強に打ち込んでいた。
そんな俺が、突然、今すぐ香乃果に会いに行くぞと言われても、きっとすぐに心の準備が出来なかっただろうし、パニックになっていたと思う。
まぁ、話を聞いた今現在も若干パニックになっている訳だが……
そして、おじさんと兄が調整しているその時期は、俺が卒業する時期……
今回、報告書を持っておじさんに会いに行くという大義名分まで付けてくれたおかげで、旅費についてはおじさんが負担するという俺にとっては有難く、そして願ってもない申し出だった。
時期に費用負担の名目に……どちらも交わした誓約書に反する事はない。
これはあの時に申し出てくれたフォローの一環だという。
そこで俺は何となく、きっとこれはおじさんにとっての贖罪なのだろうな、と理解した。
そう考えると全てがパズルのピースのようにカチッとハマって辻褄があう。
「じゃあ、日程とか詳細が詰まったら報告するから、お前はどっしり構えて待っててよ。」
楽しそうにそう言う兄は、きっと俺の為に方々調整してくれたのだろう。相変わらず憎い事をするな、と感謝しつつ苦笑いをすると、兄もつられて笑った。
こうした兄の計らいで、俺は香乃果には会いに卒業式の後、すぐに渡加する事が決まった。
◇◇◇
兄と話した日から数日して、紗和さんの紹介でホテルのベルボーイのバイトが決まった俺は、冬休みに入ってからすぐに働き始めた。
休み中は毎日、学校が始まってからは土日祝を中心に、平日は放課後から数時間…がむしゃらに働いて、何とか目標の渡航費を貯める事が出来た。
だから、少しでも足しになるなら…とせめて自分の分の宿泊費用だけでも負担させて欲しいとおじさんに伝えたが、今後の為にも貯めておきなさいと笑顔で断られた。
今回はおじさんが出してくれたが、それ以外で渡航したい場合は勿論、自分の貯金で行かなければならない。おじさんの任期の3年の間に度々報告があるからと言っても、それにばかり頼るつもりもないし、行けるものなら沢山行きたい。
そう考えて、素直におじさんの言う通り貯めておくことにした。
そんな日々を過ごしていたら、気が付いた時には3月。
そして今日、俺は無事高等部を卒業した。
思い返して見ると、始めてこの校舎に足を踏み入れた中等部から今日高等部を卒業するまで、あっという間だった。
幼稚舎から高等部まで、外部入学などで多少の流入出はあっても、そこまで入れ替わりもなく一緒にやってきたメンバーも、大学となると、足切りや外部受験などで内部進学するのは半数程になる。
加えて大学は学部も人数も増え、キャンパスも近郊だが数箇所にある為、長く共に学んだ学友達とも実質ここでお別れだ。
いい思い出も、そうでもないくだらない思い出も、そして悲しい出来事も……沢山この学舎で経験した。
隣の敷地のキャンパスは文学部と教育学部、心理学部などはあるが、俺の進む学部は別のキャンパスになるので、仲の良かった猫実達とも進む学部によっては離れ離れになってしまう。
たまに来る事はあっても、ここに通うのは今日で最後になるのだ。
そう考えると感慨深くちょっぴり寂しく感じたりもして、不覚にも卒業式で号泣してしまった訳だが……
卒業式後、教室で猫実と俺は政治経済学部、小森は商学部、近藤は法学部に進むという事を伝えられ、蓋を開けてみればみんか通うキャンパスは同じという事が判明した。
猫実とは中等部2年から、小森と近藤とは高等部入ってからの付き合いだが、いつもこの4人でつるんでいた。
だから話を聞いて、この後大学に入ってからの4年間も共に学んで行けることが何よりも嬉しかった。
感極まって一度引っ込んだ涙が再び溢れたところで、ニヤニヤ顔の3人から種明かしがあった。
みんな同じキャンパスだった事を俺を除いた3人は、事前に知っていたらしいのだが、3人は俺を驚かせてやろうと態と黙っていたのだと。
それを聞いた瞬間、感動の涙はスっと引っ込んだ。
だが、時すでに遅し……
既に卒業式で号泣し、そして先程まで涙を流し……目はパンパンで鼻はずびずび状態。どんなに取り繕っても、ぐっちゃぐちゃの顔だ。
そんな泣きすぎて目と鼻を真っ赤にしている俺を囲んで大爆笑されたのは、ちょっと……いや、かなり癪に触った。
だけど、同時にそんな彼らの深い友情に感謝の気持ちが湧き上がってくると、再び涙が滲んできて溢れてしまった。
もちろん、それを見た3人は再び大爆笑をし、更に謝恩会と二次会が終わるまで延々と揶揄われた続けたのは言うまでもない。
そして、先程後ろ髪を引かれつつも帰宅して、入浴を終えて部屋に戻ってきた俺は、トランクの中身と、パスポートと航空券などの携帯品の最終確認をしている。
と、いうのも……
とうとう明日、夕方の直行便でバンクーバーへ発つのだ。
飛行時間は約9時間、日本を夕方に出発してバンクーバーには午前10時くらいに到着する。そして、現地には3泊4日程滞在する予定だ。
初日の夜、早速おじさんと合流して、そのままおじさんも同じホテルに泊まり、翌日報告会の流れになるとの事。
香乃果と会えるのは3日目。
おじさんが香乃果を観光に誘い出し、待ち合わせの場所へ連れてきてくれるそうだ。
段取りはわかった。理解もした。心も決めた。
漸く会いたくて堪らなかった香乃果に会える日が、あと少し…もう目前にまで迫ってきている。
嬉しくて嬉しくて心が踊って仕方がない。
だけど、逸る気持ちとは裏腹にとてつもない緊張と不安感も襲ってきている事も事実ではある。
久しぶりに顔を合わせるのだが、どう思われるのか。
上手く話ができるだろうか。
それよりも、きちんと気持ちを伝えられるのだろうか。
先程まで、喜びで満たされていた心は今は不安に塗り潰されて、押し潰されそうになっていた。
それもそのはず……
今の香乃果には俺への気持ちがない事を、俺は知っているから……
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