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最終章

第101話 果たされなかった約束

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 最初の約束反故は俺が後1年となった大学3年の夏。
 夏休みに帰国した香乃果から院に進学をしたいと打ち明けられた時だった。

 寝耳に水…という程ではないが、それなりに吃驚はした。

 というのも、香乃果の進学については付き合ってからの2年間で、何度か仄めかされた事はあったので、ある程度想定していた範囲内だったから。

 それに、多少心づもりは出来ていたとはいえ、進学しようかなぁ?どうしようかな?程度で決定的な話は今まで一度も出た事がなかったので、てっきり約束通り卒業後の同棲は既定路線だと勝手に思っていた。

 思っていたのだが……
 どうやらそうではない方向に話が流れていた。


 そもそも、はどうなった?


 高校を卒業してすぐに会いに行ったあの再会の日に交わした、『お互いに大学を出たら一緒に暮らそう』と言う約束。

 あの日、正式に恋人になってから、沢山話し合って決めたあの約束は、やっと気持ちが通じて恋人になりたての甘々な時期に、愛しい恋人と離れて暮らす事が俺にはとても辛くて寂しくて……

 あの約束は、そんな離れたくない気持ちを押し込めた代わりに取り付けた、未来への希望だった。

 だってそうでもしなければ、甘えた根性の俺が遠距離恋愛なんてできっこなかったから。

 だけど、そうまでしても不安は一切消えなくて……

 後ろ髪を引かれまくりながら帰国した後は、学校やバイトの後、睡眠時間を削って時間を作って、殆ど毎日のようにメッセージアプリやSkypeのビデオ電話で近況報告をし合ったし、長期の休みの時は必ずバンクーバーまで会いに行った。

 一見すると順調に愛を育んできたようにも見えるが、正直なところ、もう無理だと思ったり心が折れかけたのも一度や二度ではなかった。

 それでもなんとかやってこれたのは、あの日の別れ際の約束があったから。

 その約束だけを俺の支えに、卒業後の事を思い浮かべて必死に耐えて来たのだ。

 それなのに……

 覚悟はしていたとはいえ、やはり実際に進学を告げられると、凄まじくショックだった。

 まるで俺の事を拒絶されたように感じてしまい、それは崖から突き落とされたくらいのダメージだった。

 俺と香乃果の気持ちの乖離をまざまざと見せつけられ、ショックで目の前が暗くなった。


 好きで好きで会いたくて堪らないのは俺だけなの?
 会えない時間も俺はずっと香乃果の事を想っているのに……
 一緒に居たいと思っているのも俺だけなの?

 そんな考えが頭を過ぎると、にも暴れ出してしまいそうな程の怒りと、どす黒い感情がふつふつと湧き上がってきた。


 そんなの……俺を拒絶するなんて許さない。


 本音ではそう言ってやりたかったし、大声で反対を叫びたかった。

 だけど……香乃果の努力を一番近くで見てきた俺は、そんな事できなかった。

 だから、俺は辛くて苦しくて心がバラバラになってしまいそうだったけれど、言いたいことも自分の気持ちも押し込めて、香乃果の気持ちを優先する事にしたのだが、葛藤がなかったわけではない。

 気持ちの整理だって当然一筋ではいかなかったので、すんなり了承は出来なかった。

 それでもなんとか自分の中で折り合いを付けられたのは、ある条件を香乃果が了承してくれたからだった。


 そのとは……


『大学院を卒業したら即入籍をする』事。


 本来の約束なら香乃果の進学の話が出なければ帰国した後、一緒に暮らす予定だったのだから、時期的にも問題ないだろうと。



 と、いうのも、あの時交わした『お互いに大学を出たら一緒に暮らそう。』という約束には実は続きがあって、正確には

『お互いに大学を出たら一緒に暮らそう。1~2

 というものだったのだが、有り体に言うと、『結婚ありきの同棲』で、『』のつもりだった。

 それに、そもそもの話、俺達は『恋人』である事以前に『許嫁』で『婚約者』なのだ。
 本来ならこれが、婚約になるなんて、口に出さなくても暗黙の了解で当たり前の事だと思うのだが……

 俺はあえてちゃんと伝えていた。

 言葉で伝える事で、少なくとも俺は香乃果にきちんと先の事を考えていると、伝えたかったのだ。

 そして、俺の言葉に香乃果は瞳を潤ませて頷いてくれた。
 だから、俺は香乃果も同じ気持ちで、同じ事を思ってくれている、そう思っていた。

 思っていたのだが……

 どうやら香乃果は俺の覚悟を信じていなかったという事なのか、それとも、俺の伝え方が悪かったのか。

 いずれにしても、きちんと認識があっていなかった為の行き違いという事だろう。

 そう理解すると、俺の中で急激に怒りが収まっていくのを感じた。
 そして、過去の己の所業を振り返り、覚悟を信じて貰えなかった自分自身にも酷く落胆した。


「これも全て因果応報だな。」


 俺は独り言ちると、目の前で項垂れている香乃果の顔を両手で包んで上を向かせ、涙に濡れた香乃果の瞳を覗きこんで、言含めるように言った。


「どうしても進学をしたいなら…本音を言えばすっげぇ嫌だけど…わかったよ、了承する。
 卒業後、同棲に充てる予定だった2年間を香乃果の夢に宛ててもいいよ。だけど、約束して?院を卒業したら絶対に帰国して?それからすぐに結婚して欲しい。いい?」


 "今回は香乃果の進学を容認するけれど、当初のゴールは変えない。"と言外にそう告げた俺の言葉に、香乃果は一瞬大きく目を見開くと、ポロポロと涙を零し、そして、消え入りそうな声で言った。


「…いいの?」

「…っ。そんなの……」


 本音を言えば良くはないし、嫌だ。
 つい勢いと雰囲気で了承してしまったけれど、確認されるとやっぱり嫌だなと思う気持ちが出てきた。
 だけど、一度口から出た言葉はもう元には戻らない。覆水盆に返らず…既に賽は投げられてしまっていて、もはや後戻りはできなかった。

 仕方なく俺は心を決めると、ふぅと大きく嘆息した後、嫌だと言いたい気持ちを押さえつけて、不本意である事を全面に押し出しながら緩く頷いた。


「…ありがとう。」


 俺の返答に香乃果ははにかみながらそう言った。


 その瞬間、卒業後更に2年間も俺と香乃果は離れ離れ生活が決まった。

 後1年とちょっとで一緒に暮らせると期待でパンパンに膨らみきっていた心が、まるで風船が割れるようにパーンと俺の中で弾けて消え、心にぽっかり大穴が空いた。


 まるであの時のように……

 香乃果が俺の前からいきなり消えてしまった時のように、何もかもどうでもよくなってしまった。

 例え香乃果が傍にいなくても、約束の日までを指折り数えていた日々は希望と喜びに満ちていたのに、それが無くなってしまった今、勉学にもバイトにも就活にも身が入らなくなった。


 朝起きて、大学行って、就活して、バイトして
 そしてメッセージアプリでの毎日の報告をして
 時たま香乃果と他愛のない話をして夜が明ける前に寝る


 毎日同じ事の繰り返しで中身のない生活を、俺は魂の篭っていない機械マシーンのようにただ単調にこなしていくだけの日々を過ごした。

 その中で唯一、俺が機械から人間に戻れた時間は香乃果と毎晩していたSkype通話だった。

 しかしそれも、俺の就活と香乃果の進学試験の勉強の為、極力控えようと提案があり、相談の結果、2~3日に一度、もしくは週末のみにしようと決まった。

 唯一の逃げ場がなくなり、追い討ちを掛けるように、ますます俺の生活は荒んでいった。

 そんな俺を見兼ねた高校の時からの悪友達は、ここぞとばかりに俺を夜遊びや合コンに誘ってきた。

 そして、何も無くなった俺はその誘いに縋った。

 流されるまま、誘われるがままヤケになって派手に遊んだ。
 だけど、何をしていてもぽっかり空いた大穴には焼け石に水で……
 何をしても満たされる事はなく自分自身を削るだけ。
 そんな日々を過ごしているうちに、俺は日に日に憔悴していった。

 そんなある時、珍しく合コンではなく事情を知っているイツメンの4人で集まって飲む事があり、勧められるまま大量に酒を飲まされた俺は悪酔いしてクダを撒いたりウザ絡みをしてしまった。

 その時、ついポロリと香乃果への不満が零れると、ストッパーが外れて、一度零れた気持ちは堰を切ったように後から後から溢れて止まらなかった。

 小森と近藤曰く、どうやら初めからそのつもりで酒に大して強くない俺に酒を飲ませていたらしい。


 俺の胸の内を聞いて欲しかった。
 わかって欲しかった。
 共感して欲しかった。


 そうして、まんまとヤツらの思惑通り、酔ってベロベロになった俺は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら泣いた。

 泣いて泣いて……

 誰にも言えなくて押し殺していた本音を、泣きながら勢いよくぶち撒けた。

 小森と近藤は、そんな俺の態度に面食らい、話を聞き絶句した。
 そして、共感して一緒に怒って、寄り添って慰めてくれた。

 だけど、一番共感して欲しかった猫実だけは他のふたりとは違って、端の席で酒を煽りながら俺の醜態に対して、終始冷めた視線と態度で傍観していた。

 その視線に急激に頭が冷えていくと、だんだんムカついてきて、よせばいいのに、俺はわざわざ隣の近藤を押し退けて猫実に絡みに行った。


「なぁ、弦。お前さっきから黙ってるけどさ、可哀想な俺になんかないの?」


 猫実は怠そうに嘆息した後グラスを置くと、鋭い視線で俺を見据え、今まで見た事もない様な歪んだ顔で吐き捨てるように言った。


「愛だの恋だの友情だの、そんなのに振り回される人生なんて、実にくだらないよね。反吐が出る。」

「はぁ?!お前に俺の何がわかるって言うんだよ?!」

「知らないし、興味ないよ。てか、お前、他人の俺に何求めてんの?同情?『可哀想だね、渉は頑張ってるよ。』とか言って欲しいわけ?まるで、悲劇のヒーローかよ。はぁ…残念な頭してんね。」

「…っ、てんめぇ!!!」


 その通りだった。猫実の言葉はまさに核心を突いていて、言い当てられた瞬間、恥ずかしさと怒りでカッと頭に血が上った。

 怒りに任せて猫実に掴みかかると、咄嗟に小森が俺と猫実の間に入り、近藤が俺を押さえ付けた。


「渉っ!やめろっ!!!…弦も、言い過ぎだ!」

「…そうかもね。それじゃあ俺はこの場には相応しくないみたいだから消えるわ。じゃあまた明日学校でね。」

「おい、弦!ちょっと待てよ。」


 近藤の言葉をスルーして、猫実は至極冷静に俺の手を掴んで外すと、無言で1万円をテーブルに置いて部屋を出て行ってしまった。

 その後、ふたりに宥められ何とか興奮が収まると、そのままお開きになったが、酔いが冷めた俺の頭には後悔に埋め尽くされていた。

 そして後悔を引き摺ったまま次の日登校すると、早速1限目から猫実と同じ講義が入っていて、多少身構えていると、なんのことはなく、「おはよ。」と言うと普通に俺の横に座った。

 その後の学校での猫実も拍子抜けする程いつもと変わらない態度で、俺が戸惑っていると、小森も近藤も笑いながら「まぁ、弦はいつもそんな感じだよな。」と言った。

 確かに言われてみれば、中等部で知り合った頃からそうだった気がするし、その理由にも何となく心当たりがあった。

 ただ、俺は…俺だけはその理由には該当しない、そう思っていたのに……

 猫実の態度を見て、それはただの俺の自惚れだった事に気が付くと、怒りと同時に深い悲しみが俺の胸を襲った。

 もう無理だった。

 ただでさえ香乃果との事で疲弊していた心が限界を迎え、それからの俺は親友だと思っていた猫実と、その取り巻きである小森と近藤と少しずつフェードアウトするように距離をおいた。

 自分の心を守るために……

 
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