虚飾城物語

ココナツ信玄

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第四章

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 何の言葉も交わさないままサンドを出た高貴な人達の乗り物は、気まずい静寂に満たされた状態で王都を目指した。
 そして半月後、二人は目と目を合わせることもなく、遂に王都イルガイアに辿り着いてしまった。
 賑やかな都の大通りを抜け、貴族達が住まう屋敷の群を尻目に、長旅に幾分くたびれた様子の馬車は行く。
 車輪の下が平らな石に変わった時、ようやく馬車は王宮へ続く巨大な鉄の門の前に辿り着いた。
 御者が門番に王女の到着を告げると、地鳴りのような重い音を立て、門に刻まれた翼を広げた白鷹のレリーフが二つに割れる。しかし長旅の終焉を告げるその音は、王女の気持ちを晴らしてはくれない。
 馬車の中を相変わらずの静寂が包んでいたからだ。
 門は開ききり、馬車は再び走り出す。
 門をくぐり、飛沫を煌めかす噴水の脇を掠め、来客を検分する五人の騎士が待つ宮殿の入り口を目指し、車輪は白い道の上を回り続ける。
 何か話さなくてはと焦るが、何の言葉も浮かばない。

(ずっとこのままだなんて……こんな気まずい状態のまま別れるのは嫌なのに!)

 挨拶でもいいから話そうと決意し、リディアは前に座っているルークを見上げた。
 喉が干上がってしまったような気がした。
 ルークは冷たい光を湛えた瞳で、まるでリディアの姿が見えていないのかのような凍れる月の目で、こっちを見ていた。

(……この瞳を前にして、一体何を言える?)

 開きかけた唇を閉ざし、リディアは俯いた。
 やがて馬車が停まり、扉が開かれる。
 ルークはいつかのようにリディアを庇う仕草を見せなかった。

(私が全てを壊してしまったのか?)

 悲しい気持ちで思ったが口に出せるはずもなく、リディアは外から差し伸べられた騎士の手を取り、無言で馬車から降りた。

「長旅ご苦労様でした。マイラ王妃殿下が接見の間でお待ちです。ご案内いたします」

 リディアの手を取った騎士が恭しい仕草で会釈し、王宮の中へと促す。その時、背後で馬車の扉が軋んだ音を立てた。振り返るとルークを乗せたまま馬車の扉が閉まっていた。
 どういうことかと訝ったリディアの耳に、焦れたような騎士の声が届く。

「ルーク様は別の御殿に案内いたします。さ、リディア様はこちらへ」

 騎士の言葉通りに馬車は動き出し、開いたままだった鉄の門へと戻り始めてしまった。
 ガラガラと音を立てて去っていく馬車を見送りながら、リディアは後悔した。

(こんな風に引き離されるのだったら、例え罵られたとしても、何か話し掛けておけばよかった)

 やがて門は馬車を飲み込み、リディアから隠すようにその重い口を閉ざした。

 


「ああ、リディア! 王都でお前と再び会えるなんて……何と嬉しい誤算でしょう!」

 後宮の「接見の間」の扉が開いた途端、リディアの生母マイラ王妃が感極まったように両手を広げて駆け寄って来た。

「母上、お久しぶりです」

 突き倒されそうな勢いでしがみ付かれ、驚きながらリディアは母の背に手を回した。

「貴方が辺境に追いやられた時は、この母の胸は壊れてしまうかと思いました……けれども貴方はこうして帰って来た!」

「はい」

 首筋にマイラ王妃の涙を感じ、リディアの胸にもようやく再会の喜びが沸き起こってきた。
 幼い時に別れ、何度も帰りたいと願った母の腕の中にようやく帰って来たのだ。
 感動は大きかった。しかし別れた時に彼女の隣で手を振っていた二人の兄の姿は無い。
 だからこそリディアが母の元に呼び寄せられたのだが、体を震わせる感動と同じくらい、そのことが改めて胸に痛かった。

「もうすぐ十八になるのですね。何て時が経つのは速いのでしょう。あんなに小さかったリディアが成人し、この国の王となる。本当に何て速い。嬉しいことです。けれど……私は貴方の母親であるはずなのに、貴方の今日までのことをまるで知らない……」

 王妃の肩が震えているのに気付き、リディアは顔を覗き込んだ。
 しかし母親は我が子の視線を恥じるように手で顔を覆う。

「こんな私を見ないで、リディア! 私は貴方の母親に相応しくないのだから!」

「何を言うのです母上! 私が王都を離れたのは、決して貴方のせいではない」

「いいえ、いいえ! 我が子の成長を知らない母親が、どこの世界にいるのです……」

 涙に声を震わせ、王妃はリディアを置いて後宮の奥へと駆け去ってしまった。
 王妃に招かれたとはいえ、自室まで付いて行くことは出来ない。
 ここは後宮だ。
 王以外の人間が勝手気ままに歩いていい場所ではない。相手が母親といえど例外は無く、次期女王といえど、ここでは即位式を迎え戴冠を済ませるまでは彼女はただの王女なのだ。
 追いかけるように伸ばされたリディアの右手が力無く落ちる。
 何だか酷く、疲れていた。

(長旅の後だものな……もう、休もう)

 首を垂れ、開け放ったままの出入り口に向かってリディアが歩き始めた時、頑なな、何かを堪えるような低い女の声が聞こえた。

「リディア様……」

 顔を上げると、今は亡き二人の兄の母アイダ王妃がこちらを見ていた。
 ここは王妃達が住まう後宮。第一王妃であるアイダは、マイラとリディアの話し声を聞きつけて挨拶にやってきたのだろう。
 有り得ることだ。
 しかし顔に浮かんでいる表情は、次期女王の到着を喜んでいるものとは程遠い。

「今日お着きになったのですね。私のお祝いの言葉は届きましたかしら?」

「きちんといただきました! ありがたいお言葉を頂戴致しまして、恭悦至極です」

「そうですか……それは」

 和やかな会話をしているのに、不意にアイダ王妃の顔が醜く歪められた。

「忌々しいこと!」

 リディアは息を呑んでその場に立ち竦んだ。
 王妃の顔に浮かんだものの正体を悟ったのだ。

「辺境に追われた田舎臭い王女風情が、この国の女王となる……何て滑稽な話!」

 それは憎悪だ。

「あら? これは」

 唐突にアイダは接見の間に備え付けられている、テーブルの上に視線を移した。そこにはリディアの婚約者となるべき人間達の肖像画が山のように積み上げられている。
 おそらくはマイラが持ってきたのだろう。今日この時にリディアの伴侶を決めてしまおうと思っていたのかもしれない。
 アイダはそれをつまらなそうに眺めていたが、突然嘲りに近い笑みを浮かべてその全てをテーブルの上から払い落とした。

「何て忌々しい!」

 大きな音を立てる絵の山に、張り合うようにアイダが叫んだ。

「私の王子達は皆死んでしまったのにっ!」

 堅い大理石の床に散らばる絵と、憤怒の形相のアイダをリディアは交互に見比べる。
 絵の中にギュンター候の顔を見たような気がしたが、今は構うことが出来ない。

「貴方だけがのうのうと生きるなんて……」

「アイダ様!」

 やり切れなくなって口を開いたリディアを、アイダは射抜くような強い眼差しで睨んだ。

「お前など、どこぞでのたれ死んでしまえばよかったものを!」

 憎悪と共に吐き捨て、アイダは踵を返して足音高く廊下を歩いて行ってしまった。
 後に残されたのは、あまりの言葉に衝撃を受け、呆然としているリディア一人。

(私は母上の、アイダ様の……あの方達の心を乱すつもりなど無かったのに)

 救われないほど打ちのめされて、リディアは接見の間に立ち尽くしていた。


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