虚飾城物語

ココナツ信玄

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第六章

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「即位前に侍女との間に出来た子供だったことは覚えているが……」

「女の子―女の子―。若い娘ぇぇぇ」

「ああ、確か……ラーラとか言ったか」

 一瞬、リディアの意識が無くなった。

「ひぃぃぃぃっ!」

 鳥の鳴き声にも似た叫びに我に返った時、リディアは手に持っていたペンでカリムの右目を突いていた。

「痛い痛い痛いぃぃぃっ!」

 サーベルを放り出し、片目を押さえて地面を転げ回るカリムの手は、赤黒い液体に濡れている。

「父上、貴方は……貴方と言う人は!」

 怒鳴り、自由になった右手を地面に這わせ、カリムが放り出したサーベルの柄を握った。

「リディア! おのれ、おのれぇえぇっ!」

 憎々しげに、今は一つしかない青い瞳で睨みつけてくるカリムを睨み返しながら、リディアは地面に座り込んだまま刃を構えた。

「貴方こそ罪深い所業を悔いるがいい!」

 歯を剥き出してこっちを睨んでいるカリムに向かってサーベルを投げつける。

「リディア、貴様……」

 その先、王が言おうとしたことを知る者はこの世に一人として居なくなった。
 彼はサーベルによって命を落としたのではない。
 カリムは刃がその顔面に吸い込まれる前に消えてしまったのだ。
 刃はカリムの着ていた絹の寝巻きを地面に縫いとめ、動きを止めた。

(……一体?)

 口を開けて放心していたリディアの体が、不意に束縛から解かれた。

「あーあー時間切れー」

 振り仰ぐと、異形の女の姿に身を変えたディーマ神がリディアの頭上近くに浮かんでいた。
 神は愛らしい仕草で唇を尖らせ、不服そうに鼻を鳴らす。

「せっかくトルトファリア最後の魂を手に入れる所だったのに……役立たずな王だ! せっかく分割で払うことを許してあげていたのに、契約する前に自分が死ぬなんて」

 目を丸くして自分とカリムの服を交互に見ているリディアの視線に気がついたのか、異形の女は可愛らしく首を傾げ、美しいが故に禍禍しい笑みを浮かべた。

「あーれー? 気付いていなかったのかい、王女殿下? いや、もう今は女王陛下かなぁ。前の愚かな王様はね、とっくの昔に自分の命で契約をしていたのだよ。願いはこうだ! 我が願いを叶える者よ、出でよ! 私を混沌から呼ぶ為だけに自分の命を支払ったのさ! 何て愚かなんだろう! だからワタクシ心優しき道化めは、一度に魂魄全てでなく、少ぉしずつ支払ってもらうことにしたのさ!」

 女はきゃらきゃらと甲高い笑い声を上げ、それからリディアに向かって何かを放った。

 反射的に両手で受け取ったものの動揺して天幕の出口に向かってそれを投げ捨てたリディアを見、女は黒い瞳に赤い涙を浮かべた。

「あれ酷い! 女王陛下はワタクシの贈り物が気に入らないと仰る! この世の宝、願いを叶える秘宝をお捨てになられる! それが気に入らないのなら、どうぞこれを」

 言っておもむろに自らの瞳をくり抜き、赤い涙に濡れたそれをリディアに差し出す。
 怯えて息を呑んだリディアの気配を察し、神は笑う。

「これなるはディーマの瞳。貴方の父親が欲した右目でござい! 右目でござい! これならばお気に召すかと……貴方の命と引き換えに、何でも叶えて差し上げましょう! 出来ることなら彼の暗愚なる国王のように、お得意様になって頂けたらさも幸い!」

「いらんっ!」

 激したリディアに、裸体をしならせ古代神は大笑いする。
 手にした瞳を床に放り、それが固い硬質な音を立てるのを聞き届けてから、唐突に弾けて黒い霧になった。
 驚いて腰を浮かせたリディアの耳に、退屈そうな溜め息がどこからか聞こえる。

「あーあー時間切れだなんて……馬鹿な人間、馬鹿な王だ。あーあー……」

 呟きを最後に、古代神は姿を消した。
 虚空を見つめ呆然としていたリディアは、背後でした衣擦れの音を引き金に我に返った。

「どうやらディーマ神は去ったようですね」

 ルークはしっかりと立ち上がり、まだ座り込んでいるリディアへと歩いてきた。

「お前、さっきまで苦しんでいたのに……」

「呪いをかけたカリム様が亡くなられたのと同時に、私の呪縛も解けたようです。今はもう何ともありません」

 淡々と言うルークは、まるで先刻の出来事など幻だったかのように冷静に見えた。しかし褐色の体が纏う青い礼服には、しっかりと呪いによって噴き出た血が付着している。

(呪い……)

 リディアは呆然としながらも、差し伸べられたルークの手を取って立ち上がった。
 視界を血で汚れた銀髪が埋め尽くす。

(父上が掛けた、呪い)

「最悪の事態は避けられたようですが……果たしてどのように皆に言えば良いでしょう? 天幕もカリム様のご遺体もこの有様……上手く説明しないと面倒なことになってしまいますよ」

 リディアは繋いでいた手を離し、ルークに背を向けた。

「リディア?」

「お前はもう、帰っていい」

 訝しげな、首を傾げる気配を感じた。

「トルトファリアの王の不始末は、連なる王族が始末する。バーディスルの人間には関係ない。お前は故郷に帰っていい」

「何を……?」

「送る必要はないだろう。お前は不思議の力があるのだから、一人で帰れるだろう?」

「……リディア」

「ルーク、お前はもう必要ない。愛する国に帰るがいい」

 言い放った瞬間、涙が溢れた。

(傍に居てくれるだけでよかった。誰が反対しても、私はルークが居なくなるのは我慢できなかった。けれど……)

 背後のルークに気取られないよう息を止め、嗚咽を堪えた。

(あんな非道な呪いを掛けた王の娘と、どうして一緒に居られる? トルトファリアの血を受け継ぐ私が、どんな顔でルークを引き止められると言うのだ! 出来ることは、長年の枷を解くことしかないじゃないか……)

 必死に涙を堪えようとするが、リディアの瞳は涙を流すことを決して止めず、喉を突き上げる熱い嘆きの塊は全身を激しく震わせた。
 背中から、降り積もった雪を踏むような音がした。そして呆れたような溜め息も。

「リディア……貴方は本当に、いつまでたっても泣き虫ですね」

「っ!」

 堪え切れなかった。
 幼い頃からそう言ってリディアを支えてくれた友人を、自分の傍らから放すことなど出来そうもなかった。

(わがままでも、恥知らずな行為なのだとしても、私はルークが欲しいのだ!)

 振り返ったリディアの瞳は、床に散った艶やかな銀の髪だけを捉えた。

「ルーク……」

 暗闇に閉ざされた天幕にはリディア以外、誰も存在せず、ただ暗がりに白く浮かび上がる銀髪が目の前に落ちているだけだ。

(これでいい。ルークは自分の望むようにしたのだから。けれど……)

 リディアは蹲り、人質の証であったルークの髪を手に慟哭した。
 友人は行ってしまった。
 自らの恋に気付いた途端、想い人は遠く離れてしまったのだ。
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