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第八章
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悪い夢を、リディアは見ていた。
(……異形の女が父上と居て……私は父上を殺してしまっ「リディア」……体が動かなくなって「リディア様」良かったと母上が「リディア」ギュンターが来て「リディア様!」二人はバーディスルを手に入れると……)
「リディア様!」
大声で名を呼ばれ、リディアは覚醒した。
「ああ……良かった」
王都で会った侍女カヤが目の前に居た。
「お気が付かれましたわ、殿下!」
視界からカヤの顔が消え、今度は王宮の霊廟で見たきりの、兄王子ロイドが現れた。
「良かった……もう間に合わないかと……」
涙ぐむロイドの頬はこけてはいたが、棺に横たわっていた時とは別人のように生き生きとしている。
(私は……夢を見ていたのか? 全ては長い、悪い夢だったのか? 一体どこからが夢?)
「あ……」
口を開けたが上手く喋れなかった。
「どうぞご無理なさらず。姫殿下はクロイアの毒を飲まされたのですわ。おいたわしい」
すぐさま現れたカヤの制止を振り切り、リディアは苦心して上半身を起こした。
頭を上げると、虚飾城で働いていた女中達が周りを囲むようにして立っているのに気が付いた。
(ここは虚飾城? でも兄上やカヤが居る)
現状が把握出来ず、ぼうっと人々を眺めていると、傍らに居たロイドが口を開いた。
「混乱するのも無理は無い。お前は今までずっと眠っていたのだから」
振り返ると、兄は心得顔で頷いた。
「何か、強い香りのものを口にしただろう? それにクロイアの毒が……人間の時を止める薬物の名だ。かく言う私も一度飲んだ」
苦笑するロイドに続き、カヤも笑んだ。
「カリム様付きの侍女をしていたことを、こんなに良かったと思ったことはありませんでしたわ。お部屋にあった物の出所、使い道、色々習いましたもの。クロイアの毒の解毒方法も」
干乾びた豆のようなものを差し出す。
「ダムの実です。少し渋いですけれど……」
言って、それをリディアの口の中に入れた。
実の皮は薄く、すぐに破けて口の中を渋いもので一杯にした。
「これで体に残った違和感も取れますわ」
カヤの言う通り、確かに引き攣れるような喉の感覚が無くなっていった。
「……あ、兄上……カヤ、みんな!」
リディアの搾り出すような声に、部屋中を安堵の溜め息が埋め尽くした。
「ああ良かった! このままリディア様が目覚めなかったらどうしようって……」
「昔からお傍に居た私達を退ける本意を察することが出来なかったなんて! 自分が情けないですよ!」
「すみません、姫様。遅くなってしまって。もっと早く気付いて差し上げていたら……」
女中達だった。
「ロイド様が酒場に私達を訪ねていらっしゃって、全てをお聞きしたんですよ」
女中頭は苦笑し、手を腰に当てて首を振る。
「こんなに大変なことになっていたっていうのに、私らときたら愚痴を言うばっかりだった。本当に申し訳ありません、リディア様」
リディアの目に涙が溢れた。
父に死を望まれ、母に裏切られたことが確かな現実であったことは悲しかったが、こうして自分を気に掛け、労わってくれる人々がこんなに居てくれることが嬉しかった。
「すまないリディア。私が父上をお止めしていれば、こんなことにはならなかったのに。あの時もっと私がしっかりしていれば!」
涙に咽ぶ妹を抱き締め、ロイドも体を震わせる。
「お前が無事で良かった。カイアルは……」
ロイドの言葉に、リディアは悲しみではない、暗い感情が沸き起こってくるのを感じた。
「兄上……今、カイアル兄上は……?」
リディアの肩を抱くロイドの手が強くなる。
「リディア、落ち着いて聞け。私達は父上によって暗殺されかけていたのだ。私は母上によって仮死状態でいたのを助けられた。しかしカイアルは殺されたのだ。亡骸は王都の霊廟にある。胸に刺し傷があった。私は間に合わなかった……守ってやれなかったのだ」
(違う! カイアル兄上は無傷で眠っておられた! 私はそれを見、棺から出したのだから! では……では?)
ギュンターにしなだれかかる母親の姿を思いだし、リディアは呻きながら泣いた。
「せめて、せめてお前だけはと思い、こうしてやってきた。幸いこのカヤも一緒に来てくれた。薬物のことを私は分からないから、助けてやれなかったかもしれない。カヤ、ありがとう」
「いいえロイド殿下。まだお礼を言っていただくには早すぎますわ! 今はまだカリム様の手中に居ると言ってもいい状況ですもの。無事に王都に帰り着いてから、ですわ」
「そうだな。悠長に話をしている暇など無かった! さあリディア、父上が帰って来られる前に、ここから逃げ出そう!」
部屋から駆け出そうとしたロイドを女中達が止める。
「お待ち下さいな、殿下! さっきからカリム様のことを気にしているようですが……」
「殿下はご存知ない? カリム陛下はもう二週間も前に身罷られていますのよ?」
困惑して振り返った兄に、リディアは涙を手の甲で拭いながら頷いた。
「兄上、父上はもう戻っては来ません。父上は……私がお止めしました。もう父上はお亡くなりになられたんです」
「だがバーディスル侵攻はどういうことだ? お前が命じたはずは無い! 今まで眠っていたのだから。父上でないのなら一体誰が?」
問い詰めてくるロイドへの答えを持っていなかったリディアは、助けを求めて部屋の中を見回した。しかし女中達はお互いに顔を見合わせるだけで、何も知らないようだった。
その時、部屋の隅から声が上がった。
「……畏れながら申し上げます。全てはギュンター侯爵の差し金かと」
(……異形の女が父上と居て……私は父上を殺してしまっ「リディア」……体が動かなくなって「リディア様」良かったと母上が「リディア」ギュンターが来て「リディア様!」二人はバーディスルを手に入れると……)
「リディア様!」
大声で名を呼ばれ、リディアは覚醒した。
「ああ……良かった」
王都で会った侍女カヤが目の前に居た。
「お気が付かれましたわ、殿下!」
視界からカヤの顔が消え、今度は王宮の霊廟で見たきりの、兄王子ロイドが現れた。
「良かった……もう間に合わないかと……」
涙ぐむロイドの頬はこけてはいたが、棺に横たわっていた時とは別人のように生き生きとしている。
(私は……夢を見ていたのか? 全ては長い、悪い夢だったのか? 一体どこからが夢?)
「あ……」
口を開けたが上手く喋れなかった。
「どうぞご無理なさらず。姫殿下はクロイアの毒を飲まされたのですわ。おいたわしい」
すぐさま現れたカヤの制止を振り切り、リディアは苦心して上半身を起こした。
頭を上げると、虚飾城で働いていた女中達が周りを囲むようにして立っているのに気が付いた。
(ここは虚飾城? でも兄上やカヤが居る)
現状が把握出来ず、ぼうっと人々を眺めていると、傍らに居たロイドが口を開いた。
「混乱するのも無理は無い。お前は今までずっと眠っていたのだから」
振り返ると、兄は心得顔で頷いた。
「何か、強い香りのものを口にしただろう? それにクロイアの毒が……人間の時を止める薬物の名だ。かく言う私も一度飲んだ」
苦笑するロイドに続き、カヤも笑んだ。
「カリム様付きの侍女をしていたことを、こんなに良かったと思ったことはありませんでしたわ。お部屋にあった物の出所、使い道、色々習いましたもの。クロイアの毒の解毒方法も」
干乾びた豆のようなものを差し出す。
「ダムの実です。少し渋いですけれど……」
言って、それをリディアの口の中に入れた。
実の皮は薄く、すぐに破けて口の中を渋いもので一杯にした。
「これで体に残った違和感も取れますわ」
カヤの言う通り、確かに引き攣れるような喉の感覚が無くなっていった。
「……あ、兄上……カヤ、みんな!」
リディアの搾り出すような声に、部屋中を安堵の溜め息が埋め尽くした。
「ああ良かった! このままリディア様が目覚めなかったらどうしようって……」
「昔からお傍に居た私達を退ける本意を察することが出来なかったなんて! 自分が情けないですよ!」
「すみません、姫様。遅くなってしまって。もっと早く気付いて差し上げていたら……」
女中達だった。
「ロイド様が酒場に私達を訪ねていらっしゃって、全てをお聞きしたんですよ」
女中頭は苦笑し、手を腰に当てて首を振る。
「こんなに大変なことになっていたっていうのに、私らときたら愚痴を言うばっかりだった。本当に申し訳ありません、リディア様」
リディアの目に涙が溢れた。
父に死を望まれ、母に裏切られたことが確かな現実であったことは悲しかったが、こうして自分を気に掛け、労わってくれる人々がこんなに居てくれることが嬉しかった。
「すまないリディア。私が父上をお止めしていれば、こんなことにはならなかったのに。あの時もっと私がしっかりしていれば!」
涙に咽ぶ妹を抱き締め、ロイドも体を震わせる。
「お前が無事で良かった。カイアルは……」
ロイドの言葉に、リディアは悲しみではない、暗い感情が沸き起こってくるのを感じた。
「兄上……今、カイアル兄上は……?」
リディアの肩を抱くロイドの手が強くなる。
「リディア、落ち着いて聞け。私達は父上によって暗殺されかけていたのだ。私は母上によって仮死状態でいたのを助けられた。しかしカイアルは殺されたのだ。亡骸は王都の霊廟にある。胸に刺し傷があった。私は間に合わなかった……守ってやれなかったのだ」
(違う! カイアル兄上は無傷で眠っておられた! 私はそれを見、棺から出したのだから! では……では?)
ギュンターにしなだれかかる母親の姿を思いだし、リディアは呻きながら泣いた。
「せめて、せめてお前だけはと思い、こうしてやってきた。幸いこのカヤも一緒に来てくれた。薬物のことを私は分からないから、助けてやれなかったかもしれない。カヤ、ありがとう」
「いいえロイド殿下。まだお礼を言っていただくには早すぎますわ! 今はまだカリム様の手中に居ると言ってもいい状況ですもの。無事に王都に帰り着いてから、ですわ」
「そうだな。悠長に話をしている暇など無かった! さあリディア、父上が帰って来られる前に、ここから逃げ出そう!」
部屋から駆け出そうとしたロイドを女中達が止める。
「お待ち下さいな、殿下! さっきからカリム様のことを気にしているようですが……」
「殿下はご存知ない? カリム陛下はもう二週間も前に身罷られていますのよ?」
困惑して振り返った兄に、リディアは涙を手の甲で拭いながら頷いた。
「兄上、父上はもう戻っては来ません。父上は……私がお止めしました。もう父上はお亡くなりになられたんです」
「だがバーディスル侵攻はどういうことだ? お前が命じたはずは無い! 今まで眠っていたのだから。父上でないのなら一体誰が?」
問い詰めてくるロイドへの答えを持っていなかったリディアは、助けを求めて部屋の中を見回した。しかし女中達はお互いに顔を見合わせるだけで、何も知らないようだった。
その時、部屋の隅から声が上がった。
「……畏れながら申し上げます。全てはギュンター侯爵の差し金かと」
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