6 / 19
6.遠い邂逅
しおりを挟む
広場の人いきれの熱狂はその只中に居ると凄まじく、”英雄”という存在に民衆が抱く期待や希望の大きさを表しているかのようだった。
歓声に沸く群衆の合間に埋もれながら、アカシャはまだどこか呆然としていた。
人垣に阻まれて、大して背の高くないアカシャの視界は、隙間からちらりと人影を覗うのが精一杯で、なかなか実感が沸かない。人波の流れに逆らわず身を任せるように少しずつ移動して、時々背のびをしてみる。
そうして漸く視界が開けたとき、アカシャはまた息をする事を忘れてしまった。
周囲の喧騒が静まり遠のいたように錯覚する。
大衆新聞の、混ぜ物の多いざらざらした雑紙に刷られた、少し掠れた画だけが、10年の間アカシャの知り得る彼の姿の全てだった。
それが、今や裸眼で捉えられる位置に居る。
まるで現状に対する皮肉のように、その距離は随分と遠い。
それでも、この都市に臨んだ根源たるものが、はっきりとその目に映った瞬間に違いは無かった。
漸く呼吸を思い出して、陸に打ち上げられた魚のように、はくはくと口を動かす。目はずっと開いていたせいで乾ききって、瞬きをするとまぶたが引っかかる。
──う、動いてる!! 歩いてる!!!
最初に頭に浮かんだ言葉は、緊張と動揺に呑まれていたせいか、やけに拙かった。
──……動いているところを見るのは初めてだもの……。
己の拙さに内心言い訳をして、それから挑むように目を見開いて、改めてその姿を見据える。
銀の髪に、血を固めたような昏い赤の瞳、それらが彩る恐ろしく整った顔立ちとすらりとした長身は、どこか鋭利な印象を抱かせ、剥き身の刃を思わせる。
魔物を打ち滅ぼす稀代の英雄でありながら、容姿は魔性とすらあだ名される彼の人物は、実際に目の当たりにすると背筋が凍える程美しかった。
手が震えてしまうのを抑えて、視線は尚も彼を追う。
けれどもその眼差しの先に居る、ユリウス・アーデングラッハがアカシャの視線に気づく事は無い。そして恐らくは、目が合う事も決して無いだろう。
彼の眼下にあるのは個を識別出来ないほどの人の群れであって、アカシャはその有象無象の中の一人だ。
何よりも、ユリウスはアカシャの顔も名前も知らないはずなのだから。
──それなら、気づかれないのなら、好機。いっそこの目に焼き付けてしまいたい。
普段であれば相手が誰であれ、こうも長い時間、無遠慮に見つめ続けるなど礼儀にも品性にも欠けると、そろそろ己を戒めるところだが、今回ばかりはいつもと真逆の事を考えてしまう。
しかも今は群衆の一部と化し、彼らの向ける視線の中に混ざってしまえる。
──今、この時だけは……。
胸の内で許しを請うても誰にも届きはしないのだが、そうせずにはいられなかった。
ユリウスの他にも数人の男女が件のテラスには居て、時折耳に入る周囲の喧騒から察するに彼らも英雄なのだろうが、如何せん今は他に意識がまるで向かず、頭も視界も素通りしてしまう。
しばらくしてユリウスは隣に並び立つ同年代の青年に顔を向け、なにごとか言葉を交わし始めた。声など当然全く聞こえる距離ではないのだが、相手は気安い間柄なのか表情は随分と和らいで見える。その変化を目にしてまたぞろ心臓が跳ねる。
──そっ、そ、そういう表情もするの……。
容姿のせいもあって真顔で居る時は凍てつくような人物像を思い描いてしまうが、僅かな表情ひとつでその印象をがらりと変える。
その差異を目の当たりにして、頬に熱が昇り、頭がくらくらする。周囲の熱気のせいではないだろう。
それから彼は、先ほどとは逆側に顔を向けると、その口元に微かな笑みを湛えた。
周りに居る女性たちが幾人もうっとりと溜息をつく音に、釣られそうになって慌てて口を真横に結んだ。
──……あなたは、そういう風に、笑うのね。
瞬きをする事も忘れて、初めて目にする笑みに釘付けになってしまう。
けれども、ユリウスが笑みを向けたその相手を視界に収めてしまった事で、どこか夢見心地にも似た気分は瞬く間に消え失せた。
体温が急速に下がっていくように錯覚する。狼狽えたように視界は揺らぐ。
華奢で儚げな、それでいて煌めくような美しい少女がその傍らに寄り添うように立ち、受けた笑みを何倍にもして返すかの如く、花の咲くような笑顔を浮かべていた。
──……あの女性、なのかな……。
心臓が、先ほどまでとは違った意味の鼓動を立て始める。肺がひび割れたみたいな痛みを覚えて、息が上手く出来ない。
──…………だめだ。この感情は、良くない……。
無理やり息を吸い込んで、それから勢いよく踵を返す。
「…すみません! ごめんなさいっ」
人の群れは密集していて、何度もぶつかり、相手の顔もろくに見れずに謝罪してを繰り返しその中から這い出る。
それから一目散に、その場から駆け出した。
この身が、この行動が、情けなくて、酷く惨めで。
それでもこれ以上今は何も考えたくなくて、ひたすらに走った。
歓声に沸く群衆の合間に埋もれながら、アカシャはまだどこか呆然としていた。
人垣に阻まれて、大して背の高くないアカシャの視界は、隙間からちらりと人影を覗うのが精一杯で、なかなか実感が沸かない。人波の流れに逆らわず身を任せるように少しずつ移動して、時々背のびをしてみる。
そうして漸く視界が開けたとき、アカシャはまた息をする事を忘れてしまった。
周囲の喧騒が静まり遠のいたように錯覚する。
大衆新聞の、混ぜ物の多いざらざらした雑紙に刷られた、少し掠れた画だけが、10年の間アカシャの知り得る彼の姿の全てだった。
それが、今や裸眼で捉えられる位置に居る。
まるで現状に対する皮肉のように、その距離は随分と遠い。
それでも、この都市に臨んだ根源たるものが、はっきりとその目に映った瞬間に違いは無かった。
漸く呼吸を思い出して、陸に打ち上げられた魚のように、はくはくと口を動かす。目はずっと開いていたせいで乾ききって、瞬きをするとまぶたが引っかかる。
──う、動いてる!! 歩いてる!!!
最初に頭に浮かんだ言葉は、緊張と動揺に呑まれていたせいか、やけに拙かった。
──……動いているところを見るのは初めてだもの……。
己の拙さに内心言い訳をして、それから挑むように目を見開いて、改めてその姿を見据える。
銀の髪に、血を固めたような昏い赤の瞳、それらが彩る恐ろしく整った顔立ちとすらりとした長身は、どこか鋭利な印象を抱かせ、剥き身の刃を思わせる。
魔物を打ち滅ぼす稀代の英雄でありながら、容姿は魔性とすらあだ名される彼の人物は、実際に目の当たりにすると背筋が凍える程美しかった。
手が震えてしまうのを抑えて、視線は尚も彼を追う。
けれどもその眼差しの先に居る、ユリウス・アーデングラッハがアカシャの視線に気づく事は無い。そして恐らくは、目が合う事も決して無いだろう。
彼の眼下にあるのは個を識別出来ないほどの人の群れであって、アカシャはその有象無象の中の一人だ。
何よりも、ユリウスはアカシャの顔も名前も知らないはずなのだから。
──それなら、気づかれないのなら、好機。いっそこの目に焼き付けてしまいたい。
普段であれば相手が誰であれ、こうも長い時間、無遠慮に見つめ続けるなど礼儀にも品性にも欠けると、そろそろ己を戒めるところだが、今回ばかりはいつもと真逆の事を考えてしまう。
しかも今は群衆の一部と化し、彼らの向ける視線の中に混ざってしまえる。
──今、この時だけは……。
胸の内で許しを請うても誰にも届きはしないのだが、そうせずにはいられなかった。
ユリウスの他にも数人の男女が件のテラスには居て、時折耳に入る周囲の喧騒から察するに彼らも英雄なのだろうが、如何せん今は他に意識がまるで向かず、頭も視界も素通りしてしまう。
しばらくしてユリウスは隣に並び立つ同年代の青年に顔を向け、なにごとか言葉を交わし始めた。声など当然全く聞こえる距離ではないのだが、相手は気安い間柄なのか表情は随分と和らいで見える。その変化を目にしてまたぞろ心臓が跳ねる。
──そっ、そ、そういう表情もするの……。
容姿のせいもあって真顔で居る時は凍てつくような人物像を思い描いてしまうが、僅かな表情ひとつでその印象をがらりと変える。
その差異を目の当たりにして、頬に熱が昇り、頭がくらくらする。周囲の熱気のせいではないだろう。
それから彼は、先ほどとは逆側に顔を向けると、その口元に微かな笑みを湛えた。
周りに居る女性たちが幾人もうっとりと溜息をつく音に、釣られそうになって慌てて口を真横に結んだ。
──……あなたは、そういう風に、笑うのね。
瞬きをする事も忘れて、初めて目にする笑みに釘付けになってしまう。
けれども、ユリウスが笑みを向けたその相手を視界に収めてしまった事で、どこか夢見心地にも似た気分は瞬く間に消え失せた。
体温が急速に下がっていくように錯覚する。狼狽えたように視界は揺らぐ。
華奢で儚げな、それでいて煌めくような美しい少女がその傍らに寄り添うように立ち、受けた笑みを何倍にもして返すかの如く、花の咲くような笑顔を浮かべていた。
──……あの女性、なのかな……。
心臓が、先ほどまでとは違った意味の鼓動を立て始める。肺がひび割れたみたいな痛みを覚えて、息が上手く出来ない。
──…………だめだ。この感情は、良くない……。
無理やり息を吸い込んで、それから勢いよく踵を返す。
「…すみません! ごめんなさいっ」
人の群れは密集していて、何度もぶつかり、相手の顔もろくに見れずに謝罪してを繰り返しその中から這い出る。
それから一目散に、その場から駆け出した。
この身が、この行動が、情けなくて、酷く惨めで。
それでもこれ以上今は何も考えたくなくて、ひたすらに走った。
43
あなたにおすすめの小説
旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~
榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。
ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。
別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら?
ー全50話ー
お飾りの婚約者で結構です! 殿下のことは興味ありませんので、お構いなく!
にのまえ
恋愛
すでに寵愛する人がいる、殿下の婚約候補決めの舞踏会を開くと、王家の勅命がドーリング公爵家に届くも、姉のミミリアは嫌がった。
公爵家から一人娘という言葉に、舞踏会に参加することになった、ドーリング公爵家の次女・ミーシャ。
家族の中で“役立たず”と蔑まれ、姉の身代わりとして差し出された彼女の唯一の望みは――「舞踏会で、美味しい料理を食べること」。
だが、そんな慎ましい願いとは裏腹に、
舞踏会の夜、思いもよらぬ出来事が起こりミーシャは前世、読んでいた小説の世界だと気付く。
剣士に扮した男爵令嬢は、幽居の公子の自由を願う
石月 和花
恋愛
両親が亡くなって男爵家を叔父に乗っ取られた令嬢のアンナは、騎士だった父から受けた手解きのお陰で、剣を手に取り冒険者として日銭を稼ぎながら弟を育てていた。
そんなある日、ひょんな事から訳ありそうな冒険者ルーフェスと知り合ったのだった。
アンナは、いつも自分の事を助けてくれるルーフェスに、段々と心が惹かれていったが、彼女にはその想いを素直に認められなかった。
何故ならアンナの目標は、叔父に乗っ取られた男爵位を取り返して身分を回復し、弟に爵位を継がせる事だったから。この願いが叶うと、冒険者のルーフェスとは会えなくなるのだ。
貴族の身分を取り戻したい気持ちと、冒険者としてルーフェスの隣に居たい気持ちの間で悩み葛藤するそんな中で、アンナはルーフェスの重大な秘密を知ってしまうのであった……
##
ファンタジー小説大賞にエントリーしています。気に入って頂けましたら、応援よろしくお願いします!
##
この話は、別タイトルで小説家になろうでも掲載しています。
政略結婚した夫に殺される夢を見た翌日、裏庭に深い穴が掘られていました
伊織
恋愛
夫に殺される夢を見た。
冷え切った青い瞳で見下ろされ、血に染まった寝室で命を奪われる――あまりにも生々しい悪夢。
夢から覚めたセレナは、政略結婚した騎士団長の夫・ルシアンとの冷えた関係を改めて実感する。
彼は宝石ばかり買う妻を快く思っておらず、セレナもまた、愛のない結婚に期待などしていなかった。
だがその日、夢の中で自分が埋められていたはずの屋敷の裏庭で、
「深い穴を掘るために用意されたようなスコップ」を目にしてしまう。
これは、ただの悪夢なのか。
それとも――現実に起こる未来の予兆なのか。
闇魔法を受け継ぐ公爵令嬢と、彼女を疎む騎士団長。
不穏な夢から始まる、夫婦の物語。
男女の恋愛小説に挑戦しています。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
【書籍化進行中】魔女の秘薬-新しい婚約者のためにもう一度「恋をしろ」と、あなたは言う-
コーヒー牛乳
恋愛
幼い頃からの恋に振り回され疲れ切っていたマリエッテは、信じていた婚約者リュヒテに裏切られ「恋心を忘れる」という【魔女の秘薬】を飲んでしまう。
婚約が白紙となり新しい一歩を踏み出したマリエッテだが、代々王妃にのみ伝わる【鍵】を持っているのではと元婚約者たちの前に呼び戻される。
どうやら恋心と一緒に鍵の存在も忘れてしまったようで、鍵のありかを思い出すために元婚約者にもう一度恋をすることになった。
※連載版です。
※短編版とは設定が変わります。
【完結】リゼットスティアの王妃様
通木遼平
恋愛
リゼットスティアという美しく豊かな国があった。その国を治める国王も美しいと評判で、隣国の王女フィロメナは一度でいいから彼に会ってみたいと思い、兄である王子についてリゼットスティアに赴く。
フィロメナはなんとか国王にアピールしようとするが国王にはすでに強引に婚姻に至ったと噂の王妃がいた。国王はフィロメナに王妃との出会いを話して聞かせる。
※他のサイトにも掲載しています
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる