亡国の姫君は英雄から心臓を取り返したい

遠雷

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7.乙女心と昔話

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 アカシャは宿に戻ると、ベッドに倒れ込むようにして寝転がった。

 中央ゲートから宿にたどり着くまでの記憶が曖昧で、随分と無鉄砲な事をして帰って来たものだと、枕に頭を埋めて猛反省する。軍事都市ゆえに警備が多く治安は比較的良い地区が多い。だが、だからといって闇雲にうろついても安全というわけではない。

 途中で足が引き攣って走れなくなって、鉄道の駅を探したのだけは覚えているが、それ以外は頭から思考を全て追い出していた。

 そうして今更になって、あの場を逃げ出した自分に腹が立ってくる。

 ──はじめから、覚悟していたことじゃない! そもそもお相手がさっきの女性かどうかも、まだわからないのに。

 がばりと勢いをつけてベッドから起き上がると、備え付けの洗面台に向かい、ばしゃばしゃと水が跳ねるのも構わずに思い切り顔を洗う。

 冷たい水で頭を冷やして、深く息を吐いて、気持ちを切り替えたかった。
 けれども視線を上げると洗面台の鏡に映る自分の顔が見えて、まなじりが引き攣り泣き出しそうになって唇を噛んだ。

 王族の姫君だった頃の面影など、この3年で鳴りを潜めた。
 手入れなど長くしていない、艶を失ったパサパサの黒髪。
 魔力喪失やら金欠やらで、まともな食事を摂れない日が続くせいで、肌は荒れ放題な上にすっかりやせ細って、こけた頬に僅かに落ちくぼんだ眼窩。
 黒曜の瞳だけが今も変わらない。

「……まるで、骸骨みたい……」

 自虐の言葉を発すれば、頭に先ほど目にした光景が浮かぶ。
 同い年か年下くらいに見えたあの少女は、愛らしく、美しかった。

「……比べてどうするの。全て知られぬうちに終わらせに来たのでしょう?」

 鏡の中の自分の顔に向かって言い聞かせる。
 それでも、なけなしの乙女心は悲鳴を上げていて、無意識のうちにぼろりと一粒涙が零れる。

 それにすらまた腹を立てて、もう一度水で顔を洗った。



 今度こそ気持ちを切り替えたと自分に言い聞かせて、ベッドに座ると、傍らに投げ出していた鞄から手帳がはみ出していた。

 持ち上げれば、昨日露店で買った”護り絵”が、手帳の間からするりと滑り落ちて来る。

「う…これ、買ったの忘れてた……」

 羞恥心がもやもやと湧いてくる。

 ──まさか翌日に実物に出くわすなんて、思わなかった……。

 カードに刷られたその姿と、ついさっき目にしたばかりの姿を重ねて眺める。

「生きて、ところ見られたのだから、今日はそれだけでも充分収穫じゃない」

 まだ胸はちりちりと痛むが、漸くその姿をこの瞳で捉えたのだと、昂る心もそこにはあった。


 ◇◇◇


 10年前、仮初の婚姻を結ぶ儀式のために、アカシャは僅か7日間だけユリウスと過ごした記憶がある。
 ユリウスはその間ずっと意識が無かった。端的に言えば、彼は死の淵にあった。

 7日間ずっと、魔力回復と生命維持のための触媒で満たされたバスタブのようなものに、ゆらゆらと浮いていた。
 骨が浮く程痩せ細り、その肌は土気色で、顔は苦しそうに歪んでいた。

 ぴくりとも動かない彼を初めて見た時、死んでいるのかと思った。



 父と共に生まれて初めて国から出て、森の先にあるアッターイル皇国の辺境に行き、そこから転送魔方陣でまた知らない土地に向かった。
 初めてのの旅で、更には遠い国の王子様に会わせると聞かされて、幼いアカシャはすっかり浮かれていた。
 
 けれども案内された部屋に居たのは死人のように昏睡する少年だった。

『アカシャ、彼はね、生まれ持った魔法の才能があまりにも大きすぎて、身体の中の魔力回路の成長速度が人の子の耐えられる限界を越えてしまっているんだ』

『この子、死んでしまうの?』

『このままですと……そうなります。今もぎりぎりのところを綱渡りで延命しておるようですが、長くはもちますまい』

 答えたのは魔導師団長を務めたルドルフという名の老人だった。
 王族と高位貴族が魔法を使えないヴィサルガで、外の国出身の彼は貴重な魔導士として長く仕え、この邂逅と仮初の儀式を父ヴィサルガ王に進言した人物でもあった。

『魔力回路の成長に起因する魔力欠乏というのは、高位魔導士の子供には時折見られる症状です。大抵は子供の身体にも負担のかからない魔力回復液剤マナ・ポーションや、今彼が浸かっているような触媒槽で補えるのですが……』
 
 ルドルフは憐れむような視線を、触媒槽にたゆたう少年に向けた。

『彼の場合、構築される魔力回路が緻密かつ甚大、その上に成長速度があまりにも速すぎる。たとえ後遺症が残るのを覚悟の上で強力な魔力活性結晶薬マナ・タブレットを投与したとしても、焼け石に水でしょうな』
 
『わかったわルド爺! それなら、わたしの第二の心臓しんぞうを、この子に貸してあげればいいのね?』

『……アカシャ姫は、その、聡明でいらっしゃいますな……』

 ルドルフは困ったように笑った。父は盛大な溜息をついていた。

『落ち着きなさいアカシャ。はそんなに簡単に他人ひとに貸したり出来るものじゃない。魔力を分け与えるのは、たとえ仮でも”貸す”のとは違う。儀式が必要で──』

『いいわよ、やるわ!』

『アカシャ、話は最後まで聞きなさい……』


 ◇◇◇


「…………私って、昔からちょっとこう、短絡的なところが……あったわね」

 宿のベッドに座り込み、”護り絵”を手に、それを眺めながら過去の記憶を思い返していたアカシャは、深く大きな溜息をついた。
 
「父上も、ルド爺も、が目的で私を連れ出したくせに困り果てた顔をしてたの、今も覚えてるわ!」

 当時の父とルドルフの様子を思い出し、憤って勢いよくベッドに仰向けに寝転がった。

「面倒事に巻き込んでおいて、二人とも途中で居なくなるんだもの……」

 愚痴めいた言葉は次第にしおれていき、ベッドに沈み込む身体と同じようにその勢いを失っていった。
 
 あの邂逅はただ単純にユリウスの命を救う為のものではなかった。アカシャの身から第二の心臓を引き離して隠す目的もあった事を、今では理解している。

 ヴィサルガがどれほど外交を拒み森の奥に潜んでも、真実を求めた末に辿り着いてしまう者は少なからず居て、それらを完全に排除しきるに至っていなかった。
 一族の血は時代が進むにつれ徐々に薄まり、力を持って生まれる者も減りつつあった中で、アカシャが第二の心臓と甚大な魔力を備えて生まれてしまった。

 そこで強大な魔法の才に恵まれた大国の王子という隠れ蓑を利用したのだ。彼ならば、魔力が並外れていたとしても、それは生来備わったものだと誰も疑わないだろう。
 彼の命を救い、同時にアカシャが成人を迎えるまでの期間を平穏に乗り越える為の選択だった。

 何より、平穏な時代であれば甚大な魔力が露見する機会は多くは無い。──そのはずだった。

「予定が狂ったのも、”解消”が上手くいかなかったのも、今のこの状況も、あの時はこうなるなんて、わからなかったもの。別に父上やルド爺を責めたりなんかしないわ」

 寝転がったまま、腕で両の目を覆う。

「……責めたりしないから、生きていて、欲しかったわ……」

 しばらく部屋に静寂が降りる。

 ひとしきり胸に沸いた感傷を噛み締めた後で、アカシャは手にしていた護り絵を顔の前にかざした。

 カードに刷られている顔の、柘榴石に似た血の色の瞳を眺める。
 10年前、儀式の終わる寸前に一度だけ、意識を取り戻した彼の瞳とほんの一瞬、目が合ったのを覚えている。

「あなたは確かに生きているのだと、この目で確認出来たから。今日は、それでいい」



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