不死鳥は歪んだ世界を救わない

凛音@りんね

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火球

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 スコルとハティが、咆哮を上げながら晦冥かいめいの空を駆ける。
 二匹の父親であるフェンリルは、応えるように長く吠えた。
 背中に乗った不死鳥フェニックスのダニールが息絶え、一足先に地獄へ旅立ったのを悼むように。
 
『フェンリルよ、お前の父親と再び会うのが楽しみであるぞ』

 元来、陽気で豪快な雷神は目を細め、破顔する。
 そしてダニールの脈打つ心臓を手に持ち、轟く雷鳴とともに姿を消した。
 フェンリルは元の大きさに戻ると、ダニールの亡骸を乗せたまま静かに空を見上げていた。

「……ダニール」
「……父様」

 未玖とヨクサルはダニールの死を察知し、呆然とする。
 まるで意味が分からなかった。
 泣こうにも、思考が現実に追いつかない。
 加えて太陽まで消失してしまい、辺りは真っ暗闇だ。
 二人はこれから起こるであろう最悪の事態に恐れ慄き、総毛立つ。

 突如、暗闇に光が差し込む。
 未玖はヨクサルのしなやかな両腕にできた、真新しい引っ掻き傷が複数ある理由を自覚し、青ざめた。

「ヨクサル……私……本当にごめんなさい」
「これくらいの傷、翼の炎で焼けばすぐに治ります」

 ジュッと音を立てて、自ら傷口を焼く。
 痛みに歯を食いしばるが、我慢できない程ではない。
 永遠の時を生きる不死鳥の再生能力は、他の幻獣より並外れて高いのだ。
 天馬ペガサスとの混血であるヨクサルも、すぐに綺麗な肌へと戻った。
 
「ねえ、あの光……」
「はい……」

 二人は上空を見遣る。
 太陽とは明らかに違う、眩い光の塊。
 未玖はいつかテレビ番組で見た、オーロラのことを思い出した。
 
『わぁ、にじがおそらをはしってる!』
『本当に綺麗ねえ』
『みくもオーロラをみにいきたい!』
『そうだな、未玖と桃李(とうり)がもう少し大きくなったら家族みんなで行こうか』
『やったぁ! パパ、ママ、やくそくだからね!』
『ママと指切りげんまん、する?』
『うん! ゆーびきーりげーんまーん……』

 亡き家族との会話に胸が締め付けられる。
 いくら嘆いたところで、死んだ者が蘇ることはない。
 不死鳥以外には。
 
(あれはオーロラじゃない。もっと違う――)

 空が、地上が、みるみるうちに明るくなる。
 二人はようやく気がついた。
 地球に降り注いでくるものの正体が、数多あまた火球かきゅうだと。

「どうして流れ星が……?」
「このままではぶつかります……!」

 ヨクサルは翼を翻し、未玖を連れて逃げようとする。
 しかしこの世界に安全な場所など既に存在しないとさとり、体を強張らせた。

 為す術もなく死に、自分だけ灰の中から蘇るのか。
 お腹の子をこの腕に抱くことも、未玖を守ることもできぬまま。
 
(そんなの、そんなの絶対に嫌です! でも……)

 未玖が背中にしがみつく。
 震えているが、決して寒さからではない。
 ヨクサル自身も、恐怖と絶望で身震いする。

 同時に幻獣としての本能が危険だと警告していた。
 早くこの場から立ち去れ、種の存続を絶やすな、と。
 
(っ……!!)

 ヨクサルは飛翔した。
 火球から逃れるように、あらん限りの力を振り絞る。

 だが火球は勢いを増して、地上に降り注ごうとしていた。
 あれだけ寒かったはずなのに、今はとても暑い。
 激しい吹雪も止み、二匹の大蛇が横たわる赤々とした大地を照らし出す。
 
(どうすれば……)
 
 滲む汗を拭うこともせず、ヨクサルは思案する。

 唐突に大地が、海が、前後左右に振動した。
 空中にいても感じる位の、非常に大きな揺れ。

「地震……?」
「地上へ降りなければ大丈夫です」

 半ば自分に言い聞かせるように話す。
 大地が波打つように揺れ、山々がいとも簡単に崩れた。
 遙か先で広がる仄暗い海から、大津波が押し寄せてくる。
 瞬く間に大地全体を飲み込み、ヨルムンガンドとクロの亡骸を攫っていった。

「クロ!!」

 未玖は届くはずのない腕を精一杯に伸ばす。
 見るも無惨な姿となっても、愛する子どもであることには変わりない。
 ヨクサルは未玖を支える両手に力を込める。

「未玖さん」
「……分かってるわ、もう飛び降りたりしないから」

 悲しげに眉を寄せ、未玖はヨクサルの背中に顔をうずめた。
 ひどい耳鳴りがする。
 土と海水と腐敗臭の混ざった匂いが、鼻を突く。
 先ほどよりも近づいてきている火球から放たれる高熱で、意識が朦朧としてきた。

(ああ、この世界は終わるのですね――)

 ヨクサルは飛ぶのをやめると、そっとお腹をさする。
 せめて残された時間は、この子を想いながら過ごしたかった。
 元気な胎動がして涙が溢れそうになる。

(ごめんなさい、父様、ご主人様――お腹の子と未玖さんを守ることができなくて)
 
 堪えきえずに嗚咽を漏らす。
 未玖もまた、大切な我が子とダニールを失った悲しみに打ちひしがれ、涙を流す。
 二人は生きることを諦めてしまった。
 ダニールの祈りは叶うことなく、死に向かってその身を任せる。

 いよいよ火球が地球と衝突しそうになった瞬間、あの声がした。


 ――さあ、目を覚まして、未玖。

 
 未玖は顔を上げる。

 
 ――大丈夫、あなたは一人じゃない。


 ドクン、ドクン。
 心臓が激しく高鳴る。
 内なる力が湧き出し、血流に乗って全身を巡っていく。
 ふわり、と体が宙に浮いた。

「未玖さん!」

 ヨクサルが驚いて後ろを振り向くが、落ちたのではないと分かり、胸を撫で下ろす。
 けれど出会ったばかりのヨクサルは知らなかった。
 未玖が宇宙と意識を共有し、一体化しているのを。

「ヨクサル――私があなたを、この世界を救うわ」
  
 穏やかに微笑む未玖。
 背丈は伸び、黒色の髪の毛が揺蕩たゆたうように靡き、純白のドレス姿になっている。

「どうして翼が……?」

 彼女の背中には淡い光を放つ、薄紅うすべに色をした神々しい一対の大きな翼が生えていた。
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