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殿下、いきなり婚約破棄ですか? 〜可愛らしい猫耳と尻尾がお見えでございます〜

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「エミリア、ただ今をもって君との婚約を破棄する!」
 
 華やかな夜会で突然、声高に宣言するハルヴィント王国のルークス第一王子。今夜はルークスの十六歳――つまり成人を祝う特別な宴会だ。

 参加者たちが何事かと目を丸くし、会場は水を打ったように静まり返る。件のエミリア・シルバーバーグ公爵令嬢は動じることなく、黄水晶シトリン色の瞳で彼をまっすぐ見つめていた。

「君の澄ました顔は本当に腹立たしい!」
「それは大変申し訳ございません、殿下」
「いきなり婚約破棄をされたら普通、取り乱すものだろう!?」
「ええ、普通でしたら。ですが殿下は……いえ、なんでもございません。では、これにて失礼致します」

 エミリアは優美なカーテシーをして、そそくさと会場を立ち去ろうとする。ルークスは慌てふためく。
 
「ちょ、ちょっと待て! なぜ婚約破棄されたのか気にならないのか!?」
「はい、まったく気になりません」
「なっ! まっ、まあいい。今回だけは特別に教えてやろう」 

 ゴホン、とわざとらしく咳払いをしながら、真紅のコートを翻す。
 サラサラと靡く艶やかな黄金色こがねいろ色の髪の毛、晴れ渡った青空のような瞳。思わず見惚れてしまう、均整のとれたかんばせ

 大人しくしていれば美男子なのに、ルークスは大層気まぐれで天邪鬼な性格をしており、いつも従者やメイドたちを悩ませていた。それでいて好奇心旺盛、美食家の偏食家。
 まるで猫のような御方だと、エミリアはともに過ごす時間でひしひしと感じていた。いや、猫そのものである、と。

「近頃、君は隣国マリストロのベリアン王子と仲良くしているそうではないか!」
「お茶を飲みながら共通の趣味の話をしているだけですわ」
「嘘をつくな! 一緒に町まで出掛けたりしていただろう!」
「あら、よくご存知でいらっしゃいますね」
「じゅっ、従者に見張らせたのだ!」

 やけに視線を感じるとは思っていたが、ルークスがそこまでしていたとは。エミリアは微笑ましくなり、慈しむようにルークスへ視線を向けた。

「っ!! なぜ笑うのだ!?」
「いえ、お気になさらないでください」
「こ、これ以上、僕を侮辱すると許さないからな!」

 噂好きの貴婦人たちは香り立つ扇子で優雅に口元を隠しながら、ああでもない、こうでもないと小声で楽しげに話している。その後ろでオロオロする夫君。こういう時の男性陣はどうにも頼りない。

 エミリアはルークスに歩み寄り、囁いた。

「殿下、可愛らしい猫耳と尻尾がお見えでございます」
「えっ」

 ルークスは反射的に頭と腰元へ手をやる。
 
「ご心配なさらなくとも、私以外の者には見えておりません」
「ど、どういうことだ!?」
「殿下には黙っていましたが私、魔法を使うことができるのです」
「魔法、だと……?」
「はい、魔法でございます」

 エミリアの一族――シルバーバーグ家は代々、魔法によって秘密裡に王家を守る役割を担ってきた。現在、ハルヴィント王国で魔力を持つ者はシルバーバーグ家以外に存在しない。

『エミリア、あなたの役目はルークス王太子をお守りすることです』
『はい、お婆様』
『王家はある血筋を引いておられます。真実を知るのは王太子が十六歳の成人を迎えられてから。それまで魔力と愛を以て王太子にお仕えするのですよ』
『わかりました』

 殿下と婚約を結ぶ前夜、偉大なる魔女であった祖母と交わした会話が脳裏をよぎる。
 
『初めまして、殿下。私はエミリア・シルバーバーグと申します』
『……僕はルークス』

 笑顔でぎこちないカーテシーをするエミリアと、不機嫌なのを隠そうともせず、そっぽを向くルークス。微笑をたたえていれば天使かと見間違う、見目麗しい容姿。そこに黄金色の髪の色と同じ、もふもふで毛並みの良い猫耳と尻尾が生えているのを認めるエミリア。彼の感情や仕草に合わせ、ぴこぴこ動いたり左右に揺れたりしている。

(わあ、可愛い!)
 
 どうやら自分以外の者には見えていないのだと、聡いエミリアはすぐに気づく。先代のシルバーバーグ家の魔法使いが、殿下に遮蔽しゃへい魔法を掛けていたのだ。エミリアは魔法の上書きを施し、いついかなる時も殿下をそばで見守っていた。

『殿下、木の上でお昼寝するのは危ないのでおやめください』
『殿下、蝶々を追いかけて学園を抜け出してはいけません』
『殿下、魚や肉ばかりではなく野菜もお食べくださいませ』
『殿下――』
『ああもうっ! 頼むから僕のことは放っておいてくれ!!』

 ルークスは束縛されるのを極端に嫌がった。ただでさえ窮屈な生活。せめて学園では自由気ままに過ごしたいのに、婚約者のエミリアが口うるさくて苛々させられる。

(あら、殿下ったらまた怒っていらっしゃるわ)

 ルークスは猫耳と尻尾の毛を逆立て、頬を膨らませていた。傍から見れば、高貴なる美少年の王子様が我儘を言っているようにしか見えないだろう。しかし彼の本質は猫なのだ。知っているのはルークスの家族と一握りの従者、シルバーバーグ家の者たちのみ。

 ハルヴィント王国ではなぜ、王家の血筋が猫の獣人族であることを国民に秘匿しているのか。答えは至極単純だった。
 
 猫は可愛いからである。

 これが平民の娘ならば何ら問題ない。周りから愛され、幸せな生涯を送るだろう。現にハルヴィント王国でも犬やウサギなどの獣人族がたくさん暮らしていた。けれど王家は王国そのものだ。可愛いという印象は、王家の気高く高潔なイメージを著しく損ねてしまう。

(獅子や狼ならまた違ったのでしょうけれど)

 もう一度言おう。猫は可愛いのだ。

 いつの時代でも、どこの国でも普遍的な価値観として人々が抱く感情。例に漏れずエミリアも猫を可愛いと思っており、町で気まぐれに歩いたり日向ぼっこをする姿を見かけては愛でている。

「まだ国王陛下からお聞きになっていらっしゃらないのですね」
「だから何をだ!?」
「率直に申し上げます。殿下は猫の獣人族じゅうじんぞくなのです」
「……は?」

 ルークスの耳元で――他の者から見えている人間の耳でなく、猫の耳元で説明する。

「ぼ、僕が猫の獣人族だと? そんなバカな……! 父上も母上も姉上たちも人間ではないか!」
「私たちシルバーバーグ家の遮蔽魔法でそう見えているのです。ちなみに女王陛下は人族ひとぞくでございますわ」
「えっ、じゃあ父上も姉上たちもみんな猫耳と尻尾が……?」
「はい、それはもう可愛らしい猫耳と尻尾をお持ちで――」

 頬に手を添え、つい口元を緩めてしまうエミリア。普段、感情を表に出さない彼女だが、猫のことになると人が変わったようになる。これはいけない、と己を律し、いつもの柔和な笑みを浮かべた。

「だっ、だが、猫耳と君が隣国マリストロのベリアン王子と仲良くするのは話が別だろう!」

 実際、ルークスは腹を立てていた。自分一筋だと信じていたエミリアの不義に。だから唐突に婚約破棄を言い渡し、彼女の気を引こうとした。それなのにエミリアは悠然としていて、あっさり了承するとは!

(同い年なのにエミリアはいつも僕を子ども扱いする……!)

 この辺りがまだまだ幼稚であったが、当の本人は自覚すらない。エミリアには分かっていた。ルークスの嫉妬だと。自分を試しているのだと。なので婚約破棄を敢えて了承した。慌てた彼が、すぐさま引き止めると確信していたのだ。
 
「ベリアン王子のご婚約者も猫の獣人族でいらっしゃいます。亜麻色の髪と同じ上品な毛並みをされた、それは可愛らしいお姿をしていらっしゃいまして……。互いに愛する人のことを自慢し合い、猫の可愛さについて話に花を咲かせていたのです」
「あっ、愛する人っ!? ……ゴホン。ま、まあ話はいいとしてなぜ変装し、二人で町へ出掛ける必要があったのだ?」

 アーモンド型の蒼い瞳でエミリアを鋭く睨め付ける。ああ、この怒りと不安の入り混じった表情も堪らない。

「またたびを買いに行っておりました」
「またたび……?」
「はい、またたびです」
「だからまたたびとは何なのだ!?」

 エミリアは普段より持ち歩いている小ぶりなポーチから、またたびの入ったガラス瓶を取り出した。

「こちらがまたたびでございます」
「むっ、この匂いは……」
「ああ、この場で嗅いではいけません」

 ガラス瓶をさっとポーチの中にしまうと、ルークスは白昼夢から覚めたように目を瞬かせる。

「いっ、今のは何だ……?」
「またたびは猫が好む植物で主にストレス発散、食欲増進、老化防止などの効果があります。殿下は食の好みが激しいので、お茶やお菓子にこっそり入れておりました」
「僕を猫扱いするなっ!」
「殿下、どうか声をお抑えくださいませ」
「っ!!」

 夜会に集まった参加者たち全員が、二人の様子に注目していた。随分と距離があるので、内容までは聞かれてはいないだろう。どちらにしても気をつけなければ。

「でっ、では、ベリアン王子とは何もないのだな!?」
「はい、神に誓って何もございません」

 エミリアの返答に胸を撫で下ろす。婚約者となってから姉のように接してくるのを疎ましいと思っていた反面、いつも気にかけてくれるのを密かに嬉しいと感じていた。

「その……公の場で突然、婚約破棄をして悪かった」
「いえ、誤解を招く行動を取った私の落ち度ですわ」
「エミリア、まだ僕の婚約者でいてくれるか……?」
「はい、もちろんでございます、殿下」

 エミリアが花笑む。
 ようやく二人が仲直りしたのだと理解した参加者たちから、あたたかな拍手が沸き起こる。二人のために優美で心躍る音楽が奏でられ、ルークスは勇気を振り絞ってエミリアの手を取った。恥ずかしさを隠しきれず、ぴこぴこ動く猫耳と左右に揺れるふさふさの尻尾。

(ああ、やはり殿下はとても可愛らしい御方ですわ)

 エミリアの印象を変えるまでルークスは幾多の試練を乗り越えることになるが、その甲斐あって人々から勇敢で愛妻家な国王だと後世まで語り継がれるのだった。


 END

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