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長谷部との話
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「雪村さん、お疲れ様でした」
全ての撮影を終えて、長谷部はめぐに労いの言葉をかける。
「本当にありがとうございました。おかげで良いカタログに仕上がりそうです。ドレスの魅力もグッと増して、ブライダルスタッフも、これなら自信を持っておすすめ出来ると喜んでました」
「お役に立てたなら良かったです。でも長谷部さん、写真の仕上がりを確認してから、採用するかどうかを決めてくださいね」
「ああ、そういうお話でしたね。だけどどう考えても採用は決定だと思いますよ。みんなその前提で話していますから」
「そんな……。とにかく私にも確認させていただけたらと思います」
「分かりました、後日ご連絡しますね」
お願いしますと念を押してから、めぐは控え室に戻る。
ヘアメイク担当者が、めぐが着けていたゴージャスなネックレスを外してケースにしまい、長谷部に手渡した。
「確かに返却いたしました」
「確かにお預かりしました」
改まったやり取りに、めぐはそのネックレスがよほど高価なものなのだろうと察する。
(ずっしり重くて輝きも半端なかったもんね。あれって全部ダイヤモンドだったのかも?)
そう思いながら長谷部が手にしているケースを見つめていると、めぐの視線に気づいた長谷部が笑いかけてきた。
「このネックレス、本当に雪村さんにお似合いでしたね。雪村さんにこそふさわしいネックレスだと感じました」
ヘアメイクの女性も、めぐの髪からティアラを外しながら頷く。
「私もそう思います。ここまでゴージャスなアクセサリーは存在感がありすぎて、着けるのを躊躇してしまう方も多いのですけど、雪村さんにはそれに負けない華やかさとオーラがありましたから」
いえ、そんな、とめぐは首を振る。
そしてドレッサーの上に置いておいたポーチから、ブルースターのネックレスを取り出して着けた。
そっと手で触れるめぐに、ヘアメイクの女性が怪訝そうに口を開く。
「雪村さんのイメージとはちょっと違うネックレスですね。雪村さんにはやっぱりダイヤモンドがお似合いですよ」
「いえ、私はこのネックレスが大好きなんです。私らしくいられるし、元気をもらえるので」
めぐはそう言って微笑むと、早くドレスを着替えようとフィッティングルームに向かった。
◇
撮影の次の日からは、めぐも通常業務に戻った。
いつものように取引先と連絡を取り合いながら、イベントの告知や情報のリリース、資料のアップテートをしていく。
梅雨入りすると雨の日が続き、しばらく客足が遠のいた。
めぐはどうすればゲストが来てくれるかを考え、ふと思いつく。
「氷室くん、梅雨明けまではSNSの更新に力を入れない?雨の日でも楽しめるスポットとか、混雑状況をこまめにアップするの」
「ああ、いいな。パークも空いてるから、写真も撮りやすそうだし」
「うん。あと工事中のイベント会場の確認もしたい」
「確かに。よし、早速行くか」
課長に声をかけてから資料を手に、二人で雨模様のパーク内を探索する。
「あじさいが綺麗だから、まずはこれをアップしようかな」
めぐが撮影する間、弦がめぐの頭上に傘をかざして見守った。
「ありがとう。雨の日もなんだか風情があっていいね」
「そうだな。空いてるパークをのんびり回るのもいいし、アトラクションも待ち時間が少ないからたくさん乗れる」
「うん。そう思うと雨の日は貴重だよね」
夏休みに合わせたイベント「世界遺産を巡る旅」の準備も着々と進み、あちこちで作業が行われていた。
実際に世界遺産を訪れたようなリアリティーある写真スポットになるらしい。
資料をめくりながら場所をチェックし、全てのスポットを確認すると、めぐはふと思い出して弦に話しかけた。
「ねえ、夏休みのナイトイベントが追加で発表されたじゃない?」
「ああ、『ランタンフェスティバル』だっけ?」
「そう、楽しみだよね。ゲストにイラストを描いてもらったランタンを浮かべるんだって、会場のキャナルガーデンの水面に」
「あと空にも浮かべるらしいぞ」
「ええ!?どうやって?」
めぐは驚いて弦を見上げる。
「空に飛ばすの?そんなことしていいの?」
「飛んでけーって飛ばす訳じゃないよ。LEDライトで光らせたランタンにヘリウムガスを入れて空に放つんだ。重りをつけて10メートル前後を目安に浮かばせるんだって。巻き取り用の糸で手繰り寄せれば回収出来るから、イベント後はゲストに持ち帰ってもらうらしい」
「そうなの?素敵!もう想像しただけでわくわくしちゃう。私達も広報の取材で立ち会えるかな?」
「それはもちろん。記事にしないといけないし、SNSにもアップするから写真も撮らなきゃな」
「うん!楽しみだね」
満面の笑みを浮かべるめぐに、弦も頬を緩めた。
(子どもみたいに無邪気だな。この間のドレス姿とは別人だ)
めぐの魅力は一体いくつあるんだろう?
ふとそんなことが弦の頭をよぎる。
「ランタン、私もお願いごと書いて飛ばそうかな」
傘をくるっと回しながら微笑むめぐの横顔を、弦は優しく見つめていた。
◇
(ランタンフェスティバル……、あった!これだ)
事務所に戻っためぐは、パソコンを操作してイベントの詳細を確認する。
弦が言った通りのランタンの飛ばし方が詳しく掲載されていた。
(ゲストのランタン以外にも、パーク側が用意したランタンも浮かばせるのね。閉園後もホテルの宿泊者が楽しめるように夜通し浮かべて、翌朝に回収か、なるほど。ん?フェスティバル初日って、8月10日なんだ。氷室くんの誕生日じゃない)
その時デスクの上の内線電話が鳴った。
めぐは受話器を上げて点滅しているボタンを押す。
「はい、広報課の雪村です」
『お疲れ様です、ホテル支配人の長谷部です』
「長谷部さん!お疲れ様です。どうかしましたか?」
『先日撮影したドレスの写真が出来上がったんです。雪村さん、お時間ある時にご確認いただけませんか?結構な量なので、メールで送るより実際に見ていただきたいのですが』
「かしこまりました。えっと、今からでもよろしいでしょうか?」
『大丈夫です。お待ちしております』
めぐは弦と環奈、課長に声をかけてからホテルに向かった。
「雪村さん、ご足労いただきありがとうございます」
「こちらこそ」
フロントに行くと、長谷部がいつものようににこやかに出迎えてくれる。
「今日はバックオフィスでお話ししてもよろしいですか?」
「はい、もちろん」
二人でフロントの後ろ側に回り、オフィスの中でテーブルを挟んで座った。
「早速ですが、こちらが先日の写真です。どれもとてもよく撮れていて、スタッフ一同感激しました」
そう言って長谷部がテーブルの上に並べた写真を、めぐは一枚ずつ眺めた。
「なんだか自分ではない気がします。ヘアメイクさんもカメラマンさんも、さすがプロですね」
「いえいえ、雪村さんのモデルが良かったからだと言ってましたよ。我々はぜひとも全部使わせていただきたいのですが、ご了承いただけますか?」
聞かれてめぐは考え込む。
自分としては気が引けるが、こうやってプロのスタッフが仕事をしてくれた以上、簡単に反故には出来ない。
ここは自分の気恥ずかしさは堪えるべきだろう。
「分かりました、皆様の判断に委ねます。使えるようでしたら使ってください」
「本当ですか?」
途端に長谷部は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます!ご協力に心から感謝いたします」
「いえ、そんな。お役に立てるなら良かったです」
「カタログが出来上がったらお渡しします。楽しみにしていてください。あ、今コーヒーを淹れますね。ホテルのオリジナルブレンドなんですよ。あとシフォンケーキもどうぞ」
長谷部は備え付けの小さな冷蔵庫から取り出したケーキを綺麗な柄のプレートに載せ、コーヒーと一緒にテーブルに置く。
「賞味期限が今日までのケーキで、店頭には置けないんです。どうぞ召し上がってください」
「ありがとうございます、いただきます」
ふわっとした口当たりのシフォンケーキは上品な味わいで、ブレンドコーヒーともよく合った。
「とっても美味しいです」
「それは良かった。この季節は雨で客足が遠のいて、ケーキも売れ残りが多いんです。廃棄するのはもったいないので私がいくつか買い取ってるんですが、今度雪村さんの広報課にも差し入れしますね」
「えっ、そんな。どうぞお気遣いなく」
「これくらいさせてください。雪村さんにはとてもお世話になったので」
屈託のない笑顔を浮かべてから、長谷部もコーヒーをひと口飲む。
めぐはふと、ランタンフェスティバルの初日が弦の誕生日であることを思い出した。
「あの、長谷部さん。少しお聞きしたいのですが、8月のホテルってまだ空きがありますか?」
長谷部は意外そうに顔を上げてめぐを見る。
「8月の予約ですか?お陰様で全日既に満室となっていますが」
「えっ、全日?空いている日がないってことですか?」
「ええ、そうです。雪村さん、ひょっとして宿泊をご希望でしたか?」
「あ、いえ、その。宿泊したい訳ではないんです。ランタンフェスティバルの初日に、ホテルのお部屋からゆっくり眺められたらいいなと思っただけで……」
ランタンフェスティバルの初日……と、長谷部は宙に目をやる。
「確か、8月10日でしたよね?」
「はい、そうです。でも気にしないでくださいね。どうせ満室なので無理ですし」
すると長谷部は、いえ、と否定した。
「ひと部屋くらいなら毎日キャンセルが出るんです。こまめにチェックして、8月10日のキャンセルが出たら押さえておきますね。ちなみにご希望はツインのお部屋ですか?それともダブル?」
「あ、いえ。泊まらないのでどちらでも」
「かしこまりました。押さえられたらご連絡しますね」
「はい、ありがとうございます。無理なら結構ですので。お手数おかけして申し訳ありません」
「とんでもない。お力になれれば嬉しいです」
にっこりと笑いかけられ、めぐは「よろしくお願いします」と頭を下げる。
ケーキを食べ終わると、長谷部はロビーのエントランスまで見送りに来た。
「雪村さん、今日はありがとうございました。また連絡しますね」
「はい。長谷部さん、美味しいケーキをごちそうさまでした」
「いいえ。それじゃあ、また」
失礼しますとお辞儀をしてから、めぐは傘を差して雨のパークを歩き出す。
(なんか、良かったのかな?あんなこと頼んじゃって)
弦の誕生日を祝いたいと思いついたことだが、結果として長谷部にお願いする形となり、めぐは後ろめたくなる。
(キャンセル拾いを支配人ともあろう方にさせるなんて。それに氷室くんだって、誕生日までに好きな人が出来るかもかしれないし)
うーん、と歩きながら考え込む。
(まあ、キャンセルが出ない可能性だってある訳だし。そしたら悩むこともないか)
そう思い直したのだが、翌日長谷部からあっさりと「無事にお部屋押さえられましたよ」と連絡が来たのだった。
全ての撮影を終えて、長谷部はめぐに労いの言葉をかける。
「本当にありがとうございました。おかげで良いカタログに仕上がりそうです。ドレスの魅力もグッと増して、ブライダルスタッフも、これなら自信を持っておすすめ出来ると喜んでました」
「お役に立てたなら良かったです。でも長谷部さん、写真の仕上がりを確認してから、採用するかどうかを決めてくださいね」
「ああ、そういうお話でしたね。だけどどう考えても採用は決定だと思いますよ。みんなその前提で話していますから」
「そんな……。とにかく私にも確認させていただけたらと思います」
「分かりました、後日ご連絡しますね」
お願いしますと念を押してから、めぐは控え室に戻る。
ヘアメイク担当者が、めぐが着けていたゴージャスなネックレスを外してケースにしまい、長谷部に手渡した。
「確かに返却いたしました」
「確かにお預かりしました」
改まったやり取りに、めぐはそのネックレスがよほど高価なものなのだろうと察する。
(ずっしり重くて輝きも半端なかったもんね。あれって全部ダイヤモンドだったのかも?)
そう思いながら長谷部が手にしているケースを見つめていると、めぐの視線に気づいた長谷部が笑いかけてきた。
「このネックレス、本当に雪村さんにお似合いでしたね。雪村さんにこそふさわしいネックレスだと感じました」
ヘアメイクの女性も、めぐの髪からティアラを外しながら頷く。
「私もそう思います。ここまでゴージャスなアクセサリーは存在感がありすぎて、着けるのを躊躇してしまう方も多いのですけど、雪村さんにはそれに負けない華やかさとオーラがありましたから」
いえ、そんな、とめぐは首を振る。
そしてドレッサーの上に置いておいたポーチから、ブルースターのネックレスを取り出して着けた。
そっと手で触れるめぐに、ヘアメイクの女性が怪訝そうに口を開く。
「雪村さんのイメージとはちょっと違うネックレスですね。雪村さんにはやっぱりダイヤモンドがお似合いですよ」
「いえ、私はこのネックレスが大好きなんです。私らしくいられるし、元気をもらえるので」
めぐはそう言って微笑むと、早くドレスを着替えようとフィッティングルームに向かった。
◇
撮影の次の日からは、めぐも通常業務に戻った。
いつものように取引先と連絡を取り合いながら、イベントの告知や情報のリリース、資料のアップテートをしていく。
梅雨入りすると雨の日が続き、しばらく客足が遠のいた。
めぐはどうすればゲストが来てくれるかを考え、ふと思いつく。
「氷室くん、梅雨明けまではSNSの更新に力を入れない?雨の日でも楽しめるスポットとか、混雑状況をこまめにアップするの」
「ああ、いいな。パークも空いてるから、写真も撮りやすそうだし」
「うん。あと工事中のイベント会場の確認もしたい」
「確かに。よし、早速行くか」
課長に声をかけてから資料を手に、二人で雨模様のパーク内を探索する。
「あじさいが綺麗だから、まずはこれをアップしようかな」
めぐが撮影する間、弦がめぐの頭上に傘をかざして見守った。
「ありがとう。雨の日もなんだか風情があっていいね」
「そうだな。空いてるパークをのんびり回るのもいいし、アトラクションも待ち時間が少ないからたくさん乗れる」
「うん。そう思うと雨の日は貴重だよね」
夏休みに合わせたイベント「世界遺産を巡る旅」の準備も着々と進み、あちこちで作業が行われていた。
実際に世界遺産を訪れたようなリアリティーある写真スポットになるらしい。
資料をめくりながら場所をチェックし、全てのスポットを確認すると、めぐはふと思い出して弦に話しかけた。
「ねえ、夏休みのナイトイベントが追加で発表されたじゃない?」
「ああ、『ランタンフェスティバル』だっけ?」
「そう、楽しみだよね。ゲストにイラストを描いてもらったランタンを浮かべるんだって、会場のキャナルガーデンの水面に」
「あと空にも浮かべるらしいぞ」
「ええ!?どうやって?」
めぐは驚いて弦を見上げる。
「空に飛ばすの?そんなことしていいの?」
「飛んでけーって飛ばす訳じゃないよ。LEDライトで光らせたランタンにヘリウムガスを入れて空に放つんだ。重りをつけて10メートル前後を目安に浮かばせるんだって。巻き取り用の糸で手繰り寄せれば回収出来るから、イベント後はゲストに持ち帰ってもらうらしい」
「そうなの?素敵!もう想像しただけでわくわくしちゃう。私達も広報の取材で立ち会えるかな?」
「それはもちろん。記事にしないといけないし、SNSにもアップするから写真も撮らなきゃな」
「うん!楽しみだね」
満面の笑みを浮かべるめぐに、弦も頬を緩めた。
(子どもみたいに無邪気だな。この間のドレス姿とは別人だ)
めぐの魅力は一体いくつあるんだろう?
ふとそんなことが弦の頭をよぎる。
「ランタン、私もお願いごと書いて飛ばそうかな」
傘をくるっと回しながら微笑むめぐの横顔を、弦は優しく見つめていた。
◇
(ランタンフェスティバル……、あった!これだ)
事務所に戻っためぐは、パソコンを操作してイベントの詳細を確認する。
弦が言った通りのランタンの飛ばし方が詳しく掲載されていた。
(ゲストのランタン以外にも、パーク側が用意したランタンも浮かばせるのね。閉園後もホテルの宿泊者が楽しめるように夜通し浮かべて、翌朝に回収か、なるほど。ん?フェスティバル初日って、8月10日なんだ。氷室くんの誕生日じゃない)
その時デスクの上の内線電話が鳴った。
めぐは受話器を上げて点滅しているボタンを押す。
「はい、広報課の雪村です」
『お疲れ様です、ホテル支配人の長谷部です』
「長谷部さん!お疲れ様です。どうかしましたか?」
『先日撮影したドレスの写真が出来上がったんです。雪村さん、お時間ある時にご確認いただけませんか?結構な量なので、メールで送るより実際に見ていただきたいのですが』
「かしこまりました。えっと、今からでもよろしいでしょうか?」
『大丈夫です。お待ちしております』
めぐは弦と環奈、課長に声をかけてからホテルに向かった。
「雪村さん、ご足労いただきありがとうございます」
「こちらこそ」
フロントに行くと、長谷部がいつものようににこやかに出迎えてくれる。
「今日はバックオフィスでお話ししてもよろしいですか?」
「はい、もちろん」
二人でフロントの後ろ側に回り、オフィスの中でテーブルを挟んで座った。
「早速ですが、こちらが先日の写真です。どれもとてもよく撮れていて、スタッフ一同感激しました」
そう言って長谷部がテーブルの上に並べた写真を、めぐは一枚ずつ眺めた。
「なんだか自分ではない気がします。ヘアメイクさんもカメラマンさんも、さすがプロですね」
「いえいえ、雪村さんのモデルが良かったからだと言ってましたよ。我々はぜひとも全部使わせていただきたいのですが、ご了承いただけますか?」
聞かれてめぐは考え込む。
自分としては気が引けるが、こうやってプロのスタッフが仕事をしてくれた以上、簡単に反故には出来ない。
ここは自分の気恥ずかしさは堪えるべきだろう。
「分かりました、皆様の判断に委ねます。使えるようでしたら使ってください」
「本当ですか?」
途端に長谷部は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます!ご協力に心から感謝いたします」
「いえ、そんな。お役に立てるなら良かったです」
「カタログが出来上がったらお渡しします。楽しみにしていてください。あ、今コーヒーを淹れますね。ホテルのオリジナルブレンドなんですよ。あとシフォンケーキもどうぞ」
長谷部は備え付けの小さな冷蔵庫から取り出したケーキを綺麗な柄のプレートに載せ、コーヒーと一緒にテーブルに置く。
「賞味期限が今日までのケーキで、店頭には置けないんです。どうぞ召し上がってください」
「ありがとうございます、いただきます」
ふわっとした口当たりのシフォンケーキは上品な味わいで、ブレンドコーヒーともよく合った。
「とっても美味しいです」
「それは良かった。この季節は雨で客足が遠のいて、ケーキも売れ残りが多いんです。廃棄するのはもったいないので私がいくつか買い取ってるんですが、今度雪村さんの広報課にも差し入れしますね」
「えっ、そんな。どうぞお気遣いなく」
「これくらいさせてください。雪村さんにはとてもお世話になったので」
屈託のない笑顔を浮かべてから、長谷部もコーヒーをひと口飲む。
めぐはふと、ランタンフェスティバルの初日が弦の誕生日であることを思い出した。
「あの、長谷部さん。少しお聞きしたいのですが、8月のホテルってまだ空きがありますか?」
長谷部は意外そうに顔を上げてめぐを見る。
「8月の予約ですか?お陰様で全日既に満室となっていますが」
「えっ、全日?空いている日がないってことですか?」
「ええ、そうです。雪村さん、ひょっとして宿泊をご希望でしたか?」
「あ、いえ、その。宿泊したい訳ではないんです。ランタンフェスティバルの初日に、ホテルのお部屋からゆっくり眺められたらいいなと思っただけで……」
ランタンフェスティバルの初日……と、長谷部は宙に目をやる。
「確か、8月10日でしたよね?」
「はい、そうです。でも気にしないでくださいね。どうせ満室なので無理ですし」
すると長谷部は、いえ、と否定した。
「ひと部屋くらいなら毎日キャンセルが出るんです。こまめにチェックして、8月10日のキャンセルが出たら押さえておきますね。ちなみにご希望はツインのお部屋ですか?それともダブル?」
「あ、いえ。泊まらないのでどちらでも」
「かしこまりました。押さえられたらご連絡しますね」
「はい、ありがとうございます。無理なら結構ですので。お手数おかけして申し訳ありません」
「とんでもない。お力になれれば嬉しいです」
にっこりと笑いかけられ、めぐは「よろしくお願いします」と頭を下げる。
ケーキを食べ終わると、長谷部はロビーのエントランスまで見送りに来た。
「雪村さん、今日はありがとうございました。また連絡しますね」
「はい。長谷部さん、美味しいケーキをごちそうさまでした」
「いいえ。それじゃあ、また」
失礼しますとお辞儀をしてから、めぐは傘を差して雨のパークを歩き出す。
(なんか、良かったのかな?あんなこと頼んじゃって)
弦の誕生日を祝いたいと思いついたことだが、結果として長谷部にお願いする形となり、めぐは後ろめたくなる。
(キャンセル拾いを支配人ともあろう方にさせるなんて。それに氷室くんだって、誕生日までに好きな人が出来るかもかしれないし)
うーん、と歩きながら考え込む。
(まあ、キャンセルが出ない可能性だってある訳だし。そしたら悩むこともないか)
そう思い直したのだが、翌日長谷部からあっさりと「無事にお部屋押さえられましたよ」と連絡が来たのだった。
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