15 / 29
忘れられない夜
しおりを挟む
心地良い疲れを感じながら部屋に行くと、あまりの豪華さに花純のテンションはまた一気に上がる。
広いリビングに重厚感のあるソファとダイニングテーブルが置かれ、壁一面の窓の向こうには開放的なテラスも見えた。
ベッドルームはまた別のドアと繋がっているらしく、手前にはキッチンもある。
「え、ここがお部屋? 高級マンションのペントハウスみたい!」
「ああ、すごいな。螺旋階段で2階に上がれるみたいだぞ」
「ええ!? 行ってみる!」
「ははっ! どうぞ探検して来て、花純ちゃん」
子どものようにわくわくしながら、トントンと階段を上がる花純を、光星は笑顔で見守る。
「光星さん、すごいの。ベッドとテーブルと、バーカウンターがある! ここでオンラインミーティングも出来そうよ」
「へえ、それはいい」
階段の上から興奮気味に顔を覗かせる花純に、光星も2階に上がってみた。
「ほんとだ。デスクワークしやすそうなカウンターだな」
「うん。私、下で大人しくしてるから、光星さんはここでお仕事してて」
「そうだな。じゃあ、少しだけ。あ、花純。エステの予約時間もうじきだぞ。行っておいで」
「そうね。じゃあ行ってきます」
笑顔で身を翻す花純を、光星は後ろから抱き留めた。
「待って、忘れ物」
そう言って花純の頬に手を添えてキスをする。
花純はほわんと表情を緩めた。
「可愛い、離したくなくなる」
「光星さん……。でも行かなきゃ」
「そうだな、夜はまだまだこれからだし。俺も仕事終わらせておくよ」
「うん。じゃあ、がんばってください」
「ああ。行ってらっしゃい」
もう一度チュッとキスをしてから、光星は花純を見送った。
◇
エステで全身ピカピカになり、ネイルもグラデーションカラーで綺麗に飾ってもらう。
満足気に部屋に戻ると、ソファに座ってパソコンを開いていた光星が顔を上げた。
「お帰り。どうだった?」
「とっても気持ち良かったです。光星さん、お仕事は?」
「終わったよ。これからは花純との時間だ。おいで」
パソコンを閉じた光星におずおずと近づくと、グイッと抱き寄せられて後ろからすっぽりと両腕で包まれた。
「花純、ずっとこうしたかった」
背後から耳元でささやかれ、花純の胸が高鳴る。
「私もです」
「……いい香りがする」
「あ、エステで綺麗にしてもらったから」
すると光星は、花純の首筋にチュッと口づけた。
んっ、と花純の口から吐息がもれる。
「花純の肌、すべすべして手に吸いつくみたいだ」
「光星さん、あのっ」
スーッと首筋を指でなでられ、鎖骨にチュッとキスをされて、花純の身体はピクリと跳ねた。
「もう、ダメ」
振り返ると、光星の胸に顔をうずめる。
耳まで真っ赤になる花純に、光星はクスッと笑みをもらした。
「可愛いな、花純。ずっと俺の腕の中に閉じ込めておきたい」
そう言って花純の髪をなでながら、光星は何かを考え始めた様子だった。
「光星さん? どうかした?」
「ん? ああ、ちょっとね。花純に話しておきたいことがある」
「なあに?」
不安になって、花純は顔を上げた。
光星は、振り返った花純を優しく腕に抱いて口を開く。
「昨日、仕事終わりに会社のロビーで杉崎さんに声をかけられた」
「え、千鶴ちゃんに?」
「そう。バーに誘われたけど断ったんだ。そしたら、その場で告白された」
えっ!と花純は言葉を失くす。
「恋人がいるから君とはつき合えないと伝えた。もちろん、相手が花純だとは言ってないよ。それだけ花純の耳に入れておきたくて」
「そうだったんですね……。千鶴ちゃん、本気で光星さんのことを好きだったんだ」
「それは違うと思う。単に、これからつき合っていければって軽い気持ちだと思うよ。だって彼女、俺としゃべったことだってなかったんだから」
「でも、つき合ってお互い好きになっていければって思ったんですよね、千鶴ちゃん」
「花純、はっきり言っておく。俺は花純と知り合って、君と話していくうちに心惹かれた。つき合うことになって、だけど嫌われたくなくて遠慮して、毎日悩んだ。今こうして君に何でも話せる仲になって、君が好きでたまらない。他の誰にも心が揺れたりしないし、花純を誰にも渡す気はない。覚えておいて」
光星さん……、と花純は目を潤ませた。
「私もあなたに話しておきたいことがあります。私、おととい滝沢くんに告白されました」
光星がハッと目を見開く。
「それで、花純はなんて?」
「その場ですぐ断ろうとしました。だけど滝沢くん、返事はまだいらないって。今ならノーって言われそうだから、ちゃんと一人の男として見てからにしてって、そのまま立ち去ってしまいました」
「そうだったのか……」
「光星さん、私ちゃんと断りますから。信じてください」
「花純……。もちろん君を信じるよ、ありがとう」
「はい」
光星は優しく花純の頭を抱き寄せ、額にそっと口づけた。
◇
夕食はホテルのレストランでコース料理を楽しみ、夜のショッピングストリートを散歩しながらライトアップされた夜景を眺めた。
チャペルでのミニコンサートを聴いてから、ワインハウスで美味しいワインをテイスティングする。
部屋に戻ると、テラスにある専用露天風呂に浸かった。
「はあ、なんて贅沢なの」
湯船の縁に腕を載せて景色を見ていると、コンコンと部屋に続く引き戸がノックされる。
「花純? 一緒に入っていい?」
「えええ!? だ、ダメです!」
「でももう服脱いじゃった」
「はっ?」
呆気に取られてから、花純は急いでバスタオルを身体に巻いて湯船に深く身を沈めた。
「電気消して暗くするから。ちょっとだけいい?」
「じゃあ、あの、ほんのちょっとだけ」
「ああ」
ドキドキしながら背を向けていると、かすかにパシャッと水音がしたあと、スーッとお湯が動く。
「花純」
「は、はい」
「隣に行っていい?」
「どうぞ」
お湯が口に入りそうなほど身を縮こめていると、すぐ隣に光星がやって来た。
「気持ちいいな。景色は綺麗だし、静かで時間がゆったり流れてて」
「ほんとですね。日頃の忙しさを忘れます」
「ああ。こういう時間、もう何年も忘れてた。花純、これからも休みが合う時はここに来ないか?」
「はい。全部見て回るには、一泊じゃ全然足りないですもんね。今度は違うお部屋にも泊まってみたいな」
「そうだな。冬はスキーも楽しめるみたいだぞ」
「じゃあ、この露天風呂も雪見風呂になる?」
「そう。プールのジャグジーも。最高だな」
二人で顔を見合わせて笑う。
ふと真剣な表情に戻った光星が、顔を寄せ、花純はそっと目を閉じた。
重なり合った唇は、甘く溶け合うように離れない。
「……花純、のぼせそうだな。そろそろ上がろう。バスローブ持って来る」
「はい」
ザバッとお湯から上がった光星が、バスローブを羽織って戻って来た。
「ベンチに置いておくよ」
背中に聞こえる声に「はい」と返事をしてから、花純は真っ赤に火照った顔をしばらく冷やしてから上がった。
◇
「花純、寝室どっちがいい? 1階と2階」
光星に聞かれて花純は、え?と真顔になる。
(一緒に寝ないんだ……)
期待していた自分が恥ずかしくなり、しょんぼりしながらうつむいた。
「えっと、じゃあ、2階でもいいですか?」
「分かった、そうしよう」
そう言うと光星は花純の手を取り、螺旋階段を上がる。
(あれ? えっと……)
2階に行くと光星はベッドに花純を促し、エアコンや照明を調節し始めた。
「暑くない?」
「大丈夫です」
「明かりも少しだけ残しておく?」
「はい、ありがとうございます」
姿を目で追っていると、最後に光星はベッドに入り、花純の隣に横たわる。
「えっ!」
「ん? どうかしたか?」
「あの、光星さんもここで寝るの?」
「は!? 当たり前だ。花純、ヘビの生殺しにでもするつもりか?」
「だって、その……。どっちの寝室がいいかって聞くから、てっきり別々の部屋に別れるのかと」
「そんなわけあるか。単に花純の好みを聞いたんだよ。忘れられない夜を過ごすにはどっちの寝室がいいかって」
花純の顔は一気に赤くなった。
「忘れ、られない……?」
「そう。ずっとずっと待ち望んでた。花純とのこの時間を」
もう花純は視線も上げられない。
心臓はドキドキと早鐘を打ち、目には涙が込み上げてくる。
「花純? ひょっとして、緊張してる?」
「……うん」
元彼と別れてから6年近く経っている。
遠い昔の記憶は役に立たず、どうしていいのかも分からない。
「可愛いな、おいで」
光星は腕枕で花純を抱き寄せた。
「花純、先週俺のオフィスの仮眠室で一緒に寝ただろう? あの時、君に手を出さなかった俺を褒めてほしい。どれだけ己の理性と戦ったと思ってる?」
「え、そうだったの? だって、ぐっすり眠れたって言ってたから」
「一睡も出来なかった。いっそのことオフィスのソファで寝ようかとも思ったけど、やっぱり花純の寝顔が見たくて。ひと晩中、葛藤してたよ。だから花純、今夜は許してくれる?」
じっと見つめられ、花純は小さく頷く。
「はい」
「ありがとう。大切にするから」
光星は優しく微笑むと、花純にそっと最初のキスをする。
次のキスはもっと長く。
だんだん甘く、深く、吐息交じりに。
目元に、耳元に、首筋を通って鎖骨に。
髪をなでてから、バスローブの中に手を忍ばせた。
花純の肌はきめ細やかで、一度触れたらもう止まれない。
光星は高まる欲望に突き動かされるように、大きくくつろげた花純のバスローブの胸元に顔をうずめた。
んっ、と花純が小さく甘い声をこぼす。
それが更に光星の興奮をかき立てた。
敏感な箇所に触れ、艶めかしい身体のラインをなぞり、素肌を暴いて口づけていく。
「花純、誰にもやらない。俺だけのものだ」
誰にともなく呟いた言葉は、滝沢に対してなのか?
もはや冷静ではいられなかった。
ポケットに入れていた避妊具を取り出してからバスローブを脱ぎ捨て、花純と素肌を合わせる。
ゆっくり身体を繋げると、その心地良さに、全ての意識が持っていかれそうになった。
「花純……、愛してる」
「私も、光星さん……」
何度も愛を刻み込み、花純の瞳からこぼれ落ちた綺麗な涙をキスで拭う。
身体はどこまでも疼き、心はどこまでも高ぶっていく。
こんなに我を忘れるとは……
やがてクタリと力尽きて眠る花純を抱きしめながら、ごめん、と呟いてそっと額にキスをした。
◇
翌朝も良く晴れた青空が広がっていた。
「涼しくてとっても気持ちいいですね」
朝食を食べてから、森林の中を二人で散歩した。
広いブックカフェに立ち寄り、オシャレなソファで本を読みながらコーヒーを味わう。
チェックアウトの時間になり、名残惜しみつつ部屋をあとにした。
「花純、今日はこれからどうする? アウトレットにショッピングに行くか?」
「うーん、買い物はどこでも出来るから今日はいいです。それより近くで乗馬体験やってるみたい。そこでもいい?」
「もちろん、早速行こう」
荷物を車に載せてホテルを出ると、車で10分ほどの乗馬クラブに着いた。
「わあ、たくさんいる! かっこいいなあ」
馬に目を輝かせる花純に、光星は聞いてみる。
「花純、馬に乗れるの?」
「少しだけ。海外にいた時によく乗せてもらってたんです。帰国してから乗馬ライセンス4級を取りました」
「おお、奇遇だな。俺も4級持ってる」
「そうなんですか?」
するとスタッフが「でしたら!」と提案する。
「お二人とも速歩はやあしは問題ないですよね。せっかくですからトレッキングに出かけませんか?」
「気持ち良さそう! この辺りは自然がいっぱいですものね」
「はい、ぜひ。着替えもご用意していますので」
光星と花純は、そうしようかと顔を見合わせて頷き、早速準備をする。
ヘルメットとプロテクターをつけ、選んでもらった馬に跨った。
慣らしに馬場内を何周かしてから、外乗がいじょうに出かける。
森林の中をゆったりと走り、小川を超え、なだらかな坂を駆け上がって楽しんだ。
「お二人ともお上手ですから、もう少しスピード上げましょうか」
先導するスタッフに言われて、最後は風を切って気持ち良く駆けた。
「あー、楽しかった!」
満足気に馬を降りて、「ありがとね」とお礼を言ってなでる。
「お写真お撮りしますよ。並んでください」
馬と一緒に撮った二人の笑顔の写真も、記念にプリントしてもらった。
「とっても楽しかったですね」
高速道路を走る帰りの車の中で、花純は笑顔で写真を見返す。
「ああ、思いがけず久しぶりに馬に乗れて良かった。それに花純と共通の趣味があることが分かって嬉しい」
「私もです。また行きたいな」
「必ずまた行こう」
「はい!」
嬉しそうな花純に、光星も優しく微笑んだ。
しばらくスマートフォンを操作していた花純が顔を上げ、ハンドルを握る光星に話しかける。
「光星さん、私のメッセージアプリのアイコン、変えました。あとで見てみてくださいね」
「分かった。臼井のお菓子を変えたのか? 何だろう」
「ふふっ、お楽しみに」
途中で早めの夕食を食べ、花純のマンションに着く。
「光星さん、ありがとうございました。とっても楽しい旅行でした」
「俺もだよ。花純のことをもっともっと好きになった」
「私もです。気をつけて帰ってくださいね」
「ああ。今夜はゆっくり休んで」
「はい、光星さんも」
頬にキスをしてから、光星は花純に見送られてマンションをあとにする。
自宅に帰ってしばらくすると、花純からメッセージが届いた。
『楽しい時間をありがとうございました』
アイコンは、トレッキングした二頭の馬が仲良く顔を寄せ合っている写真だった。
「ふっ、ようやく臼井に勝ったぞ」
思わずニヤリとほくそ笑む。
あとは、そう。滝沢だ。
だが、花純を信じている。
何も心配することはない。
『俺も楽しかった。次のデートも考えておいて。おやすみ、俺の花純』
メッセージを送信すると、楽しかった余韻に浸りながらワインを開けた。
広いリビングに重厚感のあるソファとダイニングテーブルが置かれ、壁一面の窓の向こうには開放的なテラスも見えた。
ベッドルームはまた別のドアと繋がっているらしく、手前にはキッチンもある。
「え、ここがお部屋? 高級マンションのペントハウスみたい!」
「ああ、すごいな。螺旋階段で2階に上がれるみたいだぞ」
「ええ!? 行ってみる!」
「ははっ! どうぞ探検して来て、花純ちゃん」
子どものようにわくわくしながら、トントンと階段を上がる花純を、光星は笑顔で見守る。
「光星さん、すごいの。ベッドとテーブルと、バーカウンターがある! ここでオンラインミーティングも出来そうよ」
「へえ、それはいい」
階段の上から興奮気味に顔を覗かせる花純に、光星も2階に上がってみた。
「ほんとだ。デスクワークしやすそうなカウンターだな」
「うん。私、下で大人しくしてるから、光星さんはここでお仕事してて」
「そうだな。じゃあ、少しだけ。あ、花純。エステの予約時間もうじきだぞ。行っておいで」
「そうね。じゃあ行ってきます」
笑顔で身を翻す花純を、光星は後ろから抱き留めた。
「待って、忘れ物」
そう言って花純の頬に手を添えてキスをする。
花純はほわんと表情を緩めた。
「可愛い、離したくなくなる」
「光星さん……。でも行かなきゃ」
「そうだな、夜はまだまだこれからだし。俺も仕事終わらせておくよ」
「うん。じゃあ、がんばってください」
「ああ。行ってらっしゃい」
もう一度チュッとキスをしてから、光星は花純を見送った。
◇
エステで全身ピカピカになり、ネイルもグラデーションカラーで綺麗に飾ってもらう。
満足気に部屋に戻ると、ソファに座ってパソコンを開いていた光星が顔を上げた。
「お帰り。どうだった?」
「とっても気持ち良かったです。光星さん、お仕事は?」
「終わったよ。これからは花純との時間だ。おいで」
パソコンを閉じた光星におずおずと近づくと、グイッと抱き寄せられて後ろからすっぽりと両腕で包まれた。
「花純、ずっとこうしたかった」
背後から耳元でささやかれ、花純の胸が高鳴る。
「私もです」
「……いい香りがする」
「あ、エステで綺麗にしてもらったから」
すると光星は、花純の首筋にチュッと口づけた。
んっ、と花純の口から吐息がもれる。
「花純の肌、すべすべして手に吸いつくみたいだ」
「光星さん、あのっ」
スーッと首筋を指でなでられ、鎖骨にチュッとキスをされて、花純の身体はピクリと跳ねた。
「もう、ダメ」
振り返ると、光星の胸に顔をうずめる。
耳まで真っ赤になる花純に、光星はクスッと笑みをもらした。
「可愛いな、花純。ずっと俺の腕の中に閉じ込めておきたい」
そう言って花純の髪をなでながら、光星は何かを考え始めた様子だった。
「光星さん? どうかした?」
「ん? ああ、ちょっとね。花純に話しておきたいことがある」
「なあに?」
不安になって、花純は顔を上げた。
光星は、振り返った花純を優しく腕に抱いて口を開く。
「昨日、仕事終わりに会社のロビーで杉崎さんに声をかけられた」
「え、千鶴ちゃんに?」
「そう。バーに誘われたけど断ったんだ。そしたら、その場で告白された」
えっ!と花純は言葉を失くす。
「恋人がいるから君とはつき合えないと伝えた。もちろん、相手が花純だとは言ってないよ。それだけ花純の耳に入れておきたくて」
「そうだったんですね……。千鶴ちゃん、本気で光星さんのことを好きだったんだ」
「それは違うと思う。単に、これからつき合っていければって軽い気持ちだと思うよ。だって彼女、俺としゃべったことだってなかったんだから」
「でも、つき合ってお互い好きになっていければって思ったんですよね、千鶴ちゃん」
「花純、はっきり言っておく。俺は花純と知り合って、君と話していくうちに心惹かれた。つき合うことになって、だけど嫌われたくなくて遠慮して、毎日悩んだ。今こうして君に何でも話せる仲になって、君が好きでたまらない。他の誰にも心が揺れたりしないし、花純を誰にも渡す気はない。覚えておいて」
光星さん……、と花純は目を潤ませた。
「私もあなたに話しておきたいことがあります。私、おととい滝沢くんに告白されました」
光星がハッと目を見開く。
「それで、花純はなんて?」
「その場ですぐ断ろうとしました。だけど滝沢くん、返事はまだいらないって。今ならノーって言われそうだから、ちゃんと一人の男として見てからにしてって、そのまま立ち去ってしまいました」
「そうだったのか……」
「光星さん、私ちゃんと断りますから。信じてください」
「花純……。もちろん君を信じるよ、ありがとう」
「はい」
光星は優しく花純の頭を抱き寄せ、額にそっと口づけた。
◇
夕食はホテルのレストランでコース料理を楽しみ、夜のショッピングストリートを散歩しながらライトアップされた夜景を眺めた。
チャペルでのミニコンサートを聴いてから、ワインハウスで美味しいワインをテイスティングする。
部屋に戻ると、テラスにある専用露天風呂に浸かった。
「はあ、なんて贅沢なの」
湯船の縁に腕を載せて景色を見ていると、コンコンと部屋に続く引き戸がノックされる。
「花純? 一緒に入っていい?」
「えええ!? だ、ダメです!」
「でももう服脱いじゃった」
「はっ?」
呆気に取られてから、花純は急いでバスタオルを身体に巻いて湯船に深く身を沈めた。
「電気消して暗くするから。ちょっとだけいい?」
「じゃあ、あの、ほんのちょっとだけ」
「ああ」
ドキドキしながら背を向けていると、かすかにパシャッと水音がしたあと、スーッとお湯が動く。
「花純」
「は、はい」
「隣に行っていい?」
「どうぞ」
お湯が口に入りそうなほど身を縮こめていると、すぐ隣に光星がやって来た。
「気持ちいいな。景色は綺麗だし、静かで時間がゆったり流れてて」
「ほんとですね。日頃の忙しさを忘れます」
「ああ。こういう時間、もう何年も忘れてた。花純、これからも休みが合う時はここに来ないか?」
「はい。全部見て回るには、一泊じゃ全然足りないですもんね。今度は違うお部屋にも泊まってみたいな」
「そうだな。冬はスキーも楽しめるみたいだぞ」
「じゃあ、この露天風呂も雪見風呂になる?」
「そう。プールのジャグジーも。最高だな」
二人で顔を見合わせて笑う。
ふと真剣な表情に戻った光星が、顔を寄せ、花純はそっと目を閉じた。
重なり合った唇は、甘く溶け合うように離れない。
「……花純、のぼせそうだな。そろそろ上がろう。バスローブ持って来る」
「はい」
ザバッとお湯から上がった光星が、バスローブを羽織って戻って来た。
「ベンチに置いておくよ」
背中に聞こえる声に「はい」と返事をしてから、花純は真っ赤に火照った顔をしばらく冷やしてから上がった。
◇
「花純、寝室どっちがいい? 1階と2階」
光星に聞かれて花純は、え?と真顔になる。
(一緒に寝ないんだ……)
期待していた自分が恥ずかしくなり、しょんぼりしながらうつむいた。
「えっと、じゃあ、2階でもいいですか?」
「分かった、そうしよう」
そう言うと光星は花純の手を取り、螺旋階段を上がる。
(あれ? えっと……)
2階に行くと光星はベッドに花純を促し、エアコンや照明を調節し始めた。
「暑くない?」
「大丈夫です」
「明かりも少しだけ残しておく?」
「はい、ありがとうございます」
姿を目で追っていると、最後に光星はベッドに入り、花純の隣に横たわる。
「えっ!」
「ん? どうかしたか?」
「あの、光星さんもここで寝るの?」
「は!? 当たり前だ。花純、ヘビの生殺しにでもするつもりか?」
「だって、その……。どっちの寝室がいいかって聞くから、てっきり別々の部屋に別れるのかと」
「そんなわけあるか。単に花純の好みを聞いたんだよ。忘れられない夜を過ごすにはどっちの寝室がいいかって」
花純の顔は一気に赤くなった。
「忘れ、られない……?」
「そう。ずっとずっと待ち望んでた。花純とのこの時間を」
もう花純は視線も上げられない。
心臓はドキドキと早鐘を打ち、目には涙が込み上げてくる。
「花純? ひょっとして、緊張してる?」
「……うん」
元彼と別れてから6年近く経っている。
遠い昔の記憶は役に立たず、どうしていいのかも分からない。
「可愛いな、おいで」
光星は腕枕で花純を抱き寄せた。
「花純、先週俺のオフィスの仮眠室で一緒に寝ただろう? あの時、君に手を出さなかった俺を褒めてほしい。どれだけ己の理性と戦ったと思ってる?」
「え、そうだったの? だって、ぐっすり眠れたって言ってたから」
「一睡も出来なかった。いっそのことオフィスのソファで寝ようかとも思ったけど、やっぱり花純の寝顔が見たくて。ひと晩中、葛藤してたよ。だから花純、今夜は許してくれる?」
じっと見つめられ、花純は小さく頷く。
「はい」
「ありがとう。大切にするから」
光星は優しく微笑むと、花純にそっと最初のキスをする。
次のキスはもっと長く。
だんだん甘く、深く、吐息交じりに。
目元に、耳元に、首筋を通って鎖骨に。
髪をなでてから、バスローブの中に手を忍ばせた。
花純の肌はきめ細やかで、一度触れたらもう止まれない。
光星は高まる欲望に突き動かされるように、大きくくつろげた花純のバスローブの胸元に顔をうずめた。
んっ、と花純が小さく甘い声をこぼす。
それが更に光星の興奮をかき立てた。
敏感な箇所に触れ、艶めかしい身体のラインをなぞり、素肌を暴いて口づけていく。
「花純、誰にもやらない。俺だけのものだ」
誰にともなく呟いた言葉は、滝沢に対してなのか?
もはや冷静ではいられなかった。
ポケットに入れていた避妊具を取り出してからバスローブを脱ぎ捨て、花純と素肌を合わせる。
ゆっくり身体を繋げると、その心地良さに、全ての意識が持っていかれそうになった。
「花純……、愛してる」
「私も、光星さん……」
何度も愛を刻み込み、花純の瞳からこぼれ落ちた綺麗な涙をキスで拭う。
身体はどこまでも疼き、心はどこまでも高ぶっていく。
こんなに我を忘れるとは……
やがてクタリと力尽きて眠る花純を抱きしめながら、ごめん、と呟いてそっと額にキスをした。
◇
翌朝も良く晴れた青空が広がっていた。
「涼しくてとっても気持ちいいですね」
朝食を食べてから、森林の中を二人で散歩した。
広いブックカフェに立ち寄り、オシャレなソファで本を読みながらコーヒーを味わう。
チェックアウトの時間になり、名残惜しみつつ部屋をあとにした。
「花純、今日はこれからどうする? アウトレットにショッピングに行くか?」
「うーん、買い物はどこでも出来るから今日はいいです。それより近くで乗馬体験やってるみたい。そこでもいい?」
「もちろん、早速行こう」
荷物を車に載せてホテルを出ると、車で10分ほどの乗馬クラブに着いた。
「わあ、たくさんいる! かっこいいなあ」
馬に目を輝かせる花純に、光星は聞いてみる。
「花純、馬に乗れるの?」
「少しだけ。海外にいた時によく乗せてもらってたんです。帰国してから乗馬ライセンス4級を取りました」
「おお、奇遇だな。俺も4級持ってる」
「そうなんですか?」
するとスタッフが「でしたら!」と提案する。
「お二人とも速歩はやあしは問題ないですよね。せっかくですからトレッキングに出かけませんか?」
「気持ち良さそう! この辺りは自然がいっぱいですものね」
「はい、ぜひ。着替えもご用意していますので」
光星と花純は、そうしようかと顔を見合わせて頷き、早速準備をする。
ヘルメットとプロテクターをつけ、選んでもらった馬に跨った。
慣らしに馬場内を何周かしてから、外乗がいじょうに出かける。
森林の中をゆったりと走り、小川を超え、なだらかな坂を駆け上がって楽しんだ。
「お二人ともお上手ですから、もう少しスピード上げましょうか」
先導するスタッフに言われて、最後は風を切って気持ち良く駆けた。
「あー、楽しかった!」
満足気に馬を降りて、「ありがとね」とお礼を言ってなでる。
「お写真お撮りしますよ。並んでください」
馬と一緒に撮った二人の笑顔の写真も、記念にプリントしてもらった。
「とっても楽しかったですね」
高速道路を走る帰りの車の中で、花純は笑顔で写真を見返す。
「ああ、思いがけず久しぶりに馬に乗れて良かった。それに花純と共通の趣味があることが分かって嬉しい」
「私もです。また行きたいな」
「必ずまた行こう」
「はい!」
嬉しそうな花純に、光星も優しく微笑んだ。
しばらくスマートフォンを操作していた花純が顔を上げ、ハンドルを握る光星に話しかける。
「光星さん、私のメッセージアプリのアイコン、変えました。あとで見てみてくださいね」
「分かった。臼井のお菓子を変えたのか? 何だろう」
「ふふっ、お楽しみに」
途中で早めの夕食を食べ、花純のマンションに着く。
「光星さん、ありがとうございました。とっても楽しい旅行でした」
「俺もだよ。花純のことをもっともっと好きになった」
「私もです。気をつけて帰ってくださいね」
「ああ。今夜はゆっくり休んで」
「はい、光星さんも」
頬にキスをしてから、光星は花純に見送られてマンションをあとにする。
自宅に帰ってしばらくすると、花純からメッセージが届いた。
『楽しい時間をありがとうございました』
アイコンは、トレッキングした二頭の馬が仲良く顔を寄せ合っている写真だった。
「ふっ、ようやく臼井に勝ったぞ」
思わずニヤリとほくそ笑む。
あとは、そう。滝沢だ。
だが、花純を信じている。
何も心配することはない。
『俺も楽しかった。次のデートも考えておいて。おやすみ、俺の花純』
メッセージを送信すると、楽しかった余韻に浸りながらワインを開けた。
0
あなたにおすすめの小説
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
国宝級イケメンとのキスは、最上級に甘いドルチェみたいに私をとろけさせます♡ 〈Dulcisシリーズ〉
はなたろう
恋愛
人気アイドルとの秘密の恋愛♡コウキは俳優やモデルとしても活躍するアイドル。クールで優しいけど、ベッドでは少し意地悪でやきもちやき。彼女の美咲を溺愛し、他の男に取られないかと不安になることも。出会いから交際を経て、甘いキスで溶ける日々の物語。
★みなさまの心にいる、推しを思いながら読んでください
◆出会い編あらすじ
毎日同じ、変わらない。都会の片隅にある植物園で働く美咲。
そこに毎週やってくる、おしゃれで長身の男性。カメラが趣味らい。この日は初めて会話をしたけど、ちょっと変わった人だなーと思っていた。
まさか、その彼が人気アイドル、dulcis〈ドゥルキス〉のメンバーだとは気づきもしなかった。
毎日同じだと思っていた日常、ついに変わるときがきた。
◆登場人物
佐倉 美咲(25) 公園の管理運営企業に勤める。植物園のスタッフから本社の企画営業部へ異動
天見 光季(27) 人気アイドルグループ、dulcis(ドゥルキス)のメンバー。俳優業で活躍中、自然の写真を撮るのが趣味
お読みいただきありがとうございます!
★番外編はこちらに集約してます。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/693947517
★最年少、甘えん坊ケイタとバツイチ×アラサーの恋愛はじめました。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/408954279
花に溺れ恋に純情~僕様同期御曹司の愛が私を捕らえて離さない~
美凪ましろ
恋愛
「――狂いそうなくらいに、きみが好きだ」
三途の花と揶揄される私、川瀬花子。にこりともしないことで有名で、仲のいい同期もいない。
せっかくIT系大手企業に入って頑張って三ヶ月もの研修に耐えたのに配属されたのはテスターのいる下流の部署。
プライドが傷つきながらも懸命に働いて三年目。通勤途中に倒れかけたところを同期の御曹司・神宮寺恋生に救われ――。
恋に、仕事に奮闘し、セレブとの愛に溺れる、現代版シンデレラストーリー。
夜の帝王の一途な愛
ラヴ KAZU
恋愛
彼氏ナシ・子供ナシ・仕事ナシ……、ないない尽くしで人生に焦りを感じているアラフォー女性の前に、ある日突然、白馬の王子様が現れた! ピュアな主人公が待ちに待った〝白馬の王子様"の正体は、若くしてホストクラブを経営するカリスマNO.1ホスト。「俺と一緒に暮らさないか」突然のプロポーズと思いきや、契約結婚の申し出だった。
ところが、イケメンホスト麻生凌はたっぷりの愛情を濯ぐ。
翻弄される結城あゆみ。
そんな凌には誰にも言えない秘密があった。
あゆみの運命は……
子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちだというのに。
入社して配属一日目。
直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。
中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。
彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。
それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。
「俺が、悪いのか」
人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。
けれど。
「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」
あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちなのに。
星谷桐子
22歳
システム開発会社営業事務
中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手
自分の非はちゃんと認める子
頑張り屋さん
×
京塚大介
32歳
システム開発会社営業事務 主任
ツンツンあたまで目つき悪い
態度もでかくて人に恐怖を与えがち
5歳の娘にデレデレな愛妻家
いまでも亡くなった妻を愛している
私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?
恋色メール 元婚約者がなぜか追いかけてきました
國樹田 樹
恋愛
婚約者と別れ、支店へと異動願いを出した千尋。
しかし三か月が経った今、本社から応援として出向してきたのは―――別れたはずの、婚約者だった。
自信家CEOは花嫁を略奪する
朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」
そのはずだったのに、
そう言ったはずなのに――
私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。
それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ?
だったら、なぜ?
お願いだからもうかまわないで――
松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。
だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。
璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。
そしてその期間が来てしまった。
半年後、親が決めた相手と結婚する。
退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる