Bravo!

Rachel

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7. 音楽と踊る

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 マルグレーテは、がやがや賑やかな周囲をぐるりと見回したいのを必死に我慢していた。
 今夜は年に一度の大舞踏会である。マルグレーテは、父や姉たちと一緒に宮殿にやって来ていた。ホールには貴族や街の有力者が集まっており、皆家族で皇帝一家に挨拶するべく、列に並んでいる。
 父の目の届く場所で無作法なことをすると彼の機嫌を損ねてしまう。マルグレーテは顔を俯かせることで自分を戒め、今夜着ているさわやかな青いドレスの裾だけをじっと見つめていた。

「マルグレーテ、次よ」

 姉の言葉に、マルグレーテははっとして顔を上げた。いけない、玉座の前だったわ。


 無事に皇帝一家への挨拶を済ませたシュミット伯爵家の面々は、伯爵が許可を出した途端におしゃべりやダンスなどに興じるためホールに散っていった。
 マルグレーテはというと、父親が自分に背を向けた瞬間、叔父を伴って真っ先に楽団を目指して走っていた。

「叔父様、見て! 彼はあそこよ」

 目当ての人物ーーテオは、楽団員達の真ん中で美しいバイオリンの音を奏でていた。ソリストとして演奏会の時と同じようにオーケストラの音楽を先導している。

「美しいワルツ……!」

 マルグレーテはうっとりと耳を傾けた。もう心はすっかり社交から離れ演奏にだけ向けられている。
 そんな彼女の方へダンスに誘おうと貴公子達が近づいてきていた。その様子に気づいたエドガーが「マルグレーテ、お前をダンスに……」と話しかけようとするが、マルグレーテは鋭い目つきで叔父を睨みつけてぴしゃりと言った。

「うるさいわね、演奏を聴いているんだから私に話しかけないで!」

 その言葉は周辺にいた青年達の耳にも入ったようで、彼らは一瞬で顔を強張らせるとススッとどこかへ行ってしまった。

 エドガーはやれやれと肩をすくめた。この調子だとほんとうにテオ君のために来たようなものだな。
 もちろん、毎回彼女がこのようなわけではない。普段の舞踏会ではダンスをしたり、他の令嬢達とおしゃべりに興じたりしていた。
 しかし、今夜はテオの公の場での晴れ舞台だ。これまでも小さな演奏会や酒場で弾いていたが、これだけ大勢の前で弾くことはもちろん、宮殿へ来ることも初めてだと公演前にテオが言っていた。彼を見守らなければならないと、マルグレーテは使命感に燃えていたのである。



 一曲目が終わると楽団にたくさんの拍手がおくられる。テオは楽器を下ろすと息を吐いた。手が震えているのが自分でもわかる。まずいな。緊張した面持ちのテオは顔を上げた。と、すぐ近くにマルグレーテが満面の笑みを浮かべてこちらに手を振っているのが見えた。その隣ではエドガーが拍手を送ってくれている。
 テオはバイオリンを手にしたまま二人の方にやってきた。

「……あら? 席から離れて大丈夫なの?」

 マルグレーテがきょとんとした顔で尋ねた。

「いい。次はフルートがメインのアンサンブルだから俺は休憩になってる。それより……」

 テオは戸惑いを隠せないように言った。

「この人の数はなんだ、宮殿にはこんなに集まるのか? 正直ここまでなんて思わなかった……」

 テオは無表情そうに見えるが、明らかに動揺している声を出した。
 マルグレーテはその様子にふふっと笑った。

「宮殿の舞踏会だもの。国中の貴族はもちろん、国外からの王侯貴族も招待されているのよ。それに今夜は軍部の方や商家、銀行家も来ているはず」

「正直なところ、今の演奏がちゃんと弾けてたのかどうかわからなかった。いつもは曲を奏でることに集中できるのに、今日は視線を感じて仕方ない。次は俺のソロがあるのに……」

 マルグレーテはテオのバイオリンを持つ手が小さく震えているのに気づいた。まあ、テオが音楽以外のことに気をとられるなんて。表情からは全く読み取れなかったが、彼も人並みに緊張するのだとマルグレーテは意外に思った。

「大丈夫よ、さっきの演奏は完璧だったわ」

 マルグレーテがそう言っても、テオは彼女の方を見ずにそわそわと辺りを見回していた。足も手も落ち着かなげに動いている。これではこの会場のみんなにテオのバイオリンの素晴らしさを知ってもらえないかもしれないわ。
 マルグレーテはバイオリンを持つ彼の手に、自分の手を重ねた。いくらか強張った顔が驚いたように振り向く。マルグレーテは彼の目をまっすぐ見て言った。

「テオ、大丈夫よ。次は私もテオの演奏で踊るわ。不安になったらこの青いドレスの私を見て。演奏が止まったら私は踊れなくなってしまうわよ。ね、他の人のことは気にしないで、私のダンスに合わせて演奏して」

 真剣な表情で言うマルグレーテに、テオは目を丸くしていたが、やがて二、三度瞬きをすると泳いでいた目がきちんとマルグレーテの瞳に定まった。
 そしてぐっと緊張を抑え込むかのように頷いた。

「わかった」

 しばらくしてテオはオーケストラの自分の席に戻っていった。
 その背中を見ながらエドガーは隣の姪に笑いかけた。

「ほう、お前が踊るだと? それは見ものだな。先ほどまでは殺気で男達を追い返していたのに」

「殺気ってなんのことよ」

「自覚がないんじゃあ仕方ないな……おやおや、また物好きな奴が来たぞ」

 エドガーがにやついた顔でホールの方へ目を向けて言った。

「叔父様ったらほんとうに失礼ね。私を一体なんだと思っているの」

 そこで二人は会話を途切らせた。エドガーの言った通り、栗色の髪をきれいに撫でつけた青年が現れたからだ。

「こんばんは、美しい方。どうかあなたと踊る栄誉を私に与えてはくれませんか」

「ええ、喜んで」

 マルグレーテはちょうどいいとばかりににこやかに頷いた。

 人々が組みになってダンスホールに出ると、音楽が始まった。
 マルグレーテはくるくると回るたびに楽団の方へ目を向ける。テオの緊張した様子がちらちらと見えたが遠い。もう少し近づかなきゃ。マルグレーテは青年の上品なリードを上塗りするように楽団の方にばかり足を向けた。

「……噂に違わぬ音楽好きなようですね、マルグレーテ様は」

 そう言われてマルグレーテは、初めてダンスの相手に目を合わせた。

「あら、私をご存知なの?」

「もちろんです。劇場に出向くと、いつも一番良い席にあなたがいらっしゃる」

 マルグレーテは嬉しそうに頷いた。

「いつもではないけど……叔父が最高の席を用意してくれますから。今夜も素敵な音楽でしょう? 私の友人が演奏しておりますのよ」

 会話はそれきりで終わらせた。そろそろテオのソロが始まる。マルグレーテは楽団席の彼の様子を伺った。無表情であるが、やはり顔が強張っている。緊張しているのだ。

 テオ、こっちを見て、私がいるわ!マルグレーテは踊りながら、念じるようにテオの方へ視線を送った。
 テオはなかなかこちらを見なかったが、いよいよソロ、と楽器を構えた時、マルグレーテの視線に気づいた。

 がんばって。マルグレーテの励ますような微笑みに、テオは視線を返し小さく頷くと、息を吐いて弓を傾けた。

 低音から高音に一息に上がる印象的な始まりで、そのバイオリンの旋律にホールの人々ははっとしたように振り返った。その後流れ始めたメロディーは切なく情熱的で、思わず脚を止め、ダンスを辞めて聴き惚れてしまう男女もいた。
 そんな周りを見ながらも、マルグレーテは踊り続けた。
 テオが弾いてくれているんだから、私は踊らなきゃ。ダンスの主導権は完全にマルグレーテが握り、そしてその舞は見事であった。パートナーと手を取って踊っているにもかかわらず、まるでマルグレーテは一人で踊っているかのように華麗に舞った。そしてちらりとテオの方を伺うと、驚いたことに彼も弓を傾けながらこちらを見ていた。先ほどマルグレーテが言ったように、テオは彼女の舞に合わせて弾いているようだ。それがわかると、マルグレーテの顔に満面の笑みが広がった。

 曲が終わると、ダンスをしていた者もただ聴いていた者も、ホールにいた人々は皆、楽団員達、特にテオに大きな拍手を送った。
 マルグレーテはダンスのパートナーへの挨拶を早々に終わらせると、すぐ目の前にいるエドガーの隣へ駆け寄った。

「素晴らしかったわね、叔父様! みんなの驚いた顔を見た? 彼のソロは大成功だわっ」

 勢いこんで言う姪に、エドガーは呆れたように言った。

「まったく、お前は一体誰とダンスを踊っていたんだ……」

 マルグレーテはきょとんとした顔になった。

「え? ええと……確かマートン卿のご子息の……」

 エドガーは「そういうことを訊いているんじゃない」と頭を抱えながら言った。

「マルグレーテ、ここは劇場での演奏会じゃない。宮殿の舞踏会だ。皇帝も皇后もいる。それにいいか、お前のお父様もいるんだ。お前は今日は劇場の客じゃない、貴族として招待されたシュミット伯爵令嬢なのだぞ」

 マルグレーテはドキッとした。そうだ。今夜は父がいるのだ。今のダンスは見られていたのだろうか。ちらちらと辺りを見渡しながらマルグレーテは咳払いをして答えた。

「わ、わかっているわよ、叔父様にそんなこと言われずとも……ええ、そうよ、さっきの方はマートン卿のご子息、エレメイン様だわ」

 エドガーは眉を寄せてため息を吐いてから言った。

「わかっているなら、最低限のマナーは守るんだ。ダンスの時は踊っている相手の……」

「踊っている相手の目を見て踊る。大丈夫よ、これからエレメイン様に失礼をお詫びしてくるから。それでご満足?」

 マルグレーテは身を翻し、肩を落としているマートン卿の息子の方へ足を向けた。




 マルグレーテのおかげで、テオはあのソロ以降、必要以上に緊張感を抱くことはなくなっていた。
 ソロが始まる直前、テオは手が震えていたのだが、ふとマルグレーテがこちらに視線を向けていることに気がついた。
 彼女は俺のバイオリンに合わせて踊ると言っていた……途切らせるわけにはいかない。そうして息を吐くことで落ち着きを取り戻し、ソロを成功させることができたのだった。

 それから何曲か演奏し、二回目のソロもうまくいった。
 自分が弾かない時、テオはホールの様子をぼんやりと眺めた。こんなきらびやかな場所に来たのは初めてだった。
 会場に入った瞬間、上から下まで床や柱がピカピカ光っているのに目を瞬かせた。演奏するのはいつも道傍か、教会の前、酒場の暗がりだったので、夜でもこんなに明るいところがあるのかと少し驚いた。
 楽団の真逆の壁際には大きな玉座があり、誰かが座っている。あれが皇帝だろうか。
 ふと、ダンスホールで踊っているマルグレーテが目についた。青いドレスを着た彼女はいつも以上に美しく、首や耳に光る宝石も目についた。
 彼女はよく踊る、とテオは思った。あんなにも舞踏会を嫌っていたわりには、誰にでも愛想良くしている。まあ父親のシュミット伯爵も来ていると言っていたから、怒りを買うまいとしているのだろう。
 今、彼女は踊っている相手と会話をしているようだった。その様子はいかにも楽しそうで、且つ美しく、舞う姿は優雅で、テオは絵を見ているような印象を持った。しかし、彼女はダンスの最中も、時おりちらちらとテオの方に笑顔を向けてくれる。もう俺は大丈夫なのに。彼女の気遣いに、テオも少しだけ笑みを返していた。

 それからまた何曲か弾き、再びフルートのアンサンブルになった。
 テオは、近くのテーブルで宮殿の召使いから水を一杯もらっていた。もう大勢の前で弾くのには慣れたが、さすがにこう弾きっぱなしだと疲れを感じるな。
 そう思っていると、突然背後から声をかけられた。

「失礼、君がさっきソロを弾いていたバイオリンの演奏者かな?」

 振り返ると、ぴかぴか光っている上等なジャケットを着た金髪の青年がいた。
 テオは彼の顔に見覚えがあった。確か一番最初に劇場の演奏会に行った時、エドガーのボックス席までやってきてマルグレーテにシャンパンを渡していたあの男だ。金髪とやたら高い鼻が印象的だった。

 彼の問いかけに、テオはただ頷いた。

「素晴らしい演奏だったよ。一度足を止めてしまうほどにね。君のようなバイオリンは初めて聴いた。シュタンマイアーの代わりときいていたからどれほどかと思っていたが、まさかここまでとは」

 演奏を称えているようだが、テオはなんだか褒められている気がしなかった。態度がずいぶん尊大だ。さすが貴族だとテオは思いながらただ頷いた。
 一方青年の方は、テオの反応の薄さに戸惑ったようだったが咳払いをして続けた。

「ときに君は、シュミット伯爵令嬢と親しいようだね。貴族の令嬢がワルツを踊りながらダンスの相手ではなく演奏者と微笑み合うのは初めて見たよ。まあ彼女は誰にでも笑みを向けてくれるんだがね」

 テオは訝しげに青年を見つめる。貴公子は笑みを浮かべたまま続けた。

「しかし、君は忘れているかもしれないが、彼女は貴族だ。それも由緒あるシュミット伯爵のご令嬢。その意味がわかるかい?」

 無表情だったテオはわずかに目を細めた。何が言いたいんだ。
 その小さな変化に、金髪の貴公子は気を良くしてさらに続けた。

「君がどれだけ彼女の気を引く演奏ができたとしても、どれだけ笑顔を向けられたとしても、彼女の手を取ることは叶わないんだよ。一緒にダンスをすることも、挨拶で彼女の手にキスをすることすらできない。それができるのは、我々貴族に生まれついた者だけだ」

 テオは冷たい目をしたまま青年の言うことをただ聞いていた。
 青い目を光らせて青年は続けた。

「君の演奏はほんとうに素晴らしい。しかし、その腕でこの宮殿に出入りできたとしても、あの令嬢の隣にいることは許されない。せいぜい下僕になれれば出世したものだ。彼女とは肩を並べるどころか、そもそも足元にも及ばないことを自覚したまえ」

 青年はそう言い切るともう用はないと身を翻して去っていった。その清々しそうな背中は、言いたいことを言い切ってすっかり満足したようだった。
 同時にホールに流れていたフルートのアンサンブルが終わった。

 テオは冷たい表情のまま、彼が声をかけてきた時と変わらぬ状態で、彼の背中を見送った。ひとつだけ違ったのは、彼がバイオリンの弓をぎゅっと握ったことだけだった。

 演奏が始まる。テオは楽団席に戻った。演奏している間は、シュタンマイアーの言う通り全てを忘れて音楽に集中した。常にこの音を、あの音を、と躍起になって考えることで、音楽は最高に素晴らしいものになっていった。

 曲が終わり、ふと顔を上げた時だ。
 ダンスホールの真ん中で、マルグレーテの青いドレスの姿がはっきりと見えた。ダンスを終えてお辞儀をしている。相手は若い青年で、背がすらりと高く、上品な物腰をしており、いかにも貴族とわかるようだった。と、彼がマルグレーテの手を取り、手の甲に唇を寄せたではないか。マルグレーテの頬が紅く染まった。
 それが見えた瞬間、テオは頭にかあっと血がのぼるのを感じた。弓を握った手がわなわなと震える。
 テオは衝動的に楽器をケースにしまい込んだ。まだ次にも曲があったが、もうそんなことは考えられなかった。テオは、他の演奏者達が止めるのもきかずにホールを出ていってしまった。






 マルグレーテは怒りを抑えるのに必死だった。

「まあ落ち着きなさい、マルグレーテ」

「これが落ち着いていられる!? ベルタお姉様、あのバウマン侯爵の次男が私の手にキスしたのよ。信じられない、吐き気がするわ!」


  マルグレーテは、口うるさい叔父から離れて優しい長姉のベルタと談笑していた。すると、若い男がマルグレーテをダンスに誘ってきたのだ。バウマン侯爵の子息、アルヴィン・ヨーゼフ・フォン・バウマンである。
 彼は優しげな柔らかい瞳で社交界の令嬢から人気を集めていたが、マルグレーテは彼の膜がかかったような視線が苦手であった。
 ただ、ちょうどその瞬間を父が見ていたので、断れず一曲だけとホールに出た。

 マルグレーテは踊っている相手の目は見たくなかったため、マルグレーテの視線は自然と楽団の方に向けられた。
 知らない男性と踊るのはもちろん、苦手な男性と踊るのは嫌だったが、その曲のメロディーはテオが弾いている。私はそれに合わせて踊っているのよ、相手が誰であろうと、この演奏はテオの奏でるバイオリン。そう思っただけで胸が踊り、真剣な表情で弓を傾けているテオの姿が視界の隅に入ると笑みがこぼれた。
 しかし、バウマン侯爵の息子の方は一度も目を合わせようとしないマルグレーテに少し苛立ったようだった。彼女はあるバイオリン弾きに関心があるようで、そちらにばかり目を向けている。
 曲が終わると、彼は意趣返しとしてダンスの礼に、彼女の手の甲に口付けた。

「ひっ」

 マルグレーテの小さな悲鳴を聞くと、バウマン侯爵の子息は満足したように彼女から離れていったのだった。




「ああ、ほんとうに信じられない。うら若き乙女の手にキスするなんて……」

 マルグレーテは宮殿の侍女の差し出す水の入ったボールで手を洗いながら、隣の姉に言った。ベルタは呆れたように言った。

「彼はあなたの貴族らしくないふるまいを指摘してくださったのよ。あなたったら、あからさまに彼の方を見ようとしないんだから」

「私、やっぱり貴族には向いてないのよ。ダンスも音楽も好きだけど、どんな人間を相手にしても仮面を被るなんて無理だわ。さっきみたいに悲鳴をあげてしまう」

「そんなこと、お父様がきいたら……」

「……ちょっとまって」

 マルグレーテは姉の言葉を遮った。
 向こうに見える楽団のバイオリンの席が一つ空いている。テオの座っていたところだ。管楽器だけのアンサンブルや休憩の時でも、あそこに楽器やケースは置いてあったはず。しかし、もうそこには楽譜も楽器ケースもなかった。

「彼がいない……テオがいないわっ!」




 マルグレーテはまず叔父の姿を探した。ベルタが「あ、あそこだわ」と指した方を見ると、叔父はワインの並んだテーブルの前で友人達と談笑していた。顔色と周りの空のグラスの数から相当飲んだようで、顔も赤い。こころなしかふらついているようだ。こんな時に! マルグレーテは苛立たしげに拳を握りこんだ。

 すぐさま叔父にテオのことを話し、行方を尋ねたが、彼もテオがどこへ行ったのか知らないようだった。

「……まあでも、曲も終盤だろう、ソロもないから帰ったんじゃないか?」

 エドガーの隣にいたモルドレット卿が言った。彼は貴族ではないが商売人で、この街でいくつかの事業を切り盛りしている大物だ。

「マルグレーテにはともかく、私には一言声をかけてから宮殿を出ると思うんだがなあ……」

 エドガーも首を傾げたのに、マルグレーテは不安を募らせた。モルドレット卿が「ふうむ」と考えてから言った。

「それなら貴族の嫌味でもきいて気を悪くしたのさ。君の話じゃ、彼は気まぐれなんだろう? こんな形式ばった社交界じゃない、もっと庶民派の場所に行きたくなったのかもしれんよ」

 マルグレーテは顔を曇らせた。そんな……もしそうであるなら、彼は宮殿どころか、そのままウィーンを出ていってしまうかもしれないわ!

「叔父様、私、彼を探してきます」

 その言葉にエドガーもモルドレット卿も目を見張らせた。

「はっ!?」

「今から? 舞踏会を抜け出して街中へ行くというのか! 夜だぞ!?」

 マルグレーテは至極真面目な顔で言った。

「テオを放っておくわけにはいかないわ。彼は私の友人なのよ。ウィーンへ無理やり連れてきたからにはその責任があります」

「し、しかし、君のお父様にはどう説明する……!?」

「第一、馬車なしでどうやって移動するつもりだ? というより、君みたいな貴族の令嬢が夜に人探しなど……」

 マルグレーテは不敵な笑みを浮かべた。エドガーは嫌な予感がした。

「馬車は叔父様のを借りるわ。今夜の御者はロードバルトでしょう? 彼がいるから一人じゃないわ。叔父様がお父様にうまい言い訳を考えてちょうだい」

「お、お前っ、また私にそんな大義を押しつけて……!」

「私の大切な友人のためよ。ねえ叔父様、かわいい姪のためにも知恵を絞りだして」

「い、いい、いかん! お前が行くのではなく、代わりに私がテオ君を探そう、お前がお父様に言い訳を考えるんだ」

 マルグレーテは腰に手を当てて眉をつり上げた。

「そんなにお酒を召しているのに信用できるわけないでしょう! 私にはわかるのよ、叔父様はどうせすぐに諦めてその辺で寝ちゃうんだから。何かあってからでは遅いのよ。叔父様は酔いが醒めるまで屋敷まで歩いて帰るといいわ。とにかく、私がテオを探すから」

 もうこれは決定事項だというようにマルグレーテはぴしゃりと言った。エドガーは苦い顔を浮かべた。もうこうなっては姪を止めることなど不可能だ。
 モルドレット卿はそんな様子に苦笑いしながら言った。

「マルグレーテ嬢、さすがに御者だけではいけない。侍女をお付けなさい。君のお姉さんたちが連れていただろう」







「わかったわ、マルグレーテ。ほんとうなら絶対に許されないことだけど……あなたがそんなに言うなら行っておあげなさい」

 舞踏ホールから外れた廊下の小脇で、姉のベルタは侍女のエンマとともに妹の話をきいていたが、やがて頷いた。

「ありがとう、お姉様」

「エンマとは決して離れないこと。エンマ、頼んだわよ。店はちゃんと選びなさい」

「お任せくださいまし」

 頭を下げた侍女のエンマは、ベルタと同じくらいの歳で、すっと背筋の伸びた女性だった。屋敷で必要な買い物も、彼女が街へ出向いているため、市街地の様子には詳しい。少々真面目すぎるところがあるが、馬車でしか移動したことのないマルグレーテにとっては、頼もしい連れであった。

「お父様への言い訳は私と叔父様でどうにかするわ。ただ、遅くなりすぎないこと。お父様が心配しすぎて警官隊を呼んでしまっては大変よ」

 こうして、マルグレーテは侍女のエンマとともにエドガーの馬車に乗り、冬の夜の街中へテオを探しに出たのである。





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