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13 楽しさの背後に、つい思い出す最近の日々とその人影。

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指定されたホテルの上のフロアに着いた。
落ち着いた和服の女性に迎えられて、専務の名前を言って通されたのは簾で仕切られた小さなテーブルだった。
これで誰か来ると言われたら、自分は何と思うだろうか?
それでもセッティングされたテーブルをみると自分と専務の二人だと思えた。


「お疲れ様です。」

仕事の続きのように挨拶した。

「お疲れ。わざわざ・・・ありがとう。」


向かいの席に座り、まずは落ち着いた。

さあ、話は何ですか?何て無粋なことはできない。
すぐに日本酒が運ばれてきた。
綺麗な切子のグラスも一緒だった。
さぞかし美味しいのだろう。

なんの好みも聞かれてませんが、まして食事についても聞かれず。
すぐに運ばれてきた料理は実に綺麗に盛られたいろいろだった。

二人の間に大きく丸いお盆が置かれて。小盛の山が二人分数種類。
説明されてもほとんど抜けていく。
食材がいいのは分かった。
聞くだけでも高そうな食材も使われていたし、聞いたことのない名前も。


「いただきます。」気分としては料理にそう言った。

高級な割りばしを手にして、自分のテリトリーから食べていく。

美味しい!
それはもう、当たり前だ。
専務のチョイスに間違いはないのだから。


だいたいファミレスとか家族で行ったことはないんだろう。
回るお寿司も食券を買うようなお店もせいぜい学生仲間とだろう。


綺麗な手つきでゆっくり食べている。
いつ話をするのか、落ち着いた動きからはそんな気配すらうかがえない。


「・・・なに?」

こっそりと上目使いで見てたのがバレたらしい。


「小さいころから素敵なお店でお食事されてたんですよね、きっと。」


席数の少ない立派なカウンターだけのお寿司屋さん、子供用のメニューでも国旗なんて立ってなさそうなレストラン、ジュースを頼んでもお酒と同じくらい高い、濃く新鮮なジュースが出てくるレストラン。
簡単に想像がつくんだから。


「うちは父親が週末は自宅で食事したい派だったから、家族で外食の記憶はほとんどない。むしろ他の子の週末や記念日が羨ましかったくらいだし。母親も頑張ってはいたけどそんなに特別なものを作ってたわけじゃないから。」

「それは少し意外です。」

「そんなものだよ。」

おしゃれな切子グラスはあっという間に空になる。だって小さいんだもん。
気が付いたら満たされていて、あっという間にボトルが軽くなる。
ゆっくりのペースなのはお酒があるから。
会話は時々、しかも切れぎれで。


「林森は何か言ってきた?」

そう聞かれた。
もしかして教えたの?何て言ったの?

びっくりした後睨みつけるように見た。

「何でも相談してるみたいだし。」

「そうやって筒抜けになるので全く連絡も取ってないですし、最近は顔も見てません。」

お昼を自室か外でとってるから会うこともない。

美味しい料理とお酒と素敵な場所、それでも会話はギスギスしてしまう。
これで支払いを請求されたら本当にブチ切れそうだ。
この時間丸ごと残業扱いにしてほしいくらいなのに。

丁寧に盛り付けられたお皿がゆっくりと運ばれて、もうあと少しだろう。
普通のコースならあと一、二品。

日本酒も二本目のボトルを空にしそうだった。

専務のペースが落ちたので自分で注いで、ついでに専務の減った分も満たしてあげたりもした。こんな時にお酒が強くて良かったと思う。遠慮はしない。
切子のグラスを揺らしながらそう思ってた。


食事もいよいよ最後らしい。
カットの凝ったフルーツとシャーベットが来た。



「最初のきっかけは何だったのかな?社食で友達に囁かれたんだけど。」

顔をあげた。

「何ですか?」


「だから、きっかけ。」

だからなんのきっかけかと聞いてるのに。
勝手に記憶を振り返ってるようで先は続かない。

それでもちらりと思い当たったこともあった。

まさか・・・・。


「しばらくしてから、林森が近くにいた時に聞いてみたんだ。」


「興味があるって言ったら、嬉しそうに一緒に飲もうって言ってくれて。」


「お酒が強くて助かったけど、あの時はほとんど視線も合わせてもらえなかったし。もう一人の友達の方は興味津々で見てきたけど彼氏自慢されてたから、まあ普通の興味なんだろうなあって思ってたんだ。社内の人とだとそんな事もよくあるからね。」


やっと分かった。
何で彼女自慢していた林森さんがあの日私を誘ったのか。
適当に誤魔化してた理由。

顔をあげたら目が合った。

「お酒は飲めます。美味しいお酒なら絶対無駄にはしません。あの日もすごく美味しいお酒でしたし、食事も。私と詠歌の分のお会計も持っていただいて、感謝してました。」
あの時は、ただ、単純に。




「そう。あ・・・だからと言って一緒に働くようになったのは偶然だから。そこは本当に知らない、何も関わってないから。」


「そうですか。」そうなんだ・・・・。


「昨日・・・・・。」

話がやっと本題に入ったらしい。


「分かってるんだと思った。いきなりでも、まあ、そんな雰囲気かなあって。」


「どこをそう思ったのか・・・・・大きな勘違いです。」


最初のあのタイミング、反応をうかがわれた少し時間、そして繰り返されてる間の・・・・・。

認めたりはしない。

通り過ぎる彼女の一人になるなんて絶対に嫌だし、すべてが終わって下の階に降ろされる時のみじめな気分は想像もしたくない。
ずっと囁かれるんだと思う。
もしかしたら今まで会った取引先の人にも思われるのかもしれない。
『あの子とは終わったのか・・・・。』と。
そして当然人事と社長副社長もうっすら事情を察してしまうんだろう。

最悪だ。

自分から寿退社しない限り、誤解でもそんな風に見られる可能性があるのに。


「林森が背中を押すんだけど。太鼓判を押すように。何か言った?」


「何のことでしょうか?」


じっと見られた。
顔が赤くなる。
ひどく酔って恨み節を言いながら泣いた。
嫌われてるのが悲しいと、もっと優しくしてくれてもいいと。
恋愛対象じゃないと分かってても、もっと思いやりを持ってほしいと。


「好きなんだ。本当にきっかけは小さなことだったけど、あれから一回飲んで、実際に近くで仕事をして近くにいてもらって。なかなかリラックスしてくれないのが悲しくて、逆にこっちもどうしていいか分からなかったし。」

「雨に降られて戻ったら、あんなに心配してくれて、思ったより距離が近くなって来たなあってうれしく思ってた時だったから、だから、つい。」

つい・・・・?

「私はせっかく入った会社で気まずい思いはしたくないんです。友達にも先輩にも恵まれて、ずっと経理で働けると思ってました。今の私のポジションの代わりがいるなら、またあの場所に戻って働きたいと思ってます。いい会社だと思ってます、満足してます。」


最後は感謝の気持ちを乗せた。
経営者一族なら褒めた事にもなる。



「それが返事?」


「・・・・はい、そう思って・・・・下さい。」

息を吐いて視線をずらした。

溶けたシャーベットが見えた。
すっかりお皿も汗をかいてる。
もったいない。


ゆっくりスプーンをとった。


丸ごと忘れると決めた。
仕事がしずらくなるなら、私は丸ごとなかったことにできると。
専務もそうすればいい。

たまには毛色の違った獲物が欲しかったのかもしれない。
ちょっとした興味で、手を伸ばしたら届いてしまいそうで。
きっとガッカリするだろう。
やっぱり違うなあって思うだろう。
やっぱり間違ったなあって思われてしまう。
いくら優秀なハンターと言われてても、重なる緑の中で保護色にもならない毛色を見たのかもしれない。つい・・・だったのだろう。


もう十分美味しいお酒と食事をご馳走になった。
下について働いてる間で数回ご馳走になったから満足する。

フルーツも食べて、緑茶を飲んで。



手を合わせた。ごちそうさまでした。


近いうちにあの部屋から出るんだろうか?
もっといい秘書候補を探してもらえるかもしれないし。

ただ変な理由はつけないでほしい。
ただ単純に・・・・経理の仕事がしたいと言っていたと、そう言ってほしい。
決して間違ってはいないから。


「お先に失礼した方がいいですよね?」


「・・・・分かった。もちろん会計は気にしないで。」

「ありがとうございます。ごちそうさまでした。」

荷物を持って、おトイレに行く振りをして、背後で会計をお願いする声も聞こえた。
ずれたタイミングで入って、出ていく二人はどう思われるんだろう。

それでも出口では丁寧なお礼を言われた。

私もちゃんと美味しかったとお礼を言って外に出た。

ちゃんと笑顔で出てこれたのに、エレベーターの中で俯いた私は自分の足元がにじんで見えてる。おかしい。

ハンカチで目元をちょっと押さえたら気にならなくなった。
もしかして気のせいだったのかもしれない、そう思った。


ビルの明かりの中をゆっくりと歩く。
ずいぶん飲んだから、いい具合に酔って気持ちいい。
そう思ってるのに、やっぱり目元にこみあげてくるものがある。

上を向いてにじむ光の連なりをきれいだと思って。
くるりと見て、歩き出した。


あの時にすぐに反応して殴ればよかったのだろうか?
突き飛ばすのに時間がかかったのかもしれない。

しょうがない、私はあんなことに慣れてないんだから。



次の日からも何も言われなかった。
むしろお互いに普通にしてるのが分かるくらい。
あえて気にしてない振りをしてる。

ランチ時間に二人で部屋っていうパターンもあったけど、静かな音楽を聴きながら静かに食べるのも変らない。会話はないけどお互いの存在は気にしないようにして。

挨拶と仕事の受け渡しをして、それ以外本当に留守番の時に何かすることもなく。


ため息は時々、一人の時に。

休憩で席を離れるのも専務が出かけたすぐ後に。
ボンヤリし過ぎないで席に戻るようにしていた。


楽しいはずのおやつタイムもすっかり取らなくなった。


そして友達の興味もこっちに向くこともないまま。
囁かれる噂の中にうっかり顔を出すこともないまま。


そんな日々の中に吉報が。
やっと思い出してくれたみたいで綾香が飲み会を開いてくれると言う。
喜んだ、久しぶりの飲み会だ!

金曜日、何度も予定はチェックした。
同行を言い出されることもなくて、無事にその日の夕方になった。
専務もいなくて、時間になったら仕事を終わりにして綾香と待ち合わせた。


「久しぶり。もう忘れられてるかと思った。」

「ごめん、彼の方が忙しくて、なかなか金曜日が使えなかったの。」

信じてあげよう。

「ねえ、本気で好きな人が欲しい。今凄く時間があるのに、全く楽しみがないんだもん。」

「いいねえ、残業無しなんて。」

「そうでしょう?一人の時間も多いし、何だか楽してるんだけど。そのうちに経理に戻ると思うんだけど大丈夫かなあ?」

「交代の話が出てるの?」

「だって無駄な時間が多いと思うし、ちょっとだけ経理に戻りたいって言ってみたの。」

「何で?」

ちょっとだけ嘘と本当を混ぜて言ってみたけど、予想以上の反応が帰ってきて私がびっくりする。

「だって年齢でそのうちにダメって言われたりするよりは、早いうちに経理のベテランになった方が今後の為にもいい気がしてきたの。」

「もしかして専務が嫌だとか?」

「別にそんな事はないよ。本当にあんまり向き合う仕事もないから合うも合わないもないと思うよ。」

「そう・・・・。」


「とりあえずは今日の出会いを願いたい。どんな人が来るのかな?」

「先輩が忙しくなったから同期の人を連れて来るって言ってた。」

「いい人がいたらいいなあ。」

そのうちに綾香の先輩ともう一人顔だけは知ってる先輩が来た。
同期は私だけだった。
ああ・・・きれいどころを二人も連れてきたのね・・・・。

文句は言えない。


挨拶をしてそのまま四人でお店まで連れ立った。

まだ男性は来てなくて、四人でのんびり話をしていた。
先輩二人も彼氏が欲しいらしい。
綾香の彼氏と会うのも二度目らしい。

しばらくしたら三人が来て、その中の一人が綾香の彼氏だった。
田村さんというらしい。

「一人まだ終わらなくて遅れて来るんだ。」

そう言われた。

当然綾香の前に彼氏が座り、残りの二人が先輩の前に座り。
私の席の前が空いてる。
幹事の横の席なのに空いてる。
ちょっと・・・・傷つくじゃない。正直な男達め。

先にコース料理が運ばれてお酒も来たので乾杯した。


ああ・・・・・やっぱり・・・・専務と飲んだお酒は美味しいらしい。
全然違う・・・なんて言えないけど。
料理も・・・・。

贅沢を覚えるといけないと分かった。
楽しく食べて飲もう、笑顔笑顔、たとえ向かいの席が空っぽでも。


「香月さん、偉い人の秘書になってるんでしょう?」

「そうです。残業もなくて楽してるんです。」

「いいじゃない。若い人なんでしょう?」

「そうです。社長の次男です。」

「おおっ、それは気に入られたら大変だね。」

「大丈夫です。元の経理に戻りたいってお願いしてるところです。」

「そうなの?楽なのに?」

「そうなんです。やっぱりにぎやかに友達と働けた方がいいです。」

「そうなんだ。緊張しそうだよね。」

「それはそうです、大分慣れてきてはいるんですけどね。」

お互いの気配を黙殺できるくらいにはなってる。

あ・・・・来た。

そう言って田村さんが入り口を見ていた。
視線を追ってみた。
優しそうな人が笑顔で向かってくる。あの人?


そうだったらしい。


「すみません、終わるように頑張ったんですが、ちょっとトラブってしまって。」

「大丈夫、まだ始まったばかりだし。」

田村さんがその人を私に紹介してくれた。
先に着いた二人はすっかり先輩二人と四人で話をしてるから、そうなるよね。

「英二、綾香の友達の新山香月さん、こっちが西坂英二です。」

「新山さん、西坂です、遅れてすみません。会えるのを楽しみにしてたんです。」

なんとうれしい事を言ってくれるんだ。
思わず頬が緩む。笑顔も自然で印象のいい人だ。


「私も久しぶりに誘われたので楽しみにしてました。」


「専務秘書をしてるって聞いてた印象そのままです。」

「そうですか?」

もしかしてわざと向かいの席は空いてたの?
綾香もそれならそうと言ってくれてもいいのに。

「お酒、何を飲みますか?」

そのまま聞いて他の人の分と一緒に注文する。

女子で二杯目は私だけだった。
専務の奢りのお酒よりは・・・なんて思ってたのに。

「お酒強いんですよね。」

綾香・・・・・・本当にわざと空いてたの?

「そうですね。ずっといけます。困ったこともないです。ほどよく緩むくらいです。」

それなのにあの日はなんであんなに泣き出して愚痴を言うほど悪酔いしたんだろう。
そうとうストレスがたまってたんだろう、まったく。


「西坂さんはどうですか?」

「多分同じくらいは付き合えますよ。」

「良かったです。」

幹事ふたりが割り込んでこなくて、ずっと二人で話してる。

次の大皿がきたタイミングで四人での話になった。
田村さんは一つ上だけど西坂さんは私と同じ年らしい。
田村さんは長男だけど西坂さんはお姉さんがいるらしい。
田村さんは経理だけど西坂さんはシステムらしい。

なんだか一つづつ情報が開示されていく。
田村さんの事のついでに・・・もしくは逆か。


それでも二人の会話が自然だから変にも思わずにいれる。
私も同じことを聞かれる。

気が付いたらまた二人の会話になっていた。
だけど私もお酒を飲みながらも楽しく話ができるので別にいいと思った。

普通の会話をしながら時々個人的なことを聞いて。
流れで自然に連絡先を交換した。
上出来だと思う。
今日の目標にあっさり手が届いた気がした。
時間をかけた分、待たせてくれた分、綾香が仕込んでくれたんだと思った。
それにすごくいい人みたい。
なんといってもその豊かな表情は、静かすぎて愛想を無駄にしない専務とは大違い。

・・・・って当たり前だから。専務だって営業先と友達と特別な人には愛想いいだろうし笑顔だし。

関係ないのに思い出して比べてる。
もう出てこないでください!!
仕事時間外です!!


飲み会が終わったのに誰も二次会へは行かず。
西坂さんと二人で駅前のコーヒー屋さんで話を続けて、気が付いたら閉店の時間になっていた。

「あ、すみません。遅くなってしまって。」

「ああっ、全く気が付かなくて。遅くなりましたね。」

立ち上がりカップを指定の場所に戻す。
お店もさすがにガラガラとしていた。



「じゃあ、明日。」


「はい。お昼に。」

ランチを一緒に食べようと約束はしていた。
そのまま別れて、暗い部屋に戻った。


久しぶりにワクワクの週末になる。
一人でだらりと過ごすことなく、誰かと会い、食事をして。
その笑顔が自分にだけ向いてるって思える特別に思いたい人と。

本当に久しぶり。


シャワーを浴びながらも鼻歌が出る。
ご機嫌を隠せない。

ベッドで綾香にお礼の連絡をした。


『良かった。気が合ったみたいで、途中からは邪魔しないようにしてました。また来週。』

きっと友達にはすっかりバレるだろう。
いない間に広められるかもしれない。

なんだかそれも楽しいじゃない!


鼻歌は続く。

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