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3 自分のいた場所、いた時間。~ナナオ~
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本当に遠い昔の話だった。
あの頃、自分は気がついたらあの場所にいた。
静かでひんやりとした空気に包まれた不思議な場所だった。
どこから来たとか、いつからいたとか、そんな事を考えることなく、気がついたらあそこにいて先輩狐の並びの端にちょこんと座ってじっとしていた。
稀に訪ねてくる人間はいた。
「おお、新しい仔がうまれたんじゃな。喜ばしいなあ。」
そう言って頭を撫でてくれたのは見知らぬおじさんだった。
元々言葉という概念もなかったけど言ってることは伝わる。
もしかして口には出てなかったのかもしれないけど、そう伝わった。
心地良かったのはその手の温かさかと撫でられた感覚なのか。
目を細めるように耳を倒しておでこを擦り付けたいくらいの気分だった。
ただ、『石』だったから。そんな変化は分からなかったかもしれない。
それからは何人かが気まぐれに来て、頭を撫でたり、小さなお供え物を置いてくれたりしていた。
気まぐれな人間よりも、鳥や獣たちがよく遊びに来てくれていた。
特に乱暴な訪問者もなくお供え物を分けてあげて挨拶をして。
同じように通じ合えていたと思う。
それでもたいていは静かな場所だった。
何をしていたのかと聞かれても分からない。
ただ他の仲間と一緒にあそこにいただけだった。
お仕えしてる神様は自分だって会ったことはない。
御殿と呼んでいた古く小さい建物の中にひっそりといらっしゃるらしく、時々声を聞いた。
その声が聞こえる前は空気が変わるから分かる。
場に明るい光がさす、音がなくなり、生き物の気配が消える。
そして声が聞こえて。
仲間の誰かがスッといなくなる。
尻尾の残像だけを残してそこから抜けてどこかに駆けて行く。
そんな事がたまにあった。
ある時耳慣れない音がして小さな影が下の方から上がってきた。
汗をかいて、息も乱れて。
それでもやっとたどり着いたところで、大きく背伸びをして深く息を吸い込んだ。
小さな女の子だった。
「いっちば~ん。」
嬉しそうに言った声に誰かが続くのかと思ったけど、他の人間の気配はなかった。
ふと目が合った気がした。
こっちに近寄ってきて、正面から見下ろされた後、座り込まれた。
内緒だが目の前にパンツが見えた。
丸見えだった。
手が伸びて自分の頭を乱暴な感じに叩いた。
かわいい。
小さく褒めてくれたからちょっとした乱暴さは我慢した。
隣の石に座り込んでぼんやりして、しばらくして帰って行った。
それから時々来てくれるようになった。
あの頃よく来てくれてた唯一の人間だった。
すっかりその場に馴染んできたある日。
立ち上がって隣の仲間から指さして言った。
耳かじり犬さん、鼻かじり犬さん、指なし犬さん、赤エプロン犬さん、顔なし犬さん、大きな犬さん、もっと大きな犬さん、ミドリの犬さん・・・・。
先輩達はずっとそこにいたんだから。
少しは失くしたものもある、そんな特徴を大きな声で指さしながら呼んでいった。
反対の端まで言ったらまた戻って来た。
『おとうと犬さん。』
自分をそうやって指して、いつもの隣の石に座った女の子。
何かが気に入ったのか他の大人よりはよく会いに来てくれて、どんどん話しかけてくれるようになった。
「千早は元気なのに、ママは元気じゃないの。パパは元気なのになかなか会いに来てくれない。」
「いい子にしてるのに、寂しいなあ。」
「おじいちゃんとおばあちゃんは元気なの。ママのママとパパだって。千早のママはもっと可愛いくて、千早もママに似て可愛いの。千早のパパもかっこいい。会いたいなあ。」
「やっぱりママは元気じゃないって。千早が会いに行ったら元気になるのに。なんでそんな事も気がつかないのかな?」
「千早が近くにいるとママが疲れていても頑張るからダメだって。ママが元気になったら千早は帰れるの。いつなのか分からないって。」
「千早はもう一人でご飯も食べれるし、お着替えもできるし、全然ママは頑張らなくてもいいのに。一人でできるようになったのにね。」
すっかり名前も分かって、境遇すらその話の内容で見えてきていた。
名前は千早というらしい。
母親が病気で祖父母の家に預けられているらしい。
時々こっちで遊んでるらしい子供の名前も出た。
それでも寂しい寂しいと言いながら、いつものようにべしべしっと頭を叩くように音を立てられる。
それでも決して泣きわめくでもなく、ひたすら我慢してるようだった。
時々噂のおばあさんが来て、千早という子の母親が元気になる様にとつぶやいてるのを聞いた。
階段の下の方から上を見上げての言葉だっただろうけど、確かにその声は聞こえてた。
その後ため息をつく感じから、なかなか千早が帰れないのは想像できた。
本当にずいぶんいたらしい。
最初の頃はあんなに息を切らせてのぼって来てたのに、いつの間にか元気よく駆け上がって来るくらいにはなっていた。
それなのに、ある時から全く来てくれなくなった。
気になって仕方なかった。
ソワソワと何か心落ち着かない感じがした。
いつもなら絶対分かる神様の気配を感じ取れないくらいに落ち着いてなかったらしい。
その空気の変化に気がついた時には、背中を押されるような温かい風のようなものを感じて、気がついたら階段を降りて走り出していた。
初めてあの場所から離れたけど、自分は確かにどこに向かうべきか分かっていた。
一件の古い大きな家から車が出て行った。
後ろのガラスにはりつくように遠くを見ている小さな顔を見た。
千早だった。
泣きそうな顔で森のほうを見ていたと思う。
遠くを見過ぎて家の前にいる自分になんかまったく気がついてなかった。
『ママ』のところに帰ったんだと思った。
あんなに帰りたがってたから良かったと思った。
うれしいだろうと。
車が見えなくなって、そっと家の方へ近づいて行った。
おじいさんとおばあさんが悲しそうに大きな写真を見ていた。
ぼんやりとした二人。
それが何だか、分かった。
初めてのことだけど、すべてわかった。
その場に満ちた気配で理解したのかもしれない。
決してママと会えるわけではないらしい。
結局会えなかったんだろうか?
そっとその場から引き返した時に近くの家から出てきた男の子と目が合った。
ビックリしたその子の顔を見て、急いでに森に駆け戻った。
元の場所に戻って座って、そのまままた時が過ぎた。
時々ふっと千早の気配を感じて顔をあげると体が自由になってるのに気がついて、あの家まで駆けていくことがあった。
おじいさんとおばあさんがテレビを見ていた。
小さな千早はテレビの中でどんどん大きくなっていった。
たくさんの人間に囲まれている千早は、あの頃の残念そうな顔もしていない。
ただ『パパ』のほかに『お母さん』がいた。
そう呼ばれた人と手をつないだり、抱きついたり。
楽しそうに笑う千早がどんどん大きくなっていくのは知っていた。
あれから随分経っただろう。
千早が名前を付けてくれた先輩も自分も全く変わりはない。
自分はまだ耳もしっかりあるし、頭も鼻も尻尾も元気だ。
ただ、相変わらず一番の『おとうと犬さん』だった。
一番端っこに座ったままだった。
「弟犬さん。」
懐かしくその名前で呼ばれた。
誰だか、名前は知らない。
それでも覚えてる。千早がいなくなっただろうあの日に会った、あの隣の家の男の子だった。
そのずっと後、一度来ていたのも記憶にある。
あの時もそう呼ばれた気がする。
隣の石に、よく千早も座っていた石に座り込んで自分の頭を同じように叩いてくる。
「信じられないよね。同じところで働くことになるなんて。絶対また会いたいって思ってたけど、それももう忘れかけてたのに。偶然かな?運命かな?それとも神様の気まぐれかな?」
そう言われても自分に分かるわけない。
何がどうしたのか。
「千早ちゃん、すごく可愛くなってた。隣のおじいちゃんの家で写真は見てたけど、本物はもっともっと可愛かった。会えてよかった。ねえ、そう伝えていいと思う?覚えててくれるかな?」
ポンポンというよりもっと力がこもってる。
ペシペシと自分の頭の上で音がする。
「ねえ、弟犬さん、運命なら上手くいくように祈ってて、もし神様のきまぐれなら責任もってね。ただの偶然なら・・・・・あるなら特別な力を貸してよ。」
神様に伝えて・・・・・。
そうつぶやいて、それでも立ち上がって神様の御殿に向かって手を合わせるのは忘れずに。
帰り際にもう一度こっちを見て。
「なんてお願いしてばかりじゃなんだから、自分でも頑張るけど。」
そう言って階段を降りて行った。
懐かしい呼び名、懐かしい名前、そして流れ込んできた気持ち。
千早は元気に成長してるらしい。
可愛くなったらしい。
あの子は千早に会えたらしい。
仲良くなりたいらしい。
でも特別な力なんて全くないから。
自分でどうにかしなきゃいけないんだよ。
そう思った。
いつの間にか本当に時は流れていて、テレビの映像の中の千早だけじゃなくてあの時の男の子もちゃんと大きくなっていたんだ。
あの頃、自分は気がついたらあの場所にいた。
静かでひんやりとした空気に包まれた不思議な場所だった。
どこから来たとか、いつからいたとか、そんな事を考えることなく、気がついたらあそこにいて先輩狐の並びの端にちょこんと座ってじっとしていた。
稀に訪ねてくる人間はいた。
「おお、新しい仔がうまれたんじゃな。喜ばしいなあ。」
そう言って頭を撫でてくれたのは見知らぬおじさんだった。
元々言葉という概念もなかったけど言ってることは伝わる。
もしかして口には出てなかったのかもしれないけど、そう伝わった。
心地良かったのはその手の温かさかと撫でられた感覚なのか。
目を細めるように耳を倒しておでこを擦り付けたいくらいの気分だった。
ただ、『石』だったから。そんな変化は分からなかったかもしれない。
それからは何人かが気まぐれに来て、頭を撫でたり、小さなお供え物を置いてくれたりしていた。
気まぐれな人間よりも、鳥や獣たちがよく遊びに来てくれていた。
特に乱暴な訪問者もなくお供え物を分けてあげて挨拶をして。
同じように通じ合えていたと思う。
それでもたいていは静かな場所だった。
何をしていたのかと聞かれても分からない。
ただ他の仲間と一緒にあそこにいただけだった。
お仕えしてる神様は自分だって会ったことはない。
御殿と呼んでいた古く小さい建物の中にひっそりといらっしゃるらしく、時々声を聞いた。
その声が聞こえる前は空気が変わるから分かる。
場に明るい光がさす、音がなくなり、生き物の気配が消える。
そして声が聞こえて。
仲間の誰かがスッといなくなる。
尻尾の残像だけを残してそこから抜けてどこかに駆けて行く。
そんな事がたまにあった。
ある時耳慣れない音がして小さな影が下の方から上がってきた。
汗をかいて、息も乱れて。
それでもやっとたどり着いたところで、大きく背伸びをして深く息を吸い込んだ。
小さな女の子だった。
「いっちば~ん。」
嬉しそうに言った声に誰かが続くのかと思ったけど、他の人間の気配はなかった。
ふと目が合った気がした。
こっちに近寄ってきて、正面から見下ろされた後、座り込まれた。
内緒だが目の前にパンツが見えた。
丸見えだった。
手が伸びて自分の頭を乱暴な感じに叩いた。
かわいい。
小さく褒めてくれたからちょっとした乱暴さは我慢した。
隣の石に座り込んでぼんやりして、しばらくして帰って行った。
それから時々来てくれるようになった。
あの頃よく来てくれてた唯一の人間だった。
すっかりその場に馴染んできたある日。
立ち上がって隣の仲間から指さして言った。
耳かじり犬さん、鼻かじり犬さん、指なし犬さん、赤エプロン犬さん、顔なし犬さん、大きな犬さん、もっと大きな犬さん、ミドリの犬さん・・・・。
先輩達はずっとそこにいたんだから。
少しは失くしたものもある、そんな特徴を大きな声で指さしながら呼んでいった。
反対の端まで言ったらまた戻って来た。
『おとうと犬さん。』
自分をそうやって指して、いつもの隣の石に座った女の子。
何かが気に入ったのか他の大人よりはよく会いに来てくれて、どんどん話しかけてくれるようになった。
「千早は元気なのに、ママは元気じゃないの。パパは元気なのになかなか会いに来てくれない。」
「いい子にしてるのに、寂しいなあ。」
「おじいちゃんとおばあちゃんは元気なの。ママのママとパパだって。千早のママはもっと可愛いくて、千早もママに似て可愛いの。千早のパパもかっこいい。会いたいなあ。」
「やっぱりママは元気じゃないって。千早が会いに行ったら元気になるのに。なんでそんな事も気がつかないのかな?」
「千早が近くにいるとママが疲れていても頑張るからダメだって。ママが元気になったら千早は帰れるの。いつなのか分からないって。」
「千早はもう一人でご飯も食べれるし、お着替えもできるし、全然ママは頑張らなくてもいいのに。一人でできるようになったのにね。」
すっかり名前も分かって、境遇すらその話の内容で見えてきていた。
名前は千早というらしい。
母親が病気で祖父母の家に預けられているらしい。
時々こっちで遊んでるらしい子供の名前も出た。
それでも寂しい寂しいと言いながら、いつものようにべしべしっと頭を叩くように音を立てられる。
それでも決して泣きわめくでもなく、ひたすら我慢してるようだった。
時々噂のおばあさんが来て、千早という子の母親が元気になる様にとつぶやいてるのを聞いた。
階段の下の方から上を見上げての言葉だっただろうけど、確かにその声は聞こえてた。
その後ため息をつく感じから、なかなか千早が帰れないのは想像できた。
本当にずいぶんいたらしい。
最初の頃はあんなに息を切らせてのぼって来てたのに、いつの間にか元気よく駆け上がって来るくらいにはなっていた。
それなのに、ある時から全く来てくれなくなった。
気になって仕方なかった。
ソワソワと何か心落ち着かない感じがした。
いつもなら絶対分かる神様の気配を感じ取れないくらいに落ち着いてなかったらしい。
その空気の変化に気がついた時には、背中を押されるような温かい風のようなものを感じて、気がついたら階段を降りて走り出していた。
初めてあの場所から離れたけど、自分は確かにどこに向かうべきか分かっていた。
一件の古い大きな家から車が出て行った。
後ろのガラスにはりつくように遠くを見ている小さな顔を見た。
千早だった。
泣きそうな顔で森のほうを見ていたと思う。
遠くを見過ぎて家の前にいる自分になんかまったく気がついてなかった。
『ママ』のところに帰ったんだと思った。
あんなに帰りたがってたから良かったと思った。
うれしいだろうと。
車が見えなくなって、そっと家の方へ近づいて行った。
おじいさんとおばあさんが悲しそうに大きな写真を見ていた。
ぼんやりとした二人。
それが何だか、分かった。
初めてのことだけど、すべてわかった。
その場に満ちた気配で理解したのかもしれない。
決してママと会えるわけではないらしい。
結局会えなかったんだろうか?
そっとその場から引き返した時に近くの家から出てきた男の子と目が合った。
ビックリしたその子の顔を見て、急いでに森に駆け戻った。
元の場所に戻って座って、そのまままた時が過ぎた。
時々ふっと千早の気配を感じて顔をあげると体が自由になってるのに気がついて、あの家まで駆けていくことがあった。
おじいさんとおばあさんがテレビを見ていた。
小さな千早はテレビの中でどんどん大きくなっていった。
たくさんの人間に囲まれている千早は、あの頃の残念そうな顔もしていない。
ただ『パパ』のほかに『お母さん』がいた。
そう呼ばれた人と手をつないだり、抱きついたり。
楽しそうに笑う千早がどんどん大きくなっていくのは知っていた。
あれから随分経っただろう。
千早が名前を付けてくれた先輩も自分も全く変わりはない。
自分はまだ耳もしっかりあるし、頭も鼻も尻尾も元気だ。
ただ、相変わらず一番の『おとうと犬さん』だった。
一番端っこに座ったままだった。
「弟犬さん。」
懐かしくその名前で呼ばれた。
誰だか、名前は知らない。
それでも覚えてる。千早がいなくなっただろうあの日に会った、あの隣の家の男の子だった。
そのずっと後、一度来ていたのも記憶にある。
あの時もそう呼ばれた気がする。
隣の石に、よく千早も座っていた石に座り込んで自分の頭を同じように叩いてくる。
「信じられないよね。同じところで働くことになるなんて。絶対また会いたいって思ってたけど、それももう忘れかけてたのに。偶然かな?運命かな?それとも神様の気まぐれかな?」
そう言われても自分に分かるわけない。
何がどうしたのか。
「千早ちゃん、すごく可愛くなってた。隣のおじいちゃんの家で写真は見てたけど、本物はもっともっと可愛かった。会えてよかった。ねえ、そう伝えていいと思う?覚えててくれるかな?」
ポンポンというよりもっと力がこもってる。
ペシペシと自分の頭の上で音がする。
「ねえ、弟犬さん、運命なら上手くいくように祈ってて、もし神様のきまぐれなら責任もってね。ただの偶然なら・・・・・あるなら特別な力を貸してよ。」
神様に伝えて・・・・・。
そうつぶやいて、それでも立ち上がって神様の御殿に向かって手を合わせるのは忘れずに。
帰り際にもう一度こっちを見て。
「なんてお願いしてばかりじゃなんだから、自分でも頑張るけど。」
そう言って階段を降りて行った。
懐かしい呼び名、懐かしい名前、そして流れ込んできた気持ち。
千早は元気に成長してるらしい。
可愛くなったらしい。
あの子は千早に会えたらしい。
仲良くなりたいらしい。
でも特別な力なんて全くないから。
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そう思った。
いつの間にか本当に時は流れていて、テレビの映像の中の千早だけじゃなくてあの時の男の子もちゃんと大きくなっていたんだ。
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